東京大森のタイ料理店メーサイ

タイ料理レストランメーサイのオーナー、伊藤盛のブログです。

カノムチン・ナムギョウ

2005年02月28日 | メーサイからのお知らせ



チェンマイ以北の汁そば。辛いですが、かなりいけます。

・最近のおすすめです。 900円

これ、あんまり東京のタイ料理屋さんでは出してないですね。
美味しいのに、なんでだろう。
かくいうウチも、レギュラーメニューではないので、
いつもあるわけではありませんが・・
クロック(石臼)で地道にコンコン、タイ料理はけっこう体力を使います(^^)

温泉でふやける

2005年02月27日 | 思い出世界
1987年6月2日 快晴

のんびりゆっくり起きようと毎朝思うんだけど、
染みついた貧乏性が許さないと見える。
この日も朝6時くらいには目が覚めてしまった。
せっかく来た田沢湖、一周していこう。
ここは田沢湖有料道路というしょうもない有料道路が
ある。
およそ払いたくないお金というのがある。
早めに行けば、田舎の有料道路は人がいないことを
俺は知っている(^^)

案の定である。
料金所には人がいなーい。
では、いきましょか。

朝の空気は冷たくて、付近の雑木林の匂いがする。
ブナの匂いというのがある。
人工的な杉林、松林とはまったく異質な匂い。
好きな匂いで、なんだか酔う。

田沢湖の水は青い。
付近は活火山で囲まれている。そのせいで
酸性の水で、魚が住めないんだそうだ。
つまり死の湖か。
透明度は高い。潜れば青い水の色とあいまって、
幻想的だろうと思うが、生き物のいない湖には
魅力がない。
走るだけで十分である。

良いペースで八幡平、アスピーテラインに乗っかった。
いよいよ活火山と温泉地帯。
ワインディングは高速コーナーが続く。
6速全開で100キロオーバーで抜けられるコーナー。
背中の産毛がざわざわするスピード感だ。
アウト側のステップに思いっきり体重をかけ、
イン側にぶらさがる。コーナーを回る時、視線が
狙った進行方向からずれたら簡単にガードレールと仲良しに
なってしまう。
頭の中が真っ白になる。

しばし、小説「汚れた英雄」気分で飛ばしたが、そのまま
走り去るにはもったいないロケーション。
俺の好みの雑木林、視野が開けたり極端に狭まったりする
アップダウン。
ペースダウンして楽しむ事にした。

この地域、本当に温泉が多い。
一定区間の温泉の数はもしかして日本一なんじゃないか?
玉川、赤川、御在所、藤七、蒸ノ湯、後生掛温泉、
俺はこの日、一体いくつの温泉に入ったんだろう。
身体がふやけちゃった。

調子に乗って、飛ばしまくって、黒森YH泊。
ユースに着くと、ペアレントさんがいなーい。
でも、玄関は開いている。
なんだか、勘が働いた。この日は直感が冴え渡っている。
ユースの裏手は奇麗な川が流れている。

しばらくユースの受付のところで待っていると、
やっぱり!!
ペアレントさんが鮎釣りの竿を持って現れた!

・・なんだかそんな気がしてたんですよ。
 釣れました?
 
「まぁまぁだねぇ。型はいいよ。ほら。」
 
奇麗な鮎とハヤがビクに入っている。

「ここの川は渓流釣りの本に良く載るよ。でも
 記事はほとんど嘘だねー。
 鮎が一日に30匹とか、平気で嘘を書いてるねぇ。
 俺も優雅なもんだよね。
 頭に魚の事が浮かぶと、5分後には川で釣ってるよ。」

あ~あ、こういう人生もあるわけか。

温泉三昧

2005年02月23日 | 思い出世界
1987年6月1日

深く、深く眠ったと思う。
昨日は夜8時過ぎに倒れる様に眠ってしまったから
時間の感覚がおかしい。
まだ朝早いようだ・・
起きた時に久しぶりに首が痛む。
疲れすぎると出てくる俺の持病だ。
頭の奥の方がなんだかしびれているみたい。
温泉に入りたいな。

朝食をいただいて、相変わらずお百姓さんスタイルの
宿のおばちゃんに聞いてみる。朝の野良仕事が終わった
ばかりだそうな。

・・この近くに温泉あります? あと、面白そうな
 場所あったら教えて欲しいんですけど。

「この道をどぉーっと北にのぼったら滝上温泉がありますよ。
 行き止まりだから間違えようもないですわ。
 温泉の脇から山登り出来るよ。
 白沼から先は奇麗だけど、まだ雪が残ってるから危ないかなぁ。
 溶けかかった雪庇を踏み抜くと下まで落ちるから・・・
 様子みながら行きますか? 
 行くならおにぎり作ってあげるよ。」

・・あ、それは嬉しい。じゃあお願いします!
 そこに行ってまた戻ってくるコースだから、荷物おいといて
 良い?

