宇和島市の桜、本日午後2時に開花宣言をいたしました。
桜開花予想クイズ。私は、無理を承知で、21日で応募し・・残念。
末っ子が、なんと!!25日で応募!!
開花宣言のその場での、正解者の中からの賞品当選者発表では、
名前を呼ばれませんでしたが。あと、7名は、後日・・・・ということ。
さてさて・・・当たるといいな
桜観測隊と一緒に写ってるのは・・・おやおや・・武者ですよ。
さくら観測隊のブログでは、開花についての詳細もでてます。
その、伊達五十七騎のパレード
私も参加したんですよ~。
8:00 市役所2F大ホールに集合。
自分の名前の紙が置かれている箱のところへ。
私の役は、『永沼民部』 だって。本日は、この名前で過ごします。
さて。この箱の中には甲冑、刀など武者セット一式が。
これら、合計60具は、宮城県大崎市からお借りしたもの。
大崎市は、旧岩出山町が宇和島城の初代藩主秀宗の育った故郷で
岩出山の初代藩主が秀宗の弟、宗泰であったという歴史的関係から
姉妹都市となってるんだそうです。
そして、大崎市の観光課職員5名のみなさんが、気着け隊としても来宇され、
今回、ご協力をいただいたのだそうです。
気着けを手伝ってもらって・・・・
そして、いざ出陣です
市役所の入口へ、2列に並びます。編隊表(?)の通りに・・。
私は、右側の前から三番目。
「桑島将監(くわしましょうげん)」さんの隣やね、くわしまさんを目印に・・・と。
伊達秀宗さんのいざ宇和島へ出陣じゃ!!の声と、爆竹(?)の音とともに、
一行は、ぞろぞろと、栄町~きさいやロードへ。
(このあたりは、宇和島音頭を踊る身と同様、写真はありません)
そして、きさいやロードを上り牛鬼ストリートへ。
そこでのパフォーマンスもありました。
親方様、伊達秀宗さんが口上を述べるのですが・・・
多分、台詞のある人たちは、市の関係者の方たちでしょうが・・・
私たち一般公募の人たちは、説明もなく、親方様の言葉に、無反応・・
やっぱ、そこは、大声で「おおぅぅー!!!!!」でしょうね。
ちょっと、打ち合わせがあればよかったのにね。
伊達正宗の長男伊達秀宗が、宇和島へ入るにあたり、選ばれたこの57騎ですが、
その57騎のなかでも、大阪冬の陣にも参加したという5名の内に
私こと『永沼民部』もはいっており、なんと!!ステージの上に立ったのでありました。
ひょぇ~~~ 緊張~~
その後は、しばし解散、もちまきもあり、写真撮影など・・
カメラを渡して、撮ってもらいました。
(カメラは、紐を通して鎧の中に入れてたのです。どんな時もカメラは必携)
「うわ~~!!中にこんなおばさんが入ってるとは、わかりませんよ」
て、言われたよ
休憩中 おにぎり2個と天ぷら1枚の昼食
真ん中が、秀宗さんです。
2回目のもちまきがはじまるまで、武者さんたちも自由行動でした。
岩村万年堂前にある『いやし博交流サロン』
さあ!宇和島城に入城だぁ!!
秀宗から、御挨拶がありましたが・・・初めに
「皆のもの、よいか今度から、わらわが声をあげたら、こぶしを高くつき出し
おう!!と声をあげ叫ぶのじゃ!!」なんて、注意事項が!!
あたしゃ、思わず笑ってしまったぞよ。
そして、一行は、陸橋を渡り、桑折長屋門前まで。
門前には、城代藤堂新七郎が出迎え、57騎の一人が、確認。
「親方さまー!藤堂新七郎殿でございます!!」
そして、列の中央から、秀宗が進み出て、
板島鶴島城を、受け渡され、「今から、ここを宇和島城と改名するぞ!」
そして、開門。57騎は、天守へと。
めでたく、入城を果たしたのでありました。
大崎市の方も一緒に。
ここで、お役目終了。解散です。 あとは、記念写真
史実とは異なりますが、今日は、息子を案じてお父さんも参加だったのです。
南校の「ALT」の方たち。イギリスから来宇されてるそうです。
「今日は、とても楽しかったですね~~~」と言ってましたよ。
きっといい思い出になったことでしょうね。
もちろん!お城をバックにも
しかたなく・・短い方の刀を抜いて。
(このあと、さくら開花宣言へ、連れて行ってもらったんです。)
今日は、とても楽しかった~~
歴史は苦手の私だけど、時代劇大好き・・・。
甲冑姿になれるなんて、こんな機会を逃す手はないな、と。
思い切って申し込んでよかったです。
最初は、きさいやロードにも人出は少なく、
大崎市からわざわざ来ていただいてるんだし、もっと賑やかな行事になるよう
PRが足りないんじゃないの?なんてことも思いましたが。
もう、それより、参加した私たちが、とっても楽しめたことが一番かな・・。
贅沢なひと時でした。
関係機関の方たちは、すごく大変だったんだろうなぁ、と思いました。
10月にまた開催されるようなので、その時は更に盛り上がるといいな~。
また参加したいなぁ~~~。