何故人を殺してはいけないのか・・
死刑廃止論 | Trackbacks(6) | Comments(37)
鍵コメでこんな質問が来てましたので・・一部を抜粋してご紹介・・
お玉おばさんは、なぜ人は人を殺してはいけないと思うのですか?
「そんなの当たり前」と思われるかもしれません。
でも当たり前のことにも必ず理由があると思います。
ぜひ、「人を殺してはいけない理由」を教えてください。
よろしくお願いします。
二年前に実は書いております。
これまた、その一部を抜粋、編集して紹介します・・
お玉ブログライブドア版2006年8月31日 人を殺してはいけない理由
なぜ人を殺してはいけないのか、理由はいろいろ考えられますね。
命というのは何よりも尊いから、
殺されるその人を愛する人たちが悲しむから
法律で決まっているから、
殺すと刑務所に入らなくてはいけないから・・・
でも、お玉が「なぜ人を殺してはいけないのですか?」と聞かれたら間違えなくこう答えます。
「ダメだからダメ、理由なんか、何もない。絶対にしてはいけないことに理由なんて、無いんだよ。」
なぜ、お玉がそう答えるのか、お教えしましょうか。
それはね、
「人を殺してはダメな理由」がある様に
「人を殺しても良い理由」だって、山ほど考えることが出来るからです。
人には殺してはダメな理由が100あれば、殺していい理由だって、100は見つかるのです。理由が無ければ人を殺してもいいの?もしくは理由があれば人を殺してもいいの?いずれにしても答えはNOです。
理由があろうと無かろうと人を殺しては絶対にダメなのです。
[2008/06/20 19:25] 死刑廃止論 | Trackbacks(6) | Comments(37)
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判らない、と書きましょう
説明になっていません。
あなたは本当の理由をしらないのですから、知ったかぶりするのは他の人のためによくないと思います。
判らないのであれば、判らない、の一言でよいのです。
私はその理由を理解していますが、お伝えするわけにはいきません。
これは自分で獲得するものです。
[2008/06/20 21:11] URL | 考えた人 [ 編集 ] TOP ▲
考えた人さんへ。
東西は、お玉さんが本当の理由をわかっていないとは思えませんね。むしろ、本当の理由を浮き彫りにしている論理展開をしている。つまり、殺す理由も、生かす理由も多様にある、無限にある。これは、すべて人間の観念、思いだから多様だし、無限にある。その自由はもちろんある。だから、思いを理由にしていては平行線となる。では、何を理由にすればいいか?こうした問題提起、論理展開をしているということは、ほとんど正解を知っているといってもいいと思いますよ。最後にこう述べていますよ。
「理由があろうと無かろうと人を殺しては絶対にダメなのです。」
理由があろうがなかろうが、人は生きる存在だということではないですか?死んだ存在なら物体です。人は生まれてきたわけです。そして、生き抜く。人が人を死なす、殺す自由など存在しない。人は共に生きていくから人なんじゃないですか?自然ですよ。自然。そこに人がいるから、共に生きるのあって、理由などない。ということじゃないですかね?
[2008/06/20 22:25] URL | 東西南北 [ 編集 ] TOP ▲
お玉おばさんこんばんは、初めまして!
何故人を殺してはならないのか、私も時々気になるテーマです。
正直私も人を殺してはいけない理由は
わからないです。
野生動物の管理に関する勉強をしている身ですが、
どうして「動物は簡単に殺すのに人はダメ」なのか感情的にも理屈としてもわからないですね。
「ダメなものはダメ」といってもやはり納得は難しいです。
でも間引きなどを間近で見てきた経験をするうちに、
「好きで殺していいほど命は軽いものではない」とも思うようになりました。
なので好きで殺しをする人の感覚は分かりません。
これは理屈というよりも感覚ですけどね(苦笑)
個人的には食べる為に動物を絞め殺すとか、そういう経験がないと
殺すことを嫌がる感覚はわかないものかもしれないと思います。
しがない学生の戯言でしたが、失礼なことをしていたら申し訳ないです(汗
これからもがんばってくださいね。
また観に来ます!
