在イタリア、ソムリエワインノートとイタリア映画評論、他つれづれ appunti di degustazione

ソムリエ 20年、イタリアワインのテイスティングノートと、なぜか突然のイタリア映画評論、日本酒、日本茶、突然アートも

イタリア映画の紹介 Ricordi? 覚えてる?

2018-10-27 14:16:13 | 何故か突然イタリア映画
Ricordi? 覚えてる?
監督 Valerio Mieli ヴァレリオ・ミエーリ



あらすじは、おおよそ3行で完結する。

一目惚れの二人。
どちらも教えることを職業にしていることもあり惹かれるのか、彼は超ネクラ、彼女は正反対で、そのギャップに惹かれあうところがあったのか、すぐに一緒に暮らし始めて、しかし、やっぱりうまく行かず別れる。
最初は彼が彼女を探し、でも、もうあなたをもう愛していないわ。。。
今度は、彼女。やっぱり彼を忘れられない。。。
しかし、 彼は新しい彼女を結婚するところだった。

ストーリーだけだと、若干平凡すぎる内容だが、映像と音楽がとても綺麗で、全体に非常にロマンチックに仕上がっている。

哲学を勉強し、だいぶ遅れて映画界に入ったという変わった経歴の持ち主の監督の「ほぼ」処女作。

フィードバックとその反対(なんと言うのだろうか)の未来の予感と映像、つまり、映画の中の過去と現在と未来が頻繁に交錯する。

最初は、頻繁に映像が変わるというか、ストーリーの合間に頻繁にイメージが入るのでちょっと疲れるが、そういうものだと思って見だすと、逆に楽しみにもなる。

超ネクラ、良い思い出は一つもない、と言い張る彼は、「ジグロボ」Lo chimavano Jeeg Robot の悪役が印象的なルカ・マリネッリが演じている。ぴったり。
監督曰く、最初から意識していて、また、今では超忙しい彼だが、台本を読んで、喜んで受けてくれたとのこと。

彼女は、オーディションをかなりやって探し、もう一人、彼の過去に出てくる女性役とどちらをどちらがやるか考えたそう。
悪い思い出は一つもない、と言う正反対の性格の彼女(ただし、かなり隠れネクラっぽい)、今時のイタリア女性にしてはとても優しく清純な感じで、よく演じている。

音楽は、主にクラシックをイメージに合わせてとてもうまく使い、印象的。
気がつくと、あれ、誰の曲だっけ?と考えている自分に気づいたり。

男性にはちょっと甘ったるいかもしれないが、女性、特に、あの人ダメなんだけど好きなのよね〜と思っている人がいたら、ぜひ見てみると良いと思う。
別れて正解〜
と思うか、
えー、いいとこあるじゃない、頑張って追いかけて〜
と思うか、
そういう中に、自分の恋の答えが見いだせるかもしれない。

なお、公開は来年に入ってからだそうで、ポスターはまだない。

Palazzone; i vini 'atti a divenire' これからワインになるワインの試飲会

2018-10-27 12:30:07 | Marche, Umbriaマルケ、ウンブリア
Atto a divenire



少し前だが、ウンブリアはオルヴィエートのワイナリーPalazzone主催の、変わった趣向の夕食、試飲会に参加した。

パラッツォーネは、友人のパオロがオーナーと非常に故意にしていて、お呼びがかかり、ローマからオルヴィエートまでの1時間ちょっとの道のりを、夕食の時間に合わせて車でトコトコ。

夕食後、ローマまで帰って来ないといけないので、一応控えて飲むとはいえ、日本では絶対にできない。

さて、変わった趣向というのは、パラッツォーネのオーナー、ジョヴァンニ氏が、昨年だか、友人と話をしていて話題に出たのを実現したのだそうだが、 これからワインになるワインの試飲。(なんじゃこっちゃ)
つまり、まだどのワインになるか、名称が決まっていないワインの試飲。



ワインは、食事のお皿に合わせて5種。
ースプマンテ・メトド・クラシコで、現在熟成中
ーこれからどうなるかわからない白ワイン
ー現在熟成中の白ワイン
ーこれからどうなるかわからない赤ワイン
ー発酵中の白ワイン



各ワインは、まだ濁りが残っていたり、糖分が感じられたり、色がまるでフルーツジュースだったり、酸味がピリッと来るのもあり、軽め、まだシンプルにフルーティさが突出していたり、とても面白かった。

ワイナリーを訪問すると、タンクからちょっと試飲させてくれることはよくあるが、ちょっと飲んですぐに捨ててしまう。
だから、 こうやってテーブルについて、食事と一緒に「真面目」に飲んだのは初めて。

