何かわからないことがある場合、最近はインターネットで調べますが、少し前まではやはり書物を利用してました。
ある程度満足できる答えを素早く得るのに便利だったのが広辞苑。あやふやな知識しかなかった事物について簡潔に正確に説明してくれます。
広辞苑はほとんど字ばっかりの本です。字だけで、つまり図などを用いずに文章だけで世の中のことをちゃんと説明しているところがすごい、と単純に感じておりました。
そしてあの厚さと重さ。まさに知識がぎっしり詰まっているようで、頼もしさを感じます。なんでも知っているパパ、という感じ。
残念ながら現在私が愛用しているのは、紙版に比べてお手軽感が増した電子辞書版です。
それで例えば「手」の項を調べてみると、「人体の左右の肩から出た肢」と書かれており、その説明文には解剖学的なクールさがあります。
その説明文について、作曲家・團伊玖磨氏は「パイプのけむり」というエッセイの中で、好ましくも悲しい表現である、と評しています。
團氏は自分が手を使って行ってきた「穢(きたな)い」ことを後悔するがゆえに、その手で直に摘む鮨(寿司)さえ嫌い、というほど、自分の手に対する思い入れが強いヒトです。
しかし広辞苑はそういった個人の強い思い入れを完全に無視し、簡潔に説明する。
その姿勢はある種威厳に満ち、ハードボイルド小説のセリフに似た魅力があるようにも思えます。
俺の手が汚れているって?
気にすることはない・・・。
こんなもの、単に肩から出た肢じゃないか・・・。
ある程度満足できる答えを素早く得るのに便利だったのが広辞苑。あやふやな知識しかなかった事物について簡潔に正確に説明してくれます。
広辞苑はほとんど字ばっかりの本です。字だけで、つまり図などを用いずに文章だけで世の中のことをちゃんと説明しているところがすごい、と単純に感じておりました。
そしてあの厚さと重さ。まさに知識がぎっしり詰まっているようで、頼もしさを感じます。なんでも知っているパパ、という感じ。
残念ながら現在私が愛用しているのは、紙版に比べてお手軽感が増した電子辞書版です。
それで例えば「手」の項を調べてみると、「人体の左右の肩から出た肢」と書かれており、その説明文には解剖学的なクールさがあります。
その説明文について、作曲家・團伊玖磨氏は「パイプのけむり」というエッセイの中で、好ましくも悲しい表現である、と評しています。
團氏は自分が手を使って行ってきた「穢(きたな)い」ことを後悔するがゆえに、その手で直に摘む鮨(寿司)さえ嫌い、というほど、自分の手に対する思い入れが強いヒトです。
しかし広辞苑はそういった個人の強い思い入れを完全に無視し、簡潔に説明する。
その姿勢はある種威厳に満ち、ハードボイルド小説のセリフに似た魅力があるようにも思えます。
俺の手が汚れているって?
気にすることはない・・・。
こんなもの、単に肩から出た肢じゃないか・・・。