今日見れた動物たち!
名前忘れた! ラマの群れ ペンギン こんなところにごろごろいます! ゾウアザラシ アルマジロ シャチ
こんな写真が撮れることもあるそうです。
今日見れた動物たち!
名前忘れた! ラマの群れ ペンギン こんなところにごろごろいます! ゾウアザラシ アルマジロ シャチ
こんな写真が撮れることもあるそうです。
何件か聞いて歩いた中から、よさそうな旅行代理店で半島ツアーとホエールウォッチングを申し込みました。
天気も予報を信じ、よさそうな日を選んでツアーを申し込みました。
バスで宿まで迎えに来てくれ、早朝7時半に出発。途中国立公園の入り口を過ぎ1時間半ほどで、鯨の見れる湾に到着しました。
ここでボートに乗り換えホエールウォチングが始まります。
ほんとにあんな大きな鯨が見れるのか半信半疑で乗り込みましたが、少し沖に出ただけですぐに鯨を発見できたときには、かなり驚きました。
しかも何mもある鯨がジャンプしていたり、尾ひれを見せてくれたりTVや写真でしか見たことのない風景が目の前で公演されているのを見て感動しました。こんなに簡単に見れるの、鯨って?と言う感じです。
でも揺れたボートの上から写真で撮るのはなかなか難しく、良い写真がなかったのが心残りではありますが、約1時間半もの間、巨大なwheelをずーと追うことが出来、かなり満足な時間をすごせました。
鯨は4頭や5頭ではなく、親子連れでかなり多くの数が見ることが出来ます。よーくみていると湾内のあっちこっちに鯨の親子が潮を噴き上げていて、見ていて壮観です。
何mくらいあったのでしょう?軽く10m以上はあったと思いますが。
子鯨が頭を出してくれたとこ!
親子で遊泳中 かばに見えるけど、鯨 こんなに近寄ってきます
この湾からラマやダチョウ、羊の走る草原をバスは駆け抜け、ゾウアザラシやペンギンのいるポイントへ移動します。
この半島ではペンギンの数はそう多くないそうですが、プエルトマドリンから少し南下した近くのプンタトンボというところでは、1億羽とも言われる数のペンギンがコロニーを築いているそうです。写真を見せてもらいましたがさすがに圧巻でした。
そこまで行かずしても、このバルデス半島でもかわいいペンギンはまじかで見ることが出来ました。
巨体と言う名にふさわしいゾウアザラシや子供のアザラシなど大小さまざまの動物がビーチにごろごろ横たわっていました。
人間は彼らのそばには近寄ることはできませんが、それでも見るものを楽しませてくれるには間違いありません。
途中ランチ休憩とり、最後にアザラシを狙ってシャチがたまに打ちあがると言うビーチに向かいます。残念ならが20分ほどの時間内ではシャチは現れてくれませんでしたが、かわりにここでアルマジロがちょろちょろ顔を見せてくれ、とても愛嬌のある風貌に、心和まされながら1日のツアーは終わりました。
ここアルゼンティンにしては、この1日ツアーかなり高いように最初感じましたが、内容からすると見ごたえたっぷりなので、人ぞれぞれではありますが、やはり私たちは参加する価値はあるように思えました。12時間たっぷり楽しませてくれるこのツアーは昼食は付きませんが、一人約200ペソで楽しむことが出来ます。
私たちはこの1日ツアーだけのために、ここプエルトマドリンを訪れましたが、この街の雰囲気はとてもゆったりしていて、街も整備されており、空気もきれいでのんびり過ごす事ができました。
こんなショットはそう簡単には撮れません!
