今日の社内連絡(ブログver)

sundayとかオリジナルテンポとかの作・演出家ウォーリー木下の2014年度の活動のことなど。もろもろ。

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柴田君との思い出もまたいつか書こう

2016-06-18 | Weblog
演劇集団円「透明な血」、ロミちゃん主演、ヨース毛がチェロの生弾きで、土砂降りの水盤芝居。最後、大量の水が振り注ぐ音が万雷の拍手に聞こえて、それこそ雷に打たれたように拍手をした。ある音が別の音に聞こえる、そういう舞台だった。先週は「murder for two」でキッチュさんこと松尾さんとV6の坂本昌行さんの二人芝居。舞台上にはピアノがあって、それをふたりで交互に(時には連弾で)弾いて、何人もの登場人物を演じ分けて、一見すると幼稚園のお遊戯のような無垢な演劇。その水面下ではものすごいスピードで足が動いてるんだけど、それを感じさせない技術もすごいし、目論見も素晴らしかった。クーツェのみんなの舞台をこうして見に行けるのは(行きたいと思うのは)やっぱりどこか終わってない感じがしているのかもしれない。その半月ほど前は潤さんとりかちゃんが出てる劇団道学先生「丸茂芸能社の落日」も観劇。とても丁寧はストレートプレイで僕が行ったことのない街の僕の知らない人たちが出てくる演劇もしくはそういう作り物なのに、いやそこには僕はいたと思えた。他にもクーツェの時の人たちのそれぞれの活躍(トクマルさんの新譜はまさかの明和電機とのコラボも素晴らしかった)をなんだか遠くから双眼鏡で覗いているような気分で眺めている。
そういえば美術の柴田君がクーツェの舞台美術賞でなんか立派な賞を取った(伊藤熹朔賞)。目出度いかな、3回もお祝いをして2回もスピーチをしてしまった。こうして歴史の1頁に残してくれてありがとう。柴田君との思い出もまたいつか書こう。
それと、ごうた君結婚おめでとう!
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胃下垂も病弱も幻想だった

2016-06-17 | Weblog
10年以上前、あるとき、メディアに、メタボリックという言葉が突然出てきた。それまでそんな言葉なかった。ただの肥満ではなく、メタボリックだ。格好いい感じなのが逆にかっこ悪い響き。暴走族を珍走団と呼ぶことで撲滅しようとしている感じ(とはちょっと違うか)。であるときからメタボリックはメタボと省略され始め、市民権を完全に得た。
そのころ僕は30代になりたてで、まさか将来自分がメタボと呼ばれるものになるなんて思ってもいなかった。20代、かなりの大食漢で、誰かの「木下は食べても太らないね、きっと胃下垂なんだね」という言葉を鵜呑みにして、そうだ俺は胃下垂なんだから食べても大丈夫、そう思い込んでいた。家系的にも太っている人はいないし、どちらかといえば「痩せて病弱に見られる」ことの方が多かった。実際に病弱だった子供時代の名残もあった。
でも胃下垂も病弱も幻想だったのだ。ていうか、自分を鑑みていなかった。鏡を見ることもなかったし、着れなくなっていく服を服の縮みのせいにしていた。けして乾燥機のせいではなかったのだ。自分が大きくなっていってたのだ。
ここ数年は「たばこをやめたせい」という誰に向かって言っている言い訳なのかよくわからない切り札をよく使ってた。いや、もうほんと、わかってたんです。
でこの間仕事が一段落してちょっと調べてみようと思ってそういうところに行った。検査結果は見事に「肥満」を指していた。
3年前の健康診断はまだ「予備軍」だった。いまや完全に「メタボ」だ。予備でも何でもない。これはいかん。11月に知り合いの結婚式がある。そのときまでに昔のスーツを着られるようになろう作戦。というわけで、本腰入れたダイエットをはじめてみることにした・・・。(今のところ一進一退っす)
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誰にでも愛を振りまくことの難しさ