[2008/06/20 23:33] URL | シロユリ [ 編集 ] TOP ▲
シロユリさんへ。
動植物と人類の生命を同視することは事実無根ですよ。例えば、チンパンジーの雌雄は子孫を繁栄できますが、チンパンジーと人類は子孫の繁栄は不可能です。他方、白人、黒人、黄色人では子孫の繁栄ができますから同一種ですね。これが科学的な事実です。
大自然の中でチンパンジーはチンパンジーらしく生きていく戦略を持っていますし、人間は人類らしく生きていく戦略を持っています。最大に注意せねばならない非科学はチンパンジーなどの人類ではない動植物の生態を人類社会へ直接に適用する社会ダーウィニズム、優生思想などです。
人間は一人では生きていけない。人間は人類として共に生きて、共に働く存在です。にもかかわらず、殺し合い、死なしあい、戦争、死刑、中絶、失業などの社会問題が発生しています。何故か?こうした問題意識を持って社会にある殺し合い、死なしあい、失業などの人権侵害の原因を究明する学問が社会科学です。ところが、「心の時代」などといって戦争、死刑、殺し合い、死なしあい、失業などの人権侵害の原因をすべて人間の心へ帰結させ、社会の仕組みにある構造的な原因から目を背けさせる「人文科学」というものもあります。もちろん、社会科学と結合した人文科学は必要でしょうが、人権侵害、社会問題の原因をすべて個人の心に帰結させる人文科学は非科学と言えるでしょう。こうした点も踏まえて有意義な学生生活を送ることをお勧めします。
[2008/06/21 00:06] URL | 東西南北 [ 編集 ] TOP ▲
東西南北さんへ
東西南北さん、色々教えてくださってありがとうございます。
社会科学や人文科学に関する話は久しぶりに聞いたのでとても勉強になりました。
ただ同種なら殺してはダメで他種なら良いというのはわからないです。
お互い様で生きている、というのは同種他種関係ありませんし、「他種だから良い」と人にとって簡単に割り切れる問題なら環境倫理(動物倫理)や動物福祉などは誕生しないはずです。
もっとも人間以外の種のルールを人間社会に適応することは根拠がないし危険。というのは同感です。
近頃「(人間社会で)弱肉強食は自然の摂理」なんて簡単に言う人が多いので、特にそう思います。
話が少しそれてしましました(汗
個人的には感情ぬきで「人を殺してはいけない理由」を語るのは難しいと思いますが、
強いて語るなら・・・。
「人殺しが悪いことではない」という価値観が広まってしまうと、
最終的にはすべての人間にとって生存が危ういものなってしまう。
だから、問答無用で「人殺しはダメ」ということにする必要がある。」
と、なります。
やはりどうしてもプラグマティックなものになってしまいます。
プラグマティックがいけないわけではありませんが(汗
ただ身内・仲間をなによりも大切にする人には通じないかもしれません。
難しいですね。
[2008/06/21 16:13] URL | シロユリ [ 編集 ] TOP ▲
ご立腹の様子
素直でないですね。
私は別にぜんぜんかまいませんが、あなたの、思考と行動が少し短絡しているところを拝見し、分からないことは深く考えてみることが大切である、とお伝えしようと思い、コメントいたしました。。
真剣に考えつづけると、長くかかるかもしれませんが、きっかけを得て理解の手がかりを得ることがあります。
価値観を変え違った視点でものごとを考えるために、たとえば周りの環境をすべて変えてみる。
これを本当に実行するには、大変勇気のいることですが、たとえばこんなことをすると、深い問題が少し見えてくる場合もあります。
この大変良い問いかけは、何もしないで、本も読まず、世界も見ず、キーボードに向かった勢いで、多数の人に回答してみる、というものではないですよ。
なぜ人を殺してはいけないの?
