わたしのちいさなたからもの

2009年11月公開の劇場アニメ「マイマイ新子と千年の魔法」を追いかけて

ふたたびの春~すずさんの食卓4~

2017-04-27 17:33:56 | この世界の片隅に」

 

 昨年は映画制作大詰めのため、いったんお休みした「すずさんの食卓」

今年は復活しました。

 今日(4/15)は、お申し込みいただいた約60名の参加の皆さんと、

野草を使った「すずさんが作った料理の再現」を楽しみます。 

まずは、片渕監督の挨拶から。

  

 

  

  

それでは、薪割りからスタート。

 

 かまども、スタンバイOK。

 

楠公飯もスタンバイ(監督宅で炊いてきたもの。 すずさんが作ったパターン⓵)

 

《 当日のお品書き 》

 

楠公飯 / はこべと馬鈴薯のおかゆ 

大根とかたばみの和え物 / 大根の皮とたんぽぽの卯の花 

 甘藷(かんしょ=さつまいも)もち / イワシ煮 /   スミレの味噌汁 /

   うえは付きあいすくりーむ  / 江波巻き

 

 

 班に分かれて調理、始めまーす。 

 

 

 野草の下ごしらえ。 よく洗って、可食部分を選り分けます。

 

スギナは茹でて冷水にとり、絞ってから刻んで甘藷もちに混ぜ込みます。  

  

 いわしを、梅干しの種と炊いて煮汁を煮詰めます。

 

大根の皮を炒めて、調味。和え物用の大根も、薄く刻んで塩もみ(手前の赤いボウル)。

 

 タンポポの根と葉のざく切りも加えて炒めます。

  

  蒸したさつまいもに小麦粉を混ぜ、マッシュ。かなりの力作業。 

 

  卵黄と砂糖を混ぜて、

さらに牛乳とクリーム、バニラエッセンスも加えてよく混ぜて。

 あいすくりーむ(ただし、ここから先は手回しのアイスクリームーメーカーを使用)を作ります。  

 

 

  江波巻き用ご飯のお米を研ぎます。かまど、フル稼働中! 

結局、この日は

江波巻き用4升お粥用にもう1升計5升の白米を炊きました。

 

 

 楠公飯(パターン②簡易版)作り開始。まず玄米を炒ります。  

   

パチパチはぜてきたら、3倍の水を加えてさらに加熱。 

これの出来上がりの写真が、なかった....

 

この鍋は(↓),北條家で使っていた年季の入った鍋のモデルだそうです。

すずさんが出汁取り用に煮干しをちゃぽん、ちゃぽんと入れていたり、

イワシ煮を作っていたやつね。  

  

今回は調理の合間を縫って、スタッフ以外の参加者にもかまどを使ってみてもらったり、

五右衛門風呂を焚く体験もありました。

指導~解説してくれた「かまどの神様(←本人希望による呼称) 、お疲れさまです。 

 

 

 各班の料理が、完成に近づいてきました。まずは、卯の花。

  

 イワシ煮。

当日は思ったより風が強く、カセットコンロの火力が思うほどにならなかったので、

急遽、中の台所のガスで仕上げました。

濃厚な出汁の香りと、干物自体と梅干しの塩気でかなりの《 こってり味 》になりました。

この煮汁を、スミレの味噌汁に使います。

 

 甘藷もちも、成型がすんで出来上がり。 

 

 

はこべと馬鈴薯のおかゆ。

 

 スタンバイ中。

 

 

完成した料理の、勢ぞろい。 中央のドーンと大きな鍋が、スミレの味噌汁です。

 

 

準備は万端。 実食タイム、スタートしました!

 

誰いうともなく出来た 整然とした 配給、もといバイキングの順番を待つ行列。

皆さん、ひときわマナーが素晴らしい。

 

 今回は、お好みの食器持参の盛り付けでとにかく凝ってました。 

お盆まで持ってこられるとは…予想外でした。

お弁当箱持参で、圓太郎さんのお昼ごはんを再現してる方も(複数)。

 

 (私、この手ぬぐい、持ってないわ、、、ほしい、、、) 

 

原作以上というか、

《 すずさんが(今だったら、ほんとは)こうしてみたかった食卓 》レベルの再現でした。

 

 

監督「みんな、ようやりおるのぉ~」  ドカン隊長「まったくですのぉ~」 (← 言ってない)

 

ドカン隊長 こと S氏は、

(今はなくなった)吉祥寺バウスシアターで「マイマイ新子と千年の魔法」が公開された折、

記念のドカン(=バクダン)ポン菓子製造機の実演イベント実現に奔走、

昨年の三鷹映画祭では、スタッフとして「マイマイ新子と千年の魔法」上映と

片渕監督のトークイベントを成功させた、

仲間内では「身体が鉄で出来ている」とささやかれている文字通りの鉄人でもあります。

 

 

 

 さて。お次は、江波巻きの準備が整いましたー

 

 

まずは、監督がお手本を… (と、激写する皆さん)

 

こう、両端をきゅっ!きゅっ!と絞める(閉じる)のが、江波巻きの特徴。 

 

 今度は、自分でやってみましょう!

海苔は愛知から、中に巻く広島菜は広島から、どちらも現地よりお取り寄せの産直品ですよ。

  

 

 ほんで、最後にデザートの あいすくりーむ

  

 

径子おねえさんにも、ウエハーつき あいすくりーむを。 

 

 リンさんには、はっか糖とキャラメルを。 

 

 監督には、日本酒を。

「錦世界」は、ほうふハイボール用に。

「九嶺(くれ)は、三鷹映画祭の帰りに寄った居酒屋で今回のスタッフが偶然見つけた、

(千福さんとはまた別の)呉が醸造元(相原酒造さん)のお酒です。

 

 「わしらの二千馬力」も、駆け付けてくれました。 

 

この手のイベントにはついて回る食中毒(帰宅してからお腹痛くなった人、いませんよね?)

ケガ、事故もなく、無事にすずさんの食卓4を終えることが出来ました。

打ち合わせ不足でグダグダばたばたしたヘタレなスタッフ進行を、

かえって楽しんで下さる余裕を持って参加して下さった皆さんのおかげです。

ありがとうございました!

ネームタグで「あ、いつものあの人」と判りつつ忙しさに紛れてご挨拶しそびれた方、

申し訳ありませんでした。

Twitterを見る限り、能う限り楽しんでいただけた様子が伺えて安心しました。 


また、どこかの劇場で、イベントで、お目にかかりましょう! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

肉じゃ、肉じゃ、肉じゃーーーあああ!! 

質素で慎ましやかな昼の部から、

慰労会という名の(DVDを流しつつダラダラ飲み食いする)お泊り会に

シフトチェンジするスタッフ。

 火も起こした、あとは焼くだけ… 

 

 

いや、待て。

その前に、ワシらには大事なミッションがある!!!!

 

これだよ!!!!!!  (作戦名「ケーキ作戦」…まんまですね

 

「友だちで いられますように

これからも ずっと」


あるスタッフメンバー発案の企画を、

別のスタッフメンバーのご縁で、作っていただきました。

 

 

 片渕監督、

素晴らしい作品をありがとうございました!!!!   

