日常

プラトン「パイドン -魂の不死について」

2011-08-03 21:50:50 | 
プラトン「パイドン -魂の不死について」岩波文庫(1998/2/16) を読んだ。

===================
<出版社からの内容紹介>
人間のうちにあってわれわれを支配し,イデアを把握する力を持つ魂は,永遠不滅のイデアの世界と同族のものである.
死は魂の消滅ではなく,人間のうちにある神的な霊魂の肉体の牢獄からの解放である。
-ソクラテスの最期のときという設定で行われた「魂の不死」についての対話.
『国家』へと続くプラトン中期の代表作.
===================




なんとなく、ソクラテスとプラトンに興味が傾いている。
哲学者のホワイトヘッドが、「すべての西洋哲学は、プラトンの注釈に過ぎない」と言ったらしい。
それほど、プラトンはすごい。


紀元前399年の春のこと。
【国家公認の神々を拝まず、青年を腐敗させている。】
という罪状でソクラテスは告発され、アテナイの牢獄で毒杯を仰いで獄死した。
そのとき、プラトン28歳。


「パイドン -魂の不死について」という本は、
パイドンがソクラテスの死に際をエケクラテスに伝える、という形で対話編が進む。
それをプラトンも間接的に聞いた。
ソクラテスを深く尊敬するプラトンは、文字として書き記さなかったソクラテスの代わりに、文字に起こして後世に残した。
そのおかげで、自分がこうして読むことができる。
プラトンもこんな時代が来るとは夢にも思わなかっただろう。


ちなみに、パイドンという人は、スパルタとエリスの戦争で捕虜となり、アテナイの奴隷市場で男娼として売られていたのをソクラテスが助けたとのことだ。パイドンは深く恩義を感じ、ソクラテスに一生ついていったとのこと。





とても仲の良く、とても偉大な先生が「人は死なない」というタイトルの本を書くこともあり、人間ははたして死ぬのか、ということを考えている。


肉体は死ぬ。それは間違いない。

ただ、人間は肉体だけからできているわけではない。
人間は、<body(肉体:からだ)とmind(精神:こころ)とspirit/soul(魂:たましい)>の調和でできていると、自分は思っている。
西洋医学はbody(肉体:からだ)をメインに扱う医学だ。ただ、人間はmind(精神:こころ)もspirit/soul(魂:たましい)も持っている。


肉体が死ぬと、精神という働きも確かに消えるかもしれない。
でも、人間に「いのち」として、生命としての息吹きを与えている何らかのエネルギーは、きっと形を変えるだけなのだと個人的に思っている。
それこそが、まさにspirit/soul(魂:たましい)と古来から呼ばれているものだと思う。
自分が実際に人間の生き死にに接してきて思うのは、そういうことだ。


================================
『すると、魂は、なんであれなにかを占拠すると、そのものに常に生をもたらすものとしてやって来るのだね。
それなら、先の議論から同意されたように、魂は、自分が常にもたらすもの(=生)とは反対のもの(=死)を、決して受け入れないのではないか。
それなら、魂は不死なるものだ。』
プラトン「パイドン」より
================================



「パイドン -魂の不死について」というタイトルに惹かれた。
魂は死なない。魂は不死である。
それはソクラテスが到った考えだし、ソクラテスを慕った人たちの考えでもある。



文明がどんなに変わろうとも、人間は人間。それは変わらない。
縄文時代でもギリシア時代でも、人間は人間だ。
<違うところ>は多く見出されるかもしれないけれど、<同じところ>も多く見出されるはず。






ソクラテスは、「哲学するとは対話するということ」と考えた。
「魂のある生きた言葉とは、真理を目指す哲学者同士の間で交わされる哲学的対話(ディアレクティケー)の中でのみ生まれる問いと答えの言葉である」と考えた(岩田 靖夫さんの訳者あとがきより)。


自分ひとりでもんもんと考えるのではなくて、誰か他者との交わりから否応なく生まれてくるもの。
それが哲学だ。
それは、日々の生活であり、日々の仕事であり、日々の人間関係。他者との関係性から生まれるありとあらゆる全て。


ソクラテスは、相手を見て、その相手に通じるように言い方や表現方法を変えた。
だから、本という形にすると、その対話の相手が見えない以上誤解が生まれる。
誤って伝わることは不本意なので、ソクラテスはあえて文書化しようとしなかった。
目の前にいる人との対話の中にこそ、意味を見出だした。

人との関係性は「対話」だし、自分の内面で起こることでさえ、自分の中での別の自分との「対話」だと思う。
湧き起こる感情やいろんなものも、自分との対話だ。






哲学の原義のフィロソフィー。
それは、知(ソフィー)を愛する(フィロ)という意味。
そんなに難しいことではない。簡単なことだ。
愛することは、素直にさえなれば誰にでもできる。


