今日の社内連絡(ブログver)

sundayとかオリジナルテンポとかの作・演出家ウォーリー木下のつれづれなるままのもろもろ。

投げたボール

2014-03-28 | Weblog
いじめで「それを決めるのは、受けた側だ」という考え方がある。この理屈はすごくよくわかるし、そうだと思う。一方、本当にそうなのか、とも思うんですよね。受け手ってそんなに強いのかな?送り手は「そう思われたこと」を100%受容しないといけないのかな。
舞台でも送り手と受け手がいて、観客がどう思ったかがすべて、みたいなことを言う人がたまにいて、そのときも、そうだよなーと思う一方で、本当にそうなのか、とも思うんですよね。
いじめの話とか舞台の話とかのことをしたかったんじゃなくて、受け手と送り手って思ってるよりも決まってないんじゃないかってこと、が云いたかったんです。
投げたボールは、投げる側とキャッチする側のどちらの手にもないものなんじゃないかって。それはただ空にある。ていうような感覚?
その瞬間を見ればどっちが主体なのかわからないような構図。それがわりと本質に近い気がしている。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ボールを投げる為の勇気、受け取る為の優しさ (松尾 勝仁)
2014-03-28 05:53:34
投げる時は、
思いっきり振り被りたいし、
受け取る時は、
キャッチャーミットでいい音を鳴らして、
快く受け取りたいと、常々想うのです。

実際に、いじめを目撃したり、体験をした場合、
心に響かない言葉と、響いてくる言葉が存在する(考)

前者は、いじめられた事が無い方の、
レンジでチンできそうな、ご意見

後者は、過去にいじめを受けたことがある、
または、今まさに、いじめにあっている方の、
決して悲劇のヒロインにはなれない演者である事に
気付ていないような、同情

生まれてから、現在に至るまで、
いろいろな経験の中で、
心に仕舞うしかなかった、闇のノートブックには、
アンダーラインが引いてある部分が、チラホラと

小学生
親友を、いじめました。

中学生
親友から、いじめられました。

高校生
学校から、いじめられました。
学校を、無視しました。

社会人
世間に、無視されています。
世間を、いじめてみたいです。

平衡空間に逃げ込みながら
感じたこと

いじめられても、

いじめてみても、

例え無視したとしても、

どれも、心がすぐれません。

多分、投げるボールを、
失くしてしまったのだと思います。

今はシャドウピッチングしながら、
理想的なフォームを、研究中です。

全力で投げる為のボールを、受け取った時の為に、

でも、その時が来たら、
性懲りもなく、全力で投げつける心持(想)

なぜならば、
その瞬間だけは、
自分に嘘をつきたくないもので・・・(笑顔)


返信する
Unknown (ウォーリー)
2014-03-28 20:55:06
松尾さん

とても素敵な考え方と文章ありがとうございます。基本的にこのブログは誰かに向かってというよりも、自分へのメモとか習作的に書いてるものなので、誰かを励ましたり傷つけたりしないよう注意しているのですが、こうやって読んでくれた方が何かを思ってくれたのは嬉しいです。
変わらずの感じのことしか書きませんが、今後ともお暇なときに開いてみてください。
返信する

コメントを投稿