2016-06-16 | Weblog
日々むかつくことがないことはないけど、なんとなく、そういうものをやり過ごす方法も覚えたり、でも自分の存在というか、この機転の利かない鈍感な自分に一番いらっとすることの方が多い。おそらく、腹が立つ、という感情は、「誰かの行動」と「自分の行動」のふたつがセットになって起こるものだ。相手だけでもないし、自分だけでもない。ある種の共同作業として、怒りという感情はできあがる。そう考えれば結婚式のケーキ入刀的なものだと思えば悪くないことなのかも。少なくとも孤独な人間にはできない。(でも)イヤだけど。
いまいち話が通じない人がいる。きっとむこうもこっちにそう思っている。それは基本的な立ち位置の違いが大きいし、それに伴い、聴き方と話し方にバイアスがかかっていることが多い。立ち位置をなくすこと、自分事にする、根気よく、相手に愛を持って。これらがそろえば聖人君子なんだけど。誰にでも愛を振りまくことの難しさ。
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表裏が同じ側にあるように

2016-06-12 | Weblog
会員制の動く歩道の上で走っていたらランニングシューズが突然分解したので、急いで第2子をアマゾンの密林に発注、早速届く。ダイエットの面白いところは数字できちんとでるところだ。数字は神だ。我々はそれに従うまで。演劇という数値評価が定まりづらいものをやっていると、グラフや手順みたいなものに憧れを覚える(僕だけか?)。料理が好きなのもレシピ通りに作っていればおいしいものはそれなりにできるという点だ。演劇ではそうはいかない。そもそもレシピがないし、(いつもの、と思っている)手順通りにやった場合、逆にうまくいかないときの方が多い。2ヶ月前に修理に出した鞄がようやく戻ってくる。どんだけ時間かかってんだ。というような怒りはなく、なぜなら修理に出していたことをすっかり忘れていたから、まるでこびとの仕業かのようでにんまりしてしまう。こうして人は痴呆化していき、ファンタジーの世界に住むようになっていき茨も花園になるのかしらん。ひさしぶりに図書館生活もはじめていて、ぼんやり棚と棚の間を回遊していると予想外な出会いがあって、ベストセラーしか置いていない蔦の生えたところではこうもいかない。いまのうちに次の作品を考えようとしている。やりたいことは手のひらを広げた数はあるけれど、どの指が正しい演劇なのかわからないままだ。正しい演劇?そんなものは犬に喰わせて、正しくない演劇をしたい。いや、正しいも正しくないもあわさったような。ポジティブとネガティブ、インプットアウトプット、そういうついつい反義語に置いてしまうものたちは実は同じ場所同じ平面にある(あえて言えば混濁している)。生活の中からそういうものを感じ取らないと面白くなーい。そうすればなんだって演劇にできるんだろう。表裏が同じ側にあるように。
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奇妙な種・その2

2016-06-11 | Weblog
(続き)会場となったのは、静岡駅から徒歩10分くらいの駿府城公園の東御門、そこを櫓ステージと呼び、もうひとつが静岡市役所御幸通り側玄関前の階段の下。スイッチ総研は駿府城公園外堀の二ノ丸橋前歩道周辺で、最終日のみ目抜き通りになる札の辻交差点でもパフォーマンスを行った。その日は肉フェスとサンバカーニバルとも同時に開催されていて、かなり混沌としたものになるのかと思ったが(肉とサンバって!)、きちんとエリアが分かれていて、一日滞在して遊ぶにはちょうど良かったのではないだろうか。僕らの本部(楽屋とか)を設置したのは旧CCCと呼ばれている場所で、小学校をリノベーションしたアートセンターだ。そこの一室のしりあがり寿さん(静岡出身)の絵が乱雑に描かれた教室があってそこを事務局室にした。小学校の教室、黒板にはしりあがりさんの落書きのような絵、窓の外からはサンバの音、なんだかほっこりする場所でとても良かった。
さて、演目はどれも素晴らしく、これは多摩の時も思ったのだけど、奇跡のような瞬間に何度も立ち会えた。市民が参加してくれたものに限っては、こちらもすぐにうるっときてしまう。2日目から風が強く、いくつものハプニングがあった。日差しも追い打ちをかけるように強くなった。それでもそのことを味方にするパフォーマンスは、芯が強くないとできないものばかりで、自分で言うのもなんだが、すばらしいパフォーマーたちを集めることができて幸せだった。3日間とも快晴だったことも感謝するしかない(晴れ男晴れ女の皆さんありがとう)。
それと特筆すべきは静岡での運営事務局を担ってくれた渡辺さん・蔭山さんを筆頭とする静岡演劇人のみんなの熱心でそしてホスピタリティあふれる取組が確実に成功に繋がった。彼らは劇団渡辺というところのみんなで(そうです渡辺さんが座長さんです)、小さな劇場も持っていてその下のフロアでは酒場もやってる(そこでよく打ち合わせをしたり飲んだりした)。演劇は演劇を上演することだけじゃないという心の広さは普段のそういう活動からきているのだろう。

