日常

全集への揺れる想い

2011-08-02 19:36:16 | 雑多
<全集への揺れる想い>というタイトルを聞くと、ZARDのBGMが流れてきそうです。


<1>:
集英社から、創刊85周年企画として「戦争×文学」という全20巻の壮大な本が出ますね。
これを本屋で見かけるたびに、<全集>という概念が頭をよぎるのです。


HPには美輪さんや立花隆さんから推薦の言葉が寄せられています。
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集英社のHPより
美輪明宏さん『生きた言葉で戦争を伝えたい』
「戦争はいけない」ということは子どもだってわかります。けれどそんな言葉を一万遍唱えたってなんの力も持ちません。
それよりも戦争の記憶が風化するなかで、戦争の実態を直接的に伝える必要があります。
戦争は、自分の大切な人やまわりにある大切なものをすべて殺し破壊していくということを想像する力を養っていかなければいけません。
日常で使う生きた言葉で戦争を伝えることが、いま求められているのです。
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立花隆さん『戦争の記憶の堀り起しをリードする』
学生たちと「デジタルミュージアム『戦争の記憶』」という大きなウェブサイトを立ち上げようとしている。
戦後六〇年余を経て、戦争体験者のほとんどが八〇代、九〇代になり、戦争体験をリアルに語れる人がこの世から消滅しようとしている。
生き残りの戦争体験者の声を少しでも集めようとしたのだが、やりだしてわかったことは、それがすでにほとんど不可能になりつつあるという現実だった。 
戦争の記憶の掘り起しに最も有効な手段は、戦争の同時代人たちが、文学、回想録、ルポルタージュ、ドキュメントなどの形で書き遺しておいてくれた活字資料なのだということを知った。
しかしそのほとんどが、いまでは入手困難となっており、図書館に行っても見つけることがむずかしかった。
それがこれほど大量に復刻されるというのは歴史的快挙といってよい。
去年夏ヨーロッパ各地をまわってきたが、向うでも戦争体験者が次々に亡くなっていく現実を前にして、社会をあげて戦争体験の掘り起し、語り直しがはじまっていた。
戦争の記憶が消えてしまったら、世界は歴史から何も学べなくなってしまう。
この全集はいままさに出るべくして出てきた全集といえる。
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神保町シアターでも、「戦争×文学」全集の特集企画の映画をやっています。

本屋に行ってちら見+ちら読みをするたびに、買おうかどうか迷います。

でも、今でも膨大に未読本が積読してあるし、この仕事の合間に戦争文学の世界にひたる時間的余裕が果たしてあるのか。
そんな自問自答の末、まだ購入していません。

床が抜けないようなゆとりある部屋で、ロッキングチェアーをくすらせながら過去を夢想するような年代になったら、買う時期が到来するのかもしれません。はたまた、神保町で全巻が中古で売っていたら、衝動的に買っちゃうのかもしれません。
そこは悩みどころ。


この世には本からの誘惑が多いです。
夜の歓楽街。そんな世界に縁もゆかりもない自分は、なるべく遠回りをしてイソイソと、目を伏せて目を合わせないように、近寄らないようにしている自分ですが、本の誘惑は別です。
むしろ、自分から週に1回は本屋に行きます。「飛んで火にいる夏の虫」状態。
古本屋へもなんとなく吸い込まれます。




<2>:
全集で思い出しました。

全集を買ったことないんですけど、いつも全集そのものには惹かれています。
「ああ、大きな書斎と広い部屋があったらなぁ」と。ため息とともに夢想します。

自分の欲求不満の出口のために書きならべてみよう。

「世界文学全集」河出書房新社 全30巻
→色がカラフルだし、集めて読みまくりたい衝動があります。つまみ食いで6冊くらいは買っているのです。
ほんとは全部集めて、並べて、背表紙の色の洪水におぼれたい。

■「世界の歴史」中公文庫 全30巻
→村上春樹さんが「世界の歴史全集を5-6回は読んだ。」とどこかで発現しているような、うっすらとした虚ろな記憶があります。自分もそれにあやかりたくて、読みたいという熱意はあるのです。でも、まだ1巻しか買ってない弱い自分が現実です。

