在イタリア、ソムリエワインノートとイタリア映画評論、他つれづれ appunti di degustazione

ソムリエ 20年、イタリアワインのテイスティングノートと、なぜか突然のイタリア映画評論、日本酒、日本茶、突然アートも

Né Giulietta né Romeo di Veronica Pivetti イタリア映画 ジュリエットでもなくロミオでもなく

2015-12-04 19:12:58 | 何故か突然イタリア映画
Né Giulietta né Romeo ジュリエットでもなくロミオでもなく
監督 ヴェロニカ・ピヴェッティ



上映会に行く前に映画のあらすじは見ておく。特に登場人物の名前(一般的ではない名前も結構多い)、役柄の関係、役者の顔(日本人がみんな同じに見えるように、金髪がいっぱいなど、似ている役者が出ていると困る。。。)などはできるだけ頭に入れていく。
その際My Movieのサイトを参考にするが、あらすじを含む評価が出ている。今回の映画は、ある意味失敗作、ただし次作に期待、とあったので、逆に見る前から注目してしまった。

監督は有名コメディ女優のヴェロニカ・ピヴェッティで、主役もこなしている。彼女の初の監督作品。
離婚した夫婦(元妻はジャーナリスト、元夫は有名な精神科医で超女好き)の間には高校生の「カワイイ」一人息子ロッコがいる。
ロッコは1年前から幼馴染のマリアと「がんばって」いるのだが、どうしても今ひとつ最後まで達せない。今では実はゲイ、女の子より男の子の方に感じてしまう、ということをすでに自覚している。
クラスに転校生がやってくる。彼はゲイで、ゲイということで大将的存在のカッコイイクラスメートにいじめられるのだが、ロッコは彼に惹かれる。
最初はそれとなく、そして、ついにはゲイであることを母親に打ち明けてしまう。当然のごとく母親は動揺。
父親も動揺しないわけではないが、それより妊娠したばかりの彼女の方が重要。彼女はロッコのクラスの英語の先生。
ミラノで大好きなロックコンサートがあるというので、家出同然、マリアともう一人の友人マウリと3人で、なけなしのお金を叩いてミラノへ逃避行。
それを知った母親は、母親と一緒に(つまりおばあちゃん)ミラノまで追いかける。
おばあちゃんはヤク(と言っても初心者向けのもの)をやってぐでんぐでんになったり、かなりハチェメチャの場面もある。

若干くどい場面が惜しかったが、セリフは所々でかなり面白かった。テンポは早く、結構爆笑場面があった。ピヴェッティはさすがベテラン女優で、演技がうまい。
しかし、評論にもあるように一番の問題は、「革新的なジャーナリスト」との役なのに、ゲイに対して全くの寛容が見られないこと。確かに他人と息子では話が違うということなのだろうが、ストーリーの中でほとんど誰もゲイに対して寛容ではないのが気になった。

それと、息子がゲイ、母親動揺、ということを中心に取り上げたいのか、年頃の若者の家出騒動を取り上げたいのか、そのあたりの比重が似ていて、中心となる本題が分かり辛かった。
しかし、これも若干くどかったとはいえ、おばあちゃんがスパイスを加えるような感じで良いし、個人的にはちょっと太っちょ、優しい友人マウリの存在に好感を持った。

なお、上映会後の会見で、監督のピヴェッティ、まあ話すわ話すわ、饒舌、ユーモア溢れ、とても感じがいい。
今回はシナリオ作者の女性も同伴だったが、まず、シナリオがあり、その際の主役を彼女に想定していて、ピヴェッティ自身ずっと監督をやってみたいという希望があり、念願叶って実現したという。ただし、そこまでに要した期間は7年。
もちろん、シナリオ変更箇所はたくさんあり、もう少し過激な場面もあったそうだが、役者の多くがが17才前後の未成年なので、カットせざるをえなかった場面もあったとのこと。

タイトルは、ストーリーの中で元夫が出した最初のベストセラー本のタイトル、ということで結びつけているのだが、これはピヴェッティの発案のタイトルだそう。
つまり、ロミオもジュリエットも異性が好き、そうでない人も少なからずいて、実際に結論が出るまで模索することもあろう、その過程はロミオでもなくジュリエットでもなく。気に入っているタイトルなのだけど、タイトルも良くないのよって言われちゃったわ~と。

監督と女優とどちらの方が好きかという質問には、間髪おかず監督との答え。
いろいろな多くの人とのつながりがあって、その結晶として一つの作品ができることが醍醐味だとのこと。
役者業は止められない、と聞くが、監督業は始めたらさらにやめられないものかもしれない。
次作に期待。

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