(伝えたいことはもっともっとたくさんあったけれど、結局これに尽きるのでした) 

 やれ、うまし。まじ、うまし。

 

 

西武ドームのコンサートの音と歓声をBGMに、BBQ。

 

所沢の夜は、更けてゆく… 

コロットさんにはTV置いてありませんでしたが、PCとモニターつないで

バナナゼロ♪ミュージックのコトリンゴさんが見られました。 

 

(私 ひぐちと、記録係の軍曹さんは所用のため、翌日の早朝離脱。

以下は、監督と居残りメンバーの画像をお借りしながら構成) 

 

 

昨日、4升炊いた白米のうち残った2升を、保温しつつ翌朝の朝食分に回しました。

 

 

いつもの「今日の炭ちゃん」をしのぐ、

名付けて「径子めし」。 

「あの子に 炊かすと、いつも焦がすんじゃー」

 

江波巻きの手前の卵焼きは、

昨日あいすくりーむ作った時に残った白身で作りました。 

広島菜と梅干しも昨日の残りです。

 

 これを(2升、焦げめし)ホントにあのメンツ(7,8名)で食べ切った…らしいです

 

最後の最後に、お疲れさまでした。

 

 

 

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いつかの街・だれかの家並み~時代を超えて【呉~広島~江田島~江波めぐり】その④8/22

2016-09-14 02:08:53 | この世界の片隅に」

 昨日は広島に泊まって帰路を楽にする旅程もありでしたが、

どうしても呉から行きたい場所があって結局、呉に3連泊になりました。

 呉線下り方向を臨む。ここより先には、まだ行ったことがありません。(↓)

呉駅方向(↓) 

 フェリー乗り場に来ました。昨日来たのは下見。

アーチの鉄骨部分に、スズメがたくさん巣食っていました。 

 

 江田島行きのフェリーに乗ります(↓)。 

 クレーンが目につきます。 いろいろな色、形。水色のアーチ状のは、ドック??

 

 船に引かれる牡蠣の養殖いかだ(↓)。 

 江田島の小用(こよう)港(↓)。

  バスを待つ間、待合所周辺をぶらぶら。こういうの(↓)を見ると、島に来た感が。

 

 旧海軍兵学校、現第一術科学校に来ました(↓)。 

古鷹山(ふるたかやま)。ちょっとした遠足や徒競走で良く登るそうです。

大正6(1917)年完成の 大講堂正面(帰りに撮影、この左側に生徒館の建物)。

観音開きの扉が遠目には金属製に見えますが、近付くとなんと木製!

 大講堂内部、正面ステージ。

コーブ上部の浮彫が、菊のご紋=天皇・皇后専用の席。

そしてここも、アールデコ!天上のアーチに圧倒される。

 

 左側のバルコニーは、皇族専用。

 後方と左右は、学生家族用。卒業式の時だけ、上れる。 

 

ここはドラマ「坂の上の雲」や映画の撮影にも使われています。 

生徒館(↓)は、明治26(1893)年完成。画像ではわかりにくいのですが、

避雷針の細工が細かくて優美。レンガは、イギリスから運んできたもの。 

ここが完成する前は艦内で授業していたとか、

船を売却した資金で大講堂を建てたりと、解説の内容が涙ぐましい。

 

 戦艦陸奥の砲塔(↓)。 

 

教育参考館入り口(↓)。中に入るにあたり、撮影禁止・脱帽・服装などに関する諸注意がありました。

貴重な資料が納められているだけでなく、教育の場であり一部に慰霊のモニュメントがあるため。 

 入り口脇に展示される、真珠湾攻撃時の潜水艇。

昔の人は小柄とは言えこんな狭い中にずっといるのか思うと、この手の乗り物を見るのは正直、苦手。

 同じく戦艦大和主砲の砲弾。 

教育参考館の見学時間は、45分。つぶさに見るには、全然足りなかった。 

館内で卒業生全員の写真が閲覧出来て、

身内の方にはコピーを取って渡してくれるサービスがあるそうです。

 

ここがただの教育機関ではないのを、垣間見せるもの。(↓) 

10時半始まりの見学コースが終わると、ちょうどお昼時のため、

同道の皆さんは食堂へ向かいましたが、私は一人タクシーでまた小用の港へ。

12時台のバスがない理由がわかりました。

 高速フェリーを待つ間に、そそくさと待合所で軽くサンドイッチで昼食。 

12時46分初の高速フェリーで、広島港宇品へ。 

 空気遠近法の見本みたいな風景(↓)。浮かんでいるのは、ブイ?

 宇品港でマイマイ仲間のやや矢野屋さん・キサさんと、合流。

私がまだ行ったことのない、すずさんの故郷・江波を目指します。 

 (↑)の 向かって左側の道を入っていくと…

 

 

  

すずさんの通ってきた道の「今・現在」(↓)

 改修が度々あって、昔の面影はかなり遠いものに…

 タクシーの無線のやりとりで聞いた「かきうち道路」はこのこと(↓)だったと、ようやくわかった。

港沿いの道のことを言うらしい。

 

絵羽(えば)神社。 

  今度は、高い所を目指して…

 広島市街を臨む。海岸線は、ほとんどわからなくなってる。 

 着いた。休館だけど、外に自販機があったので3人そろってアイスクリームをむさぼり食い。

この日も、暑さが厳しかった。

 

(↑)ここにも、アールデコ !風抜き格子の模様が素敵。(↓)これは、通風孔の飾り。

 気象台敷地からの眺め。

 降りて行く途中、ふと下を見ると…目当ての「波のうさぎ」が!

「この世界の片隅に」にも登場する「波のうさぎ」のモチーフです。

下まで降りて、撮影しました(↓)。

以前の江波の探検隊に参加出来なくて、Twitterの中継で眺めていた鏝絵(こてえ)。

この時参加していたやや矢野屋さんが、今日のナビゲーター役を買って出てくれたのです。 

 細い路地で後ろに下がれなくて、自撮り棒が欲しかった… 

 

 このお宅にも、蔵造の面影が残っています。

 うねうねと小道をたどりながら…

お寺の前に出てきました。 

 

 何となく防府の新開地近くや、いわきの津波でなくなった海沿いの街を思い出させる小道でした。

さっきの「波のうさぎ」たちも、ここから3キロ余り向うの《その日》を見ていたのでしょうか。

 高速道路まで来て振り返ると、旧気象台の建物が今の家並みの上に抜け出て見えました。

戦時にはもっと目立っていた分、迷彩を施されていたのも無理からぬ話です。

 

 電停の駅を目指す途中にあった郵便局にて(↓)。

キサさんとはここで解散。

私と矢野さんは電停で市街に出て、平和公園のレストハウスでいったん休憩。

ここまで来ると、素通りは出来ません。 

小さいすずさんは、この前を通りはしても中には入ったことなかっただろうなあ。 

 

 ちょうど台風が東海~関東に近付いてきたため、予定より早めの新幹線で帰路につきました。

幸い降られずに帰れましたが、自宅目前でほぼ5年使い込んだカバンに成仏されてしまいました。 

厄落としだったんだろうか…? 

