断想さまざま

研究者(哲学)の日々の断想

場所のない風景

2012-09-23 21:42:41 | エッセイ
 3・11からおよそ一年半が経った。被災地以外の生活はとっくの昔に平静を取り戻しているが、いつまた再び破局的な惨事に見舞われかねないという思いは、ずっと消えずに残っている。それはマスメディアの煽りのような、はっきりとした形を取るだけでなく、私たちの心の深部に沈潜し、無言の影響力を行使しているように見える。このことを私は、今夏、ふとした出来事から思い知らされた。
 前期の授業も終わり、ようやくその疲れも抜けつつあった八月の初旬、私は借り物のバイクで、大井川の最奥部、畑薙第一ダムを目指した。安倍川の谷から支流の中河内川へ折れ、西河内川との合流地点から落合の集落を通り過ぎたころ、ふと自分が、何か異様な非現実の風景の中を走っているのに気づいた。バイクを止め、ヘルメットを脱いで周囲の景色を見渡した。何も変わったことはない。真夏の陽光の下、蝉しぐれが谷を埋めている。何の変哲もない夏山の光景である。私は再び走りはじめた。が、風景にただよう一種の非現実感はなくならなかった。
 口坂本温泉を過ぎた頃、ようやくその原因に思い当たった。バイクで山の中を走るのは、震災以降、初めてなのである。しかもこの中河内川の谷は、アプローチの長さゆえに敬遠することが多く、通るのは五、六年ぶりだった。(この日もがけ崩れの影響で、やむなくこの道を通ったのである。)静岡で地震が起これば(そして浜岡が福島と同じようなことになれば)、ここへは二度と来られなくなる。いま見ているこの景色は、ひょっとしたらこれが見納めかもしれない。私は心の片隅でそう考えながら走っていたのである。そんな考えが目の前の風景に投影され、そこに一種の非現実感を付与していたらしい。
 大岡昇平の『野火』にこんなくだりがある。第二次大戦の末期、フィリピン戦線に送られた「私」は、フィリピンの山中をさまよいつつ、ふと「奇怪な観念」にとらえられる。それは「この道は私が生れて初めて通る道であるにも拘らず、私は二度とこの道を通らないであろう、という観念である。」


 比島の林中の小径を再び通らないのが奇怪に感じられたのも、やはりこの時私が死を予感していたためであろう。我々はどんな辺鄙な日本の地方を行く時も、決してこういう観念には襲われない。好む時にまた来る可能性が、意識下に仮定されているためであろうか。してみれば我々の所謂生命感とは、今行うところを無限に繰り返し得る予感にあるのではなかろうか。


 しかし事の本質は、「行為」というよりは「場所」に関する私たちの観念の内にあるように思われる。
 何年か前の夏のことであるが、大井川の谷を歩いていたときに、突然の驟雨に見舞われ、民家の軒先を借りて雨宿りをしたことがあった。雨そのものは三十分足らずでやみ、再び強い午後の日差しが照りつけだしたが、雨に洗われた後の風景はみずみずしく、生まれ変わったように新鮮だった。この時、ある切実な思いが私をとらえた。この眺めは、この瞬間をおいてほかに存在し得ないということ。それは反復不能な「時」の流れの中に置かれた一回限りの出来事だということ。いつの日か私が再びこの地を訪れても、これと同じ景色はもう二度と見られないだろうということ。
 が、それにもかかわらずこの景色は、たしかに私の前に「存在」していた。それは一時の幻のようなものではなく、はっきりとした現実感とともに私の眼に映っていた。たぶんそれは私が、この場所に「好む時にまた来る可能性」を、「意識下に仮定」していたからだと思う。「この景色」は二度と再び見られない。しかし「この場所」は、何度でもまた訪れることができる。「繰り返し訪れることができる」という事実は、その場所が「実在のもの」であることの根拠(私たちの主観の中での根拠)となる。(たとえば夢の中での「場所」は、繰り返し訪れることはできない。)そのような根拠に基づいて得られる観念(「実在の場所」という観念)が、風景そのものにもリアリティーを与える。「時」の流れの中にあって「仮象」に過ぎぬ風景というものに、実在性の刻印が押されるのである。
 安倍川の山中で私が感じた現実喪失感は、この場所を二度と訪れることができないかもしれぬという予感と深く結びついていた。「反復できない場所」という観念は、風景からリアリティーを奪う。いわばそれを夢の中での情景のようなものに変えるのである。大岡昇平のいう「生命感」は、たぶん、風景をはじめとする私たちの外界が、生き生きとした現実感をもっていることと表裏の関係にあるものなのだろう。実際、離人症においては、人間の自己存在のリアリティーと外界のリアリティーとが、ひとしなみに失われてしまうのである。

