Weekend Strummer

ウィークエンド・ストラマー。
世間知らずのオジサンが脈絡無く語る、ギター・アフリカ・自閉症。

先輩ちゃん

2015-03-22 01:20:54 | 自閉症

娘は県立の特別支援学校(養護学校)に通っていましたが、先日、卒業しました。

生まれてからのほとんどの時間を外国で過ごしてきた娘が、特支学校の高等部に入学させていただいたのは18歳の時でした。彼女にとって日本の教育を受ける初めての機会です。
その後の3年間、彼女が充実した学校生活を送っていたことは主に妻を通じて、ケニヤに単身赴任していた私にも伝わってきておりました。

自閉症という障害を被っている娘について「ヒトの役に立つことなど、ほとんど何もできないのでは」と、実の親でありながら思い込んでいた私はひどいヤツであります。
先生方の御指導のもと、娘は給食係を務めたり、教室から出席簿を運んで職員室に往復したり、思った以上にクラス内での活動に関わっていたようです。とはいうものの、お気に入りのメニューの際には配膳前に他の生徒の分の給食も食べてしまったり、職員室への経路で何か面白いものを見つけて追いかけて行って、そのまま行方不明になってしまったことも数回あったりして、とても「大活躍だった」とは言えないのが残念からげるところでありますが。

私がその充実した学生生活を垣間見たのが昨年11月。休暇でケニヤから一時帰国していた私は、学校を訪ねて文化祭を見物させてもらいました。愛すべきクラスメイトや先生方に囲まれて、我が娘はとても生き生きとして、明るい笑顔を振りまいておりました。

楽しい催しを満喫したその帰り道、学校近くのコンビニに寄った時のこと。

店内で、妻はドリップ・コーヒーを買うためにレジに向かい、娘は店内監視用の凸面鏡に映る自分の姿を見て独り楽しんでおりました。普段と違う面相が楽しいのでしょう、ミラーに注目しながらヤジロベエがバランスを取るようにカッチコッチと左右に身体を傾けて遊ぶ娘。機嫌が良い時、彼女はメトロノームのようになってしまうのです。
店内に客は多くなく、なので誰の迷惑になるわけでなし、だけど念のため、私は周囲に気を配りつつ娘の近くに立ち、品数豊富な日本のコンビニ・ストアの雰囲気を楽しんでおりました。

その時、娘と同じ制服を着た少女たちが入店し、つまりは娘と同様特支学校の生徒たちでありますが、その少女たちが娘を見て、ヒトコト。

「あ、〇〇〇先輩だー」

せ、先輩だって!? 君は学校では下級生たちから「先輩」と呼ばれているのか? 

普通の学校生活ではごく当たり前の習慣ですが、重い障害を持つ我が子が「先輩」と呼ばれることがあろうとは、全く予想しておりませんでした。少女たちの口調から、日常的に娘をそう呼んでいると察することができ、父はすごく嬉しかった。

しかし、周囲を気にせずメトロノームごっこに興じるこの巨大幼児が「先輩」とは。申し訳ないけど、めちゃくちゃおかしいのも事実であります。
私は笑いを噛み殺しつつ、レジに並ぶ妻に御注進に向かったのでありました。

我が娘を 「先輩」と呼ぶ子らがおり 茨城県立特支学校

 

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ケニヤ山に登った。

2015-03-08 15:37:24 | ケニヤ

引っ張ってすみません。ケニヤ山行の話は今回が最終回です。

右が主峰バティアンと次鋒ネリオン。一番左が第3峰レナナ。山に抱かれるように佇むシップトンズ・キャンプ。

高山病のメンバーを下山させたので、私たち本隊もルートを変更せざるを得なくなりました。予定では登頂後にチョゴリアに抜けるはずでしたが、単純に来た道を戻ることになりました。なので、登頂後にシップトンズ・キャンプに戻って来て、オールド・モーゼズに下るのです。

夕食後、眠る前に小屋の外に出て山を撮影。どうせ暗すぎて写るまい、と思って適当にAUTOモードでシャッターを切ったのですが、結構カッコ良く写ってました。月光を受けて輝くケニヤ山。

3日目。元旦。ピーク・アタックの日。
午前一時に起床しておかゆとビスケットと紅茶の軽い朝食(夜食か?)を摂り、2時に出発です。
ひどく寒い! 熱帯生活が長くてほぼ一年中、半袖で生活している私です。低気温をあまり経験しておりません。
ケニヤ滞在中、登山をする気は全くなかったので、本格的な山道具など持参して来ておりません。今回の装備も、普段着の上にナイロビの中古品市場で購入した薄いジャンパーを着ているだけです。ですから寒くてしょうがない。
どこで入手したものなのか、若手メンバーが使い捨てカイロを差し入れしてくれました。ありがたく使わせていただきます。開封してポケットに入れたのですが、全然暖かくならないんです。思うに、空気が薄くて酸素が足りないせいで中の鉄粉が酸化できず、発熱してくれないのではないか、と。残念ながら高山では役に立たないシロモノでありました。
出発時の夜空には、日本で見るよりだいぶ高い位置にオリオン座が光っておりました。