 

 

 あけて24日、すずさん役=のんさんの公式発表。

結構前から周囲では「そうじゃないか?」と予想している人も多かったけど、

 …呉での「言いたいけど言えない、でも嬉しくてたまらない」片渕監督の様子を思い出すと、

こちらまで笑えてくる。 

 のんさん、ホントに顔が小さい…予告編の演技、素晴らしかった。

早く全編を通して見たい。他のキャストの皆さんも楽しみです。

 

「マイマイ新子と千年の魔法」エンディング曲から、

「この世界の片隅に」イメージ曲としての「悲しくてやりきれない」の

【音楽】=コトリンゴさんも、予想通りに来てくれました。

 

 ゼロ号試写の評判も良くて、観るのが楽しみ(としか言えない…)

 

 

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いつかの街・だれかの家並み~時代を超えて【呉~広島~江田島~江波めぐり】その③8/21

2016-09-13 15:32:59 | この世界の片隅に」

  21日の講演会は、午後から。それまでは市内を散策することにしました。

実は、来る前に午前中はマイマイ仲間で呉鎮守府見学をしようという話があったのですが、

私は必要な証明書(パスポート・免許証・マイナンバーカード)がなくて、あきらめました…

  いかにも呉らしいお店(↓)。週末だったので、街中で制服姿の集団も良く見かけました。

  すごい攻めてます、ハンコ屋さん(↓)

 港に行って、フェリー乗り場をチェック。 

 

街中に出てみる。 少し意匠にアールデコ入ってるかな(まだ現役で商売なさってる様子)(↓)

  仲町のアーケードに来ました。ここも前は通るけど、入ったことがなくて。

原画展示は、こうの先生のみ。

目当ての松本先生の絵は、全部複製画になってて、原画がなかった…。

ちょっと悲しい…展示物の額装も、残念だった…自分がやってあげたくなった…

おまけに、福屋デパートのメロンパンにも振られた…(日曜日は入荷がないそうです。ぬかった!)

 しょうがないので、お昼に呉焼きを食べる。 

 

美術館に再入場。径子姉さん狙ってたので、嬉しい。 早くアニメの声が聞きたい。

 今日の講演会は、ライター紙屋高雪氏による

《 マンガは「あの戦争」の体験をどう描くか 》

 これもカメラNGだったため、メモから抜粋します。

( 注意・一部、「この世界の片隅に」原作の内容に踏み込んでいます 

******************

まず、戦争を描く作品(例;潜水艦もの)をカテゴリー分けしてみる

① 戦争を「楽しむ」作品(戦争娯楽もの)⇒「眼下の敵(1957、アメリカ映画 )
特徴:鳥の視点(鳥瞰)

ロングショットの多用、ゲームとして全体を捉える空爆をする側の視点

VS

② 戦争を「批判する」作品(反戦もの)「Uボート(1981、西ドイツ)
特徴:虫の視点(虫瞰)

攻撃を受ける側の視線、見えない所から受ける影響を描く

この2点には、自覚的であって欲しい。

そして《鳥》←→《虫》の視点をスイッチしながら描かかれる作品もある。


小沢ゆき「あとかたの街
(2014~15)

…全体の状況がわからず、わずかの紙一重の差が生死を分ける。その恐ろしさ。

 

 1950年代の少年マンガで描かれた戦争⇒戦記物ちばてつや「紫電改のタカ」など)
1950年代の少女マンガで描かれた戦争⇒原爆症の主人公

戦争の事実をマンガで描くようになったのは60年代以降。

70年代以降さらに増えた=体験した世代からの発信が取りあげられるようになった


*「この世界の片隅に」におけるこうの史代の戦略

 ① 日常を描く ② 喪失を描く ③ 居場所の回復

①⇒楠公飯(昭和19年5月)のシーン。レシピ~過程を克明に描く。町の変遷や町内会の描写。

②⇒「死(死者の数)」によって喪失を描くのに抵抗がある=従来作品への批判。

死ぬのが、最悪の不幸だろうか(こうの)

原爆で居場所と家族を失いつつ、生き残った存在である「戦災孤児」の登場

③⇒居場所の回復…孤児が(自分の記憶を元に)他人を想像する

忘れることへの抑圧記憶を持つ豊かさ

良い記憶 と 悪い記憶、両方と向き合う

「思い出・記憶を切り捨てるのは、もったいない(こうの)

 

**************************  

 

 

うっすら感じていた部分を、明確にしていただけた講演でした。 

「生き残る辛さ、生き残る意味を見出す」「喪失の記憶を抱えながら生きていく意味」は、

戦争だけに限ったことではなく、いつの時代にも普遍の課題です。 

講演後にマイマイ仲間とロビーで雑談中、みんなで夕方からの呉港クルーズに行くことになりました。  

一旦解散し、後でフェリーのターミナルで落ち合います。

私は一足先にターミナルへ。こういう標識も。何かあったら、2階へ!! 

  夕呉クルーズまで、ひと休み。

実は、昨日マイマイ仲間のブリンさんが「良いよ」と言っていたのを聞いて、

午前中美術館に行く前に切符を買っておいたのです。 

出発。日の入る辺りに雲が出ているのが、やや残念。 

  

大型船をこんな角度から見る機会は、めったにありません。  

 

 

船体の流れるようなラインが美しい(↑)。

 日の入りの時刻に合わせて、ラッパ吹奏が流れる中を旭日旗降旗。

 夕陽が見えなくても、雲が空を彩る。見えない太陽の陽射しを、映し出す。 

 

 

決して長くはない、あっという間のクルーズでしたが、呉に来た甲斐がある楽しい時間でした。 

帰宅する人・広島に向かう人、マイマイ仲間はそれぞれに散って

私は、明日に備えて呉にもう1泊です。

 夕食は、呉 冷麺にしました。

 

いつかの街・だれかの家並み~時代を超えて
【呉~広島~江田島~江波めぐり】その④8/22につづく

 

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いつかの街・だれかの家並み~時代を超えて【呉~広島~江田島~江波めぐり】その②8/20

2016-09-12 14:19:15 | この世界の片隅に」

明けて 8月20日は、ハードな1日の始まりです。

《 午前 ;真木太郎プロデューサートークイベント 「この世界の片隅に」が出来るまで 》

⇒ 《 午後;片渕監督×こうの先生トークイベント 》 ⇒ 呉 ~ 広島 移動

 ポップラ広場 「マイマイ新子と千年の魔法」野外上映 呉の宿に戻る

 

 「この世界の片隅に」が出来るまで 》 は、 カメラNGだったのでメモから。

 プロデューサーとは?

⇒誰でもなれる、社長業に近い《裏方》で、資金面の最終責任者

 真木さんの経歴

パトレイバー(OVA、劇場版)~天地無用(OVA、映画、TV、フィルムコミック)

千年女優、東京ゴッドファーザーズ
(当時のMAD HOUSE/現MAPPAの丸山正雄プロデューサー、今敏監督との接点)

鉄人28号(TV、原作者横山光輝が存命中最後に視聴した作品)など。

 
「この世界の片隅に」関して

⇒資金を集めるのに苦労している時に声をかけられ、
「マイマイ新子と千年の魔法」のDVD/原作に接したのが、きっかけ。
日常目線の描写・機微が片渕監督の作家性とマッチしているが、地味で売りにくい。

だが、長い(永い)生命力を持った作品だと思った。

最初は150分だったコンテを、120分に。

アニメの現場の作業は手弁当で始まっていたのに認知度が低く、
プロモーション(=私設応援団を増やすを目的に設定して
クラウドファンディングを始めた。

やらせで、自分も100万円入れようかと思った。(⇒会場爆笑)

クラウドファンディングが好調で、
ネットニュースに多く取り上げられて好循環に。

《 クラウドファンディングメンバー=共同制作者 》である。

クラウドファンディングの特典「すずさんの手紙」は、3000枚以上発送している。
⇒ お金はかかっていないが、手間がかかっている。

*作り手が、
ユーザー(観客)の見たいものを作れているか?

