断想さまざま

研究者(哲学)の日々の断想

大井川逍遥(3)

2013-03-28 13:23:22 | 旅行
 まだ機材をいじっているカメラマンたちを後に、私は温泉の建物を目指して歩き出した。大きな駐車場を過ぎて建物に入り、受付で手続きを済ませて湯へ向かった。浴場が近づくと、人いきれと温泉臭がまざったような独特の匂いが立ち込めてきた。それが妙に人恋しい感傷的な気持ちを起こさせた。
 手早く脱衣して、外の露天風呂につかった。週末でかなり混んでいたが、たくさんの人に混じって湯につかるのも心楽しかった。あちこちで客たちが雑談に興じている。聞くともなしにぼんやりと耳を傾けていると、ふと、もうすぐSLが来るという話が耳に入った。はたしてしばらくすると、客たちがぞろぞろと湯を出て川に面した場所に集まりだした。浴場のすぐ目の前には大井川の川原が広がり、その上に鉄橋が架かっている。やがて汽笛の音がした。ちょっと間を置いて列車が、勇ましい蒸気機関の音を立てながら姿を現した。ゆっくりと噛みしめるような足取りで橋を渡り、汽笛を一声残して消えていった。
 それを潮に多くの浴客が湯を後にした。私もその後について浴場の外へ出た。食堂へ行き、ビールとつまみを頼んで休憩室へ行った。
 湯上りのさわやかな気分だった。沈んだ気持ちはまだ残っていたが、もうよほど回復している。部屋には何人かの客が畳の上に横たわっていた。ビールを飲みながら、部屋に設置してあるテレビの画面をぼんやりと眺めた。
 夕刻、ほろ酔い気分で建物の外へ出ると、日は山の向こうに消えていた。線路伝いの道をゆっくりと駅のほうへ戻っていった。河津桜の花はすでに暮色の中に沈んでいる。線路の向こうには、数棟のコテージ風の宿泊施設があって、林の中に灯をともしている。昼間は汗ばむほどの陽気だったが、さすがに日が沈むと肌寒い。山から冷たい空気が下りてくるのがはっきりと感じられる。しかし湿りを帯びた夜気は、しっとりと肌になじむようで、それが昼よりもかえって春らしい気を起こさせた。
 川根温泉笹間渡駅に着くと、ほどなく列車がプラットフォームに滑り込んできた。列車に乗りこんで座席に着くと、すぐに温泉疲れの強烈な眠気が襲ってきた。

大井川逍遥(2)

2013-03-26 22:53:23 | 旅行
 沈んだ気持ちのまま駅へ戻り、二駅戻って川根温泉笹間渡駅で降りた。ここの湯は大井川をのぞむロケーションが素晴らしく、湯量も多い。その温泉につかっていくつもりだった。
 線路伝いに道を歩いていくと、満開の河津桜が見えた。近づいていくと、桜のたもとに三脚を構えている人たちがいる。見ると茶畑をはさんだ駐車場のへりにも、たくさんの人たちがカメラを構えている。どうやらSLが来るらしい。私も見物してゆくことにした。
 桜の下にレンズを構えているカメラマンは四人いた。装備からして二人はプロ、もう一人は素人、残る一人はどちらとも判断がつかない。「素人」は背の高い若い男で、いかにも楽しそうにカメラをいじっている。「プロ」の二人はぴりぴりした雰囲気で、ときどき思い出したようにカメラの位置を調整したり、小型のポンプでレンズのほこりを払ったりしている。
 道の脇に置かれた四角いアルミ製のケースに、午後の日が降りそそいでいる。傾きかけた日差しが、硬い金属質の表面を滑っていく。その空虚な明るさにぼんやりと目をやりながら、虚しさとも悲哀ともつかぬとりとめのない感情が、心に打ち寄せては引いていった。
 やがて汽笛の音が一声、谷間に響いた。来るぞと思った途端、「プロ」の一人が悠然とカメラの再調整をはじめた。どうやら鉄道会社に委託されたカメラマンらしい。今の汽笛は列車の運転士からの合図だったのだろう。しばらくしてもう一度汽笛が鳴った。シュッシュッという鋭い蒸気機関の音とともに列車が近づいてきた。
 巨きな黒光りのするSLの車体がゆっくりと土手の上に姿を現した。カメラのシャッターが次々に下ろされる。続いて数両の客車が、のしかかるような角度で頭上を過ぎた。客が窓越しに私たちに手をふった。列車はもう一声汽笛を鳴らし、見る見る遠ざかっていった。
 「プロ」の二人は手早くフィルムを取り出し、片付けはじめた。機械的な手つきだったが、どこかに安堵の気配が漂っている。一仕事終えた人間が一服するとでもいった感じだった。張りつめていたその場の空気が解かれ、時間の中に生き生きとしたものが流れ出した。
 そのとき私は気づいたのだった。今朝、自宅の部屋を出たときから、ずっと同じ暗い気持ちを引きずっていたことを。いや、そういう言い方は正確ではない。晴れない気持ちなのは自分でもよく分かっていた。むしろこう言うべきである。この一日、私は外的現実の中にありながら、ずっと自分自身の主観の内部を歩いていたのだと。悪い夢を見たその目覚めに、布団にくるまったまま、すでに心は覚醒しているのに夢の気分に浸っている感覚、いわば目覚めながら夢の中にいるとでもいった感じ、あれと同じ状態で、私は家を出、電車に乗り、風景の中を歩いて、ここまでやって来たのだった。張りつめた気分から解放されたカメラマンたちと一緒に、いま私も、不意につき物でも落ちたように自分自身を取り戻したのであった。
 私は土手の上の河津桜をもう一度見上げた。紅色のはなやかな花房が相変わらず日差しをはらんで輝いている。ここ一ヵ月半というもの、ろくすっぽ人にも会わずに部屋に閉じこもっていた。研究上の心労、孤独感、将来の不安などが、一人きりの日々の中にとぐろを巻いていた。それをこの旅にも引きずって来ていたのだった。