もちろん課題はたくさん残った。でも静岡でやる静岡らしいものに今後ゆっくりと進化していってくれれば嬉しいし、なにはともあれ、駅~にぎやかな商店街~市庁舎~お城が半径15分以内にあるのはとても面白い。それこそワンデイトリップのようなフェスに今後なっていくといい。ストレンジシード、まだその種はまいたばかり。

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奇妙な種・その1

2016-06-10 | Weblog
GWは静岡でストレンジシードという名前の野外フェスだった。今更だけどメモとして書いておく。
ストレンジシードはSPACが主催している「ふじのくにせかい演劇際」を盛り上げるべく始まった企画だ。SPACとは静岡県舞台芸術センターの略で、日本ではとても珍しい公立の劇団を持っている(関西のピッコロ劇団は兵庫県立ですね)。芸術監督は宮城聡氏だ。また、静岡市が20年ほど前から提唱している「街は劇場プロジェクト」というのがあって、それともリンクするということでストレンジシードは主催が静岡市になっている。僕が3年間やらせてもらった同じコンセプトの「多摩1キロフェス」の実績を評価してくれてディレクターとして声がかかった。僕自身、静岡にも何度も行っていて、毎年秋にある大道芸ワールドカップに今までに2度、オリジナルテンポとして参加させてもらっている。ちなみにその大道芸ワールドカップは「街は劇場プロジェクト」の提唱者の甲賀さんがプロデュースしている。なんとなくわかりましたかね?ややこしいですね。
ともかく、静岡の街を使った演劇やダンスのパフォーミングアーツフェスです、ストレンジシードは。実はヨーロッパや最近ではアジアでもこういうフェスは多くて、決して街でパフォーマンスするのは大道芸や路上バンドだけじゃないんですね。それこそ野外でしか体験できないすごい演目、プロフェッショナルな団体がたくさんいます。僕がシビウで見た劇団は、トラックごと街の広場にやってきて開くとそこに舞台があって、オートバイや花火や空飛ぶ仕掛けなど盛りだくさんの演出が組み込まれたものでした。日常と非日常という言い方をよくしますが、野外劇の魅力は日常と非日常が地続きになっているところです。それはまさに新しい体験です。
そういうフェスを日本でしたいなあと思いはじめた多摩も3年でおしまい(http://1kmfes.com)。でも代わりにストレンジシードがはじまりました。とはいっても多摩と静岡ではなにからなにまで違う。構造から人口から距離から文化的な背景から市民の気質から建物から条例まで何もかも違う。
多摩のやりかたをしてもよくないだろうな、とは直感で思った。
わりと急に決まった企画だったので、今年はまずとにかく面白いアーティストに参加してもらうこと、彼らがどういうことを起こしてそれに対して市民がどう反応するかを見よう、と思った。
参加したもらった団体は、カンパニーデラシネラ、FUKAIPRODUCE 羽衣、CHAiroiPLIN、冨士山アネット、東京 ELECTROCK STAIRS、toRmansion、劇団壱劇屋、サクノキ、うつしおみ、京本千恵美、バーバラ村田、チカパン、スイッチ総研、しでかすおともだちの計14組。(続く)