たい人の声が反映出来てない現状が、結果としての資金難になる。

 *公開劇場は、順次増やしていく。完成披露試写も、回数多くやりたい。

感想は、口コミで周囲に伝えてほしい。

この作品の良さは、見る人・時代によって変わる。
泣けるシーンは、みんなちがう。

*クラウドファンディングのエンドクレジットは、ID順。およそ2500人ぐらい。

 作業は現在追い込み中子どもすずさんのアフレコを残すのみ。
方言指導は、ついている。(本来、すでに出来上がっている予定だった)

************************** 

濃い内容のトークでした。

昼は、市立美術館向かいのレストハウスで野菜たっぷりのカレー。

 レストハウス内にこんなコーナーが(↓)

 体験中の某氏(↑)。感想は聞きそびれました…写真の展示も(↓)。 

   

午後のトークショーは、市立美術館の手前にある桜松館(おうしょうかん)にて。

 うわわわわあ、アーチがアーチがアーチがアーチが(↓) 

 錨(いかり)と砲塔、ラッパ、「呉」のロゴがああああ(↓) 

 バルコニーがああああああああ(↓) 

アールデコ、アールデコやん!!!! (←大興奮)

今の建物になったのが昭和4(1929)年、もろにその時代。当時の最先端、てわけです。

 ああ…録音などにも使われていた(いる)んですねえ…(↓) 

こちらもイベント中は撮影禁止だったので、やはりメモから抜粋。

(参加者からの質問;制作を始めてから気付いたことはありますか?)

片渕物語を大づかみに捉えるより、街の復元作業を通して

すずさんがいたリアリティを感じさせるために、より細部をつかむ段階に入っている。

(参加者より、ボイスキャストに関する質問 )

片渕;子ども心を残して大人として成長する、
すずさんの人生の2年間を演じる人をキャストした。
発表は水曜日(24日)、今日はまだ言えない。

 こうの;原作の「仕掛け」は、後から気づいてもらえるよう、
わざとスルーされやすいように描いている。

⇒お茶碗の柄、洗濯の場面、それぞれの食器、着物を何枚持っているか、など

片渕;こんなにいろいろ模様のある服を着ているアニメはないだろう(会場内爆笑)

アニメで日常生活を描く幸せ、原作は日常を描くだけで映画に出来る、
同じことを目指す作品。

こうの; 悲しいことは実際の生活の中にいくらでもある。
せめてマンガの中だけでは、明日の活力になる物語を描きたい。

 片渕映画では、広島・呉の無くなった風景を「生きている風景」として描いている。

マイマイの時スタートがうまく行かず、上映3週目以降自分たちで動き出したり、走り出した。

今回はもう(公開前の今から)走り出しておく。

シネコンでかかる最初の土日は、ぜひ観に出かけてほしい。 

自衛隊関連施設から、こんなものをいただく機会があろうとは(↑) 

 

トーク終了後、やや矢野屋さん親子と連れ立って、呉から広島へ呉線~広島市電で移動。

まだまだ暑さ残る中、川沿いにある野外上映の会場に。ここは、

こうの先生の「夕凪の街 桜の国」の主人公・皆実(みなみ)の家があった跡地です。 

この上映会の経緯など伺いながら、片渕監督も「マイマイ」の話を。

監督はこの後、仕事に戻るため再び東京へとんぼ返り。 

 この日は台風が近づいている影響でどんよりした風が熱い中、飲み食いしながら

じりじりと日の入りと、上映開始の暗闇を待ち構えます…

陽射しがなくなった途端に、風が心地よくなりました。 

写真でも分かる通り、今回のスクリーンの後ろにはポプラの木があって

枝振りが「明日の約束」のシーンに重なる、 ロケーションの偶然。

国衙の野外上映で周りの星空が溶け込んで見えた、あの夜も思い出させました。

 

《 当日の感想ツイートより 》 

 野外上映から宿へ移動中。

クリアな音響を楽しみつつ背景のタッチ質感がくっきり見え、

悪い大人に徹し切らないおっさんオバサン、

味方になり切れないお爺さんの辛さにしんみりしてしまった…

対して、沁み入る子どもの必死さと潔さ。こうして乗り越えられて行くのだ…

 

新子には「無実の罪」を肯定してくれないお爺さん=裏切り、になってしまう。

あそこで嘘ついて家出決行するのが、お爺さんのくれた世界から新子が踏み出す第一歩。

子どもが子どもとして自立する物語だから、

最後はすっきりお爺さんとお別れ出来たんだなぁ、と。

 

********************** 

 

《 いつかの街・だれかの家並み~時代を超えて

【呉~広島~江田島~江波めぐり】その③8/21 につづく 》

 

 

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いつかの街・だれかの家並み~時代を超えて【呉~広島~江田島~江波めぐり】その①8/19

2016-09-11 12:44:08 | この世界の片隅に」

 

 前回更新からずいぶん間が空いてしまいました。

クラウドファンディングのミーティングという大きなイヴェントがあったのに、

結果スルーになってしまい、レポート出来ずに残念。 

 

いよいよ本編公開日が11月12日(土)に決定し、近々本予告も流れる中、

呉にやってきました。  

 

 

 

こちらの展示を見るためです。 

以前、池袋リブロ(書店)や明治大学まんが図書館での原作マンガの原画展示や、

コミテアでのアニメのレイアウト展示を見てきましたが、

今回の規模は、その比ではありません。

呉市立美術館まるまる使っての展示、ほぼ半日かかってやっと見られるスケール。

 

《 2階の全フロアに、原作3巻分の原画を展示 》

《 原作を頭からラストまで、解説入りで生原稿を読む  》状態です。

 

…話にのみ聞いていた

口紅を使って描いた原画 (リンさん子ども時代の回想シーン)も、

初めて見られました。(細かい所は、鉛筆使っていました…)

3巻組単行本の本体表紙カバーを取らないと見られないイラスト原画とか、

発売時にその仕掛けに驚きかつ泣いた、下巻のカバーイラストの原画も。

今回原稿を見て(読んで)改めて気づいたこともありましたが、

原作を読むたび泣けてしまう同じ場面で、結局「やられ」ました・・・

 

(…他にもこの作品には号泣ポイントがいくつもあるのですが、

主人公以外のキャラにも人生の厚みを持たせ、

それまで表立って語らなかった優しさ・愛情が沁みるシーンです。…)

  

 かなりレアな掲載誌の予告カットも複数展示、

絵以前の資料(メモなどのまとめ)も質・量ともに凄かった…

《 リサーチの鬼 》片渕監督の方法論と響き合うものがあるのも、うなずけます。

 

  

展示物は撮影出来なかったので、撮影OKのアニメキャラの立て看板を。 

こうの先生の絵柄の艶っぽさとはひと味違う、

でも清潔感を損なわずに、重みを感じさせるよう、

原作のゆるっ!とした体つき全体を引き締めたデザインのすずさん。

一方、顔のパーツの配置などは、

こうの先生ふうのバランスを崩さず、きれいに再現しています。

 ( この、パラッ!と離れて絶妙に配置されてる具合が本当に難しいんですよー )

 

アートブック、注文してきました。 

翌日・翌々日のイベントが目当てだったので、その合間に展示を見れば大丈夫かな?と、

前乗りはもっと遅い時間にと考えていましたが、

余裕を見て朝イチの新幹線で出発して正解でした。

午後いっぱいかけて、やっと全体を見通せた感じ。

 

夜になってから脚が猛烈にだるくなって、必死こいてマッサージしながら

翌日に備えました。

 

《 いつかの街・だれかの家並み~時代を超えて

【呉~広島~江田島~江波めぐり】その②8/20 につづく 》

 