ということで、荷物は置いてハイキングすることにした。
まさか本格的に山登りする気はない。
白沼はモリアオガエルで有名だから、ちょっと写真を撮って
戻って、温泉だなっ!

滝上温泉は本当に近くだった。
いくらも走らず、川沿いの温泉の為の駐車場に着く。
川が奇麗だったので下りてみた。
柱状の岩がびっしりと壁を作り、それが川の水で浸食されて
下の部分からぽろぽろと落ちている。 不思議な光景だ。
温泉の建物が見える。
小さな建物で、200円払えば入れるようだ。
セローを止めて、メットをハンドルにかける。
荷物が無いと身軽だなぁ。

「どこから来たの?」
ふいにおっさん二人組に声をかけられた。
声をかけた方はどこか会社の重役風。

・・東京からです。

「・・ほほぉ・・そりゃあどうもご苦労様ですなぁ。」

気のせいか?
バイクで東京から来たとわかると、何か言葉使いが
変わったような。

「私も若い頃はバイクで旅しましたよ。」

昔のバイクは良く壊れてねぇ・・と人なつこい。
以前から思うのは、旅の手段として一番人とコミュニュケーションが
取れないのが車の旅。
バイク旅は声を掛けられることが多い。
もっと声を掛けられるのは自転車の旅。
さらにもっと楽しいのは「荷物を背負って歩く旅」なんだけど、
もうそこまでのパワーがない。

おっさん達に挨拶して別れ、白沼への登り口へ向かう。
俺のブーツはトライアル競技用なので、底が登山靴の
ように良くグリップする。
都合がいいのだが、膝近くまで高さがあるので歩き始めると
ちとむれる。
20分も歩くと白沼に着いた。
沼の縁を細い登山道が続いている。
少し歩くと、いきなり雪道になってしまった。
・・あ、これは恐い。ここまでかな。
滑るのもそうだけど、踏み抜いたら沼に落ちる。
よしよし、ここでおにぎりいただこうか。

おかか、梅干し、沢庵の三種類。
しみじみ美味しいおにぎりだった。
食べ終わって、温泉に引き返す。
しばらく時間を忘れて温泉で身体を暖めた。
身体の奥の疲れが抜けていく・・
今日は田沢湖まで行くかな。2時間もゆっくり走れば着く。
余裕だ。

元気が出た!!
宿に戻ってゆっくり荷造りして、しきり直しの
スタートだ。

近くのスタンドでオイル交換することにした。
工具を借りて、エンジンの下部のボルトを抜く。
エンジンオイルがタパタパと抜けていく。
オイルに金属片がキラキラと混じっている。
これでエンジンのあたりも付いただろうな。
慣らし運転は旅に出る前に終わらせて来たが、
昨日のハイペース運転で一区切り。
これでもう遠慮なく全開に出来る。

田沢湖の近くまで来ると、駒ヶ岳という山が見えた。
寄り道と決め込む。
登りのワインディングを快調に飛ばすと、中腹まで
くると水上温泉というのがあった。
眼下に田沢湖!
入らない手はない。
温泉代300円を払って早速入浴。
室内風呂からサッシをがらがらと開けると、広い露天。
山の中腹から湖や付近の山々、全てを下に見下ろす事が
出来る。
・・最高!! 良い気分!
Nさん、温泉の楽しみ方教えてくれてありがとねー





タイで暮らすなら

2005年02月20日 | タイという国

タイで暮らすならば。
どこに住むだろうか。

現実は色々と課題があるので、面倒なことは何も
考えないならば、奇麗なビーチの近く。
あるいはちょっと移動すればビーチに行ける距離の場所。

朝、日が昇りすぎる前に泳ぎたいな・・
あと、釣りを少しやって、ビールを少し飲んで昼寝する。
それが毎日ならば飽きるだろうか。
やってみないとわからないな。

老人になってからならともかく、まだ身体が元気なウチに
そんなことは出来ない。
仕事がまだ必要な年齢なんだろうなぁ
仕事して、時々一ヶ月くらい骨休み出来ればベスト
なんだけどねぇ・・
欧米人はそれをやるんだよねぇ。うらやましいさ。
その分、貯蓄しないんだろうが、社会保険が破綻して
ないから老後の事を心配しないでそれが出来る。

今の仕事をいつまで続けられるか、日本で生きるべきか、
タイで生きるべきか、これからゆっくりと考えていこうか。

タイには社会保険なんてものはない。
だから子供が必要となるのでしょうなぁ・・
老後の面倒をみてもらうために。

レッドカリー、これから始まったわけですわ

2005年02月20日 | タイ料理との関わり
生まれて初めて食べたタイ料理は・・18年前。
ある粋な人のタイ人の奥さんに作っていただいた、
赤ーいしゃばしゃばした、不思議なカレーでありました・・

衝撃。がーん。
美味しい、辛い、なんじゃ、こりゃぁ!