毎日牛や豚、鶏を人に殺してもらい(自分では絞めたくありませんよね)食べますが、どうして人間だけはだめなの。
食べ物を食べてしまったとき、涙が止まらなくなったこと、無いでしょうね。
政治と少し離れてしまったようで申し訳ありませんが、本来、政治にまさしくかかわらなければならないことです。
答えを得るためには、そこにたどり着く過程が大切です。そしてのその答えは揺るがず、大げさに言えば人生を導くことにもなると思います。自分で獲得すれば本当に自分のものになります。「教えてあげない」などと言うものではありません。
ご立腹とは、やはり短絡しておられるようです。通りすがりですのでこれにて。
[2008/06/22 00:32] URL | 考えた人 [ 編集 ] TOP ▲
シロユリさんへ。
お返事ありがとうございます。どうやら、シロユリさんは、視野の広い賢い人のようですね。そんな印象を受けました。
シロユリさんの回答である「殺し合いを正しいものとすると人類が全滅する。ゆえに、殺し合いは誤りである」というのは、その通りだと思います。では、人類が地球上から消滅してはならないのは何故?という問題になります。ここが本質だと考えます。先にも述べましたが、生きる物だから生き物であり、死んだ物であれば物体です。生き物の本質である生きることを否定するとどうなるか?地球上から生命体を消滅させることになります。つまり、生きる物から生命を奪うということは生き物であることを否定することになります。ゆえに、生きる物から生命を奪う行為は誤りとなります。
では、生きているのは人類だけではなくて、他の動植物も生きている。にもかかかわらずに、人類は他の動植物の生命を断絶しながら「生きている」のはどう説明するか?この点、シロユリさんが「お互い様で生きている、というのは同種他種関係ありませんし、「他種だから良い」と人にとって簡単に割り切れる問題なら環境倫理(動物倫理)や動物福祉などは誕生しないはずです」と述べています。まず、お互い様で生きているのは同種多種に無関係とのことですが、それはまさに、それぞれの種族が大自然の中で進化し生きていく戦略を持って、それぞれが生きているということです。ここで他の動植物の戦略を人類に直接に適用することの非科学性は述べました。では、人類が他種の動植物の生命を奪って生きているのは何故でしょうか?まず、挙げることができるのは食物連鎖です。それぞれの種族の生物は食物連鎖の法則の中で生きています。つまり、人類は人類らしく生きる戦略として食物連鎖の法則に中で生きているわけだし、他の種族の生物も食物連鎖の法則の中で生きる戦略を持って生きています。生きる平等です。
どの種族の生物も自分たちの種族が大自然で生き残ること。これが生物種の本質となります。人類は人類らしく自然界の中で生き残る。他生物も大自然の中で自分たちの種族が生き残る戦略を持って生きている。だから、人類は胸を張って他生物と同じように大自然の中で生き残っていく戦略を堂々と行えばいい、と考えます。人類の戦略とは何か?それは科学でしょう。動物実験などについてもこの見地からでしか説明ができません。ペット、動物虐待の問題もあります。
[2008/06/22 02:54] URL | 東西南北 [ 編集 ] TOP ▲
どうも初めまして。ちょっと生物・生態系を学んだ人間として見過ごせなかったので東西南北さんに一言。
>生き物の本質である生きることを否定するとどうなるか?(略)生きる物から生命を奪うということは生き物であることを否定することになります。ゆえに、生きる物から生命を奪う行為は誤りとなります。
生物の本質は生きる事・・まぁ確かにそう思えますけど、実際は死ぬ事が本質でもあります(微生物や癌細胞は別、長くなるので専門的説明は省きます)。
余談ですが
今の技術ではまだ無理ですけど、人間(生物)から寿命をなくす事は理論的には可能ですんで(70年以内に実現可能って言ってる学者さんもいます)。
この場合終身刑というのは永遠に牢獄で生きろって事ですねぇ・・・。
話戻しますけど、貴方の論方に従えばほぼ全ての生物は実際には自ら自分が生き物である事を否定しているって言えてしまう。つまり
>生きる物から生命を奪う行為は誤りとなります。
は逆の結論が導かれる訳です。
倫理的な議論に生物学の話持ち込むのは気が引けたんですけど。ただ変な生物の本質を主張の根拠の一部にする事に異議があったので。
[2008/06/23 00:38] URL | tuta [ 編集 ] TOP ▲
tutaさん
>生物の本質は生きる事・・まぁ確かにそう思えますけど、実際は死ぬ事が本質でもあります(微生物や癌細胞は別、長くなるので専門的説明は省きます)。
同意します。
少しは分子生物学を学び、生物と無生物は連続的で、明確な区別なんかない事を知っている者には、「生物の生の意味は科学的にこうだ」とか言われるのは大変違和感があります。植物や菌類なんかも、その考察には入っているのかな?と疑問に思います。また、食物連鎖に関する記述にも同意できません。
>倫理的な議論に生物学の話持ち込むのは気が引けたんですけど。ただ変な生物の本質を主張の根拠の一部にする事に異議があったので。
はい、私も異議がありましたが、あまりにもエントリー違いなので、敢えてスルーしていましたし、今回も具体的は指摘は避けます。
東西南北さんも、エントリー違いですから、tutaさんや私への反論はご遠慮いただけるとありがたいです。
[2008/06/23 09:55] URL | Looper [ 編集 ] TOP ▲
東西南北さん
今書かれたコメントを表に出す事はしません。反論がお有りならばご自身のブログに書いてTB下さい。Looperさんもおっしゃるとおり、エントリー違いです。
その論点で議論する気はお玉には全くありません。
[2008/06/23 17:04] URL | お玉おばさん [ 編集 ] TOP ▲
死刑廃止論 | Trackbacks(6) | Comments(37)
鍵コメでこんな質問が来てましたので・・一部を抜粋してご紹介・・
お玉おばさんは、なぜ人は人を殺してはいけないと思うのですか?