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浜松リベンジ~日本のくらし/戦時の日常生活~

2015-06-25 23:26:03 | この世界の片隅に」

浜松に来ました。

 駅の構内にこんなもの(↓)が展示される街です。

 

「マイマイ新子と千年の魔法」が浜松のシネマイーラで上映された時、二の足踏んで観に来れなかった。

あの頃はまだ、いろいろと心理的な歯止めがあったんだな、と思う。

あの後、防府探検隊名古屋日帰りを経験して完全にストッパーが外れたんだなあ・・・

名古屋は何と言っても、

故・今敏監督の「パプリカ」「東京ゴッドファーザーズ」、故・川本喜八郎先生の「死者の書」と並んでの

「マイマイ新子と千年の魔法」だったし、

九州から駆けつけるというマイマイ友達もあったし。(矢野さん、その節はどうも)

以降、格段に!新幹線に乗ることに抵抗がなくなりました。 

 

今回の会場のザザシティ。 

浜松在住で、シネマイーラのマイマイ上映実現に尽力された すずぽんさんが主催する 

《 アニメーション映画監督が調べた 日本のくらし/戦時の日常生活

「この世界の片隅に」(原作 こうの史代) 片渕須直監督パネルトーク 》 に行ってきました。

 

当ブログの画像も、掲示に使っていただきました。(↓) 

                      (↑)クリックすると、大きな画像が開きます。

 

前半は、お馴染みの町並みやレイアウトの変更、考証を巡る話。

自分は何度目かでも、今日集まったほとんど人には初めての内容の話。

最初は静かだった 私の右隣りに座った年配の3人組のご婦人方が、

次第にうなずいたり、「そうそう」と合いの手を入れたり、だんだん話に引き込まれていくのが

手に取るように伝わってきました。

以前、新宿や阿佐ヶ谷のロフトでトークを聞いていた私たちを、

何も知らない人たちが脇から見ていたら、同じように見えていたのかもしれません。

 

中入りの休憩中に、監督持込みの粉白粉のパッケージを撮影。

右のパッケージ(↓)は、今見ても古びていないモダンなデザインです。

 

この「双美人」のマーク(↓)は、私の子どもの頃まで使われていた記憶があります。

こっちは、歯磨き粉。(↓) 

 殺虫剤も出していたんだ、某化粧品メーカー(↓)・・・南京虫ですって、奥さま!! 

 実体験コーナー。

 原作コーナーも、賑わっていました。この3冊組バージョンは、貴重ですよ!!

 

後半は空襲を巡る話がメイン。今まで聞いたことのないエピソードもいくつかあって、

呉空襲の体験談を裏付ける資料の紹介は、

ミリタリー関係の方にはさらに興味惹かれるだろう内容でした。

動画にも初めて見るものがあり、それがなかなか(個人的に)衝撃。

 

《 以下、当日のTwitterより 》

 浜松より帰宅。後半は空襲の話がメインで、初めて聞く話・動画も。

一番強烈だったのが、下から打つの高射砲の弾がはっきり見えるもの。

一瞬スローかと思うぐらい。気が緩むとまた思い出してしまう。

肉眼で弾があの大きさに見える所に人間がいた、その眼下に日常があったという事実。

 

米戦闘機のガンカメラ、機銃掃射や爆撃の映像は何度か見てきた。

少し前に呉の空襲映像と一緒に見つかった双葉~富岡の機銃掃射の映像もショックだったが、

今日観たのはしばらく忘れられそうにない。

 

帰りの車中、作業しながら帰って来たのだけど集中緩むと、あの映像が過ぎる。

機銃掃射の閃きとはまるで異質な質感と重量が、

その遥か下に流れる日常の時間と暮らしと人々がいる、あの空間を切り裂いていた。

繰り返し流されてきた同じ映像に摩耗したアンテナが、リセットされたよう

 

こういう、今まで見てきた映像(もの)と、原作の高射砲描写、

以前に呉の探検隊で見聞きしたこと全部が、

一気に繋がってリンクして自分の中に落とし込まれる感覚は、めったに味わえません。 

 

B全版のポスターにも、歴戦の貫禄が漂いつつあります。(↑)(↓)  

翌日の予定もあり、懇親会には出ずに、

いつものメンバーとすずぽんさんに挨拶してから日帰り・とんぼ帰り。 

 

駅まで戻る道すがら。 

 この日は行きの車中に昼食、帰りに 夕食と駅弁の2連チャン。

これはこれで、密かな自分だけの楽しみ。

(食べたかったのに食べさせてもらえなかった、子どもの頃の仇を取っている)

 

…浜松は、幾度もの空襲・艦砲射撃にさらされて焼け野原となり、そこから復興した町でした。  

後半にこの話を持ってきた片渕監督の意図も、そこにあったと遅まきながら帰る道々思い当りました。 

 

お土産の玄米に添えられていたレポート(↑)。

ずいぶん細かく調べて、試作していた様子がわかりました。

すずぽんさん、本当にお疲れさまでした!

 

 

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月蝕の向こう側で《後》~佐波川お花見2015/4.5

2015-05-04 22:43:02 | お出かけ

 

 

 翌朝は、静かな雨。集合時間までの間、宮市方面までぶらついてみることに。

公園で山頭火の句碑を見つける(↓) 。

「 雨ふる 故郷は はだしで あるく 」  

 色瓦が珍しくて(↓)。 

 やけに人馴れしていた子(↓)。 ちょっとだけ遊んでくれた。

 手前の道路が拡張されたせいか反対側の並びには古い建物が無くなり、

 向かい側のこのあたりの家並びに、かつての街道の面影が残っています。(↓)

 夜来の雨に濡れながら。変わり咲きの花桃。 

 ここにも、山頭火の句。(↓)

「 ふっと ふるさとのことが 山椒の芽 」 

 折れ曲がる小路と、トタン壁が響き合う。

見上げれば、めでたさ満載。(↓) 

 

恵比須・大黒、鶴に亀まで。 

  

 今日のプチ探検隊は、ルルサスに集合して大河ドラマ館から。

 お土産コーナーの昭和女子(↓) 。

ここで白だしとポン酢を買い損ねたのは、当日一番の痛恨事(あくまで自分基準)

 ふるさとかるたは、まだ新しいもののようで。しかも維新限定。

山口では、小学生のかるた大会とかはないのでしょうか。 

 

 次は毛利邸へ。

この掲示板(↓)の文案を書いたTさんに、この日一日案内していただきました。

 

左奥・白い建物(↓)は、お蔵。 この中に山口県にある国宝が多数収蔵されています。

 昭和天皇・皇后お手植えの松。 

椿のじゅうたん。 

 

雨も、また善きかな。 コレ(↓)も変わり咲き。

 大王松。まつかさが、巨大なのです。 (博物館の中に実物が展示してあります)

一番のビューポイント。 

 

本来は、江泊山と向島が借景として設計されています。 

 ありがちですが、この桜の植えられた広場が地元の小学生の遠足の定番だそうで。

 

  伴待ち(ともまち)の跡。(↓)

(伴待ち=人力車の引手や、自動車の運転手などが待つ場所)…今は物置ですが、

いつごろまで使われたのか、引き戸のペンキの色に、妙に‘昭和感‘が漂っています。

 博物館になっている本館へ。中に入るのは、初めて。 

 二階からの眺め。庭の設計意図が良くわかるオーシャンビューです。

 

手前に角が見えているのが、今は無き日本たばこ寄贈の防府市の航空写真のケース。 (↑)

片渕監督は目敏く、新子ちゃん(=高樹先生)宅を発見していました。

 

毛利家の裏紋・沢潟(おもだか)の花の意匠が、あちこちにあります。 これは、釘隠し。

 

鷺と沢潟の欄間。彫りが精緻。

ふすま絵。

 これは、実際に投函出来る郵便ポスト(↓)。脇に、収集時間の表示がちゃんとあります。

 昼食を食べに、しおさい市場へ。向島にかかる雲がこんなに低い…  

 大平山も、見えない。一昨年乗ったロープウェイも、老朽化で乗れなくなってしまいました。

 お刺身定食をいただきました。あら汁がうまー!