食事も大変美味しく大満足。

そして、食後、ジョヴァンニ氏と数人で、開けてくれたバルバレスコを飲む。
アルビーノ・ロッカの2011年。

あーローマまで帰るのが面倒〜ここに泊まりたい〜(それは素敵な宿泊所も経営)
の夜だった。





バルバレスコの美しい色


イタリア映画の紹介 Sulla mia pelle  ステファノ・クッキの最後の7日間

2018-10-22 13:59:53 | 何故か突然イタリア映画
Sulla mia pelle ステファノ・クッキの最後の7日間
監督 Alessio Cremonini アレッシオ・クレモニーニ




若干複雑な心境である。

暴力はいけない。
特にそれが、武力を保持している警察によるものであったらなおさらである。

しかし、暴力を煽る、ということもないわけではないような気もする。
もちろん、暴力はいけない、ということには変わらないが。

今年のゴールデン・グローブ上映会は、イラリア・クッキ女史の記者会見から始まった。
綺麗な真っ赤なワインピースで現れたのには、若干びっくり。
正直、もう少し地味な服装でくると、勝手にではあるが、思っていたからである。

イラリア・クッキは、弟が警察による暴力で亡くなり、暴力行為を警察側がもみ消し、否定し続けたため(最近になってやっと告白した)、真実を暴くこと、そして、警察による暴力をなくすことに力を注いでいる今でも話題の人。

あれはいつからだろうか。
弟の死の顔写真をポスター大にして、このような暴力を受けて弟が亡くなった、と、世間に警察による暴力を知らしめた。
最初に見た時には、かなりギョッとした。
目の周りが紫に晴れ、どう見ても暴力を受けて亡くなったとしか思えない、結構衝撃的な写真だったからである。

あれから何年たったのか。
弟の死からは9年だそうだ。

映画は、彼女の弟、ステファノ(31歳)の最後の7日間を描いたもの。

ステファノは、ドラッグをやっていて、派手な密売はやっていなかったのかもしれないが、捕まった当時、ハシシを20g他、所有していた。
コカインではなくハシシ、それも20gは少なくない量である。

警察には偶然捕まったようだが、ドラッグを所有していたため警察に連行され、取り締まりの際に数人の警察に暴力を受けた。
それから6日目、警察病院に入院してからは4日目、に亡くなった。

背骨は2箇所の骨折、打撲多数、膀胱に障害を受け、栄養失調も含め、警察病院に入院して4日目の明け方に、ひっそりと息を引き取ったらしい。

台本は、10000ページにも及ぶ裁判の記録(7年に及び、45回以上、証言者は120人になるそう)を読んで作った、というので、クッキファミリー以外、インタヴューをしたわけではないとのこと。

裁判の記録に基づいているということなので、ほぼ正確なのだろとは思うが、意外なことにステファノは治療をかなり拒否している。
暴力も、階段から落ちた、と訴えている。
これは、暴力を加えた警察にそう言うように言われたのかもしれないと思う。
が、そんなわけないだろう、と言われても、階段から落ちただけだよ、と返している。
そして、自分の弁護士を呼んでくれ、との一点張り。
食事は、食べられなかったこともあるのだろうが、特に最初は、自ら拒否している姿勢も見られる。
頑なな姿勢を絶対に崩さず、とても丁寧で礼儀正しく見えるのだが、こういう姿勢が暴力を生んだのかもしれない、とも思えるふしもあるし、治療の必要があるのが明らかとはいえ、ここまで拒否されると、医師でも、強引に持っていくことを諦めてしまうのかもしれない。

しかし、ドラッグをやっていなかったらこの死はなかっただろうし、それも、もう少し軽めのドラッグなら、そして、頑なに拒否せず治療を受け入れていれば、または少しでも食べていれば、と、もし・・・ばかりになってはしまうのだが、このような死を迎えることは避けられたような気がするのだが。

話題の事件なだけに、映画の世間の反響は大きく、すでに160都市での上映が決まっているそうで、日本でも上映されるかもしれない。

タイトルは「私の肌に」というような意味で、何も知らないと、まるでロマンチッック映画並みのタイトルなのだが、それよりは、はっきりと「ステファノ・クッキ、ある青年の最後の7日間」とでもした方がしっくりいくような気がする。

暴力はいけない。
この事件では、警察による証拠のもみ消しがあったのもいけない。
しかし、それよりも前に、少年、青年たちがドラッグに傾いて行かない世の中を作って欲しいと願う。
私個人は、その方が重要な気がしたのである。