きれいなビーチのある町
今回はバスに乗り遅れることもなく、無事出発。
でも安いバスはかなりひどかったわぁ。出発直後から雨が降っていて、あちこちから雨漏りはするわ、隣の窓は締りが悪いわで、かなり悲しくなってしまいました。
当然ほとんど寝ずの20時間でとてもつらかったです。
しかし、またプエルトマドリンに到着してからが大変でした。
なんとこの週末連休だったらしく宿がどこもいっぱいで、シーズン前なのでどこでも空いてるだろうと予約もせずに来ていた私たちを八方塞にしてくれました。。
片っ端から聞いて歩いたものの、今夜空いていたのはホステル2軒だけ。しかも今夜よりも明日のほうが空きが無いということがわかり、チェックアウト後すぐに明日の宿探しをするはめに・・・。食事もとらずに散々歩き回り気が付けば夜の9時を過ぎていました。
途中あきらめて、明日のバスで次の町へ向かおうと決め、バスの予約をしに行くと、バスも明日はいっぱいと言われ。。。どうしたらよいかと散々悩んだ結果、とりあえずおなかを満たそうとレストランへ向かいました。
しかもこの店でもいっぱいだから10時に来てと言われてしまい、ならその間の時間もう少しだけ宿を探そうと、すっかり暗くなった小雨降る中歩いていると、一軒の個人宅の入り口にツーリストでもOKそうな部屋貸しみたいなサインを発見。もう夜遅く迷惑かな?と思いつつも、ノックしてみました。おじさんが出てきてくれ、明日の宿を探していると話すと中に入れてくれました。いつもように当然スペイン語でベラベラベラ・・・と話されました。おじさんも一生懸命いろんな言葉で話してくれましたが、結果としては「今日はダメだけど、明日は大丈夫。明日の10時に来なさい」でした。
こんな立派な個人宅
でも空いてるのかどうかいまいち定かではなく、不安で夜をすごしましたが、翌日行ってみるとすぐに部屋に案内してくれました。よかったぁ。助かったよぉ。九回裏ツーアウトランナーなしからの大逆転。一時はこの南米で野宿を覚悟したほどでした。
おじさんが夕べ一生懸命説明していたのは、ミニマム4泊で6人用の部屋だけど二人だから安くするねと言うことを説明していたようです。
私たちが昨日探してやっと空いてる部屋を見つけたホテルは、一軒だけでしかも一泊325ペソもする超高級ホテルで、それも仕方ないかぁとあきらめていたのですが、おじさんの家の部屋は、安宿のツインとそう変わらないくらいの値段で、冷蔵庫やレンジも付いてる3DKの部屋でした。そこに二人で贅沢に過ごせるなんてほんとラッキーでした。
首の皮一枚でやっとプエルトマドリンに滞在することが出来、ようやく落ち着いて海岸線を散歩できました。キーンと張った冷たい風がとても気持ちよいのです。
この町はとても小さく、ゆっくり歩いても1時間もあればくるっと回れる、しかもきれいなビーチのある町です。
私はこんな小さな穏やかなリゾート地っぽい雰囲気のところが大好きなので、ゆっくりしたいなととても思いました。
とりあえずおじさんには4泊すると約束し、早速バルデス半島ツアーとホエールウォッチングのツアーを申し込もうと旅行会社を回りました。
ここはもちろん世界遺産にも登録された自然保護区で、ホエールウォチングを初め、シャチやゾウアザラシ、オタリア、ペンギンのコロニー、アルマジロなど多彩な動植物を見ることが出来る半島の入り口にある町です。
なのでシーズンともなれば世界中から人が集まる基地となっているようです。
国立公園の入場券
今回のようなシーズン前のたった3,4日の連休で宿がなくなるようでは、需要と供給のバランスがうまく取れていないように感じるの私だけでしょうか?