「そんなの当たり前」と思われるかもしれません。
でも当たり前のことにも必ず理由があると思います。
ぜひ、「人を殺してはいけない理由」を教えてください。
よろしくお願いします。
二年前に実は書いております。
これまた、その一部を抜粋、編集して紹介します・・
お玉ブログライブドア版2006年8月31日 人を殺してはいけない理由
なぜ人を殺してはいけないのか、理由はいろいろ考えられますね。
命というのは何よりも尊いから、
殺されるその人を愛する人たちが悲しむから
法律で決まっているから、
殺すと刑務所に入らなくてはいけないから・・・
でも、お玉が「なぜ人を殺してはいけないのですか?」と聞かれたら間違えなくこう答えます。
「ダメだからダメ、理由なんか、何もない。絶対にしてはいけないことに理由なんて、無いんだよ。」
なぜ、お玉がそう答えるのか、お教えしましょうか。
それはね、
「人を殺してはダメな理由」がある様に
「人を殺しても良い理由」だって、山ほど考えることが出来るからです。
人には殺してはダメな理由が100あれば、殺していい理由だって、100は見つかるのです。理由が無ければ人を殺してもいいの?もしくは理由があれば人を殺してもいいの?いずれにしても答えはNOです。
理由があろうと無かろうと人を殺しては絶対にダメなのです。
[2008/06/20 19:25] 死刑廃止論 | Trackbacks(6) | Comments(37)
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判らない、と書きましょう
説明になっていません。
あなたは本当の理由をしらないのですから、知ったかぶりするのは他の人のためによくないと思います。
判らないのであれば、判らない、の一言でよいのです。
私はその理由を理解していますが、お伝えするわけにはいきません。
これは自分で獲得するものです。
[2008/06/20 21:11] URL | 考えた人 [ 編集 ] TOP ▲
考えた人さんへ。
東西は、お玉さんが本当の理由をわかっていないとは思えませんね。むしろ、本当の理由を浮き彫りにしている論理展開をしている。つまり、殺す理由も、生かす理由も多様にある、無限にある。これは、すべて人間の観念、思いだから多様だし、無限にある。その自由はもちろんある。だから、思いを理由にしていては平行線となる。では、何を理由にすればいいか?こうした問題提起、論理展開をしているということは、ほとんど正解を知っているといってもいいと思いますよ。最後にこう述べていますよ。
「理由があろうと無かろうと人を殺しては絶対にダメなのです。」
理由があろうがなかろうが、人は生きる存在だということではないですか?死んだ存在なら物体です。人は生まれてきたわけです。そして、生き抜く。人が人を死なす、殺す自由など存在しない。人は共に生きていくから人なんじゃないですか?自然ですよ。自然。そこに人がいるから、共に生きるのあって、理由などない。ということじゃないですかね?
[2008/06/20 22:25] URL | 東西南北 [ 編集 ] TOP ▲
お玉おばさんこんばんは、初めまして!