ソクラテスの問いはシンプルだ。
それは、「いかに生きるべきかの問い」であり、「どんな人が幸福であり、どんな人が不幸であるかを知ること」にあった。(『ゴルギアス』より)


具体的には、正義、節制、勇気、知恵、敬虔・・・・「徳」というものへの問いとなる。
なぜ道徳があるのか、なぜ人間には良心があるのか。そういう問いだ。シンプルだ。





ソクラテスは言う。
「自分自身の魂を配慮せよ」
プラトン『ゴルギアス』より



ソクラテスの簡潔で強い言葉は体の中にダイレクトに貫通してくる。


ソクラテスは毒杯をためらいなく飲んだ。
それは、「魂は死なない」ことを確信していたからだ。
肉体を持つ世界で、できる限りのことをやった。その上で、当時の法律という人工的なシステムの中で死刑を受けた。
肉体をもってやる仕事はすべて果たした。
そんな満足感と充実感があったのかもしれない。


魂は死なない。
だからこそ、肉体を持っているからこそできることを必死でやり続ける必要がある。
不自由な肉体をまとったこの世界の中で、できる限りの徳を積み、徳を果たさないといけない。
それは、良心があれば、素直に分かるはずだ。
そのことを「パイドン」の中で熱弁している。

だからこそ、いまこうして生きている時の一番大事な仕事は自分の魂の世話をすること。
================================
「もしも魂が不死であるならば、われわれが生と呼んでいるこの時間のためではなく、未来永劫のために、魂の世話をしなければならないのである。」
プラトン「パイドン」より
================================



自分もそう思う。
科学的思考がどうだとかそんな小難しい話ではなく、ソクラテスの対話、そしてプラトンの言葉から、素直にそう思い、素直にそう感じたのです。
プラトン「パイドン -魂の不死について」より、金言をご紹介します。
これ以上でもこれ以下でもないことを、自分は受け取りました。


================================
「神様は、快と苦が争っているのを和解させようと望まれたが、できなかったので、かれらの頭を一つに結び付けてしまわれた。
このために、一方がだれかのところへやって来ると、その後で他方もまたついてくるのである。」
================================
「哲学者は死を恐れない。死とは魂と肉体との分離であり、哲学者は魂そのものになること、すなわち、死ぬことの練習をしている者であるのだから。」
================================
「思考がもっとも見事に働く時は、これらの諸感覚のどんなものも、聴覚も、視覚も、苦痛も、なんらかの快楽も魂を悩ますことがなく、魂が、肉体に別れを告げてできるだけ自分自身になり、可能な限り肉体と交わらず接触もせずに、真実在を希求するときである。」
================================
「もしも我々がそもそも何かを純粋に知ろうとするならば、肉体から離れて、魂そのものによって事柄そのものを見なければならない。」
================================
「魂が自分自身だけで考察するときには、魂はかなたの世界へと、すなわち、純粋で、永遠で、不死で、同じように有るものの方へと、赴くのである。」
================================
「われわれはできるだけ自分自身の魂を肉体との交わりから浄め、魂自身になるように努めなければいけない。」
================================
「もしも、美そのもの以外になにか他のものが美しいとすれば、かの美そのものを分有するから美しいのであって、それ以外の他の原因によってではない。」
================================
「ただ、僕は美によってすべての美しいものは美しい、と主張するのである。」
================================
「すると、魂は、なんであれなにかを占拠すると、そのものに常に生をもたらすものとしてやって来るのだね。
それなら、先の議論から同意されたように、魂は、自分が常にもたらすもの(=生)とは反対のもの(=死)を、決して受け入れないのではないか。それなら、魂は不死なるものだ。」
================================
「もしも魂が不死であるならば、われわれが生と呼んでいるこの時間のためではなく、未来永劫のために、魂の世話をしなければならないのである。」
================================
「魂にとっては、できるだけ善くまた賢くなる以外には、悪からの他のいかなる逃亡の道も、また、自分自身の救済もありえないだろう。」
================================
「さて、こういうわけで、われわれは自分自身の魂について上機嫌で安心していなければならない。
・・・・
魂を異質の飾りによってではなく、魂自身の飾りによって、すなわち、節制、正義、勇気、自由、真理によって飾り、このようにして、運命がよぶときにはいつでも旅立つつもりで、ハデスへの旅を待っている者である限りは。(*ハデス=死者が行く場所)」
================================
「いいかね、善きクリトンよ、言葉を正しく使わないということはそれ自体として誤謬であるばかりではなくて、魂になにか害悪を及ぼすのだ。」
================================
プラトン「パイドン -魂の不死について」より