 

昼食後には、英雲荘へ。維新の志士たちも逗留した所です。 

防府出身の方から「良い所だよ」と聞いていた場所に、やっと来られました。

静かで気持ち良い場所でした。

 手描きで補修したふすま。

先に見てきた毛利邸と建造時期がかぶっていて、内装や建具など同じものが使われていたりします。

ふすまの柄が、部屋ごとに変わっていたりして面白い。

この(↓) 引手は、七宝製。 小さいけれど、凝り過ぎず明るい黄色が良い感じ。

 引き違い棚の襖絵。これは、当時のままのもの。

暗くて映らないかと思っていたら、案外きれいに撮れた。剥落が少し残念…

 二階から見る回遊式池泉の庭園。

後から生えてしまった樹は引き抜き、古い石を掘り出して復旧~補修したそうです。

 二階の畳縁。七宝つなぎの柄合わせ。 

 屋根を幕末当時と同じ葺き屋根に、一部替えています。 

 まだ、改修途中。

 大勢の客を迎えた、別棟の茶室(↓)。

 こちらが、毛利家の表紋。(↓)

右側木の下の影に、注目。お抹茶を待つ間に、陽が差して来ました。  

 

 

一服の後、町歩きへ。 

老松神社へ。 

 立派な、古びたクスノキの巨木。 

以前、阿弥陀寺で見た関水に使われた巨木を思い出しました。

 樹齢約二千年…ということは、

このクスノキは、諾子ちゃん(清少納言)の時代をも見ていたわけですね。

 

あら、ここにも鶴が飛んでいました。 (↓)

 ふたたび、街道に戻ります。

《 右 かみがた(上方=京都、大阪方面  左 中のせき(=中関 》(↓)

 《 左 宮市天満宮(=今の天満宮) 志ものせき(=しものせき=下関) 

 この道しるべが作られた時代には、

今の天神通りより、宮市の旧山陽道の方が栄えていた名残りなのでしょう。

花神子祭礼の時にも、

「昔は今の駅前からではなく、旧山陽道を通って天満宮に行ってた」

年配の方から聞きました。

《上関(かみのぜき、原発で有名)》、《中関(なかのせき)》、《下関(しものせき)》 …と

地名が揃っているのも今回初めて知りました。

「京都・大阪と 繋がっている」意識 が強かった現れなのかな、

…と思わされるものが、今も多い印象です。

 

この向かい側(↓)にある模型屋さんに、一行の一部が急襲かけている間に、

近所のおばさんたちとちょっとおしゃべりしながら、

この建物が昔は風呂屋だったと教えてもらいました。

最初に見た時、一般の住宅ではないだろうと思いましたが…

入り口が2ヵ所あるのは、そのためなのでした。

 今は使われていませんが、上に明り取りの窓がついている所が入り口。

 

 

こちらも、本陣だったお宅。 (うだつがある…)

宮市が萩往還の盛り場なら、こちらは三田尻の港の盛り場の続きと言ったところでしょうか。

昨日伺った

「防府は、宮市(寺前町)と三田尻(港町)の二つの中心を持つ、双子の街」

の話を思い出しました。

 

そこからほど近い所にある伝説のストリッパー・ジプシーローズ終焉の場所(↓)。 

彼女の名前を知っているのって、どう見ても昭和半ばまでが、ぎりぎり)生まれ限定です。

確かにこの町並み、新子とタツヨシがかたき討ちに来た開地に似ています。

本来もう少しご案内いただけるはずでしたが、翌日の予定もあり、私はここで失礼することに。

名残りを惜しみつつ、探検隊は解散。 防府の皆さん、お世話になりました。 

 

今回は通常の花見というより、

突然いなくなってしまったmilkapumpさんを偲ぶ、供養の道行きになりました。

あまりに急で、お互い何の言葉もなく慌ただしく別れてしまいましたが、

こうしてまた皆が集まれる求心力の一部を作ってくれたのは、

間違いなく、防府という町が大好きだった彼女が

皆の間になにかの 種 》を蒔いてくれたからだと思うのです。

 

 

 

 

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月蝕の向こう側で《前》~佐波川お花見2015/4.4~

2015-04-09 22:14:47 | お出かけ

 花見の日程が展示の搬入日間近で、仕上がり具合によっては参加を見送ろうかと

かなりギリギリまで迷っていましたが、 

どうにか前日までに搬入の準備を終えて、早朝の新幹線に飛び乗りました。

 

   昨年6月以来の防府。…すっきりではないけれど、空の青さは見えて来ました。

 駅でピックアップしてもらい、佐波川土手へ。

  強風(一昨々年)、爆弾低気圧(一昨年)と

毎度「何かある」佐波川花見のジンクスは、

果たして覆るか?

 高樹のぶ子先生の小説「光抱く友よ」では、

佐波川土手にアーチのように並ぶ見事な当時の桜並木が描かれ、

主人公とその友人は、

夜桜を背景にそれぞれに違う道を歩み始めていきます。 

その頃の華やかさには及びませんが、

可憐に咲いたソメイヨシノが私たちを迎えてくれました。

 ひとしきり飲み食いが終わる頃には、やや雲が…

 花見の次の目的地は、防府市街を一望する大平山のふところ。

 昨年秋に急逝されたマイマイ仲間のmilkapumpさんが眠る場所。

第一報を聞いた時には何のことかすんなり呑み込めず、

言葉の意味がようやく染みてくるまでに、しばらくの時間がかかった。

ただ、意味が通じても自分がその現実を受け止められたわけではない。

今までなら、わいわいと賑やかな中に紛れて折々交わした言葉や出来事が、

彼女の姿が見えなくなった場所に持ち越されて、また続いているだけのようにも思える。

彼女の不在という現実を、夢のように遠くにしか感じられずに、いる。

 

 彼女の車に乗せてもらって、大平山の展望台から見た夜景と星空は、ずっと忘れない。

台風一過の遠くまで澄んだ夜空の降るような星空の向こう、

対岸にきらめく町々の灯と、暗い海をゆっくりと渡っていく船の灯り。

自分が今まで来たことのない場所に来ているのを、ひりひりと感じた。

「旅愁」と呼ばれるような遠くまで来た寂しさではなく、

どこに来ても自分が自分でいられる、心地良い不思議さみたいなもの。 

彼女に連れて来てもらわなかったら、味わえなかった

初めて来た場所で、想像を超える風景に出逢う幸せ。

ふと、今になって思い出すと、あの時のmilkapumpさんと私は、

流れ星と蛍を眺めていた新子と貴伊子みたいだった。 

 

 