粋な人、ついでに私に小さな小さな青い唐辛子を差し出した。

「タイ人はこれを囓りながら食事しますよ。」

つい、勧められるままにかじってしまう。
ああ、からーい!!じゃない、それを越えてもう痛いぞ!
水を飲んでも駄目、氷を口に含んで15分ほど大騒ぎしたのは
もう遠いお話である。

夫婦して大笑いしてくれたよなぁ~
謝りながら(^^)

ボロボロになって雫石2

2005年02月20日 | 思い出世界
1987年5月31日

朝、ゆっくり起きて、食堂で朝飯を食う。
テレビで「タッチ」の再放送をやっている。
原作はちょっとだけ読んだ。
こんな旅先で知っているアニメを見ると、不思議な気分。
なごんでしまう。

キック一発!快調にエンジンが吹き上がる。
セローはバランスの良い単車だと思う。
コンパクトで軽く、低速でも良く粘るし、60~70キロ巡航から
100キロまでの瞬発力もまぁあるし、燃費もここまで1リットルあたり
35キロ以上走ってくれる。

三陸海岸をさらに北上する。
ここは走っていて本当に面白い。
細かいワインディングが永遠に続き、海沿いを走ったと思えば
岬部分は山道になり、また海沿いにおりて、と変化に富み
景色も素晴らしい。海も素晴らしい。
この楽しさは車とは全く違う種類のものだ。
トレールタイヤのバンク角度は深い。その分スリップ限界は低いが、
オーバースピードにならなければ快感のワインディングだ。
走り、そしてたまに小さな港に下りて奇麗な海水を確認して
にまにま笑いながら手で掬ったりする。

ここでまたミスった。
わぁい、ガソリンがないですぅ。
というよりも、日曜日でスタンドがしまってますぅ。
そうかぁー、田舎だもんねぇ。
やばいですぅ。
漁師さんらしきおじさんに聞いてみた。

「そうねぇ、この先のタバコ屋さんがガスもやっとるよ。
 北山崎あたりまでいけばでかいスタンドが開いてるけどな。」
・・有り難うございまぁすっ

やっとった。
でもわかりにくかった。
だって、ほんとに民家の軒先に小さな小さなガソリンタンクとポンプが
隠れている。
しかし、とにかく燃料を入れることができた。

断崖絶壁はこのあたりは沢山ありすぎるくらいある。
北山崎は有名すぎるのでパスして・・・
鴻の巣断崖、凄かった。自殺者が多いそうだ。
200メートルも落ちれば自殺する人も途中で恐怖で気絶するんじゃ
ないだろうか。
落ちる時間が、滞空時間が長すぎたらいやだなー、うう。

龍泉洞・・昔から見たかったけど、やっと行けた。こんな形で。
よくまぁこれだけの穴ぼこが地中でつながってるものだ。
しかも透明度40メートルの水たまり付きだもんな。
この時期なのに、流石は超有名スポット。混んでいる。
中は寒い。ゆっくり見たらきりない。次いこう。

安家洞・・50キロほどロスするけど、地味好みな俺はやはり行きたかった。
いいなぁ、すいていて(^^)
周辺の山々はなんだか子供の頃に読んだ童話にでてくるような
おにぎり山が多い。そう、子供の絵本に描いてある山だ。
生えている木も多からず、少なからず。
狙って出来るものじゃないよな。初めての日本の絵本の作者はこれを
モデルに描いたんじゃなかろうか?

おにぎり山に見とれるうちに、もう午後遅くになってしまった。
うーん、ここから盛岡に抜けてたら何時になるかなぁ。
まぁ行けるところまでいって、泊まろう。
ペースアップ。いきなり高速ワインディングツーリングに
切り替え。これはこれで楽しい。

ノンストップで盛岡につく。考えていたよりも渋滞している。
日が暮れ始めている。
うーん・・雫石までいけるかな。
やってみるか。
すでにかなり疲労している。
俺は長丁場のツーリングの怖さをまだしらなかった。
緊張感が長時間続くと、目も頭も痛くなってくるものなんだな。

渋滞の盛岡を抜け、待望の山道に入っていく。
ここまでくれば雫石は目前である。
・・・そこでやぁっと、冒頭の事態突入~

ああああぁぁ、雫石ユースがしまっている。
やれやれ、まいったな。
もうあたりは暗い。
民家もまばら、というかほとんどない。

ユースの一番近くの民家にずうずうしく入っていって、聞いてみる。

・・このあたりに民宿はありませんか?