大井川逍遥(1)

2013-03-21 14:48:16 | 旅行
 大学の冬学期が終わって一ヶ月半、研究ばかりの毎日に嫌気がさして旅行に出た。といっても日帰りの旅、行く先は近場の大井川である。
 旅に出る前は、期待まじりの不安な気分になることが多い。その時の精神状態にもよるのだが、今回はことのほかその不安が強かった。軽い胸騒ぎがしきりにしていた。家に閉じこもりきりの生活が、知らず知らず心を蝕んでいたのだろう。それでも部屋を出て明るい道路の上に立つと、だいぶ気持ちが楽になった。三月九日。空は雲ひとつなく真っ青に晴れ渡っている。気温も夏日に近いという予想である。
 JR金谷駅で降りて大井川鉄道に乗り換えた。車内は行楽客が大半だが、さほど混雑していない。ボックス席に陣取り、発車を待って弁当を広げた。
 列車は大井川沿いに北上する。しばらくは市街地を走るが、五和駅を過ぎたころから、ようやく山間の景色になった。大井川の広い川面が青空を鷹揚に映している。河川敷にはすでに芽吹きの色を見せる樹木もある。
 四十分ほど乗って塩郷という駅で降りた。線路の片側に細長い吹きさらしのプラットフォームがあるだけの小さな無人駅。目前に大井川の大きな流れが、ゆるやかに蛇行している。川面が日差しを浴びてきらきらと輝いている。その向こうには、幾重にも重なるなだらかな山並みが、まばゆい昼下がりの空の下に白くけぶっている。駅の横を走る県道に出、川沿いに少し遡ってから、大井川にかかる長いつり橋を渡りはじめた。
 大井川にはいくつか長いつり橋がある。ここの橋は220メートルもあり、高所恐怖症の人間には相当きつい代物だ。私自身は大丈夫だが、つい先日、天竜水窪のつり橋でトラブルがあったと聞いていて、ちょっとだけ緊張した。いつもならふざけて橋を揺らしながら駆け抜けるのだが、さすがにそんな気にはならない。足元を確かめながらゆっくりと渡っていった。橋の上から見下ろす流れはよく澄んでいて、水底の石までくっきりと見えた。
 つり橋を渡りきり、橋のたもとの小暗い木立を抜けると、明るい茶畑の脇に出た。新茶の季節にはまだ遠く、茶葉は黒ずんで生気がなかったが、硬い葉の上にまばゆい春の光が氾濫していた。
 茶畑が尽きるとキャンプ場が現れた。週末とはいえ客はまばらである。広い林間の敷地に数台の車が停められ、そのわきにテントが、所在なげにたたずんでいる。敷地を横切るように歩いていった。地面を覆う芝状の下草はまだ枯れたままで、一面に広がる明るいベージュ色が、昼下がりのおびただしい光を散乱している。それは妙に空虚な眺めだった。明るい春の陽光が、まだ冬の眠りにある大地の上を上滑りに滑るとでもいったような、虚しい、行き場のない明るさであった。
 キャンプ場の敷地を抜け、川の流れを目指した。河川敷の端にある潅木に囲まれた空間を横切り、広い川原に出たが、川筋ははるか遠くにあって見えない。冬場の晴天続きで川原はからからに乾ききっており、いたるところに白骨のような流木がごろごろ転がっている。遠くで作業中のダンプカーが低い音を立てて行き来しているのが見える。空は不気味なほど真っ青に晴れ渡り、遠くに風の響きが、あるかなきかの耳鳴りのようにざわめいている。不思議な虚無感の漂う風景であった。私は、さんさんと降りそそぐ無機質な太陽光を浴びながら、ゆっくりとその風景の中を歩いていった。
 やがて微妙なうるおいが空気の襞に滲みだし、それによって流れが近づきつつあるのが分かった。するうちに水音が聞こえ、とうとう流れが目に入った。河川敷の端から三、四百メートル、あるいはもっとあったかもしれない。川原の広い大井川でも特別に広くなっている箇所なのだろう。
 川べりの石に腰かけ、ペットボトルを片手に川の流れを眺めた。川砂利をショベルカーでえぐって造ったようなような、おそろしく殺風景な川筋である。遠い下流に小さな橋がかかり、ダンプカーが行き来しているのがミニカーほどの大きさで見える。何だかひどく興ざめだった。気持ちが沈み込み、救いようのない虚しさの中にいる気がした。水着を用意してきていて、場合によっては泳ぐつもりだったのだが、とてもそんな気分にはなれない。しばらく川面を眺めてから立ち上がり、ズボンの汚れをはらって、今来た経路をなぞるように歩いていった。

