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3式戦闘機・「飛燕」@神戸ポートターミナル 川重120年記念

2016年10月23日 | 太平洋戦争

 3式戦闘機・「飛燕」が神戸ポートターミナルにて公開されると聞いて行ってきた。川崎飛行機・土井武夫氏の開発による飛燕は、1943年に正式採用量産された。土井武夫氏は、三菱が開発したゼロ式艦上戦闘機を開発した堀越二郎氏と同期である。さて、この飛燕、日本にはこの機以外には無い。展示の2型改試作17号機は、敗戦後次々と廃棄・破壊されていく中で、米軍横田基地にて保存展示されたことから生き残った。1953年、日本に返還された後は各地のイベントで展示されたため、部品の損失・機体の損傷が相次ぎ、米軍による修復が行われ1986年から知覧特攻平和会館で展示されてきた。今回飛燕の生まれ故郷である川重の岐阜工場にて修復を実施完了し、展示に至ったものである。

 

 1945年3月9日-10日の東京大空襲では、330機以上の爆撃機B-29が高度2000mという超低空飛行によって38万発、総重量2000トンの爆弾を投下したことで東京はわずか1日にして焦土と化した。では何故このような攻撃を許さざるを得なかったのか。それは日本が完全に制空権を失っていたからである。1944年以前の防空航空部隊は海軍航空隊と陸軍航空隊に分かれており、相互協力関係はなく、1944年以降は日本本土防空戦で実質的な敗北を喫してしまった。海軍では零戦の後継機開発が後手に回り、零戦を使い続けなければならなかった。零戦は艦上戦闘機であり、高高度戦闘性能は低かった。一方米軍の爆撃機B-29戦の主要飛行高度は約1万mである。零戦がその高度まで到達するのは不可能であり、戦闘機能は無いに等しかった。迎撃戦闘機の雷電・紫電・紫電改は、9,000m以上の高高度には達したものの、B-29の主要高度1万mには及ばない。

B29に空対空特攻を実施した三式戦闘機・飛燕

 一方、本土防空の責任を担った陸軍航空隊が、隼の後継機として開発した迎撃機が鍾馗、屠龍、疾風と並ぶ飛燕である。B-29に対抗できるほどの十分な高高度性能は持っておらずに苦戦を強いられたのであるが・・・。ではB-29とはどのような性能を持っていたのかというと、1万mの高高度を約500Km/hの速度で飛行可能で、対戦闘機用にほぼ死角なく機関銃を配置し、乗員の安全に最大限の配慮を行った設計であった。高高度性能に乏しく、レーダーや誘導システムもなく、日本の航空部隊は防空指揮系統や連携訓練などが出来ておらず、各部隊が個別に散発的に戦闘を行っていたのだから戦果が得られないのもあたりまえである。そして、昭和20年3月の硫黄島陥落後は、B-29にはアメリカ軍の戦闘機P-51ムスタングの護衛が付くようになり、もはや太刀打ちができない状態となっていった。一方、一万m以上の高高度を飛ぶB-29に対抗できる高射砲が東京、大阪、神戸などに配備されたが、絶対的な数量不足で対抗不能であったといえる。

 空対空特攻隊はB29の本土空襲を防ぐ防空戦闘隊の要となり、東京防空にあたる244戦隊が全員特攻に徹したといわれるように、通常の戦闘機隊も体当たり攻撃を実施するようになっていく。1945年2月までは幾分かの迎撃・特攻成果を上げたが、2月25日以降は爆撃戦術の主体を夜間爆撃に変更してきことにより特攻の成果はほとんどなくなった。また、3月26日の硫黄島陥落により、B29の絶好の中継地点となり、第7航空軍のP51戦闘機が昼間爆撃するB29の護衛として活躍するようになる。このようにして昼間精密爆撃が4月7日より再開され、4500mの高度でP51ムスタングに護衛されたB29はわずかな損失のみで陸軍戦闘機を撃墜、中島飛行機武蔵工場は度重なる空襲でとうとう壊滅した。最新鋭戦闘機P51の登場はB29の昼間爆撃を可能にしただけではなく、本土防空戦における日本軍戦闘機隊の終焉の始まりとなった。5月に入るとB29は日本上空を思うがまま飛び回り、6月26日の飛燕に搭乗した中川少尉によるB29への特攻を最後に空対空特攻は終結した。

空気抵抗を軽減した液冷エンジン と 高高度性能を達成した過給機

 対戦闘機戦闘には不向きであった飛燕の設計者は川崎飛行機・土井武夫、唯一の国産液冷エンジンを搭載、1943年6月に正式採用されるとニューギニア戦線で活躍するがやがて液冷エンジンの生産が困難にあると1945年2月には空冷エンジンに変更となった。ほとんど故障がなかった海軍の零戦に比べて飛燕は故障が多く、一度出撃すると50%以上が故障のためにメンテを必要とした。そのような状況ではあったが高高度性能に優れていたためB29迎撃機となったが、実際には有効な迎撃はできなかった。飛燕がB29の高高度10000mに到達するのに1時間かかる。一方調布・伊豆大島にしかない警戒レーダによりB29が感知されてから東京上空へ侵入するのに50分であるから、実際にはB29は何の迎撃も受けずに高高度爆撃を開始することができた。それでもふらふらになりながら高高度特攻を試みた飛燕は少なからずB29に損害を与え、パイロットの多くは落下傘による生還を果たしているという。

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