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揺らぐ平和 その道は地獄街道と呼ばれていた

2016-12-06 16:34:23 | Weblog
1945年8月現在のインドネシア東マリマンタンの東岸の
バリックパパン市、

海軍第21糧食生産隊の製糧士だった軍属の川崎志郎さん(89歳)

は泥と汗にまみれながら、105キロ離れた街サマリンダを目指して

密林の中を急いでいた。

バリックパパンからサマリンダまでのこの道は「死のサマリンダ街道」

と呼ばれていた。

1945年主にオーストラリア軍の連合軍がバリックパパンに逆上陸してきた。

戦力に劣る日本軍はサマリンダへ敗走。

当時はおそらく鬱蒼としてジャングルで道なき道、食料の補給も何もない

中をひたすらサマリンダを目指して敗走

この街道だけで数千人が戦病死している。

川崎さんの任務は食料の奪還と搬送だった。

武器も援護もなく敵に奪われた食糧庫をめざした。

恐怖と緊張感だけだったと述べておられます。

疲れ切った仲間は、マラリヤや赤痢、脚気などにおかされていた。

川崎さんは食料を担ぎ、ひたすら「地獄街道」を歩きつづけた。

弱り切った仲間に手を差し伸べる余裕はなかった。

生き延びるために仕方がなかった。

川崎さんは8月15日ではなくその5日後「地獄街道」道中で

伝令で知らされた。

未だにジャングルの中で眠っている同級性や徴用で来ていた人が

126名もおられるそうです。


この地獄街道の沿線のサンボジャという地域で2000年から植林を

始められたのも、このような皆さんの尊い生命の犠牲があった事実

のおかげさまで活動をさせていただいているということを考えると

いも言われぬご縁を感じさせられます。

同時に、この地で犠牲になられた先人に今、生かされていることに

感謝の気持ちで一杯になり、

自分が頂いた機会を精一杯真剣に

植林に取り組みたいと考えて継続しています。

結局、人は、次世代に何かを引き継ぐために「今を生きる」

ということが一番大切だと思っています。

尊い犠牲の上に立ち、平和な植林活動をして、次世代に引き継ぎたい

と願っています。

「生命の森づくり」というプロジェクトは、たくさんの皆様のご参加

ご支援を頂いてこの地で実施しています。



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