著者の鮫島先生と初めて逢ったのは」
世界自然遺産登録へ向けての説明会が本町で開催された時だったような・・・?
その時は、屋久島を世界自然遺産登録に導いた小野寺先生も一緒だった。
私が役場を退いてすぐの頃で、
与論町の環境保全対策協議会の発足をした時だ。
初代会長として、議長を務めた覚えがある。
二度目は、農業農村基本整備方策を作成するための委員になってから、
もう一回は、どこかの会場でお逢いした。
県のフラワーパークだったような気がする。
病害虫を担当していたせいで、虫キチなど、変な人との出会いは多かった。
植物防疫の関係では功労者の一人に選ばれてもいいだろうと
私は思っている。
私の報告をうけた鹿児島県の記録は多数ある。
いいにつけ 悪いにつけて・・・。
情報や人的な交流が昔と随分変わった中で、
自然保護に関する考えかたは そんなには変化していない気がする。
とても遅れている。
法的なということではなく、
人類が生物の頂点に立って何をすべきかが 問われる問題を言っている。
コロナは人類にとって、
特に文明社会において
大きな問題を提起した。
人類以外の社会では
昔からあったことだ。
無人島で 自分を試している。
UFO島 私の未来への道が つながってきた。
夢を叶える
インディー・ジョーンズ