くさぶえの道

身辺雑記 思い出の記

野球オンチ

2009-03-29 23:19:50 | 観る
 WBCで日本が優勝し、日本中が湧きかえった。連日テレビでは同じ様な場面を繰り返し映し出しては喜びを噛み締めているような具合で、未だに興奮冷めやらぬ風だ。日頃から野球オンチで、試合など見たこともなく、WBCが何であるかすらも知らなかった私でさえ今回の勝利は嬉しかった。でも私の場合は国際競技だから勝敗だけに関心を持つ単なるナショナリストに過ぎない。自分ながら笑止なのは、当日テレビを観て、さむらい日本がどうやら天下分け目の決戦を迎えて、3対3の同点になったところで、勝負の行方を気にしながらも歯医者の時間が来たので家を出た。治療が終わるとその足で近くのデパートに買い物に行ったのだが、エスカレーターに乗っていると直ぐ後で盛んにイチローがどうのこうのと話すのが聞こえた。振り返るとそれは中高年の三人の親子連れらしかったが、その口調がやけに高揚して楽しげに聞こえたので、これは日本が勝ったのだなと直感した。それで、ためしに聞いて見るとまさにその通りで、三人は見ず知らずの私に向かって、こもごも嬉しそうに説明、優勝のスコアまで教えてくれたので、四人で改めて喜び合った。

 野球がサッパリ分からない私は今まで時々人にルールを訊いて見る事もあったのだが、その場限りで一向に覚えない。従ってテレビなどで観ても面白くもなんともない。ファンの熱狂などには全く我関せず。しかし今回ばかりはこれではやっぱりまずいと反省して、もう一度真面目に学ぼうと決心した。何故なら、テレビで繰り返し観るイチローの殊勲の場面、何でこれが2点追加なのか、それが分からない。夫の前に紙と鉛筆を差し出して、また野球教授を願った。芝生の場所の名前から始まって、9人の選手がどんな風に散らばっているかとか。呑み込みが悪いし、間抜けな事をなんべんも訊くので教授も呆れ顔だが、辛抱強く教えてくれた。お陰で私の一番のネックだったストライクゾーンあたりの話が初めて本当に呑み込めた。従ってボールとかストライクとか三振の意味も分かったし、イチローのお手柄も良く分かった。というのが今朝のお粗末。

  さてこれで野球を見ても少しは面白くなるはずだ。但し、野球が好きになるかどうかはまだ疑問です。
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東本願寺展

2009-03-28 23:56:11 | 観る

 先週は春到来と喜んだのに、気温の上昇も小休止の形で、今日などはまたすっかり冬に逆戻りしてしまったようだ。週末にはうちの近くの公園でお花見をしようと川崎在住の末妹に声を掛けたのに空振りの状態になっている。そんなところへ、京都の妹からあちこちの美術展の招待券が送られてきたが、その一つが東本願寺の至宝展というのだが、京都の美術館の学芸委員の姪が選択から解説まで一人で手がけた苦労の展覧会ということだった。自分自身こんな事でもなければまず足を運ぶ事はない種類の展覧会だが、何はさておいても観にいかねばと末妹も誘って出かけた。

 あまり人気のありそうな内容と思わずに行ってみたのだが、平日だというのになかなかの入りで、このような分野に関心も造詣も深そうな高齢者が大半だったが、熱心にメモなどとる人たちも見かけた。東本願寺については殆ど、何の知識も関心もなかった私たち二人は、このお寺が過去4回も火災に会ったことも知らなかったし、特に襖絵などに沢山の名画があったことも知らなかった。棟方志功も何枚か、圓山応挙はもっと沢山あった。こんな機会のお陰で、観ればみたでそれなりに面白い発見があった。