 さらに桜を求めて、桑山(くわのやま)へ。

 この後ろに青空があったら、さらに見事に映えるだろうに。

佐波川の土手で一瞬見えたあの青空は、今回の《 千年の魔法 》だったのかもしれない。

 でも、この数は、素晴らしいもの。

 「花は咲く」の、あの場面には1本足りない(↓)。

 同行の吉瀬先生から、この桑山が推古天皇時代の新羅遠征の折、

筑紫の国で亡くなった来目皇子(推古天皇の甥・聖徳太子の弟)を

一時埋葬した場所殯宮《もがりのみや》だったという話を伺う。

それだけに留まらず、招魂碑や他の時代の人物の墓所・神社が数多くあるこの場所に、

桜の木が数多く植えられたのには、鎮魂や慰霊の意味もあるのだろうか。 

この日は、久しぶりの月蝕が ある夜だったのに、空模様はすっきりとせず

始まる前の月明かりも届かない中、花見・夜の部は、

片渕監督を筆頭に、防府在住の皆さんと各地から集まったマイマイ仲間とで

いつものルルサス・アンコーラで。

 

casurinさんが、創作同人活動をしていた頃のmilkapumpさんが作ったコピー本を

見せてくれました。 

 POPライターをしていたので、描き文字がきれいです。

きっちり・ぴったりと整った字間・行間に、エネルギッシュでマメだった人柄がうかがえました。

彼女は私より半世代ほど若かったけれど、

私も読んでいたのと同じ時期の少女漫画に影響を受けているのがわかる絵柄でした。

マンガやアニメ、映画のこと、同人活動のこと、若い頃の仕事のこと、

これからゆっくり話したいことがたくさんありました。

 

 

【 月蝕の向こう側で《後》~佐波川お花見2015/4.5~】に続く

 

 

 

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抜錨(ばつびょう)!!~「この世界の片隅に」クラウドファンディング始動~

2015-03-10 21:09:28 | この世界の片隅に」

 

「まだ完成していないアニメの設定・裏話を、

監督と制作スタッフが語りまくる」…という、

知らない人が聞けば、なんのことやら??な、濃ゆ~いイベントも6回目。

東京で開催した回はほぼカバーしていたのです。

…ですが。…

いや、もう面白いんですよ、内容は。

でも、「マイマイ新子と千年の魔法」以上の

あまりのマニアックさ・濃密さ・ハードさに、なかなかレポート出来ずにおりました。

初めの頃、参加者が喰らいつくように聞くのにばかり終始して、

大したメニュウも注文ぜすにクローズする

会場であるお店にとっては あんまり美味しくないイベント になってしまったため、

途中から「2品目からのオーダー」のおまけとして

当日限りの3種類のコースターが出るようになりました。

今回の3種類。(↓)

 

周作さんに忘れ物を届けるお出かけ前、化粧するすずさん(↓)

 

双葉廊前のすずさんとリンさん。リンさんが手にしているのは…

(リンさんは、コースター初登場…じゃなかったっけ?)

 

防空壕前の周作さんとすずさん。

今回は原作のこうの史代先生もご登場とあって、今までにないチケット争奪戦を経たせいか

自分はそこで燃え尽きしまい、会場入りが直前になって、結果

・・・・・・・・

場内ほぼ満席で椅子を持ち出して座る羽目に。当然、テーブルはなし(これはちと辛かった)。

 

毎度取れるだけのメモは取るんだけども、

次々展開する監督トークと、パソコン画面のプロジェクターに 追い付きません。

(後からメモを見返しても、まとめ切らんのです…)

今回はそこに、こうの先生の鋭い突っ込みがはいるわ、

場内満員の熱気で暑いわ、テーブルなくて食べるのに両手ふさがるわ、 

間に合いません、とてもとても。

そして、お待ちかねの特別映像【 動くすずさん 】初公開!!

 (今までの公開映像はいわゆるPV、作中に使われるものでなく、

また、すずさん自身が動いているものではなかったので)

音がついてないだけの、いわば ラッシュ と同等の出来上がりのものです。

 

楠公飯をほおばるすずさん、防空壕のすずさん、サギを追いかけて坂道を走るすずさん、

 

・・・やっと。やっと、会えたよねぇ(しみじみ 

 

そして、最後にクラウドファンディングのお知らせが。

いよいよ、本格始動です。

  艦これ提督の皆さんも、Welcome!!

あなたがたの支援で

大和が、青葉が、

(うまく行けば、武蔵やその他の艦隊の皆さんも)

大きなスクリーンに登場しますよ!

協力したあなたの名前がエンドロールに、流れるんですよ!

 

 

撮影する我々参加者を撮影する、片渕監督。

 

 左から、マンガ家の青木俊直さん、こうの史代先生、片渕監督、

アニメスタイルの小黒編集長、作画監督の松原さん。

(片渕監督の「あまちゃん」仲間・青木さんのキャラクターによる映像も

併せて上映《これも、初公開》されました)

 

******************************

 

…などと私がまとめている間のたった2日間で、

目標金額のほぼ半分・1000人以上のサポーター登録に達する出足に驚きつつ、

 

「マイマイ上映3週目の状況を、

『この世界の片隅に』上映前に作る

 

・・・という目標をすでクリアしたと言っても良いと思います!

 

さらに上方修正可能な段階(2巡目3巡目、もっとそれ以上。燃料=資金は潤沢に!)へ

もって行けるよう、残り70余日間

下記リンクから、皆さまの加えてのご協力をよろしくお願いします。

(↓)

この世界の片隅に 制作支援メンバーズ

 

 

 

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裏アクアマリンツアー~その②~

2014-09-26 15:29:39 | 故郷のよすが

(前回の続き。アクアマリンでの集合時間まで 余裕でホテルをチェックアウトしたはず・・・)

ですがーーー!!!

陽気の良さに周辺をうろつきながら大回りして、西側通路から正面入り口にたどり着くつもりが

肝心の通路がふさがれてて、西側駐車場の向こう側を迂回する羽目に!

ギリギリで集合時間に間に合いました(何のための前泊だ)。

 

 さっそく、ツアー出発~見学開始。

 

 ブレていますが、カブトエビ。イメージよりも、白い…

シーラカンスの模型と化石(レプリカ)。 

 

脊椎動物のご先祖・ナメクジウオ。

「動かないけど、生きてます」の注意書き付きの展示。 

 

チョウザメは淡水性で案外飼育が易しく、大きな水場で飼えば3メートルぐらいに育つ。

日本国内で養殖している所もある。 

 

ふくしまの川と沿岸。展示に使っている植物も、全部福島産。  

 ウグイ、赤い婚姻色が出ています。 

 

 

 潮目の海にようこそ。

 シイラが大水槽から飛び出してしまうので、アクリル板を継ぎ足しました。(↓)

飛び出したシイラが、外で干乾びて死んでいたこともあったそうです。 

カタクチイワシとマイワシの群れ。

小さい方がカタクチイワシ(煮干しになるやつ)、

側線に点々の七つ星がついているのがマイワシ(丸干しになるやつ)。

 

 河口の汽水域の展示。

海水と淡水の境目(もやもや)が、はっきり見えます。(↓)

たまたま水道を締め忘れて翌朝こうなっていたのを、そのまま展示に生かしたそうです。

 鮫川河口にもよくいるスナモグリ(↓)は、クロダイ釣りの良い餌になります。

  

参加者からの「フグの背びれと腹びれの動きが、マンボウのそれとよく似ている」 の指摘に、

富原さんから「フグとマンボウは、同じ仲間」という答えが。

確かに、顔つきも似てる…

 

海獣ゾーン。こちらは女子組。 

 こちらが、男子。 

 

