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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

換骨奪胎された戦後日本

2010年03月08日 | 天皇制
大事なことなので、一部転載して紹介。

土屋正忠のブログにようこそ!:天皇の公的行為に政府が責任を持つ、という見解―鳩山内閣は天皇陛下より上になるのか?憲法違反の不遜な考えだ。
3、もしそうなら、天皇陛下が公的行事に、出席する・しないの決済を、政府に伺いを立てるということになる。天皇陛下を一内閣の下に置くという、誠に不遜な考えであり、憲法違反でもある。

6、そもそも内閣総理大臣は、天皇が国会の指名にもとづいて任命するのだ。任命された者が逆に任命した者を指図する、おかしなことだ。

8、国事行為より順位の低い、公的行為の是非を内閣が決めるなど、憲法のどこにも書いてない。
鳩山内閣は、多面的に不遜で傲岸で未熟な政権だとは思う。首相の発言は二転三転、その場限りで鴻毛より軽いが、いくら抗議しても効き目がない。政権としては、至らないにも程がある。それはそれとして...

ある意味、夫婦別姓と同じことであるが、憲法を含めて法律上、戦後の日本は伝統を残しつつも、主流派の考え方としては、個人主義で、家父長制は廃止、それに通ずる天皇制も殆ど換骨奪胎されている。民主主義は反封建主義だから、それに通ずるものは何でも古くて押さえ込まれている。それでも外形的に伝統は残してあるから、一見あまり文句が出ないが、思想潮流的には伝統が無に帰するモーメントを与えられている。だから機会さえあれば実現したいという夫婦別姓は、将来的な戸籍廃止への一里塚である。機会さえあれば(左翼政権が誕生すれば)、そういう改悪が進行する。

今上天皇もよく言われる事だが、現実のところ、皇族は受け身である。そういう風に制度が出来ている。家族の問題ですら、自由にならない。まさか内閣の自由自在、イコール、内閣を裏で動かせる人物の言いなりとは、想定していなかったと思うが、理論上は出来てしまう。外国訪問だって、政府の自由自在である。これは、本当の事を言えば、制度設計が行き過ぎなのだ。そこらへん、微妙なバランスの上になりたっていた戦後日本体制が、左翼政権誕生で簡単に揺らいでしまう。

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