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劇場の声

2016-05-25 | Weblog
真夜中に執筆。冷蔵庫で氷が勝手に作られるのだけど、そのできあがる音に(がらがらってやつに)びくっとする。
本来は大阪のシアターブラバのお別れ会に駆けつけたっかたのだけど。ゆかちゃんからの報告でロビーではクーツェの「エブリシングイズシンフォニー」が流れていたそうで。
最初はTPDの「1×0」で、その次が「麦ふみクーツェ」で、「ハイキュー!!」は初演と再演で二回。もっともっとシアターブラバで演劇を作りたかった。何度も何度も通ううちにいろんな声が聞こえてくる、風景が見えてくる。劇場はそれ自体が大きな樹のようで、まるで彫刻家がそこに秘められたものを掘り出すように僕もシアターブラバでしか作れないものをもっと作りたかった。それが叶わないのは本当に残念だ。
今までにいくつもの劇場で公演を打ってきたか覚えていないけど、名は体を現す、というか、劇場自体がブラボーという声で一番包まれているのは紛れもなくシアターブラバだと思う。それと大阪城の麓というのが良い。なんていうか城下町の小屋って感じがして。そういえば楽屋の外の猫たちはどうなっちゃうのだろうか。
最後の日は客席には猫がたくさんいて、彼らのためのショーが行われているような気がする。
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原作もの

2016-05-24 | Weblog
ハイキュー!!もワンピースも、クーツェも友達もやぶのなかも、原作ものという意味ではどれも同じだ。この世界になかったものを作家が生み出した。それをORIGINALと呼ぶ。僕はそのORIGINALを使わさせてもらって、舞台のORIGINALにしないといけない。この作業は原作が漫画でも小説でも戯曲で詩でも絵画でも、基本的には大きな道筋は変わらない。まずORIGINALのどこが好きなのか、を見極める。それからゆっくりとその好きな部分を崩さないように隣のテーブルに移動する。プリンのようなものを手ですくって運んでいるイメージだ。これが一番重要だ。ここで失敗するとこのあとなにをやっても上手くいかない。そして移動させたあとは、丁寧にかつ大胆に舞台用の形に成形する。舞台だからこそ可能なこと、そして関わってくれたキャストスタッフだからこそ面白いもの、を発見し、演出する。
作家の人がゼロから生み出したものを、舞台では(もしかしたら映画とかも一緒かもね)たくさんの人がひっぱったりちぎったり色を塗ったりする、そのときに、みんなが勝手にやってしまうとそれこそ「ひどいもの」になってしまう。そこを指揮するのが演出家の仕事の一つだ。そういう意味では僕がクリエイトすることよりも、みんなに楽しく自由に遊んでもらうことが重要で、そういう公園の管理者の役なのかもしれない。
そして終わった後に、キャストスタッフが、ORIGINALを好きになっていれば成功だ。それも僕が全然予想もしていなかった部分を好きになっていればなお良い。
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世界ふれあい街歩き

2016-05-20 | Weblog
「世界ふれあい街歩き」という番組を知っていますか?
NHKで長い間やっている(とはいえ最近はBSに移ってしまった)旅番組だ。まずこの旅番組のユニークなところは、一切有名な場所に行かないこと。るるぶや地球の歩き方には一切載らない、誰も知らない街の、誰も知らない路地や市場、団地、丘、川沿い、公園、などへとカメラは進む。そこには生活者しかいない。なんでもない風景だ。そこをじっくりと進む。そしてレポーターもガイドもいない。ただステディカムで撮影した風景が延々と続くのだ。「世界ふれあい街歩き」というタイトル通り、カメラマンが街を歩いている、その風景が延々と続くのだ。そこに唯一の声としてナレーターが入ってくる。そのナレーターは旅人役だ。目の前に現れる「普通の風景」を、ただ解説する。心の中の声のように。それがまた面白いのだ。途中出会った人と会話をすることもある。(もちろん実際に会話しているのは現地の撮影班なんだけど)あたかもナレーターの人が旅をして会話をしているようになる。モノローグとダイアローグの連続。それってまさに一人旅。で、そのナレーターをしているのが、錚々たる俳優陣なのだ。浅野和之、市原悦子、西村雅彦、萩原聖人、林隆三、薬師丸ひろ子、矢崎滋、八嶋智人、貫地谷しほり、戸田恵子、富田靖子、永作博美、中嶋朋子などなど。毎回、今日の声は誰だろう、と期待する。人それぞれのアプローチがあって勉強にもなる。おそらく俳優さんがやることで成功している面はあると思う。まるで自分(視聴者が)ひとりで歩いているような錯覚に陥るのはその巧みな技によるところが大きいと思う。

