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松永和紀blog

科学情報の提供、時々私事

遺伝子組換えイネ裁判棄却

2009-10-05 22:41:43 | Weblog
 新潟地裁で行われていた遺伝子組換えイネ裁判の判決が1日あり、原告側(反対派)の訴えが全面棄却となった。
 農研機構中央農業総合研究センター・北陸研究センターの組換えイネ栽培試験について、有機農家や有名歌手、漫画家などが差し止めを求めていたものだ。

北陸研究センターのプレスリリース
共同通信記事
判決前に裁判を詳しく説明した朝日新聞記事
判決を伝える朝日新聞記事

 私は、裁判が起こされた直後に関係書類を読んで、原告側の荒唐無稽な主張に呆然となった。推論に推論を重ねて、「実験に使われる組換えイネは危険だ。大変なことが起きる」と主張する。一つ一つの推論にかなりの無理があるのに、それを積み重ねて行くのだから、どうしようもない。
 これは、科学裁判と言えるような質のものではないというのが私の印象だ。

 ただ、裁判を起こす権利はだれにでもある。世の中に常識の通用しない人はいっぱいいるし、運動のツールとして裁判を使う人もいる。ちなみに、この裁判の訴訟代理人弁護士の中には、京大教授が中西準子先生を訴えて敗訴した例の裁判で、原告側の代理人を務めたおひともいる。「裁判闘争ごっこ」なのだ。
 被告側の北陸研究センターは大変だっただろうしお金も使っただろう。今回の裁判は原告全面敗訴で、裁判費用は原告負担となったが、研究者や関係者の無駄に費やした時間を考えると、被告側は莫大な損害を被っている。本当に同情するけれど、空しいけれど、でも、やっぱり仕方がない。

 だから、私が腹が立つのは、こういう裁判をさも科学的な論争であるように報じる新聞や雑誌だ。「なぜ、取材が足りないことに気づかないのか? もっと勉強しろよ」と正直に言ってこれまでたびたび思った。
 判決後の朝日新聞記事を読んで、さらに赤面。この手の、分かってないのに上から目線、というのは、同じ取材を生業としている人間として、読んでいて辛い。ああ、でも、新聞ってよくやります。私も現役の若い新聞記者だった頃にはやってしまったような。なんで、私が他人の書いた記事を、こんなに恥ずかしがらなきゃならんのだあああ。

 そこで、ちょっと思い出したことがあった。提訴後の2006年6月、栽培試験の一般説明会があったので、私はわざわざ新潟まで聞きに行った。裁判が絡んでいるので、地元の農家の反応を知りたかったのだ。その時の様子が、この写真。
 ざっと数えたところ、参加者は報道陣の数まで入れて40人強。報道陣とつくばなどから駆けつけたらしい関係者を除くと、たしかに前の方に反対派らしき人たちが10人くらい。でも、一般市民も普通の地元の農家も見当たらない。「もしや、一般市民は私一人では…」。そう思いながら、傍聴した。

 肝心の質疑もつまらなかった。前に陣取った反対派はいろいろと言うけれど、鋭い質問はなく、センターの説明もまったく面白くなく、「うーん、交通費を返してくれ」という感じ。後で聞いたところによれば、地元の農家の方々は、その前の説明会で実験の意味をすんなり理解してくれたそうで、わざわざこの説明会に足を運ぶということがなかったらしい。
 ところが、翌日の新潟日報の記事の見出しはこうだった。「2年目実験へ 疑問の声次々」

 記事は、説明する。
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 実験ほ場の周辺住民を対象にした、県条例に基づく説明会は4月に開かれたが、農林水産省の実験指針による一般向け説明会は本年度初めて。県内の農家ら約40人が参加し、同センターの研究者が今年の実験計画を説明した。
 質疑では、会場から「本県の農業にとって迷惑な実験。遺伝子組み換え食品を食べたい人はいない」「歓迎されない実験だ」など、実験の必要性を疑う質問が出た。
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 こう書いたら、なんだか農家がいっぱい集まって熱く抗議したような印象を与えるじゃありませんか。一般説明会といいながら、一般市民はたぶん私一人なんだけど……。
 うーん、やっぱり文章を書くというのはマジックだ!
 私は、この後しばらく講演などで、「マスメディアはこういう手口を使う」と説明しながらこの写真を見せていたけれど、あまりにも低レベルというかくだらないので説明するのも恥ずかしくなり、スライドから外してしまった。こういう裁判だったのだ。