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聖武天皇母藤原宮子佐保山西陵

2007年11月21日 | 天皇・皇后陵

聖武天皇母藤原宮子佐保山西陵

 聖武天皇生母藤原宮子后宮墓は、万葉集にも詠われた史跡「黒髪山」にあります。 この辺一帯は佐保山地区古墳群と云われ、聖武天皇縁の御仁の陵が多く点在しています。 藤原宮子が眠る佐保山西陵はもともと黒髪山の西に位置していましたが奈良ドリームランドの開発により破壊されたようで、現在では「黒髪山」にその痕跡があります。 祠に納まったお地蔵さんの右隣が史跡「大黒芝」、佐保山西陵七ツ石、聖武天皇生母藤原宮子后宮墓稜石、中央に「石母」、右に「黒住大明神」、左に「豊國大明神」の大きな石碑が建っています。更にその右隣が、朱色の鳥居が12本建った「黒髪山稲荷神社」です。(撮影:クロウ)

 

 

烏玉の 黒髪山の山草に 小雨降しき しくしく思ゆ 万葉集巻11-2456

 文武皇后藤原宮子姫(不比等女)の御陵なり、延喜式に列す。聖武陵の西北|大黒芝と称する地蓋其火葬所にして又山陵ならん。〔陵墓一隅抄〕今稲荷山とも呼び、七疋狐又犬石と呼ぶ、隼人像石四個陵上に置かる、雍良峰陵の条を参考すべし。那富山墓は聖武天皇の皇子基親王の葬所とす、近く南陵の西北に在り。(陵墓一隅抄)按に那富山は奈保山直山に同じ、即元明元正と其陵号を一にす、古へより佐保山奈保山又椎山は差別なかりしにや、不審。 椎岡墓は藤原不比等の墓なり延喜式に見ゆ。眉間寺の西に在り佐保山西陵と相并ぶ、〔陵墓一隅抄京華要誌〕椎は楢と同訓なり。隅山墓は藤原房前の墓にて、今杉山と号し老松三株雑樹茂生す、椎岡同所なり、隅山墓類聚国史に見ゆ。〔県名勝志〕 

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