正直、追っている、というほど見ている訳ではないのだけど、暇なときはネットで転がっているものをぼんやり眺める。一人旅がしたいなーと思いながら、その欲望を満たす。たまに素人が作った巧妙に似せた「世界ふれあい街歩き」がその動画に紛れているときがあって、それもまたそれで面白い。おそらく熱狂的なファンがいるのだろう。

僕にとって最近の喜びは「世界ふれあい街歩き」か「ウォーキングデッド」を見ることだ。歩いてるのが旅人か死体か、の違いだけで本質は似ているのかもしれない。
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トイレットペーパー

2016-05-18 | Weblog
急にトイレの中で、トイレットペーパーがこの形になったのはいつからなのだろう、と思い、さくっとネットで調べたら

(1) 1879年、イギリスでロールタイプのミシン目入りトイレットペーパーが登場するが、一般には受け入れられなかった。
(2) 1877年、アメリカのAlbany Perforated Wrapping(A.P.W)ペーパーカンパニーが薬屋で販売した。(薬用トイレットペーパー)
(3) 1879年(1880年)、スコット・ペーパー社が製紙工場から大きなロール状のペーパーを購入し、カスタム設計して小さいロールのトイレットペーパーを考えた。

といろいろな説があるそうで、まあでもだいたい150年ほど前からだということ。それまではこういう形ではなかったってことだ。150年前。わりと最近だと言っていいのか、随分むかしなのか、全然わからない。
トイレットペーパーはこの(ロール状の)形からなにかべつのものに今後変化するのだろうか?変化してもおかしくはないけど、変化するためにはなにか大きな革命がいりそうだ。
ブラックスワンのタレブさんが言ってたけど、「実は今日の世界は過去の人々が生きた世界と大差なく、彼らが思い描いた、または思い描きたかった未来よりも、ずっと彼らが生きてる時代に近い」。
確かに、そうだよね。今目の前にあるもののほとんどは(コーヒーカップ、椅子、時計、本、電気スタンドなど)は、トイレットペーパーも含めて、それほど大きな進化もしないで今までもこれからも未来へと続いていくのだと思う。イノベーションと言うけれど、別にちょっとした不便はそれもまたそれとして道具のたしなみにくらいに思っていいのだろうな。
同時に何度も言うけど、技術というのは「それを使っていることを意識させないものこそが最高」である。これ見よがしに新しいモノはおそらくすぐに消えてなくなるのだと思う。
演劇の世界だって、同じことは言えるかもしれない。
何の話がしたかったかわからなくなってけど、トイレットペーパーって良くできてるなーということだ。それを使っていることを意識させないことの最たる例だね。
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生で

2016-05-17 | Weblog
以下は随分前に書いてそのまま放置していた文章。なので時間がおかしいけど掲載しておく。

・・・
知り合いの紹介で、タップとバンド(ギターデュオとパーカッション)のセッションを見に行った。恵比寿と渋谷の間にあるこじゃれたカフェの奥に小さなステージがあって僕らはビールを(外国のビールだった)飲みながらそのライブを楽しんだ。音楽を演奏している人もタップの人も、瞬間瞬間に現れる音を子供のように楽しみ驚きながら作り出していた。そこには青空のような純粋さがあって、見ているこっちもニコニコしてしまう。野暮ったい空間だったけど、音楽とその演奏者はそういうものとは関係なく瑞々しくそしてプリミティブだった。
大阪は本町 HOPKENへ、山口君の年賀状展での、宮内優里さんのライブに行った。昨年の「やぶのなか」で音楽を作ってもらった、それ以来の再会だった。宮内さんはライブ中、ずっと下を向いている。まるでひよこのオスメスを選り分けているような格好だ。僕らは宮内さんの部屋に勝手に上がり込んで、そこで音をつむぐ(まるで鶴の恩返しのあのシーンのよう)彼を目撃してしまう。音楽ってこうやって生まれているんだ、と、なんだか不思議な高揚感が持ち上がる。
年末、風邪で倒れて寝ていたのだけど、カウントダウンジャパンに誘われふらふらと行った。どのアーティストも熱量が半端なく(水カン、ウルフルズ、スペアザ、DJダイノジ、バンプなど)、音のシャワーで熱は下がった。特にエレカシの宮本さんの歌声は、とてもパーソナルで毛布のように優しかった。生声ってすげえって思った。
今年は音楽のライブになるべく行きたいと思っている(ちょっとした抱負)。

