人間は誰でも生まれた瞬間から、
およそ100年内外の「自分の人生時間」を使いながら生涯を終えます。
人間は、自然の一部を構成する生物であり、
動物であると言う紛れもない事実から離れては存在しないことは
この事実から明白です。
ところが、西洋の思想をベースにした近年の人類文明は、
自然の影響を如何に受けないようにするかということに
一生懸命に科学技術や研究を重ねています。
しかし、最後の最後には、動物である事から逃れられません。
必ず、「死」を迎えます。
不死身の人間は存在しません。
自然界の大きな流れの中では、僅か100年と言う時間を
どのように使って、次世代に引き継いで行くのかが
一番のテーマだと思います。
3月28日の朝2時44分に義母が他界しました。
孫の「健人」が、インドネシアでの植林体験の出張から帰ってくるのを
待っていたかのような臨終でした。
享年93歳で本当に大往生という感じで人生を終えました。
義母と同居を始めて6年6ヶ月余りの短い時間の中でしたが、
大正の生まれで、無駄な物を買わない、ある物は大切に使う、
無理せず、淡々と自然な生活を教えてくれました。
そのような義母でしたので、
家族と身内と故人近しい人達だけの密葬といたしました。
臨終にあたって、自分の中では、生存中に私が取り組んでいる
「植林」に深い理解と協力をしてくれたことを思い起こし、
ぜひ、神々の島、バリ島で始めている「平和の森づくり」の場所に
義母のメモリアルとして、年齢の数、93本の植林をしようと考えが
浮かびました。
植林した樹木が、義母に成り代わり、これから先10年20年30年
そして100年先も育ち
次世代の人達の生命を守る森として育ってくれます。
自然流の生き方を教えてくれた義母への感謝と
地球への感謝の気持ちとして
実行しようと考えています。
※写真は自分が一昨年61歳になった日に61本の植林をバリの同じ場所で
実行した時のものです。
現場でみんなが内緒でバースデーケーキを準備してくれて感激しました。
現場の人達と心の通った時間でした。
およそ100年内外の「自分の人生時間」を使いながら生涯を終えます。
人間は、自然の一部を構成する生物であり、
動物であると言う紛れもない事実から離れては存在しないことは
この事実から明白です。
ところが、西洋の思想をベースにした近年の人類文明は、
自然の影響を如何に受けないようにするかということに
一生懸命に科学技術や研究を重ねています。
しかし、最後の最後には、動物である事から逃れられません。
必ず、「死」を迎えます。
不死身の人間は存在しません。
自然界の大きな流れの中では、僅か100年と言う時間を
どのように使って、次世代に引き継いで行くのかが
一番のテーマだと思います。
3月28日の朝2時44分に義母が他界しました。
孫の「健人」が、インドネシアでの植林体験の出張から帰ってくるのを
待っていたかのような臨終でした。
享年93歳で本当に大往生という感じで人生を終えました。
義母と同居を始めて6年6ヶ月余りの短い時間の中でしたが、
大正の生まれで、無駄な物を買わない、ある物は大切に使う、
無理せず、淡々と自然な生活を教えてくれました。
そのような義母でしたので、
家族と身内と故人近しい人達だけの密葬といたしました。
臨終にあたって、自分の中では、生存中に私が取り組んでいる
「植林」に深い理解と協力をしてくれたことを思い起こし、
ぜひ、神々の島、バリ島で始めている「平和の森づくり」の場所に
義母のメモリアルとして、年齢の数、93本の植林をしようと考えが
浮かびました。
植林した樹木が、義母に成り代わり、これから先10年20年30年
そして100年先も育ち
次世代の人達の生命を守る森として育ってくれます。
自然流の生き方を教えてくれた義母への感謝と
地球への感謝の気持ちとして
実行しようと考えています。
※写真は自分が一昨年61歳になった日に61本の植林をバリの同じ場所で
実行した時のものです。
現場でみんなが内緒でバースデーケーキを準備してくれて感激しました。
現場の人達と心の通った時間でした。