定職について、
フィリピンに駐在したりした後
結婚して、
結局この10数年、山らしい山に登っていない。
それでも、最初のころは
登らないまでも、山ヤは山ヤだ、
なんて、いきがって、岳人誌は購入していたのだが、
やっぱり、自分が登らなければ
あれこれ読んでいるだけではつまらない。
そんなわけで、いつの間にやら
自然と本屋で見かけても
手に取ることすらなくなっていた。
昨日、久しぶりに本屋で見かけ、後述する通りの事情で手に取ってみたのだが、
中身が何となく変だ。
いつもでかでかと一番目に付くところに
掲載されているはずのICI、IBSの両石井スポーツや
ヘリテイジのテント(エスパース)などの広告が
載っていない。
テントの記事もあるのだが、どういうわけか、
モンベルの商品しか載っていない。
どうしちゃったんだろう、と思って
中身をよく読んだら、
何でも一回休刊になり、そして廃刊が決まりかかったところで
モンベルに買い取られ、それで
発行を継続している、という。
ちょっと、ショックだった。
こんなこと書くと、本屋で手に取ることすらなくなった書物が
休刊になろうと廃刊になろうと、
どっちでもいいじゃないか
と、言われてしまうかもしれない。
現に、休刊していたことすら気が付かなかったのだから、
それほどまで関心がなくなっていたのである。
それが、後になって、廃刊になりかかった、と知って
ショックです、もないようなもんだが、
それでもやっぱり、ちょっとだけショックだった。
高校山岳部も、2年生ぐらいになると
ちょっと背伸びをして生意気を言ってみたくなる。
「ヤマケイなんてよ、あんなん、素人のハイカー向けの
広告雑誌じゃねえかよ。山をやるなら、
せめてガクジンぐらいは読まなけりゃあなあ」
ってなわけである。
まあ、確かに、岳人に比べればヤマケイのほうが
初心者には近寄りやすい編集方針であったこと自体は
間違いないだろうが、しかしそれ以前に、
こういうくだらないことを言って
息巻いている、ということ自体が
素人、というより、自分自身のレベルの低さを物語ってしまっていることに
気が付かないと。。。
それでも、15・6歳程度のガキがこういうことを言って
背伸びをしようとすること自体は、
頭ごなしに否定されるべきことでもあるまい。
実際には読んでいても、難しくってわからないことのほうが多かったのだけれど、
それでもがんばって、理解したふりをして、格好つけていた。
たまには、誰も知らないような沢ルート情報が載ってたりすると、
それを名前だけ暗記して人前で一席講釈し、
「それって、何県なの?」なんて質問されたら、
もう答えられない、みたいなショーもないこともあったりしたけれど。
ただし、岳人も、難しいルート記事ばっかりだったかというと
そういうわけでもなかった。
毎年、3月か4月ごろには、
近場のなかなか渋い里山の特集のようなことをやっており、
それこそ、「ハイカー向け」の記事もたくさんあった。
実は、こうした里山の記事にも
独特の個性というのかこだわりのようなものがあることが理解できるのは
だいぶ後になって、
こうした記事を書いている人たちと接するようになってからだったのだが。
というわけで、
岳人誌にはそれなりに個人的な思い入れもあったのだが、
ここ10年ぐらいは(といったって、
最近はろくに手に取ることすらしていなかったのだが)、なんだか雰囲気が
変わってしまった気がして、それがまた、手に取る機会が減る原因に
なっていたのかな、というのもある。
実際、編集のほうも、
最近の登山(屋内フリークライミングや屋内ボルダリングも含む)の形態の
変化、あるいは、多様化に対して、どう向き合っていいのか、
ちょっとヴィジョンを描くことが難しくなっていたのではないかな、
という気もする。
岳人誌が、というより、あらゆる紙媒体の雑誌という商品そのものの売れ行きが
著しく低落していることは
いろいろなところで書かれていることなので
知らないわけではないし、
そうでなくても、登山雑誌なんか、売れ行きの低下に歯止めがかからない、
というのが実情だっただろう。
とはいえ、最近の「山ガール」や屋内フリークライミングなどのブーム(?)もあり、
人心地ぐらいはついてたんじゃないかな、と、勝手に思い込んでいた。
現に、『岳人』『山と渓谷』『新ハイキング』といった老舗雑誌に加えて
ここ数年で、新しいトレッキング系の雑誌を目にすることが
増えたような気がしていたから。
岳人誌も、たまに覗くと、
グラビアに移っている登山風景のモデルさんが、
昔だったらちょっと考えられないような
小ざっぱりとしたスマートな感じの若い女性だったりして、