・・・
と書いたのが1月で、あれ以来まったく行けていない。新年の抱負って絶対に叶わない(なんとかの法則)。だとしても、生で、音楽を聴くのって、体のために必要だと思う。もちろんどんなものでもってわけではないけど。

・・・
と書いたあとに思い出したけど、マドンナの伝説の2時間押しの埼玉スーパーアリーナーに行ってた。いろいろとすごかった。全部が全部ひとつになっている演出はなんだか大河ドラマのようだった。それに歴史上の人物感あるよね、マドンナって。つい拝んじゃいました。
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いたみ

2016-05-15 | Weblog
ブログの更新がきまぐれになりすぎている。少し落ち着いたのでまたきまぐれではあるけど書き始めてみよう。頭の整理というか日記的なものとして。
「Honganji」からの東京ワンピースタワー第2弾、そして「ハイキュー!!」の再演、からの静岡ストレンジシードというのがこの半年の大まかな行事だったのだけど、その間に二回病院に行った。ひとつは「Honganji」の名古屋中に、指のささくれから黴菌が入って腫れてきて、で、二回目は静岡にいる最中に背中に痛みを感じて、これは粉瘤という病気、どっちもすぐに治ったのだけど(原因はどっちも疲れのせいだって)、なかなかに痛い施術を受けた。生活していて「痛い」という感覚はあまり受けない。病院で注射麻酔を打ってもらったり、指先に針を刺されたり、そういう病んでいる中で痛みを感じるとき、逆説的に「生きてる」と感じる。確かに「痛い」とか「悲しい」とか「苦しい」といったネガティブと思われている状態のときこそ、なにか得も言われぬ「生」を感じるときが多い。それで言うと人は死ぬ瞬間にこそ一番生きていることになるのかもしれない。
じゃあ生きてるということを痛烈に感じさせる表現は、痛み、を感じさせるモノなのかもしれない。
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Honganji

2016-01-09 | Weblog
「ハイキュー!!」の千秋楽の翌日から「Honganji」の稽古は始まった。なんでこういう舞台の仕事が僕に来たのかはわからないけど、(僕の座右の銘は「来るものは拒まず去るものは追わず」)、とても豪勢なキャストが集まった。おせち料理のようだ。絢爛で華美、いわゆる芸能界の空気が流れているが、実際演劇の稽古場はどんな場合もさして変わらない。地味で人間臭く、そして見た目よりも中身が勝負になる。人を騙す職業の人は自分を騙してはいけない(これも座右の銘。僕は座右の銘が多いのだ)。
ただまあ今までの僕に課せられていたタイプの演劇ではないので(毎回そうではあるのだけど)、毎日試行錯誤の連続。
2016年の新春第一弾。とにかく賑々しく楽しく威勢のいい舞台にしたいと思う。
ぜひ、福袋感覚で見に来てください。値段以上ですよ。

http://www.stars-honganji.jp
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秋の続き