「ああ、もう少し下れば3軒ほどあるよ。
 だけど今の時期、営業してないねぇ~。盛岡に戻ったら?」

・・(がぁーん)有り難うございまぁすっ

一軒目の民宿は、声をかけても誰もいない様子。
すでに体力は残っていない。
最悪はテント張るかなっ。ついに。
まだ寒いからやりたくなかったんだけどな。
二軒目。「ちせ」という民宿。
・・すいませーん。今晩泊まれますか?
お百姓さんスタイルのおばさんが出てきた。

「あららぁ・・泊まれることは泊まれるけど、
 今からじゃご飯が用意できないよ。良いですか?」

・・(涙)有り難うございまぁすっ

とにかく身体を横にしないとやばい感じである。
頭ががんがんと痛い。手足もしびれてきた。
ここも俺しか客はなし。当然か。
しかし夕飯抜きは寂しいなぁ。

「ここから少し歩くと定食屋さんがありますよ。
 悪いけど、そこで済ませてもらえます?朝ご飯は
 用意出来るけどねぇ。」

・・いや、それで十分有り難いですよ。

定食屋で焼き魚定食を頼み、ビールで流し込む。
やっと人間に戻った感じ。
店の外に出て思った。
あ、俺、倒れそうだ。

ボロボロになって雫石1

2005年02月20日 | 思い出世界
やばいっ。
今晩泊まる宿がない。
一日中限界まで走ってたどり着いた、雫石YHがしまっている。

これはもう、絶対に徹底的に自分が悪いのである。
ここまで泊まったユースはどこもかしこもがーらがら。
予約電話を入れる必要もないんだな、となめてしまった俺が
馬鹿だった。

1987年5月30日の朝、つまり
昨日の朝、不思議な時間を一緒に過ごしたNさん、学生さんと
お別れ。特にNさんとは4度目のバイバイを言い合い、それぞれが
自分のペースの旅に戻った。
学生さんはもう二、三日旅して家に帰るという。
早く結論だして、前に行こうな・・などと偉そうな事を言って
みたいが、俺もいまだわけわからん状態である。
Nさん、旭川に来たら連絡して、と言ってくれた。
とても嬉しい(^^)
あたしゃ富良野や大雪山には間違いなく行くので、旭川に寄らない
はずがないやん。

さて、二人とお別れしてから、俺は宮古を目指す。
鉄の歴史館、というマイナーな代物があったので、
ぷらっと寄る。意外に勉強になって面白い。
そーだね、ここは鉄の街やねん。
一階ホール横に、しゃれたテラスがある。
そこにすわって国道を眺めていた。
そう、この日は俺はわざと時間を潰しているのです。
続けて頑張って走ると、どこかで身体を壊しそうだ。
特に腰と尻が痛い。シートが固めだから。

釜石観音によった。うー・・・ん。
外したな。
おじん、おばんを狙った観光スポットなのかなー
各種観音様、仏様が巨大な観音様の体内に飾ってあって、
そこをぐるぐる周りながら登っていく。
二度と来ることはあるまい・・
(しかし、数年後に今のカミさんと来ることになる。ああぅ)

楽なペースで宮古木村ユースについてしまう。
宿の前でバイクのチェーンを少し調整、オイルをさしていると
10才くらいの男の子がじーっと見つめている。

「それは何してるの?」

・・チェーンのたるみを伸ばしてるんだよ。

ガキ、無心に見つめてくる。

・・バイク、好きなのか?

「好きだけど、恐い。」

そうか。そのうちに親から何を言われても、自分でバイトして金つくって、
内緒で免許取って、勝手にバイク買って、転倒したり接触事故起こしたり、
起こされたり、それでもやめられなくって、社会人になっても都会から
3時間もかけて山の中に林道ツーリングに出かけたりする大人になってみる?
ん、人のせいにしなければよろしい。


唐桑半島の夜明け2

2005年02月20日 | 思い出世界
1987年5月30日

朝、というよりまっくらだが目覚ましで起き出す。
疲れているので、かなりつらい。
昨日走りすぎたからか、頭がいたい。

4時。外に出ると、もううす明るくなっていた。
Nさんが出てくる。
二人でバイクを引っ張り出し、エンジンをかけたところで、

「学生さん、どうやってついてくるの?メット、余分にないから
 二人乗りも出来ないし。」

・・あ、そうか。・・じゃ、彼の自転車・・でついてくるのは
しんどいかね。
よし、このロープで俺のバイクで引っ張ろうか。

我ながら馬鹿な事を考えた。
10キロくらいで引っ張っていこうかと思ったのだが・・

とりあえずロープ(なぜかこんなものまでバイクに積んできた)で
セローと自転車をつなぐ。
・・じゃ、テストね~ ゆっくりいくからねー
ぶろろ・・がしゃーん!!
ご想像通りっす。
自転車ふっとんじゃった。

・・わー、ごめん!大丈夫?