 昼食をとったあとは上野へ出て、都美術館の「生活と芸術ーアーツ&クラフト展」を観た。19世紀後半にイギリスで興ったデザイン運動からウイリアム・モリスを中心とするヨーロッパの工芸品の展示が数々あったが、後半の日本で花開いた民芸運動の作品はそれ以上に好いものに思えた。とくに「三国荘」の家具調度はとても素晴らしかった。 上野の桜というものを本当に久しぶりに観てきたが、まだ三分咲きというのに、花見客用の青いシートが敷き詰められ、陣取りに座らされたらしい新米社員風の手持ち無沙汰そうな姿もチラホラ見えて、可笑しかった。

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小休止

2009-03-26 18:50:38 | 観る
 このところパソコンに向かう時間を大分減らして、予定の整理仕事をスローペースながら真面目に取り組んだ。庭に花や緑の苗を植えたり、衣類の始末、押し入れの整理、少しずつ捗っている最中だが、日曜日はみなとみらいホールで孫の高校吹奏楽の定期演奏会に出かけた。去年初めて行ってあまりに好かったので、今年も是非と頼んでいた。去年は他校と合同だったが、今度は一校だけなのにホールは満席で、我々に割り当てられた席は舞台から遠過ぎる上に肝心の孫の仕事ぶりが全く見えない場所に当たっていたので、途中から空席を探し廻ってやっと見ることが出来た。今回は叔母である娘も初めて聴きに来て、やはり高校生とは思えない素晴らしい演奏に驚いていた。オープニングはコントラバスも数人加わって、ブラスバンド200人位が総出演だったが良く揃って本当に見事だった。蝶々夫人やトゥランドットも好かったし、全員がかわるがわる踊りながらのアニメソングやミッキーマウスソングのメドレーも楽しかった。

 翌日はトム・クルーズ主演の「ワルキューレ」を観た。夫や私の世代はどうしてもこのたぐいの映画は見過ごせない。先ずワルキューレという題名に引き付けられた。ヒトラーに関するものは色々観たし、何回か暗殺未遂があった事も知っていたが、この映画の内容のような未遂事件の一部始終を知るのは初めてで大変興味深かった。クラウス・フォン・シュタウフェンベルクという勇気と知力のある軍人が国に対する忠誠心と良心の葛藤に悩みながらワグナー楽劇「ワルキューレ」からヒントを得て、「ワルキューレ作戦」と名付ける、文書を改ざんしてヒトラー自身の承諾を得て行うというスリリングな計画を立てて、ヒトラーの暗殺だけでなく、その後のドイツの政権の掌握までを考える所謂レジスタンス計画が結局失敗に終わり、全員銃殺されるという話だった。

 歴史に‘もしも’はないというが、若しこの暗殺計画が成功していたら、ドイツは世界はどう変わっていただろう。この映画によって、少なくともあの悪名高きナチスの軍人たちの中にも良心を持ってこのような行動を取ろうとしていた人たちが沢山いたことを知った。
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季節到来

2009-03-15 19:10:32 | 験す
 久しぶりに快晴の日曜日。気温も上がり、ウォーキングの道の木々は芽吹き始めて、春の息吹に満ち満ちている。歩く人が皆幸せそうに見える。この季節になると勃然と何か積極的にやってみようという気がみなぎってくる。この何ヶ月の間は与えられるもの、あるいは行き当たりばったり、只ひたすら見る、聴く、読む事だけに毎日を過ごしてきて、自分から身体を動かして何か動作、例えば物を右から左へ動かしてみる事から始まって、もう少し高度な創作することなどすっかり忘れてしまっていたようだ。