何故人を殺してはならないのか、私も時々気になるテーマです。
正直私も人を殺してはいけない理由は
わからないです。
野生動物の管理に関する勉強をしている身ですが、
どうして「動物は簡単に殺すのに人はダメ」なのか感情的にも理屈としてもわからないですね。
「ダメなものはダメ」といってもやはり納得は難しいです。
でも間引きなどを間近で見てきた経験をするうちに、
「好きで殺していいほど命は軽いものではない」とも思うようになりました。
なので好きで殺しをする人の感覚は分かりません。
これは理屈というよりも感覚ですけどね(苦笑)
個人的には食べる為に動物を絞め殺すとか、そういう経験がないと
殺すことを嫌がる感覚はわかないものかもしれないと思います。
しがない学生の戯言でしたが、失礼なことをしていたら申し訳ないです(汗
これからもがんばってくださいね。
また観に来ます!
[2008/06/20 23:33] URL | シロユリ [ 編集 ] TOP ▲
シロユリさんへ。
動植物と人類の生命を同視することは事実無根ですよ。例えば、チンパンジーの雌雄は子孫を繁栄できますが、チンパンジーと人類は子孫の繁栄は不可能です。他方、白人、黒人、黄色人では子孫の繁栄ができますから同一種ですね。これが科学的な事実です。
大自然の中でチンパンジーはチンパンジーらしく生きていく戦略を持っていますし、人間は人類らしく生きていく戦略を持っています。最大に注意せねばならない非科学はチンパンジーなどの人類ではない動植物の生態を人類社会へ直接に適用する社会ダーウィニズム、優生思想などです。
人間は一人では生きていけない。人間は人類として共に生きて、共に働く存在です。にもかかわらず、殺し合い、死なしあい、戦争、死刑、中絶、失業などの社会問題が発生しています。何故か?こうした問題意識を持って社会にある殺し合い、死なしあい、失業などの人権侵害の原因を究明する学問が社会科学です。ところが、「心の時代」などといって戦争、死刑、殺し合い、死なしあい、失業などの人権侵害の原因をすべて人間の心へ帰結させ、社会の仕組みにある構造的な原因から目を背けさせる「人文科学」というものもあります。もちろん、社会科学と結合した人文科学は必要でしょうが、人権侵害、社会問題の原因をすべて個人の心に帰結させる人文科学は非科学と言えるでしょう。こうした点も踏まえて有意義な学生生活を送ることをお勧めします。
[2008/06/21 00:06] URL | 東西南北 [ 編集 ] TOP ▲
東西南北さんへ
東西南北さん、色々教えてくださってありがとうございます。
社会科学や人文科学に関する話は久しぶりに聞いたのでとても勉強になりました。
ただ同種なら殺してはダメで他種なら良いというのはわからないです。
お互い様で生きている、というのは同種他種関係ありませんし、「他種だから良い」と人にとって簡単に割り切れる問題なら環境倫理(動物倫理)や動物福祉などは誕生しないはずです。
もっとも人間以外の種のルールを人間社会に適応することは根拠がないし危険。というのは同感です。
近頃「(人間社会で)弱肉強食は自然の摂理」なんて簡単に言う人が多いので、特にそう思います。
話が少しそれてしましました(汗
個人的には感情ぬきで「人を殺してはいけない理由」を語るのは難しいと思いますが、
強いて語るなら・・・。
「人殺しが悪いことではない」という価値観が広まってしまうと、
最終的にはすべての人間にとって生存が危ういものなってしまう。
だから、問答無用で「人殺しはダメ」ということにする必要がある。」
と、なります。
やはりどうしてもプラグマティックなものになってしまいます。
プラグマティックがいけないわけではありませんが(汗
ただ身内・仲間をなによりも大切にする人には通じないかもしれません。
難しいですね。
[2008/06/21 16:13] URL | シロユリ [ 編集 ] TOP ▲
ご立腹の様子
素直でないですね。
私は別にぜんぜんかまいませんが、あなたの、思考と行動が少し短絡しているところを拝見し、分からないことは深く考えてみることが大切である、とお伝えしようと思い、コメントいたしました。。
真剣に考えつづけると、長くかかるかもしれませんが、きっかけを得て理解の手がかりを得ることがあります。
価値観を変え違った視点でものごとを考えるために、たとえば周りの環境をすべて変えてみる。
これを本当に実行するには、大変勇気のいることですが、たとえばこんなことをすると、深い問題が少し見えてくる場合もあります。
この大変良い問いかけは、何もしないで、本も読まず、世界も見ず、キーボードに向かった勢いで、多数の人に回答してみる、というものではないですよ。
なぜ人を殺してはいけないの?