「いや、大丈夫っす。すりむいたけど。」

「もぉ~、伊藤さん、やっぱそりゃ無理よ。学生さん、あたしの
後ろにのりなよ。この時間ならお巡りさんもねてるよ。」

ああ、面目なし。

そんな騒動を朝からユースの前でひとしきり。
学生さん、Nさんの後ろに乗る。
2台で近くの折れ石(海中から棒状の大きな石が30メートルほど
つきだしている。)まで走る。
折れ石をのぞき込めるところまでは少し歩いた。

「いや~、伊藤さん、笑えるわぁ~」

・・恥ずかし~、もう勘弁してくれ。学生さん、ほんとに
ごめんね。

「いや、ほんと大丈夫です。」

折れ石は真ん中あたりで折れているのだが、不思議とくっついた
まま・・というのが売りのスポットである。
でも、まぁ石である。
ぼーっと5分ほど眺めて、港に向かった。

港についたあたりでそろそろ明るくなってきた。
小さな入り江なんだけど、すぐそこに数隻の船が出て、もうウニ漁を
していた。夫婦の船ばかり、数隻。
ガラスのはまった覗き箱と長い棒をくりくりっと使いながら
ウニを拾い上げる。
誰もしゃべらず、音は波打ち際の小さな音だけ。
太陽がそろそろと登り、だんだんと港の様子がはっきりと
わかってくる。
港の海水は、ひたすら奇麗だった。深い緑で、光があたると
底がすける。
3人ともしゃがみ込んでしばらくそこにいた。

Nさんが振り返ってにこりと笑って言った。

「みなさん、もうああやって朝から働いているのに、私たちは
こんなことをやっていて良いのでしょうかぁ~。」

・・どうだろうね。良いのかもしれないし、いけないのかも
しれないし。 

寡黙な学生さんは膝を抱えて海をみていた。

少しはいいよな。寄り道、回り道、のんびりしよう。

唐桑半島の夜明け

2005年02月20日 | 思い出世界
1987年5月29日

その夜の唐桑ユースの泊まり客は3人だけ。
俺とNさんの他はお坊さんの大学に行っているという学生さんだけ。
・・今日は何キロかな、と。270キロ走ったね。ちょっと無理して
 疲れたなぁ。
「あたしも今日は走ったぁ~。長丁場なのに、やりすぎたなぁ。」

食事の後、3人だけで食堂で話していた。
・・キャンプ用のバーナーで、コーヒー沸かしたら飲む?
 俺、挽いた豆も持ってきてるし、ドリップの布もある。

「やったぁ、コーヒー飲めるなんて嬉しいなぁ。」

厨房にだまって入るのも気が引けるので、そのままそこで
沸かして飲んだ。しかし室内で小型バーナーを使うことのほうが
もっとまずいんだけど、受けが良かったので決行。
だーれもいない。
ペアレントさんの家とは離れになっているらしい。

・・実はウィスキーも持ってるけど・・飲んだりする?

「本当? よしっ、私つまみ持ってくるわ~」

ノリのいいおねーさんである。ユース内だけど・・まぁ時効ということで
ご勘弁を。

実は非常時に備えて(どんな非常時だ?雪山キャンプしにきた
わけでもないのに。)、金属製のウィスキー入れを持っている。
昔のアメリカの映画でギャングとかがポケットから出して飲む
やつね。
こんなもん、けっきょくこの旅で使ったのはこのときだけ(^^)
少し飲んで、とりとめもなく話していた。

俺がぽろっと会社を片付けて来たことを断片だけ話してしまうと、

「そっか。何かやっていた人だと思ったのよね。あたりが柔らかいと
いうか。ふーん。」・・それは良い意味なのか?良くわからん。

Nさんは24才。高校でてしばらくして、旭川を飛び出して東京に
出てしまったこと。
一回、家出した後のことだったらしい。
東京にいた時のことはあまり話したくなかったのか、あるいは
俺がわざと聞かなかったのか、記憶にない。
どんな生活していたとか、聞く気もなかったんだろうと思う。
アパートの荷物とかは故郷に送って、自分はバイクで帰ることに
したのだそうだ。
どうせ帰るならば出来なかったことを。
長期のツーリングでのんびりと帰ろう・・と。

坊さん大学の学生さん、かなり寡黙。

「僕は悩みがありまして・・それで家出みたいに旅にでたんです・・。」

進路なんだろうな、と思ったが、二人ともあえて突っ込まない。
三人とも、自分の口からぽろりと出てくる事を少しずつ話し、
他の人の話を聞いてふーん、とうなづき酒を飲んだ。
こういう閑散期のユースってこういう人ばかりが集まるのかな。
悪くないな・・こういうのも。

・・明日の朝、日の出を見に行こうか。

「いいわね。行こう!」

3人で行くことにした。
3時間くらいは眠れるだろう!!