 好い季節にならないと活動しないのは冬眠の熊と同じだが、時期が来れば何かしらちょっとでもやる気を起こすだけでもマシかもしれない。先ず、いつも掛け声だけ言い暮らしている不用品の整理、衣類の繕いと直し、花壇の手入れ、お菓子作り、そして何よりやりたいのは休眠中の織りの作業がある。頭の中のデザインだけで、ずっと実現していない。そろそろ織りの仲間にも声を掛けて久しぶりに我が家に集まってもらったりもしたい。そんな意欲がこの暖かさで一気に解凍。家に帰ってからまず、自分の部屋の片付けに着手、不用品など思い切って捨てるべし。毎日きちんとやっていないので徹底的にやると時間が掛かる。ところがこれがちっとも苦にならない。やっぱり陽気のせいだ。明日はいよいよ衣類に突入かな。やる気もお天気次第で直ぐ変わるのが現在の私のちょっと危ないところです。
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西本智実さんマーラーを指揮

2009-03-12 15:12:14 | 観る

 

  昨夕はミューザ川崎シンフォニーホールでの西本智実さんの演奏会に行った。曲目はマーラーの「復活」で、東響の演奏もさることながら、お目当ては勿論私がぞっこんの西本さんだった。我々の座席は舞台間近で直ぐ上から演奏席全体がしっかり見渡せる席だったが、指揮台が真横まであと一息というのが残念だった。 

 マーラーの作曲では「巨人」がとても好きだが、あとは歌曲以外あまり聴くことがなくて、今日の「復活」(交響曲第2番ハ短調)は全く初めてだった。ソプラノの沢畠恵美さん、メゾの伊東直子さんのソロと混声コーラスとパイプオルガンの演奏付だ。コーラスは150人以上ともなるとやはり凄い迫力。歌詞のモニターも付いていたので内容もよくわかり、いかにも復活のテーマに相応しい大変重厚で堂々たるものだった。夫は特に二人の女声歌手の力量に感心し、私はオペラグラスまで動員して、ひたすら西本さんに感動した。優雅に美しくしかも力強い見事な指揮ぶりが間近に見られて嬉しかった。ホールも見渡したところ満席で、西本さんならではだと思った。

 この会場は数年前完成したそうだが大変良く出来た立派なホールだった。舞台正面にはパイプオルガン、座席は四方八方4階まであって、殆ど円形に近いサントリーホール風の造りになっている。川崎にもこんな立派な音楽ホールが出来ていたことに驚いた。この頃はあちこちに魅力的な文化施設が増えて来て、演奏会も多種多様だし、これからの人たちは本当に恵まれているなとつくづく思う。

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友の死

2009-03-06 18:04:27 | 験す
 先月の末、親しい友が亡くなった。後年には持病が悪化したので、渋谷にあった一人住まいのマンションを処分して数年前から遠く群馬の奥深くの施設に隠棲してしまっていた。女子大の英文科を出て、イギリスにも行き来をして英文学の研究を続けながら、いくつかの大学で教鞭をとり、最後はさるキリスト教大学の教授としての一生だった。三人きょうだいの長女だったが、海外に住む弟妹の手助けも頼めず、一人で渋谷と横浜の実家を往復しながら90歳を超す両親の介護にも当たり、その最期を看取った。それだけでなく、早くに母をも亡くしていた幼い甥と姪を自宅に引き取って、その後弟が亡くなった後もずっと親代わりとなって育てるという大役まで引き受けていた。その子供達も無事成人して、結婚したのちは、姪の子供達の成長を楽しみに、クラス会で会うたびに嬉しそうに写真を披露してくれたりしていたものだ。

 彼女と私には色々共通点が多い事もあり、特に親密だった。私には兄がいたが早くに亡くなっていたので、彼女と同じように長姉として両親の介護の責任が重かったこと、また私も弟の子供で、母をなくした幼い甥を三年間預かって育てたこと、そのほか、両親の年齢や介護の様子など不思議なほど良く似ていた。いつか彼女のロンドンに一緒に行こうと約束していたこともあったが、彼女は独り身で自由でも、私はもう家庭持ちだったのでとうとう機会を逸してしまった。