毎日牛や豚、鶏を人に殺してもらい(自分では絞めたくありませんよね)食べますが、どうして人間だけはだめなの。
食べ物を食べてしまったとき、涙が止まらなくなったこと、無いでしょうね。
政治と少し離れてしまったようで申し訳ありませんが、本来、政治にまさしくかかわらなければならないことです。
答えを得るためには、そこにたどり着く過程が大切です。そしてのその答えは揺るがず、大げさに言えば人生を導くことにもなると思います。自分で獲得すれば本当に自分のものになります。「教えてあげない」などと言うものではありません。
ご立腹とは、やはり短絡しておられるようです。通りすがりですのでこれにて。
[2008/06/22 00:32] URL | 考えた人 [ 編集 ] TOP ▲
シロユリさんへ。
お返事ありがとうございます。どうやら、シロユリさんは、視野の広い賢い人のようですね。そんな印象を受けました。
シロユリさんの回答である「殺し合いを正しいものとすると人類が全滅する。ゆえに、殺し合いは誤りである」というのは、その通りだと思います。では、人類が地球上から消滅してはならないのは何故?という問題になります。ここが本質だと考えます。先にも述べましたが、生きる物だから生き物であり、死んだ物であれば物体です。生き物の本質である生きることを否定するとどうなるか?地球上から生命体を消滅させることになります。つまり、生きる物から生命を奪うということは生き物であることを否定することになります。ゆえに、生きる物から生命を奪う行為は誤りとなります。
では、生きているのは人類だけではなくて、他の動植物も生きている。にもかかかわらずに、人類は他の動植物の生命を断絶しながら「生きている」のはどう説明するか?この点、シロユリさんが「お互い様で生きている、というのは同種他種関係ありませんし、「他種だから良い」と人にとって簡単に割り切れる問題なら環境倫理(動物倫理)や動物福祉などは誕生しないはずです」と述べています。まず、お互い様で生きているのは同種多種に無関係とのことですが、それはまさに、それぞれの種族が大自然の中で進化し生きていく戦略を持って、それぞれが生きているということです。ここで他の動植物の戦略を人類に直接に適用することの非科学性は述べました。では、人類が他種の動植物の生命を奪って生きているのは何故でしょうか?まず、挙げることができるのは食物連鎖です。それぞれの種族の生物は食物連鎖の法則の中で生きています。つまり、人類は人類らしく生きる戦略として食物連鎖の法則に中で生きているわけだし、他の種族の生物も食物連鎖の法則の中で生きる戦略を持って生きています。生きる平等です。
どの種族の生物も自分たちの種族が大自然で生き残ること。これが生物種の本質となります。人類は人類らしく自然界の中で生き残る。他生物も大自然の中で自分たちの種族が生き残る戦略を持って生きている。だから、人類は胸を張って他生物と同じように大自然の中で生き残っていく戦略を堂々と行えばいい、と考えます。人類の戦略とは何か?それは科学でしょう。動物実験などについてもこの見地からでしか説明ができません。ペット、動物虐待の問題もあります。
[2008/06/22 02:54] URL | 東西南北 [ 編集 ] TOP ▲
どうも初めまして。ちょっと生物・生態系を学んだ人間として見過ごせなかったので東西南北さんに一言。
>生き物の本質である生きることを否定するとどうなるか?(略)生きる物から生命を奪うということは生き物であることを否定することになります。ゆえに、生きる物から生命を奪う行為は誤りとなります。
生物の本質は生きる事・・まぁ確かにそう思えますけど、実際は死ぬ事が本質でもあります(微生物や癌細胞は別、長くなるので専門的説明は省きます)。
余談ですが
今の技術ではまだ無理ですけど、人間(生物)から寿命をなくす事は理論的には可能ですんで(70年以内に実現可能って言ってる学者さんもいます)。
この場合終身刑というのは永遠に牢獄で生きろって事ですねぇ・・・。
話戻しますけど、貴方の論方に従えばほぼ全ての生物は実際には自ら自分が生き物である事を否定しているって言えてしまう。つまり
>生きる物から生命を奪う行為は誤りとなります。
は逆の結論が導かれる訳です。
倫理的な議論に生物学の話持ち込むのは気が引けたんですけど。ただ変な生物の本質を主張の根拠の一部にする事に異議があったので。
[2008/06/23 00:38] URL | tuta [ 編集 ] TOP ▲
tutaさん
>生物の本質は生きる事・・まぁ確かにそう思えますけど、実際は死ぬ事が本質でもあります(微生物や癌細胞は別、長くなるので専門的説明は省きます)。
同意します。