仙台から唐桑半島へ

2005年02月20日 | 思い出世界
1987年5月29日

結局ユースばかりに泊まっている。
5月の終わりとはいえ、東北の春は寒いのである。
日中、日が陰っているとかなり寒い。

この日はゆっくり休んでから走り出すことにする。
Nさんは早めに出発すると言う。

「わたし、今日は唐桑半島まで行きたいから早くでるわ~」
(北海道弁ってイントネーションがいいな(^^))

だそうで、S君は、

「僕は日本一周なんで、ちょっと急ぎますよ。
 秋田側に一回でてから、また青森に戻るつもりです、じゃぁ~」

S君とは、5月5日に函館YHで会って飲もうか、という話しになった。

さて、今日はどういうコースにするか・・
昨日はなんだかNさんの後を追いかけて行ったみたいな感じに
なってしまったし、これ以上同じコースだとわざとらしい・・
でも地図を眺めると、これじゃどうも同じコースになりやすい。
仙台から三陸海岸を北上するなら、俺も唐桑半島か、でなければ
コバルトラインにのっかる手前あたりでのんびりするか。
ま、いいか。唐桑目指して行こう。

ここは宮城県。宮城と言えば松島~あ~あああ~♪
あこがれの島が点在する景色。美味しい牡蛎。
ここまで北上したことはまだ無い。
憧れの北山崎の断崖絶壁。憧れの三陸リアス式海岸のワインディング。
憧れの・・ああ、もういっか。
確かに奇麗な海岸線だ。
少し走ってはバイクを止めてハイキングする。
海の色が今までと全く違う。
深い緑色に惹かれて、気まぐれに小さな港におりてみた。
漁船が泊まっている間をのぞき込むと、港なのに底までずどんと見えた。
奇麗なんだ・・・港の海水がこんなに奇麗なんだ。
魚もいっぱいいる。
海の色が緑がかって見えるのは、海藻が多くて海が豊かだからなんだな。

ああ、気持ちいい。少しずつ自由になっていく。
仕事しないでごめんねーっとすれ違う地元の車に
一礼したりする。
牡鹿半島に近づいて、右折して牡鹿のワインディングを攻めるか、
それとも直進するか迷った。結局少しだけ走って、戻ることに
する。
少し気温が上がって来てるなーっと感じていたのだが、
日が陰ったら一気に寒い。
北上を続けると、河が海に流れ込んでいるところに、トンビが
たくさんとまっている木を見つけた。
わぁ・・・感動。 なんだ、こりゃ。
まるでトンビの木だ。鈴なり。

満潮時間なのか、潮が凄いスピードで海から河を押し戻しているみたい。
海と河がぶつかりあっている。
あまりにも素晴らしい光景ばかりなので、バイクをとめたり走ったり、
歩いたり。
おそらくバイクの旅だからこんな風に感動するんだろう。
長期ツーリングそのものが初めてだし。
空気は冷えて、そして美味しい。肌にさす。

ふと気がつくと、もう夕方だった。あと一時間くらいで日が暮れる。
ここまで来たら、唐桑YHに泊まるしかないな。
またN さんと一緒になってしまう・・って意図的なんだけど。
気仙沼市に入り、ガソリンを入れる。
スタンドでふっくらした女の子がナンバーを見て、

「東京からなんですかぁ~」

・・はーい!

「わぁ~、良いなぁ。私も東京に行きたいなぁ。」

・・ここだって良いところだよ!

20才くらいかなぁ。こんなに素直ににこにこしながら
東京に行きたいなぁ、なんて言われるとなんて答えたら
いいかわかんない。

「気をつけて行ってくださいねぇ~」

手を振って見送ってくれた。
ああ、単純に、心底単純に嬉しい。

少し迷ったが、唐桑YHにたどり着いた。
あたりはもう暗い。
バイク置き場にバイクをおいて、周りを見回すと
Nさんの赤いホンダCB250RSがない。
へぇ~、まだついてないや。先に出発したのに。
・・と、フォーストの音がする。
あらまー、いらっしゃいました。
俺の隣にするっとバイクをとめた。

メットを取った第一声が、

「も~、真似しないでぇ~」

・・ごめーん、でもこの北上コースだとYHはやっぱし
  ここだよねぇ。
  来る途中、凄かったと思わない?

「うん!河の流れこんでるところとか、でしょ?
 凄かったね~。大高森の先端まで歩いた?
 伊藤さん、行くって言っていたから、私、あそこの石に
 伝言書いてきたのよ。見た?」

・・行ったけど、見なかった!なんて書いてあったの?

