35年以上前の事、地方都市に住んでいた頃
担任の先生のお父様の葬儀に出席した時の事
場所は宮城県の山奥の村
そこには、土葬の習慣が残っていた
古い映画のワンシーンのような光景を見て驚いた
丸い木製のお棺に座位の遺体を入れ親族や地元の男衆が担ぐ
そのあとを白い旗を持って遺族や関わりのある村人たちが続く
どらの音を鳴らしながらの行進は周囲の山々の光景に溶け込んでいた
私たちもその後をついて墓まで歩いた
大きな穴を掘って棺桶をその中に納める
その周囲に集まって僧侶の読経の中、お焼香が始まる
一晩、村人たちや親族で墓守をした後に皆で土をかけるらしい。
日本の古い葬儀の風習がまだこの地には残っているのだと感じた
その頃、私はキリスト教の勉強をしていた
当時、お盆とか彼岸とかいろいろなことに疑問を持っていた
参列した葬式なども宗教によって行い方が違うのも知った
仏教でも宗派が違うとお葬式の執り行い方が違うのを知った
いまだクリスチャンにはなりきれない私だけど
あの日以来、私の中の宗教観が変わった
周囲と同じようにやるのは楽なことかもしれない
だけど自分の心に沿わないことをしたくない
たくさんの夢がかなうこともなく17歳で亡くなった娘や
娘に代わって飼った愛犬のために心に沿った供養をしている
彼らの魂はお墓に迎えに行かなくってもいつも私のそばにいるはず
墓に行かなくても彼らの魂は自由にどこへでも行けるはずだと思う
今年はあえて墓に行かなかった