この住宅にも自治会がある。会長以下4名の役員が毎年交代で任に当たる。入居4年目の私にもその番が回ってきた。曲がりなりにも体が動ける間に引受けておかないと、来年はもう危ない。幸い私以外は元気そうな人揃いで、私は食事係と言う多分一番やり易い役を仰せつかった。
この係りは食堂利用者の意見を吸い上げ、シェフさんと相談して食材、味付けなどより良い食事を目指すのが役目だ。毎年の役員のお蔭もあって、最近は全体的に以前よりかなり美味しい食事が出るようになっているので、私もそれを引き継がねばならない。
それで今迄殆ど利用しなかった朝食も時々は出てみることにして、寝坊の夫には構わず、早速サンドイッチの日に試しに出かけた。成程以前の同じメニューに比べて格段に良くなっているのに驚いた。翌日の卵焼きメインの和食もとても良かった。これが後戻りしないようにと言うのもお目付け役の仕事だ。ただ出不精の(と言っても食堂はたった一階下なのだが)夫を今までより頻繁に連れ出さねばならないのがちょっと面倒。自分一人で行っても良いのだが、あとの一人はどうする?主婦に定年はないのだ。
一人で行って好いことは、普段相席になることが殆どなかった女性群とゆっくり話し合えるのが楽しい。今日のように大体同年輩の人たちと話しをすると、、話がつい戦中、戦後の食糧難の頃に及んだりする。配給が極端に少なくなった頃、親がリュックをしょって、近隣の農家で食料を分けてもらいに行くのだが、その都度母親の着物が少しずつずつ箪笥から消えていった話など。程度の差こそあれ、都会っこは皆一様にいつもお腹を空かせていた、それぞれの思い出話に共感するのだ。
時々観るTVの「徹子の部屋」でもゲストによってそんな話がよく出る。先日のペギー葉山さんは学童疎開の話だったが、疎開先でも食料不足で、画面に写し出された当時の写真の中の彼女の頬が膨れているのは栄養失調によるものだったと語った。逆に徹子さんの方はがりがりに痩せた栄養失調で、体中の吹き出物が治らなかったとか。その辺りになると同じ経験があった私は涙が止まらなくなった。大分前になるが、ゲストの三条美紀さんの少女時代の飢え話はその中でも特に凄まじいもので、聞くも
語るも涙だった。私は幸い父の故郷に疎開してから、疎開先の親類のお蔭で快復したが、飢餓感と言うものから完全に抜けきれるまでは暫く時間がかかった。
今現在、世界では至る所で沢山の飢餓に苦しむ人たちの姿をテレビなどで見るのだが、とても他人事とは思えない。やはり身をもって其の辛差を知っているだけに。それなのに一方身の回りでは食べる番組の何と多い事か、時々空恐ろしい気がするほどだ。あの飢餓の時代から長い年月を経て、飽食の時代を迎えた今のこの国の姿を当時誰が想像出来ただろう。でもこれから先のことは判らない。
この係りは食堂利用者の意見を吸い上げ、シェフさんと相談して食材、味付けなどより良い食事を目指すのが役目だ。毎年の役員のお蔭もあって、最近は全体的に以前よりかなり美味しい食事が出るようになっているので、私もそれを引き継がねばならない。
それで今迄殆ど利用しなかった朝食も時々は出てみることにして、寝坊の夫には構わず、早速サンドイッチの日に試しに出かけた。成程以前の同じメニューに比べて格段に良くなっているのに驚いた。翌日の卵焼きメインの和食もとても良かった。これが後戻りしないようにと言うのもお目付け役の仕事だ。ただ出不精の(と言っても食堂はたった一階下なのだが)夫を今までより頻繁に連れ出さねばならないのがちょっと面倒。自分一人で行っても良いのだが、あとの一人はどうする?主婦に定年はないのだ。
一人で行って好いことは、普段相席になることが殆どなかった女性群とゆっくり話し合えるのが楽しい。今日のように大体同年輩の人たちと話しをすると、、話がつい戦中、戦後の食糧難の頃に及んだりする。配給が極端に少なくなった頃、親がリュックをしょって、近隣の農家で食料を分けてもらいに行くのだが、その都度母親の着物が少しずつずつ箪笥から消えていった話など。程度の差こそあれ、都会っこは皆一様にいつもお腹を空かせていた、それぞれの思い出話に共感するのだ。
時々観るTVの「徹子の部屋」でもゲストによってそんな話がよく出る。先日のペギー葉山さんは学童疎開の話だったが、疎開先でも食料不足で、画面に写し出された当時の写真の中の彼女の頬が膨れているのは栄養失調によるものだったと語った。逆に徹子さんの方はがりがりに痩せた栄養失調で、体中の吹き出物が治らなかったとか。その辺りになると同じ経験があった私は涙が止まらなくなった。大分前になるが、ゲストの三条美紀さんの少女時代の飢え話はその中でも特に凄まじいもので、聞くも
語るも涙だった。私は幸い父の故郷に疎開してから、疎開先の親類のお蔭で快復したが、飢餓感と言うものから完全に抜けきれるまでは暫く時間がかかった。
今現在、世界では至る所で沢山の飢餓に苦しむ人たちの姿をテレビなどで見るのだが、とても他人事とは思えない。やはり身をもって其の辛差を知っているだけに。それなのに一方身の回りでは食べる番組の何と多い事か、時々空恐ろしい気がするほどだ。あの飢餓の時代から長い年月を経て、飽食の時代を迎えた今のこの国の姿を当時誰が想像出来ただろう。でもこれから先のことは判らない。