少しは分子生物学を学び、生物と無生物は連続的で、明確な区別なんかない事を知っている者には、「生物の生の意味は科学的にこうだ」とか言われるのは大変違和感があります。植物や菌類なんかも、その考察には入っているのかな?と疑問に思います。また、食物連鎖に関する記述にも同意できません。
>倫理的な議論に生物学の話持ち込むのは気が引けたんですけど。ただ変な生物の本質を主張の根拠の一部にする事に異議があったので。
はい、私も異議がありましたが、あまりにもエントリー違いなので、敢えてスルーしていましたし、今回も具体的は指摘は避けます。
東西南北さんも、エントリー違いですから、tutaさんや私への反論はご遠慮いただけるとありがたいです。
[2008/06/23 09:55] URL | Looper [ 編集 ] TOP ▲
東西南北さん
今書かれたコメントを表に出す事はしません。反論がお有りならばご自身のブログに書いてTB下さい。Looperさんもおっしゃるとおり、エントリー違いです。
その論点で議論する気はお玉には全くありません。
[2008/06/23 17:04] URL | お玉おばさん [ 編集 ] TOP ▲
まず、生物の本質は生きることです。死ぬことが生物の本質であれば、生まれなければいいわけです。物体と同じですね。つまり、生物は個体として生まれてきて生きるわけです。そして、子孫を残して固体は死にますが、種としては生きているわけです。この連続が生物進化です。
死は生物の本質ではなく、個体の寿命と子孫繁栄=生物進化、種の保存が本質だということです。
次に、東西は死刑執行であれば執行停止で議論が最優先ということです。そして、死刑を廃止できるのであれば終身刑の方が人命を「緊急的」に保護できるわけで賛成ですが、それは死刑よりは終身刑ということです。東西としては終身刑も教育刑からすれば矛盾のある刑罰だと考えますから、釈放基準を国民的に議論し、定めた上での無期懲役刑がよい、と考えます。
最後に、倫理の問題は自然科学、社会科学を根拠として決定しなければ、単なる「社会合意」論となってしまいます。これは国民合意があれば、死刑執行もやむを得ないということになってしまい極めて危険です。非科学的な倫理観ではなく、科学的な倫理観こそ必要だということは、上の記事でも述べました。すなわち、社会科学と人文科学の区別と関係です。
Looperさんへ。
まず、物体、生命体、その中間的な存在。という3つが現在はありますね?それだけのことであって、物体と生命体の本質上の区別が存在しないということではありません。物体と生命体の区別は生きているか、生きていないか?これしかありません。これは専門知識のレベルの問題ではありません。
これと似た問題で脳死問題があります。生と死の問題ですね?ポイント・オブ・ノーリターンがどの時点で決まるか?ということです。これについても、生と死の区別は明瞭にあるわけです。しかし、生から死に向かう「長引く過程」が存在している。この期間を生とするか?死とするか?の問題です。この点、死と断定できない以上、生であるとすることが妥当ではないでしょうか?生きていたとしたら殺人罪となるわけです。ま、冤罪防止策と同じようなものです。疑わしきは脳死者の利益にってことですね。
最後に、倫理学は「心の問題」ということなんでしょうが、それは社会科学、自然科学を前提とするものでなければ、非科学ではないでしょうか?心の問題とした場合、心の集合である社会合意があれば、自然科学、社会科学を打ち破る行動をとってもよいという全体主義の倫理学が成立してしまいます。このような「行き過ぎた」「心の特権化」を掣肘し、規制することは科学的な倫理学の課題です。
しかし実行せずに来れたのは、多分、まぐれだと思いますよ。
でも、作務さんは、そんな社会環境の貧しさを自分自身の人間としての貧しさにしないで、主権者として自主独立して自制し、生きてきた。ここに人間の人間たる所以がある。人間を抑圧する社会環境と対峙して、これを人間らしく変革していく運動こそ本当の心ある人間だということでしょうね。でも、一人一人の人間の心は弱いから、社会環境の重圧に耐え切れずに、暴発し、流転した人生を実現して犯罪者などが生まれてしまう。これが秋葉原の無差別殺人などの凶悪犯罪の実態でしょう。
心の教育という場合に、犯罪を実現した人間の心の弱さを叩きに叩いても、社会環境に人間を抑圧し、潰し、犯罪に追い込む原因がある限り、同様の犯罪は繰り返します。
こうして、どんな生き方をしなければならないか?人間を抑圧する社会環境をどんな方法で変革していくか?という自主独立、積極性、能動性にこそ人間らしさは現れるんだと思います。自分が社会環境に対して、どんな態度をとっているか?これが決定的ですね。物知り、解釈ではなくて、自分が社会環境に対してどんな方法でどんな態度をとっているか?ここに人間らしさの本質があるのではないでしょうか?
