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出雲王朝3-須佐之男命の業績・オロチ退治

2017年06月24日 | 記紀創世紀

 古事記において建速須佐之男命の一番の業績はヤマタノオロチ退治である。この話はあまりにも有名であり、当ブログでも詳細を紹介してきたのでここでは書かない。建速須佐之男命がオロチ退治をしたのは出雲の鳥髪山の近くである。そして天叢雲剣を得たのは御代神社付近だという。それは現在の木次の地、オロチの遺跡が多く残る。オロチの住居は天ガ淵、大蛇公園、オロチに飲ませる酒を作った石甕がある亀石谷 、天叢雲剣が出現した場所という尾留大明神跡、などである。出雲風土記では、オロチのことを越の八口として出てくる。建速須佐之男命は越の豪族の支配から開放し、樹木を青々とさせた。建速須佐之男命はアシナヅチとテナヅチの子クシナダヒメを娶りヤシマジヌミを生み、この子孫が出雲王朝の主となった。アシナヅチの父はオオヤマツミというが、ニニギの妻・木花之佐久夜毘売の父・大山津見神とは別の神である。

木次の地にある八俣大蛇公園にて

 建速須佐之男命は宮殿を造るための土地を探すために出雲を歩き回った。そして見つけたのは須賀の地(現在の須賀神社)である。出雲の須賀の地に宮殿を造り、日本最初の和歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」を作った。日本初の和歌である。須賀神社の近くには熊野神社という出雲の一之宮がある。上之宮には伊邪那美命、下宮には天照大御神、建速須佐之男命が祀られている。ここ熊野神社に祀られている国造家は、元々出雲東部の意宇郡に根を張った一族で、出雲臣の祖は淤宇宿禰であった。だから出雲の国庁も意宇郡に置かれている。熊野から北に5kmくらいのところにある八重垣神社にも建速須佐之男命夫婦は住んだ。ここはオロチ退治のときに、クシナダヒメを隠した地であり、宝物殿には古事記に語られる世界を描いた画が残されている。また宮司はクシナダヒメの子・アオハタサクサヒコの子孫にあたるという。そして建速須佐之男命が晩年に過ごしたところが須佐神社である。

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さくら@沖縄・世界遺産 玉陵

2017年06月24日 | 彩木里紗 齋藤このみ 山部さくら 桜田美里

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