本格的なシーズン中になったら一体どうなっちゃうのかな?ぜひもっと宿を増やして下さい。
こんな雰囲気の町はかなり好きなので、ともかく早速食糧をどっさり買い込み、少しゆっくりしたいなと思っています。
あまりに居心地が良すぎ、10日以上もだらだらと過ごしてしまいました。
そろそろ次の目的地に向かって移動しようと言うことで、当初予定していたブエノス→サンチャゴはいつの間にか消えうせていて、ここからバルデス半島プエルトマドリンという町に南下し、そこから南米のスイスと名高いバリローチェへ、そして国境を越えチリサンチャゴを目指すことにしました。
またバスで18時間の旅となります。今回もフルフラットになるバスを予約し、老体に鞭打たないように準備万端で宿を出発しました。
しかし、なんと呆れることに予約していたバスに乗り遅れてしまい、結局また「日本旅館」に戻ってくることに。
恥ずかしいのなんのって。宿のみんなのいい笑いものです。
散々みんなに挨拶して、アドレス交換やら写真撮影も済ませて出発したのに、舞い戻ることになろうとは・・・。
しかも、チケットの振り替えはしてもらえず、15%割引だけで新たにチケットを買わなくてはいけないことになってしまいました。
二人ともやけになってもう南下するのは止めようという話にもなりましたが、それも尺だし・・・ということで、再度翌々日のチケット購入し、予定通り南下することに決まりました。
しかし、シートは一番安いものに変更し、眠れずの18時間の旅となってしまうことになりました。
そして、出発までの2日間の間に大幅な今後のルート変更も考え、ここから先は計画とは全く違うルートで旅することに決めました。
当初の予定では、先ほども記しましたが、
ブエノス→プエルトマドリン→バリローチェ→サンチャゴ→ダラス→バンクーバー→ラスベガス→ロスアンジェルス→NZ→オーストラリア
でしたが、
ブエノス→プエルトマドリン→エルカラファテ→バリローチェ→ブエノス→サンチャゴ→NZ→オーストラリアに変更することにしました。
今回はアメリカ西海岸とカナダをパスすることにしました。
南米に来て旅の概念がすっかり変わってしまったようで、今更日本とあまり代わり映えのしない上、異常に高いであろう北米を旅したところでどうなる?ということで、北米を飛ばすことにしました。手持ちのお金もそろそろ寂しくなってるし。その分もう少し時間を掛けてアルゼンティンを回りたいと思います。アメリカへ行くなら日本からツアーで行ったほうがよっぽど安いだろうし、カナダは少し悩むところでしたが、やはりまた次回でも日本から行けるだろうということで決めました。
それと交換と言う感じで、エルカラファテという南極にかなり近い、氷河が見れる町まで行ってみることにしました。
そして、その後再度ブエノスに戻り、何かちょっと習ってみたいと思っています。
サルサかスペイン語かな?そんな短期間習ったくらいじゃ意味ないだろうけど、かじってみたいなと思っています。
そうこうしてる間に、NZもだいぶ暖かくなるだろうし。
人生万事塞翁が馬。バスに乗り遅れたせいでいろいろ変わりました。わからないものですね。またどう変更するかわかりませんが、とりあえず鯨などを見に、プエルトマドリンを目指します!
さすがトラピチェ。かなり美味しい。
ここでは「パンにはジャム」より定番のレチェ(ミルクジャム)。
キャラメルに近い味!
