Weekend Strummer

ウィークエンド・ストラマー。
世間知らずのオジサンが脈絡無く語る、ギター・アフリカ・自閉症。

宮沢賢治とケビン・コスナー

2011-11-26 01:45:39 | 映画の話

昨今は以前に増して神聖視する傾向が強まっているようで、もともと強かった清潔感が更に強力化しておりますが、やはり宮沢賢治は特別な存在です。

いくつかの彼の小説には、主人公の行動が本人の意図とは異なる場所に影響し、意外な高評価を得る、というシチュエーションが見られます。

有名な「セロ弾きのゴーシュ」は、主人公のゴーシュが夜毎練習するセロ(チェロ)が起こす振動で、近所に住む動物たちが病気を治す、というお話でした。

また、「虔十公園林」は、知的障害者・虔十(けんじゅう)が、やせて耕作には向かないと言われた野原に、特に大きな理由もなく植えた700本もの杉の苗がきれいな林となる、というお話です(小説がそのまま気持ちの良い映画になりそうな、ビジュアルな描写が素敵な一編です。どうぞ御一読ください)。

世間からの評価は低く、デクノボーと呼ばれるような者でも、その存在がめぐりめぐってポジティブな反応を呼び起こすかもしれない。「雨ニモ負ケズ」の精神はこんな背景に支えられているのかもしれません。

 

さて、意外なところで、ケビン・コスナーの出演する映画にも似たようなシチュエーションがいくつかあるんです。

「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990)、「ポストマン」(1997)、「メッセージ・イン・ア・ボトル」(1999)の三作は、コスナー自身が製作もしくは監督しているものですが、どれも「自分の知らないところで主人公が思いがけない高評価を得る」というかたちでストーリーが展開します。

 

「ダンス・ウィズ・ウルブズ」では、戦闘中に負傷した主人公の足を軍医が切断しようとするのですが、それを嫌がって野戦病院を抜け出し、ヤケクソで敵陣に突撃したらそれが勇気ある行動として将軍の目に留まり、昇進する。

「ポストマン」では、戦争で荒廃した世界で一宿一飯を恵んでもらうために偽の郵便配達人となる主人公をヒーロー視した子供たちがきっかけとなって、全国的な郵便運動が展開される。

「メッセージ・イン・ア・ボトル」では、死んでしまった妻を想う気持ちを込めて書いた手紙を壜に入れて海に流していたら、それが砂浜に流れ着き、たまたまジョギングしていた女性新聞記者の目に留まる。

 

どれも元は他愛のないと言える裏のない行動ですが、意外な物語に発展します。本人が特に意図したわけではない行動が自分の知らないところで高い評価を得て、結果的に主人公の得となる。大事は、それを成そうと思う者の意志によってではなく、小さな偶然から始まってゆく。

 

しかし、賢治の視点が常に弱者に向けられているのに対し、ハリウッドの映画は成功者を主人公にしており、似てはいるけどやっぱり違うんだよなあ。

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アーノルド・シュワルツェネッガー捕獲作戦

2011-11-16 00:01:09 | その他

連続ドラマのような夢を見るヒトがいるそうです。

作家・ツツイヤスタカは「自分が過去に殺人を犯してその死体を山中に埋めており、その件で時々刑事が聞き込み調査に来る」という夢を、年に数回見るそうです。同じ夢を繰り返し見るのではなく、連続ドラマのように、見るたびに警察の捜査状況が進んでいるんですって。

毎回同じ二人組の刑事が尋ねてきて「例の件で何か思い出したことはありませんか?」などと聞き込みをするんだそうですが、すでに顔なじみになってしまった刑事のうちの一人が、どうも「犯人はツツイではないか」と疑っている節があり、事実捜査の輪はツツイを中心にジワジワと狭まっているようで、このままこの夢を見続けた場合、いつか自分は逮捕されるに違いない、という恐怖を感じているんだそうです。

かくいう私も、連続ものの夢を見ることがあります。

私の場合、今回のタイトルどおり、アーノルド・シュワルツェネッガーを捕まえる作戦に参加している、という夢です。

「捕獲」とは主に大型動物に対して使われる言葉でありますが、相手は何しろシュワちゃんでありますから、逮捕とか確保なんていう柔らかい言葉では不十分な感じがします。ここはやはり「捕獲」でありましょう。それに対象となるのはシュワルツェネッガー氏その人ではなく、彼が映画で演じるキャラクターそのものの物凄く強い男なので、作戦名は文句なく「捕獲」でよろしいかと思われます。

