麻生首相 所信表明
暮らし破壊 責任棚上げ
異例、野党への質問連発
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麻生太郎首相は二十九日、衆参本会議で、自身の基本政策を示す所信表明演説をおこないました。首相は、「日本は強く、明るくなければならない」と精神論を前面に押し出しながら、深刻な日本経済や国民の暮らしに対する打開策はすべて抽象論に終始。随所で民主党をはじめ野党への質問・批判を繰り返す異例の演説となりました。
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首相は、自ら「全治三年」と位置づける深刻な日本経済の行き詰まりについて、「三段階を踏んで臨む」と強調。当面は景気対策に取り組むとしながら、「経済成長なくして財政再建はない」「改革による成長を追い求める」と述べ、貧困と格差を広げた「構造改革」路線を無反省に引き継ぐ決意を表明しました。一方、消費税問題では、選挙を意識して持論の増税政策にはふれませんでした。
暮らしの問題では、社会保障や雇用問題などに言及。後期高齢者医療制度については、「制度をなくしても解決しない」と継続を断言しました。雇用対策では、労働者派遣制度の見直しにふれましたが、具体的な中身は何も示しませんでした。
外交面では、「日米同盟の強化。これが常に第一だ」と述べ、異常なアメリカ追随ぶりを表明。新テロ特措法にもとづく自衛隊によるアフガニスタン戦争支援の延長についても、「活動から手を引く選択はありえない」と述べ、継続への執念をみせました。
首相は、演説に先立って、突然の政権交代で「迷惑をおかけした」と述べるとともに、中山成彬前国交相の発言について「閣僚としてまことに不適切」と「おわび」を表明しました。
「重症」に陥らせた 反省も打開策もなし
志位委員長が感想
日本共産党の志位和夫委員長は二十九日、麻生太郎首相の所信表明演説に対する感想を記者団に問われ、「『日本経済は全治三年』というが、いったい誰が暮らしと経済をそんな『重症』に陥らせたのか、どうすれば打開できるのか、という言葉が何もなかった」と述べました。
志位氏は、後期高齢者医療制度、「働く貧困層」、「食の安全」と農業など、国民が解決を求める課題が山積みであることを指摘。「(麻生首相は)国民に『この言葉よ、届け』といったが、生活に苦しむ国民に響く言葉は何もなかった」と厳しく批判しました。
また、麻生首相が所信表明演説の中で、野党に対する質問を繰り返したことについて、「所信表明では、総理大臣としての所信を内政、外交についてきちんと述べるべきであって、特定の野党に質問する場ではない」と指摘。「野党側が答弁の場も与えられていないところで質問を一方的にやれば、国会の基本的なルールが壊れる」と述べました。
麻生首相所信表明をきいて
真の楽観主義とはなにか
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「日本は、明るく、強くあれ」「子どもたちの未来に夢を」「私は悲観しない」「責任と実行力ある政治を行うことを、国民の皆様に誓う」…
二十九日の所信表明演説で臆面(おくめん)もなく「楽観論」をふりまく麻生太郎首相の姿を見ていて、ある既視感に襲われました。
「美名」の末路は
一昨年の九月。就任早々の安倍晋三元首相も同じ壇上から「美しい国、日本」「活力に満ちた国」と叫び、貧困にあえぐ国民にたいし、バラ色の未来を描きました。
しかし、「美名」のスローガンの末路は哀れでした。安倍氏は、戦後民主主義の否定と改憲への道を突き進んだ結果、就任からわずか一年で政権を投げ出したのです。
今回、麻生首相は、「暮らしの不安」に言及しました。いわく、「国民の暮らしから不安を取り除き、強く、明るい日本を」と。しかし、そこには、なぜ国民が未曽有の不安を抱くにいたったかの認識はまったく示されませんでした。まるで不安が自然現象で生まれたかのようです。そこから出された対策に、まったく具体性がないのは当然でした。
多くの働く若者がモノのように使い捨てにされ、未来を奪われる日本。戦争と復興の時代を必死に生き抜いたお年寄りが、七十五歳の年齢を重ねただけで、社会から「隔離」されたかのような屈辱を強いられる日本。米国にいわれるまま、憲法をふみにじり自衛隊を海外派兵し、戦争に加担する日本。この深刻な現実に正面から向き合う姿勢があれば、安易な楽観主義など生まれようがありません。
自公政治がつくりだした「構造改革」路線による貧困にあえぐ国民が、その責任にまるで人ごとのような演説を聞いて何を感じるでしょう。麻生首相は、そのことに対する最低限の想像力さえ持ち合わせていないのではないか。そう思わざるを得ません。
首相が首相なら、それを取り巻く与党も与党でした。麻生首相の演説に対し、与党席からは随所で盛んな拍手と歓声が起こりました。