 両親の家と持ち物を一人で処分し、その後直ぐに控えていた自分自身の身辺の整理にまた大へんな苦労があった。そしてやっと読書三昧の静かで平安な日々を迎えたというのに、身体の不自由さが増した上に、あまりにも遠くなり過ぎて、毎年のクラス会にもだんだん来られなくなってしまい、このことを本当に残念がっていた。クラスの中でも特別親しかった10人会という仲間の一人だったが、春になったら皆で連れ立って遠足がてら彼女を訪問しようと話し合っていたのだが、これもとうとう間に合わなかった。

 3月3日、夕方からみぞれが降り出した寒い夜、田園調布の教会で執り行われたお通夜には同じ10人会の仲間の一人と一緒にお別れに行ってきた。淋しげな甥御さん姪御さんの様子を見ながらの賛美歌の間、様々な思い出が頭をよぎり涙した。亡くなる前日は偶然その教会の牧師さんの訪問予定日に当たっていたそうで、殆ど危篤状態の彼女の様子を少し伺うことができた。最後は肺炎だったとのこと。10人会の仲間もこれで二人欠けてしまった。


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演劇「空の定義」

2009-03-05 23:46:43 | 観る
  予期せず観ることになった俳優座劇場の「空の定義」は本当に面白かったので、この遭遇には感謝した。筋書きは、後で母娘と分かるのだが、二人の女性の生き方を通して、1970年頃の全共闘運動が中心にになっていた。

舞台はレトロな雰囲気の広くてガランとした喫茶店。正面の店主のいるカウンターの前に何組かの椅子テーブルがあちこちにセットされている。時代は殆ど現在。登場人物は7名。

まず最初は初老の店主とその娘婿と常連らしい近所の女性。その女性は子供の算数の宿題に悩んでいる、それに助太刀している様子から、娘婿はどうやら数学に詳しい人らしいと分かってくる。そのうち店主の娘が訪れるがこれは医者で、妊娠中の身でアメリカに研究留学するかどうかを迷っている。当然亭主は反対で、二人の間の雲行きが怪しくなる。こんな導入部があって、店には正体不明の初老男性客が一人、それからやたら熱くて常套的な正論をまくし立てるような喫茶店の常連客が入れ替わり出入りして、話がテンポ良く展開していく。
 
 店の壁にはある風変わりな絵が飾ってあるのだが、この芝居では重要な役を持っていて、題名の意味もそこから出ていると分かってくる。正体不明の男性客は最初からしきりに壁の絵を気にしている風で色々聞くが、店主はこれは知人が描いたもので、売ることは出来ないというやり取りがあったりする。そのうちこの絵が実は夫と幼い娘を捨てて革命のため海外に走った店主の元妻が描いたものだと分かる。

  やがてひょんなことから、この店主は自分の再婚を切り出すハメになり、突然もう既に一緒に住んでいたらしい中年女性を紹介して娘夫婦を驚かせる。そこまでは四者の間に気まずい空気がありながらも、まず順調に話が進んでいたところへ、やがて、絵に異様な興味を持っていた男性客がその店主の再婚相手と昔の革命の同志であったことがわかってくる。という事は実は彼女はこの女医である娘の実の母親だと言うこと。子供を捨ててまで革命に走った母をずっと憎んでいた娘はその事実を知って激怒し、受け入れを拒否する。 母はひたすら娘に謝罪し、また、戻るように説得する革命の同志ともきっぱり決別し、元家族からも去っていく。自分の道を貫くため、渡米しようとしていた娘は、自分の姿を昔の母親と重ね合わせて渡米を諦める決意をした。ところが女医の夫が今度はそれを押し留め、飾ってあった絵(それは空と海の風景の砂浜に屹立する大きな赤い錨を片足を上げて蹴ろうとしている幼い少女)の空の部分の象徴的な意味を語る。女医は何事か悟って出て行った母を呼び戻そうとするところでこの舞台は終わった。

 やや突飛な話しながら、台詞が好くて全体の会話に無理がなくとても共感出来た。登場人物も夫々個性的で、特に娘の女医の切れのよい台詞回しと態度が素晴らしかった。 
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