乱鳥の書きなぐり

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『国家安康』『君臣豊楽』の銘文が刻まれた鐘楼  京都東山 方広寺

2009年08月29日 | お出かけ



  



                     

  



        方広寺



 京都国立博物館威嚇の方広寺に行ってきました。

 この辺りには豊臣秀吉ゆかりの『耳塚』『豊国神社』『方広寺』があります。

 先日は『耳塚』『豊国神社』を載せましたが、今回は『方広寺』を記録したいと思います。



 ここ『方広寺』の境内には『大仏殿』がありましたが、豊臣家滅亡後、徳川家康によって破壊されました。

 現在残っているのは大仏殿の石垣と豊臣家滅亡となったきっかけの鐘楼『国家安康の鐘』の二つです。



 鐘は秀吉の子の秀頼によって鋳造されました。

『国家安康』『君臣豊楽』の銘文が刻まれています。

『国家安康』(こっかあんこう)『君臣豊楽 子孫殷昌』(くんしんほうらく しそんいんしょう)と言う文句が刻まれていたのです。



 秀吉の死後、豊臣家滅亡の機会をうかがっていた徳川家康に側近が『国家安康』『君臣豊楽』に対し、

    『国家安康』     →家康の”家”と”康”を切り離している。

                これは、家康の頭と胴を切り離す


         ⇅


    『国【家】安【康】』 → 家康家の分裂祈願

    『君臣【豊】楽』   → 『君臣豊楽 子孫殷昌』と豊臣家の反映を願っている


など、豊臣家は徳川家の滅亡を願っていると、入れ智恵しました。

 これによって豊臣家に対して大坂の陣のきっかけとなったという有名な鐘だそうです。



 方広寺の方が、鐘のようすや歴史の流れを教えて下さいました。

 私たちが行った時には修学旅行の高校生が何人か熱心に鐘を見ていました。

 鐘の内側には淀君の幽霊の恨みがにじみ出たといわれている白いお姿が認められました。

 方広寺の方は長い某を指して 『国家安康』『君臣豊楽』の銘文や淀君の幽霊を得意になって話して下さいました。




              小学館 『日本歴史観』参考

              京都東山 方広寺にて






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2 コメント

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方広寺 豊国神社 (クラ)
2014-08-26 00:06:42
 ブログみました。自分も以前 京都旅行で豊国神社と方広寺に行ってきました。三十三間堂周辺の賑わいとはうらはらに静かな境内 落ち着いた雰囲気がよかったです。そして有名なのは鐘のうらに書かれた「国家安康 君臣豊楽」豊臣氏滅亡のきっかけをつくったというのに、なんか驚きもありました。
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ありがとうございます。 (Ranchoよりクラ様へ)
2014-08-26 09:09:32
クラ様、はじめまして
うれしいコメントをありがとうございます。
クラ様のページはこれまでにも何度も楽しませて頂いておりました。
これからも拝見させて頂きたいと思います。

ブログを見て下さって、ありがとうございます。

おっしゃる通りですね。
この辺りも、他にも色々な謂れのある所があり、散策すると楽しいです。

クラ様
本日はありがとうございました。
これからもよろしくお願い致します。
返信する

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