寒い、眠い、苦しい。
過去二回の登頂経験から「楽な山行になるわけはない」と覚悟はしておりましたが、いやはや、これほど苦しくなるとは。
歩き始めて思い出したのですが、過去2回の山行はご来光を意識しない行程で、ですから深夜に歩きはじめるなんて苦行を経験するのは今回が初めてだったのです。
気温が低くて身体が震える。登山という運動をしているにもかかわらず、全く身体に熱がこもらないんです。熱が蓄えられず、放出するばかり。
酸素が薄くて呼吸が荒くなります。頻繁に呼吸する割には肺が充実しません。なんだか目が回る。
おまけにルートは細かい石ばかりでガレ場状になっており、足元が安定しないんです。気を抜くと滑って転んでしまう。そして急傾斜なので、転ぶと確実に数メートルは滑落してしまう。

高度が増すに連れて疲労も蓄積されてしまいます。小股で5~6歩進んでは休んで息を整える、というカメの歩み。ぎいぎいぎいふう、ぎいぎいふう。
若手メンバーはどんどん先に行ってしまい、私はビリっけつ。
付き添ってくれるガイドが「大丈夫か? 吐き気はないか? 意識はハッキリしているか?」などと親身に訊いてくれますが、ここでネガティブな反応を見せてしまうと、「そりゃ高山病だな。このまま下山しよう」と有無を言わさず引きずりおろされてしまいます。登頂した後で症状が悪化した登山者を担ぎ下ろすより、当人が少しでも歩ける状態のうちに高度を下げた方が、引率する側にすれば格段に楽なのです。
せっかくここまで登って来たんです。ここで帰れるわけがない。無理矢理に笑顔を作って「もう楽しくて楽しくてしょうがないよ!」と返答する私でありました。

それでも何とかピークでのご来光に間に合った。赤道直下で拝む2015年の初日の出です。あけましておめでとうございます。

ピークからの眺め。左から右へ(北から東へ)頭を巡らすつもりでご覧ください。

  

次鋒ネリオンにも朝日が当たる。

ピークに立つということは、ただそれだけで「一番高いところにいるヒト」という非日常的な立場が得られて、単純な特別感があります。
この自撮りショット、ピークで撮ったせいで本格的な登山家のように見えます。実はへなちょこオジサンでありますが。

そして下山。「登山は下りの方がつらい」なんていうヒトがいますが、私にはちょっと信じられません。昔から下りだけは得意なんです(登りは苦手です)。膝のクッションを利かせてヒョイヒョイと下ります。登りはカメの歩みでしたが、下りはヤギの軽快さ。
カメの皮をかぶったヤギ、というフレーズを思いつきましたが、ちょっと無理がありすぎですね。
下山途中で撮った下の画像、中央下部に豆粒のようなシップトンズ・キャンプが見えます。

じゃ、あっという間にキャンプに帰着できたか、というと、実はそういうわけでもなかった。
登りは4時間の行動でしたが、下りも4時間でした(若手メンバーは3時間だったそうです)。オジサンは休み休み下ったので。もう疲れちゃって。

シップトンズ・キャンプに戻って、そのままベッドにぶっ倒れて休憩。数時間後にモソモソと起きて夕食摂って食後も熟睡。合計13時間くらい眠っちゃった。
こんな長時間眠るの、何年振りでしょう? 中年期以降、長時間起きていられず、長時間の睡眠もとれなくなっていたのですが、流石に消耗したようです。

4日目。下山の日です。瓢箪から駒という感じで3回目の登頂を果たしたケニヤ山ですが、この先もう来ることもないでしょう。そう考えるとちょっと寂しい。
3回以上登った山って他にあったかなぁ? 丹沢の塔ノ岳くらいでしょうか? 一気に身近な山になりますが。
キャンプから見える山脈(やまなみ)を目に焼き付けて、出発です。谷に沿って下山します。

オールド・モーゼズに帰着。行きは9時間かかったけど、帰りは5時間で済みました。
お世話になったガイドとポーターに料金を支払い、握手してバイバイします。
ここからマタトゥに乗ってエンブに帰ります。

ケニヤという国で、20代の時に過ごした3年間と50代で過ごした3年間。田植したり山に登ったり、やってることはほぼ同じなのですが、だからこそ、自分が確実に年齢を重ねていることが実感できました。肉体的には確実に老いつつあり、精神的には確実に熟成もしているようです(根拠はありませんが)。

今回のケニヤ山行はいろんな意味で良い経験でありました。

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