「青山杉雨の眼と書」展(東京国立博物館)

2012-09-08 21:33:30 | 美術
 上野の国立博物館で開かれていた「青山杉雨の眼と書」展を観てきた。杉雨は「昭和から平成にかけて書壇に一時代を画した書家」(パンフレットによる)で、篆隷における個性的な仕事で名高い。
 私のような素人は、たとえば書の展示会などで書かれている文字が判読できないということがしばしばある。が、それでもそれが、単なる点や線ではなく、れっきとした文字であることだけは看て取れる。なぜこんなことが可能なのかというと、漢字というものが、絵画における点や線とは異なり、形象それ自体の中に「時間性」を含んでいるからである。
 なるほど絵画においても、たとえば抽象表現主義のようなものは、画面に「時間」の痕跡を残している。しかし漢字は、そもそも点や画などの形態そのものが時間的な契機を含んでいる。たとえば私たちは、漢字の「撥ね」や「払い」を見れば、その線がどこからどこへ向かって書かれたかが分かる。漢字においては、すでに文字形態そのもの内に「時間」が刻印されている。
 私たちが筆を使って文字を書くとき、そのような「時間」を、筆の動きによって、さらにもう一度時間化するのである。したがってそこには、二重の時間化が介在することになる。絵画における筆の痕跡と書におけるそれが決定的に違うのはこの点であり、私が展示会などで、何という文字が書かれているのか分からないにもかかわらず、「文字が書かれている」と感じるのは、そこに絵画の描線とは異なる「二重に時間化されたもの」を認めるからである。
 ところで篆書体の文字は、いわゆる楷書や行書などの一般的な漢字とは異なり、絵画の描線のような中立的な線や点から成り立っている(篆書には撥ねや払いがない)。つまり「形態としての時間性」が欠けている。それは西洋のカリグラフィーに似て、文字というよりもデザインのような印象を与える。
 だから書家が篆書の分野で仕事をするというのは、文字(漢字)的なものと絵画的なものとの境界領域で仕事をすることを意味する。しかも青山杉雨の仕事は、秦代のいわゆる小篆(印鑑などで普通に見かける篆書体)よりもさらに古く、金文から甲骨文字以前にまで遡るものだった。それゆえ彼のいくつかの作品、たとえば「戦士図・図象文字集成」や「古文曼荼羅」などは、「書」というジャンルを超えて、絵画の領域に片足を突っ込んでいる。一方「殷文鳥獣戯画」のような作品は、一見したところいかにも前衛的だけれど、ぎりぎりで「書」の内部にとどまっているように見える。しかしこの手の作品で最上のものは、何と言っても「萬方鮮」であろう。これは数多い杉雨作品の中でもとりわけ傑作の呼び声の高いもので、ほとんど「古典」と呼びたくなるような圧倒的な出来栄えである。しかし私は(作品の出来自体は劣るかもしれないが)最晩年の「書鬼」や「幻想」のような作品も好きである。そこには杉雨の、骨太であくの強い男性的な精神が、いわば裸の姿でくっきりと浮かび上がっていて、作者の生まの息吹に触れるような気にさせられるのである。