答えてくれなかった。

お釜から混浴?温泉へ

2005年02月20日 | 思い出世界
1987年5月28日

朝から天気が怪しい。

今にも・・というムードなので、三人とも合羽を着ることにした。
この旅で、俺はナショナルの超小型マイクロカセットレコーダーを
持ってきていた。
今時のメモリーカード使用のボイスレコーダー並に小さい。
思いついた事を吹き込みながら、旅しようかと思っていた。
出発の時に、ハガキでも送るから住所吹き込んで?と
Nさんに差し出した。

「あ、これすごーい。こういうとき便利ねぇ。でも私のとこ字が
 ややこしいから書くわ。紙とかある?」

・・もちろん!! 旭川なんだね。

彼女の話し方は素直で、ストレートな言い方をする。
でもきつく感じない。苦労人の匂いがする。

身支度を終えて、三人で蔵王のお釜を目指す。
山の上に水がたまっている写真が有名なところね。
勾配がきつくなってくるとともに、コーナーも増える。
平日だが有名な観光地を目指す観光バスもけっこう多い。

雪だ・・いや、みぞれだった。
こりゃタイヤが滑りそうだなぁ。
つれは二人ともロード用のタイヤだが、俺のはトレールタイヤ。
アスファルトでは食いつきが弱い。
S君は飛ばすタイプではないらしく、先頭にはたたない。
いきおい、俺が先頭で走っていたのだが、前を観光バスが
ふさいでいる。

ブラインドコーナーが多いし、対向車線に飛び出して抜く度胸が
でない。
躊躇していると、いきなり後ろでフォースト単気筒の高回転音が
唸った。

Nさんが俺の左側(路肩)を一直線に抜き、そのまま前の観光バスを
左側の路肩を使って一気に抜いた。
路肩の幅はほぼ彼女のバイクのハンドル幅ぎりぎり。
全開で一気に抜かなければバスが20センチほどぶれるだけで
接触する。
自分の狙ったコースがはずれても同じ結果になる。
良い度胸だ!!

・・うっわ~、やる~・・と、後ろのS君と一瞬顔を見合わせて
しまった。が、置いていかれるわけにもいかない。
見通しの良いコーナーを待って、バスの右側に飛び出す。
思い切りアクセルを開ける。二人ともなんとか一緒にバスの
前に出ることができた。

そのまま、同じような事を繰り返し、お釜の登り口に着く。
Nさんが待っていた。

・・やるね! 速いね!

「だって、私のロードバイクだもの。排気量が小さくてもロードは
 速いのよ。ハンドル幅も狭いし、すり抜けるの得意よ。」

安全運転だったでしょぉ~?と、ニッコリして言われてしまい、
まいっちゃった。

三人でお釜を歩くつもりだったが、みぞれが降っているので
Nさんは休憩所で待っていることにした。
S 君と二人で意地で火口を一周してきた。
なんということはない、山の上の穴ぼこに水がたまっただけ。
休憩所に戻ると、Nさんが

「傘もないのに、濡れて歩くなんて私は絶対いやだな。
 やっぱり男の人ね。」

誉めてるわけではないだろうけど、こういう何気ないセリフは
大人の女っぽいな。

今日の走行は仙台どまりだね、と三人で決める。
では仙台の街中のオンナイYHにするか。
途中、Nさんがよりたい温泉がある、という。
少し寄り道になるが、山道に入った。
ひなびた感じの温泉だった・・
宿はそのあたりに3軒くらいだけ。
宿にくっついた温泉に、宿に500円払って入る。

風呂はけっこう広い。
室内から外へどーっと広がっている。
客は我々だけらしい。
露天部分の先端まで行ってみようと思ったら、

「あっ・・そうか、まずかったね。」

Nさんと会ってしまった。
男風呂と女風呂のしきりが、途中までしかない。
あららら。半分混浴みたいな。
俺はすぐ中程まで引き返し、

・・ごめんねー!

彼女はけらけらと笑っている。

おかげで、ツーリング途中の寄り道温泉の味を
覚えてしまった。
バイクで長距離を走る緊張が、温泉で溶けていく。

福島、そして山形へ

2005年02月20日 | 思い出世界
1987年5月27日

出発して次の朝。
おきる時間。
別に遅く起きてもいいんだが、習慣で7時には起きてしまう。
ユースの朝飯をのんびり食べて、バイクのチェーンにオイルをさし、
ゆっくりと暖機運転してからまた走り始める。

無理な行程は組まない。
一日の走行距離は200キロ前後に押さえる。
途中、面白そうなところがあれば寄り道する。
別に50キロしか移動しなくても全然かまわないし、
その地が気に入れば、そこにしばらく泊まるのもあり。
朝飯を食ってからその日のおおまかな宿泊予定地を決める。
午後、2時か3時くらいになってから、今夜の宿を最終的に
決める。
これがこの旅の自分の中の漠然としたルール。
仕事じゃないんだ。なんでもありだ。

