風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

アヘノマスク

2020年05月22日 | 出版
某日、R社の下請けで某書籍を入稿(印刷所に印刷データを届けること)、それから数日して某雑誌データの入稿も終了。その雑誌データの校正をしていたら疲れちゃった。われながら、よく仕事をするものだ。あとは、肝心な弊社の刊行物を進めたいところなのだけれども、いまだ、その最終章が届いていない。「コロナでどうせヒマなんだから、早くしてくれよ」と思うものの、なかなか願うようにはならない。
それはともかく、入稿が終われば気がゆるみ、ついつい飲みすぎてしまった。翌朝目覚めると、「あんたのいびきがうるさくて、ろくに眠れなかった」と妻に文句を言われるが、それは小生の問題ではない。そこで起き出そうかと時計を見れば6:00。妻が「だから、あと30分寝かせて」と続けるので、小生も二度寝することにした。二度寝って、どうしてこんなに気持がいいのだろうか。
次に目が覚めれば、すでに7:00を回っていた。「なにが30分だ、この野郎。目覚ましくらいセットしておけよ」と思うものの、こちらも気がゆるんでいるということだろう。それに本日は、あわてて出社する必要もない。だらしなくてもいいときは、だらしなくていいのだ。ようやく起き上がり、朝食の準備。準備といっても、味噌汁をインスタントにしてしまえば、あとはパックのヌカ床から野菜を取り出し、メザシをあぶるくらいのものである。目玉焼きくらい作ろうかと思ったけれど、食後にフライパンを洗うのが面倒に思い、やめてしまう。
新聞をボケッと眺めていたら、週刊ポストの広告だったかに「年金支給が75歳からに」なる見出しが躍っている。本当にそうなるのかどうかはいまのところ不明だろうけれど、充分にありうる話だ。「死ぬまで働け!」が国家の命令となってきているわけで、それもこれも年金マネーを株式にぶち込みすぎたからである。その政策の危険さは前前から言われていたものであるが、アヘノミクス失敗のつけが、いよいよ国民に回ってくる。こんなアホな国に住んでいて、どうして国民の怒りが爆発しないのか、まったくもって不思議だ。
9:00過ぎに家を出て、会社まで歩いて向かうことにする。最近、雨模様が続いているせいか、走ろうという気力が湧いてこない。池袋駅を通り過ぎると、4月に比べれば人通りは増えている。連休明けから通常業務にもどった会社が多いのだろう。それでも、コロナ以前の1/3~1/2というところだろうか。なにせ学校が休みなのだから、生徒・学生の姿はない。それだけでも、混雑はずいぶんと緩和されているはずだ。マスクなしの人もチラホラ増えてきている。
そして数日前、アヘノマスクがわが社の郵便受けにも放り込まれていた。うちなんかになんでこんな汚物が届けられたのか、その理由はわからない。そもそもが、事業所に送りつける性格のものではないはずだ。文京区の担当者が、手当たり次第に各郵便受けに突っ込んでいったのだろうか。しかも、1次コロナ禍がそろそろ収束する間際になっての話である。アヘの不手際を象徴しすぎている。
そこで思うに、国が国民一人ひとりを管理しようとすれば、それには時間と労力が必要だということがよくわかった。国民全員にマスクを送ろうとしただけで、このザマである。ここでアヘの失政から視点をずらせば、旧ソ連の失敗も結局はそこにあったのではないかと想像してしまう。国民全員にパンを届けようとしたら、パンの製造、流通、配給を国家が行わなければならない。ただでさえ広いソ連の国土全体に細かい網の目を作り国民の生活保障を行おうとしても、情報手段が未発達な時代の話でもあり、その細かい網の目は国民監視手段に転化することしかなかった。そんなんじゃ国民もやっていけないわけで、ソ連は崩壊することになる。
アヘノマスクについて、また別に思い浮かぶことがある。今朝の朝日新聞で神里達博氏も記していたこが、日本の第1次コロナショックでの死者数はたいしたことはなかった、という点である。その「たいした」とは、あくまでも欧米と比較したうえでの相対的なものである。5/22現在、日本では800名ほどがコロナで亡くなっている。そのお一人おひとりの死は悲劇だろう。ここで「1人の死は悲劇であるが、100万人の死は統計にすぎない」というスターリンの言葉をもってシニスズムにひたりたいわけではない。そうではなく、やはり、日本では死亡者数が少なかったという厳然たる事実をどう受け止めるのかということを問題にしたいのだ。
そしてもちろん、アヘノマスクが効を奏したなどと述べているわけではない。こんなものは失政に決まっている。ところが、コロナちゃんの罹患者自体、日本ではそもそも少なかった。喜ばしい話だ。そうはいえども、このあと予想される2次、3次のコロナ波に、現状で対応できるのかどうかは、だれにもわからない。おそらく悲観論の方が多いだろうと推測する。では、どうすればいいのか。そこで、もっとも簡明な解決策に小生は行き当たってしまった。体内の免疫力を上げればいいのだ。では、どうすれば免疫力が上がるのかといえば、ヌカ漬けのニンジンでも毎日食べていればいいのだ。
体内の免疫が強ければ、コロナにかかっても怖がることはない。したがって、マスクだの消毒だのソーシャル・ディスタンスだのという煩わしさからも解放される。解放されればストレスもなくなり、さらに免疫力はアップする。ただしこれには、高齢者にお勧めできないという難点もある。

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