  ハワイアンズの近くで獲れたウナギ。(↓)

獲った人が大き過ぎて気持ち悪いと持込んできた、いわくつきの子です。

あまりの大きさに、昔放流されたヨーロッパウナギかと思われたものの、

良く調べたらニホンウナギであることが判明。

ウナギは意外に寿命が長く、また海で過ごす時期も長い。

ここ10年ぐらい川の環境が良くなって、いわきにもシラスウナギが遡上してくる川があるし、

ウナギもけっこうたくさん生息している。

(…子どもの頃、上遠野に住んでいた父方の祖父が獲ってきたウナギが、

大きく太くて気持ち悪かった、と母が言っていたのを思い出した。

・・・アイツもニホンウナギだったのかなあ・・・)

 富原さんいわく「イケメンのウナギ」。 

 

この環境(↓)を保つには、指先くらいの魚4,5匹が限界。

それ以上になると、排泄物や苔が溜まって循環がうまくいかず水が汚れてしまう。 

 

県外(奄美大島・和歌山・北海道)にある蓄養施設。 

熱帯ゾーン。 花がきれいでした。

 ベニスズメ。 この他にも鳥が何種類もいます。(目当ての文鳥は見つけられなかった)

 マングローブの林。

 水槽のアクリルガラスの断面。角度によって、層がはっきり見えます。

 

ソフトコラールより、ハードコラールは入手が難しい。 

 

自然光が良い具合に来て、何にもしなくてもホントにキレイに撮れる!(↑)

 群れているキンメモドキは「スイミー」 のモデル。(↓)

 履物を履いていると何か踏んでもわからないことがあるので、

水槽内の手入れをする時は裸足が原則。岩についた苔を清掃中です。

 魚を見ながら、魚を食べられる寿司処(↓)。 

 ただし、「たくさん獲ってもいなくならない(=資源が尽きない・持続可能な)魚種」に限る。(↓)

  

 

 

マメダンゴ。 

話題のオオメンダコは、暗くてうまく撮影出来ませんでした。 

 

大きな泡が銀色に光りながら昇っていく様は、いくら見ていても飽きない。 

左が黒潮、右が親潮。(↑)

 

《 ふくしまの海 》 のコーナーに欠かせないメヒカリサンマ

サンマ、泳ぎが速くてブレまくり。(↓)

サンマの産卵期は5・6月で、長い海藻に産み付けられた卵(大きさ2㎜ぐらい)を目視確認・選別し、

その部分だけをはさみで切り取り、

(ここまですべて船上での作業。普段どんなに船酔いしない人でも、絶対に気持ち悪くなってしまうそう)

持ち帰って孵化させて、展示するのはなかなか大変な仕事だというお話でした。

 

 お待ちかねのお魚ワークショップ。これは、前日にツアー主催のぴぽさんが釣ってきたメバル。

約30㎝の「尺もの」と呼ばれるめったにない大きさのもの。およそ、14年ものだそうです。

 こちらは、70㎝のスズキ。 

 アイナメも大きさ違いで3匹。 小さいものは震災後生まれ。

この3種類は根魚(ねざかな。海底近くで生息する種)

事故直後には、セシウムが溜まりやすいと考えられていた魚種です。

  さっそく、おろし始めます。

 卵巣(↓)。スズキは《オス⇒メス》に性転換する(性転換する魚は、わりと多い)。

ちなみに、この日の卵巣には珍しい寄生虫がいて早速冷凍保存されました。

 スズキの心臓。単心室・単心房。

メバルの胃に入っていた餌のカタクチイワシ(未消化)。 

あっという間に、3枚おろしの完成。

 皮を引きます。包丁を当てて、皮の方を引っ張るのが、コツ。 ふむふむ。

 サクにしたのをラップで包んで、容器に入れ、

  このアロカで、 放射性物質を 測定します。

セシウムは筋肉(⇒刺身で食べる部位)に溜まりやすい。

今回のスズキとメバルは震災前生まれの個体(成魚)で、セシウムが出る可能性もある。

PCに繋いだ測定結果がリアルタイムで反映されます。  

 スズキの皮は、熱湯をかけて

 氷水でよく引締めから、 

 もみじおろしと青ネギをかけて完成。 

 ぶつ切りのアラに塩してしばらく置いてから洗い、酒を加えてアクを取りながら水から煮出します。

あら汁、最初は塩味+生姜で。 

  測定結果もNDで大丈夫ということで。 

…いただきます。 

 今回は、ありがたいことに主食付き♪ 

 お米作り隊遠野のお布団農法による「綿幸姫(わたゆきひめ)」の塩むすび。

 スズキの刺身(すでに食べてしまってから、撮影w)は、

本当は3日ぐらい置いてからの方がさらに!美味しくなるそうです。

 

 これは、メバルの刺身。淡いピンク色がきれい。歯応えよく、美味しい。

 そして、アイナメの刺身。アイナメは、鮮度が良い方が美味しい。

  小川きのこ園さんのエリンギ惣菜も、一緒に。

左から、ピリ辛青唐エリンギ・白醤油味エリンギ・旨辛カクテキ風エリンギ。

 あら汁、今度は味噌味で。 3杯もお代わりしてしまった。

ひれの付いているとこや、頬のとこの身が美味しい!スズキの皮の湯引きも、後を引く味と食感です。

 

お腹一杯になったところで、いよいよ本チャンのバックヤードに突入。 

 大水槽の上からの眺め。 

籠の底に居るのは、 エイの赤ちゃん。

 

 ここからが海獣ゾーンのバックヤード。 

この向こうに、さっき見てきたトドがいます。(↓) 

  そして、さらにその向こうに…

 … いました。餌を出すと、モリモリ食い付きます。

 昨年夏に保護したオットセイ。

 なついて後追いをする様子が犬みたいで、可愛い。 (↓)

 ここは、病気になった子が入る保健室みたいなスペース。(↓) 

 … なんと。いわきの海にはいるんですよ海獣が!

実は、私もつい最近まで知らなくて。 釣りが趣味のぴっぽさんから教わりました。

調べてみると、海獣は大昔の人たちにも馴染み深い存在で、

いわき市内の遺跡から出土する遺物にも、海獣モチーフのものがたくさんあるそうです。

 

 屋根の上からの展望。

 富原さんは、この辺で釣りをするそうです。(↓)

曰く、

「いわきの海で獲れる魚種は、他所と比べてそんなに多い方ではない。

でも種類は多くなくても、非常に美味しい魚が普通にたくさん獲れる。そこが良い」

「《当たり前・普通》が美味しい。」 

 

 先月行ってきたうみラボ報告会を思い出しました。

意外にも、住んでいる時には地元のアベレージの高さに気づきにくく(自分がそうでした)、 

 他所から来た人・一度出て戻った人の方が、より敏感にわかるものなのですねえ。

同じ市内とは言え、まだまだ知らない場所がたくさんあり、今回初めて体験したこともありました。

 知ったつもりになってしまうと、見えないものごとは案外多いのかもしれません。

私が知っているいわきは、昭和のごく限られた時期・地区のことなのをまたあらためて感じてきました。

 

普段の帰省絡みの行き帰りは何かと慌ただしく、

用のあるところ以外はつい駆け足で回ってしまいがちですが、なんとか時間作れないものか。

帰ってきてから、そんなことを考えています。

 

当日参加の皆さんのつぶやきは、こちら(↓)にまとめられています。

こちらもぜひ合わせてご一読下さい。

第二回裏アクアマリンツアーの様子

 

 

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