雨が降ってきた。
今日は福島県の磐梯あたりまで行こうと思う。
まだ春で、雨はつらい。
そういう日は長い距離は走らない。

結局、猪苗代のユースに泊まる。
磐梯友愛YH、ペアレントさんはぶっきらぼうなおっさんだった・・
ああ、雨の日の記憶ってあまり残ってないなぁ。
というより、日記を雨の日はあまりつけてないらしい、ははは。
そうそう、ユースに夕方ついたら、ユースに誰もいなくて中に入る
事が出来ず、雨の中一時間もまったっけ・・

五色沼というところが面白そうだったので翌日行ってみた。
色がそれぞれ違うんだよーっというだけで大した感動はなかったが、
ここで女性ライダーと知り合った。
赤いCB250RS。フォーストシングル。走り込んだ感じのバイクで、
皮の上下を着ていて、走りは上手そうだなぁ・・と思った。
東京に住んでいたけど、これから北海道に帰るのだと言う。

「そろそろかなあって思って。どうせならツーリングしながら
 帰ろうかなぁって思ったの。」
ふぅん・・俺は北上して北海道をぐるっと回ろうと思って・・

その時は特に何も考えなかった。
が、偶然その夜に泊まった山形YHに彼女も泊まった。
Nさんとしておこうか。
ユースというものは実は若い頃はまったく使った事がなかった。
ミーティングしたり一緒に強制的にゲーム参加させられたり、と
うっとうしいイメージがあったせいである。
(実際、そのイメージのせいで今、ユースは経営難。色々な試みを
 して各ペアレントさんは頑張っている。)

それがいい年して使おうと思ったのは安いからだけど、意外にも
同年代も使っていることがわかった。
この山形ユースはペアレントさんが話し好きで有名らしく、
お人柄をしたってけっこうな人数がその夜は集まっていた。
情報交換も同宿の人間と気軽に出来るし、一人旅ならば
とても使い道があるんだな・・

次の朝、朝食のあとバイクに荷物をつみながらNさんに今日の
コースを聞くと、また同じコースで同じ宿だとのこと。
でもここから宮城の蔵王のお釜を見るなら、まぁたいていは
同じコースになってしまう。

宿で知り合ったもう一人のライダー、黒のヤマハXS400アメリカンタイプ
に乗っていたS君、九州からきていた。彼も北海道を回って、日本一周する
つもりなのだそうだ。
 (数年、年賀状のやりとりしていたが、ある時絵ハガキをもらった。
  このときの旅で知り合ったライダーの娘と結婚して九州でケーキ屋を
  開いた・・という内容だった。良かったねぇ。)
三人でその日はつるんで走って、同じ宿をめざすことになった。

俺の旅

2005年02月20日 | 思い出世界
1987年5月25日

平ユースには、明るいうちについてしまった。
近くの海岸へいって、しばらく波を眺めてみた。
きれいな海ではない。汚くもない。時間が過ぎるのが
つらくない。
ぼーっとする時間がなかったので、こんな事まで新鮮だ。

ユースへ戻り、風呂に入る。
5月の末なので、泊まり客は俺だけ!
一人でメシを食い、ユースのホールを眺めると、
旅する若者のコメントがたくさん貼ってある。
目をひいたのは、

「これから始まる俺の旅」と大きく書かれた写真つきの
もの。

写真では元気そうな若者がユースの前で笑っている。
良い言葉だな、と思った。
日付を見ると、10年前。
写真の若者の姿から考えると、今の俺と同じくらいの年か・・
今はこの男も元気に世の中を渡っているんだろうか。

はじまってしまえば、気負う事はなにもなく、淡々と旅は続いていく。
こういう旅を男はみんな夢見るものだ。
良い方に考えれば、こんな経験を出来る人は少ない。
少しずつ、自由になっていく。

平ユースへ

2005年02月20日 | 思い出世界
1987年5月25日

走り出してしばらくは、親父の視線が背中に残ってるような
気がして、色々と余計な事を考えていた。
俺の器で出来ることはやった。
もういいのさ。・・と開き直ることが俺には必要だ。

茨城に入るあたりから呼吸が楽になっていくのが
わかった。
心の凝りがゆるみ、周りの景色を眺める気持ちが出てきた。
2500~3000回転くらいで70キロちょっとをキープして走ると、
セローのフォーストシングルエンジンの音と振動は気持ちいい。
ここから一つギアを落としてぐいっとアクセルを
回し込めば気持ちよく吹き上がって加速してくれる、その直前の回転数。
人間的というか、非力でもなくパワフルでもなく、フォーストの
心地良い振動で「走ってる」。
周りには仕事に向かう車が走っている。
俺に今、仕事はない。用事はない。
「やらなければいけない」事はなにもない。
取り立てていえば、今日泊まるつもりのいわきの平ユースまで約220キロ。
のんびり走ればいい。

高速道路は使わないことに決めていた。
徹底的に下を走り、めぼしい林道があったら攻める。
10日も北上すれば北海道に入れるだろう。
下北半島の先端まで走って、大間からフェリーでわたろう。