2016-01-05 | Weblog
「ハイキュー!!」を舞台にするって、最初聞いたときは、うーん、どうなんだろう?と自分自身もちょっと思った。実際、というか、案の定というか、舞台化が発表されるや、いろんなところで賛否両論、いやたぶん否定的な意見の方が多かったんじゃないかな、が巻き起こった。正直、自分としては、プレッシャーがなかった訳じゃない。でもタイミング(「麦ふみクーツェ」というここ数年取り組んでいた大きな舞台が終わったあとだった、同じくジャンプでの人気漫画の「ワンピース」を舞台にしたあとだった、なにかまったく今までやったことのないものをしたかった、などなどのタイミング)が良かったのもあって、あまり「肩に力を入れずに」集中できた。プロデューサーの人たちやスタッフサイドも、かなり僕の好きなようにスタッフィング(理想のメンバーをそろえてもらった)させてもらい、ノイズも入らないようにしてくれた。原作ものってやはり版権のことがあるから、どんな場合でもまずそこがクリアにならないとなかなかうまくいかない。その点、「ハイキュー!!」は原作の古舘さんも、集英社の担当のHさんも、そしてネルケさんも、「きっと大丈夫ですよ(やってやりましょう)」という何よりも嬉しい御旗を掲げて邁進してくれた。
おかげで相当のびのびと演出できたし、稽古場はずっと楽しかった。若い役者たちが部活のようにわいわいしていて、男ばっかってのも気楽だった理由の一つかもしれない。まあ、げんこつの一つや二つ飛び出ても怒られないだろうという気楽さというか(いや、そんなことしないですけど)。
主演の須賀健太&木村達成との出会いも大きかった。ふたりはほんとにハイキューの日向と影山で(このふたりもオーディションを受けに来てくれた)、そのでこぼこさ、演劇に対する姿勢、どっちが正しいとかじゃなく、ああ、こうして高めあっていくことのおもしろさ、それには感動すらしたし、もしも可能なら、二人も含めて、出演者全員のこれからと一緒にこの演劇も成長していけたらいいなあと思っている。
僕が言うのもおこがましいけど、この舞台「ハイキュー!!」はいろんな意味でチャレンジ精神にあふれていると思う。絶対にあきらめないし、絶対に分裂しない。そして「ハイキュー!!」という新しい演劇のスタイルを模索する集団なんです、彼らは。そういう意味では新しい劇団のようでもあるのだ。
まだ見られていない人、再演も決まりましたので、ぜひ。→http://www.engeki-haikyu.com

(たぶん)明日は今取り組んでいる、そしてもうすぐ本番の「Honganji」の宣伝も兼ねた話を書きます。
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夏の終わりから秋から冬にかけて

2016-01-04 | Weblog
ブログの中では去年の夏から先が止まってしまっている。備忘録として演出した作品のことを書いておく。

「ヘンゼルとグレーテル」。関西二期会との二回目の仕事。オペラ、オペラ、オペラ! 今回のヘングレはドイツオペラで、誰もが知ってるお菓子の魔女の話。貧しい兄妹が母親に怒られて森の中に食べ物を探しに行くと、お菓子の家にたどり着く(それまでに眠りの精と露の精も出てきて道に迷う)。お腹がすいたふたりはお菓子の家を食べ始めると、そこに魔女が現れて・・・。昨年来日してたティムバートン展の中で、バートンの若い頃に作った映像作品の中でもこのお菓子の家をモチーフにしてたのを見たばかり(もちろんグロテスクでユーモアのあるものだった)。そのくらい、ありとあらゆるところでコラージュ、再生、反復されているグリム童話だ。ファンシーだけどバイオレンス、楽しいけど残酷。ドイツの森の中の暗鬱とした雰囲気が見事に表現されている。そういえば昔「7人のこびと」を演劇化したことあるけど、あれに似たテイストになった。で、たくさんの子供たちも参加させて、ピアノ一本の歌もので見せる。舞台セットには無数の枕を用意して、その中でゴロゴロ転げ回りながら歌ってもらった。オペラの良さは、うーん、まだわからない。わからないから、何度もやってみたい。あくまでも楽器の一つとしてのオペラ歌手、ではない何かを見つけたい。
「多摩1キロフェス2015」。3年目で(おそらくいったんこれで終わるのだけど)随分とがんばれるところまで来たなーと感慨深い。多くのアーティスト、スタッフ、そして参加者(そこでは観客もまた出演者だったりする)のみなさんのおかげだ。今年は森山さん・ひびのさん・川瀬さんのLIVE BONE@水上の千年前のような空間(そこだけ切り取られて)、ままごとの初日の奇跡の雨、クーツェ楽団の街との親和性、スイッチ総研はテーマパークだった、おおはたさん栗コーダーさんは青空がやっぱ似合ったし、おみそはんのアイスは最高で、子供距人は名作が誕生し、環ROY×gonzoのときの普通に警備員に止められてるあの瞬間、鳥公園の公園と歌、MMが百貨店の中で起こしたわくわく、言い出したらきりがないけど、どれも見たことない、それらはどこからかやってきてどこかへ去っていくフェスティバル。まるで嵐のように。他にもたくさん言いたいことはあるし、特にかるがも隊のみんなと出会えたこととか、その感謝とか。夢のような二日間でした。で最後はやっぱりDE DEさんとホナガさんに任せて良かったダンスパーティ。またやりたいなー。

明日はハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」のことを書く(予定)。
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