夢の中の設定では、どういうわけかこの作戦に参加するように強要された私と同様の立場の人間が多数おり、シュワちゃんの行動予定を察知した司令部からそれぞれに連絡が来るんです。例えば、某リゾート地に来る予定だから湖畔の茂みの中に潜伏せよ、とか、某大型総合病院に来るらしいから北棟3階のナースステーションで待ち伏せせよ、などといった内容の指令が、どういう経路をとるのかは定かではありませんが、唐突に知らされる。

で、私はとにもかくにも指定された場所に行って、いずれ到着するであろうシュワちゃんを待つ、と。

幸か不幸か、いまだシュワちゃんに遭遇したことはなく、しかしこのまま作戦に参加し続けていれば、いつかは彼と顔を合わせることになるのではないかと思います。格闘技の技術も経験もまったくない私です。遭遇時にはオレ、瞬殺されちゃうんだろうなぁ・・・。

 

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バタコさん

2011-11-03 12:53:44 | その他

日本では明るく元気な女性をヒマワリに例えることがありますが、同じような女性を英語圏では「キンポウゲのようなヒト」と呼ぶそうです。キンポウゲは英語ではバターカップ(Buttercup)。9月に飼い始めた犬を、そう命名しました。

命名してはみたものの、バターカップはなんとなく呼びづらく、結局「バタコさん」とか「バーちゃん」などと短縮して呼んだりもしています。生後2ヵ月半で「婆ちゃん」と呼ばれるのも、ちょっとかわいそうですが、本人が全然気にしていないので、ま、いっか。

バタコさん、ウチに来た頃はまだ生後2週間でありました。幼すぎて体温調節がうまくできなかったようです。晩夏の暑さに呼応して体温も上昇するのか、苦しげにピーピー鳴く夜には、ペットボトルに入れた水を冷凍庫で凍らせたものを寝床に入れてやりました。私からすれば、長時間は持っていられないほど冷たいものですが、バタコはそれにぴったり寄り添ってスヤスヤ眠るんです。冬の雪の中でも丸まってそのまま眠ってしまう動物ですから驚くにはあたらないのかもしれませんが、でもやっぱりすごい。逆に、次回私が熱帯に赴くことになったら、果たしてこやつは同行できるのか、ちょっと心配。

夜鳴きの原因は残暑だけではなかったようです。まだ赤ん坊の時に親犬から離してしまったので、当初はかなり寂しかったのではないかと思います。体温上昇時とは若干ニュアンスの違う悲しげな鳴き声を出す時がありました。

そんな時、効果あるかも、という家内のアイディアで寝床に入れてやったのは「ぬいぐるみ」。セイウチを模した大き目のぬいぐるみがあったので、寝床に置いてやりますと、大成功。抱きついておとなしく眠るんです。なんか健気でかわいい。ペットボトルとセイウチで寝床は狭くなりましたが、バタコさんの幸福度は増したようでした。

体格はぐんぐん巨大化。餌食って寝て起きると、寝る前に比べてちょっと大きくなっており、まるで芽生えたばかりの植物のように旺盛に成長しています。当初はわずか数百グラムだった体重は、現在は10キロ弱。ふわふわで柔らかかった体毛も太く硬くなり始めました。

そんな彼女が最近熱中しているのは、家族の転失気(テンシキ)吸引です。転失気とは、世間一般で言うところの「屁」でございます。

自宅でくつろいでいる私が「Pu!」などと放屁した途端、その音を聞きつけたバタコが「おっ♪」という表情を見せ、まっしぐらに飛んできて私の尻に鼻を押し付け、肛門の臭いをクンカクンカと嗅ぐんです。おふざけなどまったく感じさせない態度で、真摯に真面目に切実に一心不乱に。

犬の肛門周辺には肛門嚢(こうもんのう)という、匂いを出す部分があり、この匂いは個体特有らしく、犬同士の個体識別は主にここの匂いによるものである、と、以前飼っていた犬が言ってました。ですから我が家のバタコも、一緒に暮らす家族の識別データをインプットしている最中なのでしょう。

肛門を刺激されると、ものすごくくすぐったいのですが、バタコのあまりの切実さに拒んではいけないような気がして身悶えしながらも悪臭を提供する私です。当然、娘の放屁にも速攻の反応を見せ、ぶっ飛んで行ってクンカクンカ。娘もやはり当惑気味で、しかし彼女もまたNoとは言えない自閉症児。あからさまには拒めず、何かを訴えるような視線を私に向けてきます。

ごめんな。でも、ちょっと我慢してやって。きっとすぐ飽きるだろうから。

 

 

コメント (2)
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