ボカのチケット
珍しく夫が買ったハヴァイアナスのビーサン
こっちではたくさんの人が履いてます
安チケット屋で半額以下で購入し、今日は日本旅館に宿泊中の女の子二人も一緒に、アルゼンティンタンゴを見に行きました。
夜9時半スタートのショーでしたが、結局始まったのは11時近くでした。
前菜、パスタ、デザートに二人に1本ワイン付の料理とショーで35ペソ。
9時過ぎに店には行き、食事を済ませ、デザートに取りかかろうとする頃、やっと照明が消え始まりました。3組のダンサーとソロの歌い手さん3人が入れ替わりでショーが構成されていました。
私としてはどちらかと言うと、歌い手さんのショータイムより、迫力あるタンゴショーをもっと見たかったと言う感じでしたが、周りのお客さんたちは交互に構成されているショーにとても満足げでした
最後はダンサーの人たちが観客の数名を誘い、ステージで一緒に踊ってくれます。一緒に行った子も、「無理無理」と言いながらも、ステージに上がっていました。せっかくだからね。記念に写真も撮れるし。
しかし、あのタンゴと言うのは、なまじ半端な気持ちではなかなか踊れないだろうなと感心しました。女性のひざ下はグリングリン前後左右によ~く曲がっていて、よく相方を蹴り上げないなと驚かされますし、常に姿勢がきれいで相当腹筋背筋も鍛えているのだろうと思えます。
短期間で習得するなど到底無理な話だろうし、日本人が歌舞伎などを舞うのと同じで小さな頃から心得のようなものも少しずつ学びながら、日々精進しているのだろうな感じました。
なんとこのタンゴを同室のKさんは何年も学んでいるそうです。本人は謙遜していましたが、かなりこの国でもトップクラスに近いみたいでした。ぜひ一度踊っているところを見て見たいと思いましたが、なかなか恐縮してしまい口に出すことは出来ませんでした。
すごいですよね。そこまで極めるには並大抵の努力や気合ではないでしょうし、まだまだ上を目指したいそうです。すばらしい!そんな風に何かに打ち込めるってことも素晴らしいことですよね。
で、そのショーは約2時間、歌有りタンゴ有りトーク有りで深夜1時ころまで続き、大満足で家路へと向かいました。
週末ではなかったにもかかわらず、ブエノスの街は深夜1時過ぎでも人が多く、店も意外と多く営業しています。宿が町の中心からかなり離れているため、めったなことでは夜遊びしない私たちですが、こんなにも夜遊びできる街であることも知りました。
街中は南米だと言うのに、それほど危なさは感じません。
宿の周辺のほうがよっぽど危険だそうです。なのでこの眠らない日本人宿に泊まっている人も、宿近辺でのほうが危ない目にあっている人が少なくないそうです。
と言うわけで深夜のタンゴショーを満喫した夜となりました
ちなみに外国人がみんな日本人はカラテが出来ると思っているのと同じで、アルゼンティン人がみんなタンゴを踊れるわけではないそうです。知りませんでしたぁ。
夜のブエノス
バスを降りて「日本旅館」へ向かう道
入り口。なんかの倉庫みたい!
玄関。見送り時。外に出て送っちゃダメ!危ないから?
パティオ?時にはダンスフロア!
テラス!兼洗濯物干し場!
2階テラスからの眺め!南米っぽいでしょ!
近くの韓国人街の絶品辛子冷麺!2日に1度通いました。
そして、後半あっという間に同点に追いつき、試合終了5分ほど前に逆転し、3-2で勝利すると言う、まさに見ているものにとってはとても見応えのある試合でした。
途中3階席から水風船がトタン屋根に向けてバンバン投げ込まれり、相手チームのGKに向けて物を投げたり、発炎筒が炊かれたり、過激な一部のファンの様子も目の当たりに見てしまいました。
帰る途中スタジアム周辺の住宅前を通ると、多くの部屋のベランダにボカのフラッグが掲げられていて、TVで勝試合を見ていた住民の多くが窓から、帰っていくサポーターたちにフラッグを掲げて互いに勝利を分かち合っていると言うのも、また愛情の深さを感じました。
かつてスーパースターマラドーナがボカに在籍していたのはわずか1シーズンだけだったのにもかかわらず、今でもことあるごとにボカへの愛情を表明しているらしいです。そして、この日もスタジアムに設けられているマラドーナ席に、本物のマラドーナが試合を見に来ていたらしいのですが、私たちがそのことを知ったのは、残念ながら試合終了後、宿に帰った夜のことでした。
選手も、サポーターも周辺住民も一体となってチームを盛り立て、お互いの深い愛情と信頼関係が成り立っていることをつくづく感じながら、とても素晴らしい試合を、そしてとても素晴らしいサポーターを見れて、すっかりボカファンの仲間に入れてほしい気持ちでいっぱいになりながら宿の戻ったのであります。
ボカのユニフォーム買っちゃおうかな?
ガキたちはフェンスによじ登って見てます!
点数を取ったときはこんな感じ!こぶしだらけ!
