話のつづきをしよう。
眠たいけど。
このブログも、いつの間にか『創作ブログ』の仲間とみなされた。
おれは、笑ってしまったよ。
――お前のブログは、ぐだぐだ、わけわからない文章を書き連ねている。
――どーでもよさげな点で、仲間の血を立派に引き継いでいる。
『学ブログ』にしても『メタブログ』にしても、『料理ブログ』に負けず劣らず情報満載だ。だけど『創作ブログ』は、普通、知的な情報とは無縁なところに存在する。
存在する、なんて書くほうがどうかしている。
入道雲がソフトクリームに見えたとして、世界はどう存在しているというのか。
戦闘美少女とエッチできた読者としての「ぼく」は、明日からどんな存在だ。
成金の末路を創作したとして、読者は1円も稼げない。
暴走族の成長が描かれていても、族車に乗れるわけじゃない。
主人公がマッチョでも、女のひとりも読者は口説けない。
『創作ブログ』のいわゆる存在証明は、
――文字がうねっている。
ただそこにしか求められないだろう。
だがおれは、これらのブログを愛している。
ときどきは聞こえてくる、遠い太鼓の音のように。
考古学者が指でなぞった、洞窟の絵文字のように。
別な言葉が産まれるとき、はじめて言葉が存在していたと気づく。
この言葉の存在証明は、過去形だ。
新しい言葉が産まれるまぎわに、思い出され、
湧きあがる産みの感動とともに、また忘れ去られる。
知的情報の存在感の前では、『創作ブログ』など無にひとしい。
このはかなさに気づいているのが『創作ブログ』なのだ。
はかないブログは、言葉を産みたいと純粋に欲望する。
それのみが、かぼそい唯一の存在証明だと思い込んで。
そしてここで、言葉の生産現場に立ち会える。
人間の喜びの場だ。
すこし実験してみようか。《続》
眠たいけど。
このブログも、いつの間にか『創作ブログ』の仲間とみなされた。
おれは、笑ってしまったよ。
――お前のブログは、ぐだぐだ、わけわからない文章を書き連ねている。
――どーでもよさげな点で、仲間の血を立派に引き継いでいる。
『学ブログ』にしても『メタブログ』にしても、『料理ブログ』に負けず劣らず情報満載だ。だけど『創作ブログ』は、普通、知的な情報とは無縁なところに存在する。
存在する、なんて書くほうがどうかしている。
入道雲がソフトクリームに見えたとして、世界はどう存在しているというのか。
戦闘美少女とエッチできた読者としての「ぼく」は、明日からどんな存在だ。
成金の末路を創作したとして、読者は1円も稼げない。
暴走族の成長が描かれていても、族車に乗れるわけじゃない。
主人公がマッチョでも、女のひとりも読者は口説けない。
『創作ブログ』のいわゆる存在証明は、
――文字がうねっている。
ただそこにしか求められないだろう。
だがおれは、これらのブログを愛している。
ときどきは聞こえてくる、遠い太鼓の音のように。
考古学者が指でなぞった、洞窟の絵文字のように。
別な言葉が産まれるとき、はじめて言葉が存在していたと気づく。
この言葉の存在証明は、過去形だ。
新しい言葉が産まれるまぎわに、思い出され、
湧きあがる産みの感動とともに、また忘れ去られる。
知的情報の存在感の前では、『創作ブログ』など無にひとしい。
このはかなさに気づいているのが『創作ブログ』なのだ。
はかないブログは、言葉を産みたいと純粋に欲望する。
それのみが、かぼそい唯一の存在証明だと思い込んで。
そしてここで、言葉の生産現場に立ち会える。
人間の喜びの場だ。
すこし実験してみようか。《続》
でもこれ以上褒めない。言葉を知らないから。(爆)
今目の前を「東はどっちだー東はどっちだー」と横切る人が面白かった。
おれも、よくやりますです。
なんて書いてあるんだろう・・・
わどさん、読めます?
泣きそうになるくらいいい。
泣くほど感動的な事は何も書いてないけど。
わどさんの経験が詰まってる。
タクシーの小説よりはよっぽどいい。
僕にとっては、の話。