ちょっとは景気がいいのかな、なんて勝手に思ったりもしていた。
あれは苦し紛れのはったりだったのか、
全然逆だったんだね。。
さて、そんなことを書きたいわけではない。
実は、今回岳人誌を手に取り、そして購入したのには
ショック云々とはまた別の訳がある。
今月号の岳人誌では、特集(といったって、
ほんの数ページのガイド記事だが)で
伯耆大山を扱っていたからである。
実は、この夏休み、数日をかけて、
母親を連れて大山登山を目指した。
と、言っても、母もあと2年もすれば80になるという高齢であり、
ちょっと山に登るのは無理があったのだが
父の生前、20年も前から、一度行ってみたい、としばしば言っていたので
まあ冥途の土産というわけでもないが、
ほんのちょっとだけ、親孝行としゃれ込んでみたのである
結婚してからは、どうしてもかみさんと過ごす時間が多くなり、
一度は連れて行ってやりたい、と思ってはいたのだが
なかなか実現させることができなかった。
たまたま今年は、かみさんが実家の事情で一人で帰ることになったので
今回の母と二人の行脚となった。
遅きに失したとはいえ、一度近くまで行ってみれば、
それでも思い出になるかな、と思い、連れて行ってみたのだが。。
なんせ、出発の当日は鳥取地方は台風直撃であり、
まずは、麓の宿に到着できるかどうかが
問題となってしまった。新幹線が1時間以上遅れたものの、
なんとか宿に着くことはできた。
飛行機はすべて運休となっており、
宿では、我々一行以外すべてのお客さんがキャンセルしたそうである。
翌日も雨が降りそぼり、
せっかくだったが、登山は中止し、
大山神社、大神山神社を見て、お茶を濁すこととなった。
その後も何日か、鳥取県内をウロウロしていたのだが、
結局、最後まで、大山は顔をのぞかせてくれず、
せっかくの旅行だったが、目的をかなえることができなかったのである。
これが、丹沢の大山だったら、
「さすが雨乞いの神様」とでも言ってみるところだが、
伯耆大山ではそうもいかない。
そんなわけだったから、
本屋でたまたま岳人誌を手に取ってみたら大山の記事があったものだから
ついつい(という言い方もないが)買ってしまった。
これも何かの縁ということかもしれない。
フィリピンに駐在したりした後
結婚して、
結局この10数年、山らしい山に登っていない。
それでも、最初のころは
登らないまでも、山ヤは山ヤだ、
なんて、いきがって、岳人誌は購入していたのだが、
やっぱり、自分が登らなければ
あれこれ読んでいるだけではつまらない。
そんなわけで、いつの間にやら
自然と本屋で見かけても
手に取ることすらなくなっていた。
昨日、久しぶりに本屋で見かけ、後述する通りの事情で手に取ってみたのだが、
中身が何となく変だ。
いつもでかでかと一番目に付くところに
掲載されているはずのICI、IBSの両石井スポーツや
ヘリテイジのテント(エスパース)などの広告が
載っていない。
テントの記事もあるのだが、どういうわけか、
モンベルの商品しか載っていない。
どうしちゃったんだろう、と思って
中身をよく読んだら、
何でも一回休刊になり、そして廃刊が決まりかかったところで
モンベルに買い取られ、それで
発行を継続している、という。
ちょっと、ショックだった。
こんなこと書くと、本屋で手に取ることすらなくなった書物が
休刊になろうと廃刊になろうと、
どっちでもいいじゃないか
と、言われてしまうかもしれない。
現に、休刊していたことすら気が付かなかったのだから、
それほどまで関心がなくなっていたのである。
それが、後になって、廃刊になりかかった、と知って
ショックです、もないようなもんだが、
それでもやっぱり、ちょっとだけショックだった。
高校山岳部も、2年生ぐらいになると
ちょっと背伸びをして生意気を言ってみたくなる。
「ヤマケイなんてよ、あんなん、素人のハイカー向けの
広告雑誌じゃねえかよ。山をやるなら、
せめてガクジンぐらいは読まなけりゃあなあ」
ってなわけである。
まあ、確かに、岳人に比べればヤマケイのほうが
初心者には近寄りやすい編集方針であったこと自体は
間違いないだろうが、しかしそれ以前に、
こういうくだらないことを言って
息巻いている、ということ自体が
素人、というより、自分自身のレベルの低さを物語ってしまっていることに
気が付かないと。。。
それでも、15・6歳程度のガキがこういうことを言って
背伸びをしようとすること自体は、
頭ごなしに否定されるべきことでもあるまい。
実際には読んでいても、難しくってわからないことのほうが多かったのだけれど、