「小林秀雄全集」新潮社 全14巻+別巻2
→明晰な思考がかっこよすぎます。文学、古典、美、神秘・・・いろんなものに分け隔てなく直線ビームで穴を貫通するような文章は明晰にして美しすぎます。
高校生の時、課題図書で「考えるヒント」を読まされましたけど、当時の自分はチンプンカンプンでした。
いまやっと小林秀雄の文章の美しさが分かるようになって、自分の成長を自覚しています。

■「安部公房全集 1924.03 - 1993.01」新潮社 全30巻+別巻2
→装丁がかっこよすぎ!!安部さん本人の写真が裏カバーにひそかに入ってたりしますし。
友人のMVROV君の自宅で見たときは、うらやましすぎて卒倒しそうでした。古本屋でも全巻コンプリートはまず見ませんね。目の保養がなかなか訪れません。

■「武満徹著作集」新潮社 全5巻
→武満徹さんの文章はコツコツ集めてはいるものの、まとまって読みたいという衝動もあります。武満さんは現代音楽家ですが、そのコトバ選びの美しさって言ったら、たまらないですよね。まさに音楽的な言語世界の美しさに魅了されています。(「武満徹対談選―仕事の夢 夢の仕事」(ちくま学芸文庫)はここに感想書いてます⇒『即興(improvisation)』(2010-11-09)

「ちくま日本文学(文庫版)」筑摩書房 全40巻
→理系の人間なので、元々は文学に疎かった高校時代。大学に入ってから、インテリなみなさんに囲まれ、文学の世界に目覚めてしまいました。そして、社会人になり仕事をはじめるとさらに人間を知りたくなり、この忙しい最中に文学への興味がさらに傾倒しています。まずは古典から。本棚がかさばるので文庫はうれしいですね。興味ある人の巻だけ少しずつ買ってます。

■「村上春樹全作品」講談社 全15巻
→<村上春樹全作品 1979~1989 全8巻セット>と<村上春樹全作品 1990~2000 全7巻セット>があるんです.
春樹さんの作品は、海外翻訳も含めてほぼ全部持っているはずですが、全集を改めて買うメリットとしては、
(1)箱がオシャレ感満載、(2)それぞれに春樹さん本人の解題がついているらしい!、(3)単なる自己満足、(4)神棚代わりにする
・・・・ というところでしょうか。
大型本屋で見かけるたびに後光が差して見えますので、いつも<買いたい><でも、買わない>という二つの心理世界を振り子のように往復しています。


■「河合隼雄著作集」岩波書店 全14巻+全11巻
→大大尊敬の河合隼雄先生。人として偉大すぎるお方。
著作集で最初に刊行された全14巻は重版未定。出版社になければ古本屋で買うしかない。第II期の全11巻はまだ新品で買えるみたいですね。河合先生の本は本棚の一角を占領するほど浴びるほど読みました。やっぱりファンとしては全集も買いたい。

■「柳田國男全集」筑摩書房 全33巻?
→日本人であるからには、柳田國男さんが集めた民俗学の文献はいろいろ読んでみたい。風習とか日本語とか・・・いろんなものに込められた果てしない記憶を感じさせてくれます。

「ベルクソン全集」白水社 全7巻+別1巻
→偉大な心理学者ベルクソン。小林秀雄が「全集なんて全部読んだことないけど、唯一読んだのがベルクソン全集だ」と言っていた(⇒『信ずることと考えること―講義・質疑応答 (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 2巻) 』の中の「ベルグソンの哲学」というところ)。それを聞いてから、ベルクソンという人間にかなりの興味が湧いています。竹内信夫さん個人の翻訳で、白水社から新訳ベルクソン全集が続刊中です。自分もちょこちょこ買い揃え中(値段が結構高いけどね)。第1巻「意識に直接与えられているものについての試論」、第2巻「物質と記憶 ― 身体と精神の関係についての試論」が出たところ。

■「ユングコレクション」人文書院 全9巻
→河合先生経由で知った心理学者ユング。ユングの文章はあまりにも無意識領域に近いので、意識水準がどんどん下がってきて眠くなるのですが、それでもちょこちょこ買い集めています。ほんとの意味での全集ではないんだと思うのですが、日本語で入手できるのはこのユングコレクションなので。いづれ買いたい。



・・・・・・・
とまあ、全集と言えば上の方々の全集を買いたいのです。
このことが脳の中をよぎるのはせいぜい3秒程度でしょう。
脳内イメージ現象を文字に起こすと、何十倍もの時間がかかるものです。


