昨今は以前に増して神聖視する傾向が強まっているようで、もともと強かった清潔感が更に強力化しておりますが、やはり宮沢賢治は特別な存在です。
いくつかの彼の小説には、主人公の行動が本人の意図とは異なる場所に影響し、意外な高評価を得る、というシチュエーションが見られます。
有名な「セロ弾きのゴーシュ」は、主人公のゴーシュが夜毎練習するセロ(チェロ)が起こす振動で、近所に住む動物たちが病気を治す、というお話でした。
また、「虔十公園林」は、知的障害者・虔十(けんじゅう)が、やせて耕作には向かないと言われた野原に、特に大きな理由もなく植えた700本もの杉の苗がきれいな林となる、というお話です(小説がそのまま気持ちの良い映画になりそうな、ビジュアルな描写が素敵な一編です。どうぞ御一読ください)。
世間からの評価は低く、デクノボーと呼ばれるような者でも、その存在がめぐりめぐってポジティブな反応を呼び起こすかもしれない。「雨ニモ負ケズ」の精神はこんな背景に支えられているのかもしれません。
さて、意外なところで、ケビン・コスナーの出演する映画にも似たようなシチュエーションがいくつかあるんです。
「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990)、「ポストマン」(1997)、「メッセージ・イン・ア・ボトル」(1999)の三作は、コスナー自身が製作もしくは監督しているものですが、どれも「自分の知らないところで主人公が思いがけない高評価を得る」というかたちでストーリーが展開します。
「ダンス・ウィズ・ウルブズ」では、戦闘中に負傷した主人公の足を軍医が切断しようとするのですが、それを嫌がって野戦病院を抜け出し、ヤケクソで敵陣に突撃したらそれが勇気ある行動として将軍の目に留まり、昇進する。
「ポストマン」では、戦争で荒廃した世界で一宿一飯を恵んでもらうために偽の郵便配達人となる主人公をヒーロー視した子供たちがきっかけとなって、全国的な郵便運動が展開される。
「メッセージ・イン・ア・ボトル」では、死んでしまった妻を想う気持ちを込めて書いた手紙を壜に入れて海に流していたら、それが砂浜に流れ着き、たまたまジョギングしていた女性新聞記者の目に留まる。
どれも元は他愛のないと言える裏のない行動ですが、意外な物語に発展します。本人が特に意図したわけではない行動が自分の知らないところで高い評価を得て、結果的に主人公の得となる。大事は、それを成そうと思う者の意志によってではなく、小さな偶然から始まってゆく。
しかし、賢治の視点が常に弱者に向けられているのに対し、ハリウッドの映画は成功者を主人公にしており、似てはいるけどやっぱり違うんだよなあ。