それでもがんばって、理解したふりをして、格好つけていた。
たまには、誰も知らないような沢ルート情報が載ってたりすると、
それを名前だけ暗記して人前で一席講釈し、
「それって、何県なの?」なんて質問されたら、
もう答えられない、みたいなショーもないこともあったりしたけれど。
ただし、岳人も、難しいルート記事ばっかりだったかというと
そういうわけでもなかった。
毎年、3月か4月ごろには、
近場のなかなか渋い里山の特集のようなことをやっており、
それこそ、「ハイカー向け」の記事もたくさんあった。
実は、こうした里山の記事にも
独特の個性というのかこだわりのようなものがあることが理解できるのは
だいぶ後になって、
こうした記事を書いている人たちと接するようになってからだったのだが。
というわけで、
岳人誌にはそれなりに個人的な思い入れもあったのだが、
ここ10年ぐらいは(といったって、
最近はろくに手に取ることすらしていなかったのだが)、なんだか雰囲気が
変わってしまった気がして、それがまた、手に取る機会が減る原因に
なっていたのかな、というのもある。
実際、編集のほうも、
最近の登山(屋内フリークライミングや屋内ボルダリングも含む)の形態の
変化、あるいは、多様化に対して、どう向き合っていいのか、
ちょっとヴィジョンを描くことが難しくなっていたのではないかな、
という気もする。
岳人誌が、というより、あらゆる紙媒体の雑誌という商品そのものの売れ行きが
著しく低落していることは
いろいろなところで書かれていることなので
知らないわけではないし、
そうでなくても、登山雑誌なんか、売れ行きの低下に歯止めがかからない、
というのが実情だっただろう。
とはいえ、最近の「山ガール」や屋内フリークライミングなどのブーム(?)もあり、
人心地ぐらいはついてたんじゃないかな、と、勝手に思い込んでいた。
現に、『岳人』『山と渓谷』『新ハイキング』といった老舗雑誌に加えて
ここ数年で、新しいトレッキング系の雑誌を目にすることが
増えたような気がしていたから。
岳人誌も、たまに覗くと、
グラビアに移っている登山風景のモデルさんが、
昔だったらちょっと考えられないような
小ざっぱりとしたスマートな感じの若い女性だったりして、
ちょっとは景気がいいのかな、なんて勝手に思ったりもしていた。
あれは苦し紛れのはったりだったのか、
全然逆だったんだね。。
さて、そんなことを書きたいわけではない。
実は、今回岳人誌を手に取り、そして購入したのには
ショック云々とはまた別の訳がある。
今月号の岳人誌では、特集(といったって、
ほんの数ページのガイド記事だが)で
伯耆大山を扱っていたからである。
実は、この夏休み、数日をかけて、
母親を連れて大山登山を目指した。
と、言っても、母もあと2年もすれば80になるという高齢であり、
ちょっと山に登るのは無理があったのだが
父の生前、20年も前から、一度行ってみたい、としばしば言っていたので
まあ冥途の土産というわけでもないが、
ほんのちょっとだけ、親孝行としゃれ込んでみたのである
結婚してからは、どうしてもかみさんと過ごす時間が多くなり、
一度は連れて行ってやりたい、と思ってはいたのだが
なかなか実現させることができなかった。
たまたま今年は、かみさんが実家の事情で一人で帰ることになったので
今回の母と二人の行脚となった。
遅きに失したとはいえ、一度近くまで行ってみれば、
それでも思い出になるかな、と思い、連れて行ってみたのだが。。
なんせ、出発の当日は鳥取地方は台風直撃であり、
まずは、麓の宿に到着できるかどうかが
問題となってしまった。新幹線が1時間以上遅れたものの、
なんとか宿に着くことはできた。
飛行機はすべて運休となっており、
宿では、我々一行以外すべてのお客さんがキャンセルしたそうである。
翌日も雨が降りそぼり、
せっかくだったが、登山は中止し、
大山神社、大神山神社を見て、お茶を濁すこととなった。
その後も何日か、鳥取県内をウロウロしていたのだが、
結局、最後まで、大山は顔をのぞかせてくれず、
せっかくの旅行だったが、目的をかなえることができなかったのである。
これが、丹沢の大山だったら、
「さすが雨乞いの神様」とでも言ってみるところだが、
伯耆大山ではそうもいかない。
そんなわけだったから、
本屋でたまたま岳人誌を手に取ってみたら大山の記事があったものだから
ついつい(という言い方もないが)買ってしまった。
これも何かの縁ということかもしれない。
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