南相馬市は、いわゆる「平成の大合併」により
《 小高町 》と《 原町市 》、《 鹿島町 》が合併して出来た
福島県浜通り北部にある地方都市です。
何度かこちらでも触れてきましたが、旧・小高町には私の母の実家があり、
原町市にも親戚・縁者が住んでいたこともあって、子どもの頃から何度も足を運んでいます。
小高の実家には震災の数年前から従弟家族が住み、
原町の鹿島区(旧・鹿島町)には従姉一家が在住していました。
昨年の原発事故により、市の南部にあたる小高区(旧・小高町)の一部が立ち入り制限区域と指定されましたが、
この4月に立ち入り制限が解除され、交通手段(=車)があれば出入り可能になりました。
「マイマイ新子と1000年の魔法」とマイマイ探検隊をご紹介したことをきっかけに、
度々お話している井上リサ先生が企画・主催されたツアーに11月3日・4日と一泊2日で参加してきました。
先生がTwitterで提唱されている《 着地型観光 》の一環として、地元の歴史も掘り起こしながら、
さらに被災地の実状も知り地元の復興にも役立とうと言う主旨の旅です。
《 着地型観光 》とは、
いわゆる「名所・旧跡、特定スポットを《点》で回る一般的な観光」ではなく、
「その地元に残されている歴史・つながり・住んでいる人も含めて《面》として捉え、楽しむ観光」。
最近の《聖地巡礼》がその一例とも言え、
マイマイ探検隊は、まさに 《着地型観光》の優良なモデル と言っても良さそうです。
そして今回のツアーは、私にとって震災後初めての小高訪問になりました。
( 以下、Twitterのまとめに使った写真を中心に載せていきます。まとめは、こちら )
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当日(11月3日)は、10時に亘理駅へ現地集合。
乗り換え予定の福島駅直前で新幹線が地震で一時停電・停車と波乱の幕開け。
なんとかぎりぎりに集合地・亘理駅に到着、皆さんと合流しました。
このお城は、亘理市の郷土資料博物館。早く着いたら、中を覗くつもりでしたが残念。
まずお宿へ。松川浦目の前のいさみやさん。
原ノ町駅へ。
伯母一家が原町に住んでいる頃良く遊びにいっていたのだけど、小高からバスで行くことが殆んどで
実は原ノ町駅に来たのは今回が初めてでした。
ここで地元の郷土史家・二上先生と合流。以降、案内をしていただきました。
駅構内の壁画(↓)。構内は2階建てではなく、吹き抜け構造。
駅前通りを見る。(↓)
スーパーひたちが、震災の日から停車したまま。
全面復旧が待たれる常磐線。せめて《原ノ町以北~仙台》が繋がってほしいです。
お昼はみうら食堂に寄って。
肉うどんを注文。麺の茹で具合、昔食べたうどんを思い出した。
昼食後、まず夜ノ森公園へ。
神風特攻隊敷島隊中野磐雄隊員の銅像。
特攻隊護衛の零戦隊員の像も。(↓)
元・原町陸軍飛行場。言わばパイロット養成所、飛行学校の跡地。
滑走路は舗装せず、ただ広い草原をその日の風向きに合わせて離陸していたと聞いて、びっくり。
全然想像がつかなくてボー然とする私に、同行のMさんが補足してくれました。
「昔のプロペラ機は、今の飛行機に較べたら紙みたいに軽かったから、
向かい風に向かえばそんなに長い滑走路飛ばなくても
ふわっ!て揚がって大丈夫だったんですよ。
いまでもアメリカに行けば、地面剥き出しの滑走路を使っている所はあります」
この石柱(↓)を別角度から見ると…
グラマンの機銃掃射の跡(左側の削れた箇所)。
無線塔があったために原町は何度も爆撃されている。
飛行機格納庫の礎石(↓)。この傍にももう1列残っている。
来る前に見た画像から想像していたより、はるかに大きかった。
(↑)の右隅向こうにも同じ礎石跡が見えます。これがなぜか民家の敷地のすぐそばで、
民家の向こう側にもさらに同じものがあって…民家を挟んでこういうものが残っているのでした。
周りは、草地と畑です。
陣ケ崎公園墓地の原町飛行場関係者慰霊碑。
特攻など戦線のみならず、原町各所の爆撃でも犠牲者が出ている。
名簿の中には、朝鮮半島出身者の名前も。現在でも新たに判明した名前が刻まれていく。
南相馬市立博物館の無線塔頭頂部メモリアル。
関東大震災の第一報を世界に発信した無線塔は、長く原町のシンボルとして親しまれたそうです。
案内役・二上先生による無線塔に関するまとめは、こちらを⇒★
頭頂部本体は、逆光入ってうまく写真が撮れませんでした。
次は 相馬共同火力発電所 わくわくランドにて。
震災被害説明のパネル状の赤いライン(↓)が津波最高到達点。
説明してくれた担当の方も当時現場に居て、見学者をタービン建屋まで誘導・避難。
一般見学者と共に約1000人以上の構内関係者が頑丈なタービン建屋に避難、
在庫の防寒着などで寒さをしのぎながら救助を待った話を伺いながら外へ。
高さ200mの排気塔(左)と高さ90mのタービン建屋(右)(↓)。
この角度からでは排気塔がそんな高さには見えないのに、帰りに反対側から見たらすごい迫力。
共同火力発電所のある新地町から宿に帰る間に一気に陽が落ちて暗くなりだした中、
先週再開したばかりのスーパーシシドに寄り道。
元の店舗は松川浦にあって津波の被害が大きく、このたび相馬市に移転。
この土地が以前のフジコシの跡地と聞き、感慨深いものが。
フジコシは平に本店があった浜通り中心のスーパー。(今は倒産して店舗はありません)
昔、平の谷川瀬にあったフジコシの流通センターでPOPを描き各店舗に送るアルバイトしていましたが、
ここでフジコシの店名を聞くとは思っていませんでした。
平には、いくつもお店があってずいぶんと買い物しました。
店内で販売されていたさんまのすり身(↓)。浜通りのつみれは、これが材料なのです。
私は、上京してから初めていわしのつみれを食べました;;
私の実家では、大晦日に必ずかれいの煮付けを食べたのですが、
《大晦日⇒年取り⇒加齢(かれい)》の単なるシャレなのか相馬地方の風習なのか、未だ謎です…
鮭のチャンチャン焼き。浪江の請戸川でも鮭が捕れたのですよね。
最近では、いわきの好間川でも鮭の遡上が見られるようになりました。
帰りに寄ったスーパーシシドでリサ先生が見つけてくれた相馬産ミズダコの刺身。(↓)
やわらかいのに噛んでいると旨味が・・・美味しくて、みんなでたいらげました♪
《東北復興観光◎南相馬市編 【 僕らの原町無線塔 ~相双旧軍遺構と産業めぐり町歩き 】11/4》 へ続く
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