ニーチェ『悦ばしき知識』より

2013-03-03 22:11:45 | エッセイ
 久々にニーチェの『悦ばしき知識』を通読している。短めのものからいくつか引いてみたい。


155.私たちに欠けているもの。― 私たちは「偉大な自然」を愛し、またそれを発見した。が、それは私たちの脳裏に「偉大なる人間」というものが欠落しているからである。ギリシャ人たちはその逆であった。彼らの自然感情は、私たちのそれとは別である。

183.最良の未来の音楽。― 私にとって第一級の音楽家とは、最も深い幸福の悲しみだけを知っていて、それ以外の悲しみは何も知らないというような者である。が、そのような音楽家は、いまだかつて存在したためしがない。

228.仲介する者に反対して。― 二人の断固たる思想家を仲介しようとする人間は凡庸である。彼には唯一無比のものを見る目が欠けている。類似化して見ること、同等化して見ること、これは貧弱な目の特徴である。

232.夢を見ること。― 私たちは興味深い夢を見るか、まったく夢を見ないかのいずれかである。目覚めているときも同様であるよう、私たちは学ぶべきだ。つまり興味深くあるか、まったく何物でもないかという風に。

235.精神と性格。― 自分の人間としての頂きに「性格」として到達する者がいる。が、彼の精神はその高みにふさわしくない。他方これとは反対の者もいる。

253.いつも家にいるということ。― ある日私たちは、自分の目標に到達する。そしてそのためにどれだけ長い旅路をたどってきたかを誇らしげに語る。が、本当のところ私たちは、自分が旅をしていたということに気づかずにきたのだ。旅路にあっても自分の家にいると思い込み、そうすることでここまでやって来られたのだ。  


 ニーチェには三つの要素がある。第一がモラリスト風の批評精神、第二が芸術家気質、そして第三が説教者の情熱である。『ツァラトストラ』が彼の代表作となったのは、これら三つの要素が十全に満たされたからであろう。また逆に、他の著作(たとえば『善悪の彼岸』)にときに見られる、一種不自然な自己韜晦の気配は、第三の要素を無理に抑圧しているからだと思われる。彼もまた、フィクションにおいてこそ最も自由に自己自身を語ることができたのであろう。