追記:作務さんが「まぐれ」で生命を哀れむ感情、人殺しを哀れみ、憎む感情を持って生きているのは、まさしく、作務さんが人間であることの証明ですね。その人間らしい感情を理路整然と言葉にして体系化したものが哲学、科学です。
生物学から死刑否定は導けないって事だけ理解してもらえれば私としては十分なんですけども。
まあ、強いて言えば死刑肯定なら導けないこともないけど・・・。生物学から導いてもそれは社会的に正しいとは言えないし、別に私は生物学を以って死刑肯定する気もさらさらないので。
ま、そうですね。同意しますが、生物学、物理学まで視野に入れて、総合的、体系的な科学観の中に社会科学と人文科学を位置付けることは必要な「教養」じゃないですかね?そう思います。
ともあれ、生物学の生態を人類に直接適用する優生思想などの非科学性は上の記事でも述べていますから、合意点だと思っています。
死刑廃止を根拠づける場合に、人類は一人では生きていけないで、共に生きていく社会的な存在であるから、殺し合い、人命断絶は誤りである。これで十分ですね。冤罪による死刑執行についても結局は、人命断絶は「取り返しがつかない」ということが根拠であり、冤罪自体が死刑廃止の根拠ではないですからね。
ちなみに、東西は生物の個別知識はゼロです。笑。
ただし、生物の本質は「死」であるというのは完全にありえない超自然な思考であり、宗教だと思います。
これは生まれていくこと、生きること、種を保存し、種として進化すること、と否定するものですから、科学の対極という意味で真逆の結論ですね。ま、宗教でしょう。
後は宗教と科学って何が違うのか学ぶ事をお勧めします。それがわかれば「人文科学」という表現は普通使わなくなりますし。
死についてわからないのであれば知識ゼロとの事ですし、御自分で必要な教養と仰っておられるので学ぶのがよろしいでしょう。分子生物や遺伝学、その辺がキーです。
学んだ上でまだ宗教と区別がつかないのであれば私に聞いてください。
人文科学という言葉についてですが、なるほど、社会科学という言葉があれば十分です。社会科学はいわゆる「人文科学」を含んでいますからね。それを敢えて「人文科学」を独立させる所に「人文科学」の非科学性がある。しかし、人文科学の中には人間の精神構造を対象とする点では、超人類とまではいえない場合がある。もちろん、人間の精神構造は超自然、超人類のことまで思想し、それを実践に移すことがある。この意味で、人文科学とは非科学であると同時に、宗教であると言える。
死が生物の本質というのは、個体が子孫を繁栄し、個体が死を迎えるということであり、生物の種は連続して自然界で生きていくのが生物の本質ではないですか?
個体が必ず死ぬから生物の本質は「死」だというのは、生物が生まれてきて、生きていることを否定するものであり、死というものが生物界に存在する以上、宗教とは言い過ぎたかもしれませんが、完全に非科学だとは言えますよ?生物の本質は物体と比較すれば明らかだし、生物の本質は完全に生きること、種を保存すること、進化することですよ。
人命軽視、生命軽視の風潮が蔓延する中で、死ぬことが生命体の本質だとか、人類の本質だとか言動する意味がまったくわかりません。どんな意味がありますか?
彼との議論を続けると、普通の方は頭痛くなるだけですので。
ここの他のコメント欄や、くろねこさんとこやぶさよでぃっくさんのとこで判断されると良く解ります。
なんせ彼は、共産党支持者と言いつつ、今では反共のアイドルと化してますから。
それから古典研究の限界射程も踏まえてください。