ボカファンで超満員のホームスタジアム!
今日は地元「ボカジュニアース」のホームゲームがあるというので、試合を見に行くことにしました。
と言ってもチケットを購入しているわけではありません。
行ってみて当日券を買うつもりでいます。有るのかなほんとに?
それにどうやってスタジアムまで行ったらいいのか、周辺の治安は大丈夫か?全く知識がありません。
こんなときこそ、この長屋(宿)の人たちは、知っている限りのことを全てみんなが教えてくれます。なんとどんだけありがたいことか!
結果、行きはバスで大丈夫だけど、スタジアム周辺ボカ地区の治安は決してよくないので、帰りはタクシーで帰って来い、チケットはサポーターと一緒ではなく、観光客用の席にしたほうがいいなどいろいろアドバイスしてもらいました。
以前ここに泊まっていた人が試合を見に行ったら、殴られて帰ってきたとか、たまたま席が相手チームの下側の席で、上からとあるものが降ってきたとか、いや~な話をいろいろ聞き、ちょっと行く気が失せましたが、行く気満々の夫に引っ張られ、気を引き締めて出発しました。
チケットカウンターらしき所へ行って「チケット2枚ください」と言うと、いつものごり押しスペイン語で「○×*△・・・」と言っているのですが、当然全く理解できなかったのですが、何やらチケットはここに売っていないと言っているようでした。仕方なく近くにいた警官に「チケットはどこで買えますか?」と聞いてみると、また「○×*△・・・、こっちにこい」と言います。するとこともあろうにその警官は、私たちにダフ屋を紹介し、その人から買えと言うのです。まぁ誰から買おうがかまわなかったので、その人と交渉し何とかチケットを手に入れたのであります。その人からすれば破格の価格であったとは思いますが、私たちが街中のインフォメーションで聞いたとき、試合観戦ツアーは一人6000円以上もしていたので、その金額からすれば1/3もしない価格で買えたので、それで承諾して見ることにしました。
試合開始前 ボカチアガールズ? 大量のトイレットペーパー 試合開始!
席はゴール裏ではないと思っていたにもかかわらずなんとゴール裏で、スタジアムはほぼボカサポーターで埋め尽くされていたようでしたが、あまりにゴール裏は混雑していて、座って見れる状況ではなく、唖然としました。
なんとか居場所を確保し、観戦しました。行ったときはすでに2部リーグの試合が行われていて、ボカファンはたとえ2部でも熱く応援していました。アルゼンティンリーグは9部リーグくらいまであるらしく、とても層が厚いそうです。
現役アルゼンティンリーグで頑張っている同じ宿のM君が、「アルゼンティンの選手は飯が食えるか食えないか位の給料しかもらっていない選手がほとんど」と話していました。それでも、いつか世界の一流チームからオファーがあることを夢見て、より上のリーグを目指し、彼自身も含めてみんな日夜がんばっているそうです。
さて、試合が始まる少し前から、座ってみていた人もみな立ち上がって一斉に歌いだします。またなんか歌もかっこいいんだよね。しかもたくさんの歌を持ってる。責めてるとき、負けてるとき、惜しかったとき、いろんな歌があるみたいです。
試合が始まってボカチームの選手が失敗ししちゃっても、まったく責めてる様子はなく、常に選手に声援を送っている。ボカへのサポーターの愛情を感じぜずにはいられませんでした。試合は前半0-2で負けていました。それでもチームに野次を飛ばすこともなく、まだまだ後半があるじゃないかと言う感じで余裕すら伺えるサポーターの人たちには驚かされました。
飛び降りそうなボカサポーター
満杯
朝、9時近くにブエノスアイレスのバスターミナルに到着しました。ここ2度ほど極上の最高級バスを利用しているせいで、長い移動時間も苦ではなくなっています。
ターミナルについて早速、市内バスに乗り換え目指す宿へ向かいます。