あとは、手塚治虫全集(講談社:全400冊!)も絶対欲しい。手塚ワールドに浸りたい。
ちなみに、個別では手塚作品はぜんぶ読んでるはずです。
 
ただ、今まさに、なのですが、手塚先生の生誕80周年記念として「手塚治虫文庫全集」【全200巻】が続々出てるんですよね。
はー欲しい。



とまあ。
なんとなく全集を妄想していたら、いつのまにかこんなにも長々と書き連ねてしまいました。

4 コメント

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Unknown (MVROV)
2011-08-03 13:57:18
安部全集は本当に素晴らしいですよ…自慢できる唯一の持ち物かもしれません。
自慢がてら、買った当時の日記を再掲。 http://mvrov.blog16.fc2.com/blog-entry-113.html

でも、なぜか買ったらそれだけで満足しちゃって意外と読まないんですよね~笑
文庫でも読めるものをあえて全集で買うというのは、読み目的というよりも所有欲(蔵書欲、とでも言うんでしょうか)が主に満たされている気がします。
全集は追いかけてくる (H.P.)
2011-08-03 17:40:40
次を読まなくてはと焦りがあるのか
全集の文章は、あまり躯に文章が入ってこず。
反対に、少しでも入ってきた作品があれば
ひたすら、その作品だけを繰り返し読んでしまう。
残りの作品が、早くこっちも読んでくれよと
言う。
読み始めるけれど、入ってこず。
このような迷宮を理解していても、装丁がだいたいどれもかっこいいから、欲しくなっちゃう
萌えた(燃えた) (Shin)
2011-08-03 21:32:23
このエントリを読んで、「世界の歴史」中公16巻を発注しました!

もともと同じく一巻だけ持っていて、長い時間がとれるときにいつか、いつかと言っているうちに今になってしまいました。
実際、今、退職していて2ヶ月もたったのに、すっかり忘れてこの本のことを思い出しました。

中公の世界の歴史は、高校のときに尊敬する先生に薦められて読まなきゃリストにいれてたのに、どうしてもボリュームに押されて(って、人類の有史にしたらすごいコンパクトなのに)のびのびになってました。

2008年に新板になったようですね。
旧版の評判もよいみたい。僕は昔は旧版を図書館でパラパラ読んでました。村上さんがインタビューで語っていたのも旧版のことですね。

ネットでちょいと検索したら、なんと旧版全部セットで6000円でした。。。
これから根無し草の生活なので、PDFにして海外持って行きます!

世界文学全集もほ・し・い。
みんなやっぱり全集に後ろ髪を惹かれるのね。 (いなば)
2011-08-03 22:30:47
>>MVROVくん
かなりむかし、自宅に遊びに行ったときに置いてあったの見たよ。
それこそ、ランディさんの仕事場に遊びに行った時も安部公房全集の中の数冊があって、「キャッホー、ホシイ!」と思ったものです。
眺めるだけで最高ですよね。山と同じように、登るもよし、眺めるもよし。そういうものです。

>>H.P.さん
おひさです。
たしかに、全集はそういう心理になりますね。
「こんなにいっぱい残ってる!急いで読まなきゃ。」
って感じで、速読とか読み終えることそのものが目的になっしまいがち。

自分がウンウンと悩んでいる中で、ここに書いた方々
小林秀雄、安部公房、武満徹、村上春樹、河合隼雄、柳田國男、ベルクソン、ユング・・(敬称、省略)だけは、なんとしてもいつか買いたいんですよねぇ。
現存する彼らの本を読みつくしたあとに、それでも何か息吹きを感じたいっていうところなのかもしれませんね。
とりあえず、もう少し広い部屋に住めるようにならないと、実際に買える気がしませんが・・



>>Shinくん。
「世界の歴史」中公、いいよねー。
旧版全部セットで6000円!!
そういうの聞くとほしくなるね。
神保町をブラブラしててそんなセット見たら衝動的に買うかもー。

歴史なんて、むかしは全く興味無かったけど、人間年を取ると変わるものですね。
なんとなく、知りたくなってきた。
春樹さんへの尊敬の念からも、そういうのは湧き起こる。
1Q84でも、チェーホフのサハリン島が出てきたり、ねじまき鳥でもノモンハンの戦争が出てきたり、春樹さんの中で縦横無尽に流れる世界史の流れを見ていると、自分も謙虚に学ばなきゃなーって素直に思いますよ。ほんと。
自分も、少しずつ読んでいきますー。