ターミナルから40分ほどかかると聞いていたので、短期滞在者にはやや不便かなと不安にも思いましたが、とりあえずは情報収集にも役立つのでは?ということで、ゆうちゃん、たっちゃん(イースター島で出会った二人)の泊まっているかもしれない「日本旅館」を目指しました。初めて聞いたときはなんか変な名前!(ごめんなさい!)と思いました。
南米には日本人の経営する安宿が多くあり、安く安全に旅したい多くの日本人が頼って訪れているそうです。宿には「情報ノート」と呼ばれる日本人のためのいろいろな旅情報が、そこを訪れた旅人によって記入されており、そういった生の情報を宿で得ることが出来ます。
私たちは南米を訪れるまでその日本人宿も「情報ノート」の存在すら知りませんでしたが、アジアなどの宿にも同じようなものがあるそうです。
バスを降り、住所を片手にやっと見つけ出し、厳重なドアの横にあるチャイムを押しました。すると日本人ではないおばちゃんが出てきてくれ、招き入れてくれました。
当然ホテルではないので建物内がきれいということはなく、少しブルーな気持ちになったものの、泊まっている人はほぼ日本人ということで、世界でもきれい好きな日本人が泊れるところなんだから大丈夫と自分に言い聞かせ、部屋に案内してもらいました。
ドミでなかなか寝付けない私なので、空いていれば二人部屋を・・・と思っていましたが、2つしかない二人部屋はすでにいっぱいで、何室かあるドミの中から適当に選び、滞在することに決めました。
4人用のドミにはすでに一人の男性が滞在しておられました。
後でわかったことですが、その彼はタンゴを勉強しながらなんとすでに4年近く滞在しているようです。唖然・・・。
この「日本旅館」には他にも長期滞在者がたくさんいるそうです。サルサを習いに来ている人、日本から単身アルゼンティンサーカーリーグでがんばっている22歳の青年、旅の途中で居心地が良すぎて長くなってしまっている人、などなどさまざまだそうです。
全6、7室、25名ほど滞在できるようです。
ここには驚くことに台所やシャワー、ランドリーはもちろんのこと、NHKも見れるTV、日本のドラマやバラティのビデオ、漫画、書籍、日本語IME完備のネット、おまけに納豆、ふわふわお米、麻雀台まで必要と思われるものは何でもありました。
最初は少々びびり気味に数日滞在しようと計画していた私たちではありましたが、しかし数日たつとなんとも言えない居心地の良さに自分たちでも驚き、これが何年もここに滞在させてしまう理由なんだろうと、なんとなく長期滞在者の気持ちがわかってきたような気がしています。
どう表現してよいのでしょう?「長屋」そう、昔の日本の「長屋」のような感じのところです。違うのは、あまり人のことを干渉しない、ということくらいかな?
だからよけいに居心地が良いのかも。同室の人でさえ、いろいろとお互いのことを詮索したりしないし、かと言って、全く話をしないわけでもなく、困ったことや教えてほしいことなどがあれば、みんなで親切にアドバイスしてくれます。なんとも不思議な空間のようで私はとても新鮮な気分です。
夕方から毎日朝方まで麻雀をしている人もいるし、1日一歩も外に出ない人、毎日3リッターのビールを飲んだあと、ワインを楽しむ21歳の青年などさまざまです。ここではみんな自分のペースで自分の好きなように生活しています。
日本ではあまり想像できない世界のように感じますが、これもこの国では有りなのでしょうね。
そんな私たちもここに来てからというもの、毎日夜遅くまで気のあったもの同士、安いワインやビールを買って来ては飲んだくれています。また大勢いろいろな人がいるので楽しんだこれが!
旅の途中の彼らと話していると、みんな若いのに自分をしっかり持った子ばかりで驚かされています。そりゃあそうかもね。ここ南米で一人で旅するなんて、自分をしっかり持ってなかったら無理な話だもんね。たくましき若き日本の青年たちに、ジジババの私たちはただただ脱帽するのでありました。
もうしばらくここ「長屋」におります。写真は次回あげますね。