自らの政治悪に対する自覚も反省もなく開き直る。その姿勢が与党全体を覆っていることに、自民党政治の退廃の極みを見た思いがしました。
解決方向の展望
真の楽観主義とは、目の前にある困難に真摯(しんし)に向き合い、問題の根源に迫り、徹底して分析し、そのうえで解決の方向を展望することによってのみ、生まれてくるのではないか。大企業中心、アメリカいいなりという「二つの政治悪」に正面から立ち向かう日本共産党の改革論の展望こそ、真の楽観主義を生み出すのではないか―。その思いを強くしました。(小泉大介)
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「御名御璽」と「臣茂」
「国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽(ぎょめいぎょじ)をいただき、第九十二代内閣総理大臣に就任いたしました」。麻生太郎首相の初の所信表明演説は、この時代錯誤の一言ではじまりました。
「かしこくも」とは「恐れ多くも」というへりくだった言い方、「御名御璽」とは公文書に記される天皇の署名と公印のことです。主権在民の憲法のもとでは、形式的な意味しかもちません。
麻生首相は、国権の最高機関による指名と「御名御璽」を同列において、あたかも天皇による任命であるかのようにいったのです。天皇が首相の任免権までもった明治憲法下のような感覚です。
続けて「百十八年になんなんとする、憲政の大河」「新総理の任命を、憲法上の手続きにのっとって続けてきた統治の伝統」などと演説した首相。天皇絶対の時代と現代の区別がまったくつかないようです。
首相の祖父・吉田茂首相は一九五二年、現天皇の立太子礼(皇太子就任の式)の際、「臣茂」と書いて激しい批判をあびました。主権在民をわきまえないで、いつまで天皇の臣下でいるのかと。麻生首相は、その祖父の感覚のままなのか。
そういえば、国連憲章にもとづく平和の秩序が求められている時代に、「日米同盟の強化」を「常に第一」とし、国連との「優先劣後」を明確にした国際感覚も、軍事同盟全盛だった祖父の時代そのままかと思わせます。(藤)
主張
麻生首相演説
党略ばかりで国民目線がない
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麻生太郎首相の、就任後初の所信表明演説を聞きました。
前任者の福田康夫首相が政権を投げ出したことへのまともな反省も、行き詰まった政治をどう立て直すかの打開策もありません。所信表明演説といいながら、総選挙を意識し、民主党への質問を繰り返す異常なものです。“強く、明るく”などというだけで、国民の切実な声にまじめに取り組む姿勢も、国民が求める対策もありません。文字通り、党略ばかりで、国民の目線がありません。
反省も、具体策もなく
首相は冒頭、「演説に先立ち」として、福田首相の政権投げ出しによる「政治空白」や、「ごね得」発言などで中山成彬前国交相が辞任に追い込まれたことについて一言だけふれました。しかしそれは、事前に配布された原稿にはなく、あわてて付け加えたものです。首相がほんとうに反省しているのか、誠意を疑わせるものです。
首相の演説でとりわけ重大なのは、国民の「安心実現」や「暮らしの安心」の言葉はあっても、加速する不況や燃油価格の高騰、「食の安全」など、国民の切実な声に向き合い、こたえていく真剣さが感じられなかったことです。
政府の調査でも、六割近い国民が「生活が苦しい」とこたえています。政権発足にあたって各マスメディアの世論調査で麻生内閣の支持率は歴代内閣に比べて低い水準にとどまっていますが、その調査でも新内閣に取り組んでほしい政策は、「景気対策」「年金対策」「食品安全対策」「高齢者医療」などが上位を占めます。
首相は「実に忌むべきものは、不安であります」などといいますが、大切なのは、国民に不安をもたらしている原因は何か、どうしたら取り除けるのかを考えることです。原因にメスを入れず対策も示さないで、不安を持つなというだけでは、まるで不安を持つほうが悪いといわんばかりです。
多少ふれている対策も国民の求めるものとは程遠いものばかりです。首相は「改革を通じて経済成長を実現する」といいます。しかし、国民が批判しているのは、小泉純一郎政権以来の「構造改革」路線が生活を悪化させ、貧困と格差を拡大し、景気を悪化させていることです。
首相は七十五歳以上の老人を差別する「後期高齢者医療制度」についても、「この制度をなくせば解決するものではない」と、存続させる意向を鮮明にしました。汚染米問題でも、首相は企業や行政を批判するだけで、必要のないコメを輸入してきた自民党農政の責任には、一言の言及もありません。
争点明らかにし解散を
首相は、戦前いらい五十九人目の首相であることなどをあげ、「統治の伝統」に連なることを強調しました。首相が初出馬のさい、「下々の皆さん」と演説したエピソードは有名ですが、所信表明にも国民を支配の対象としか見ない目線がつらぬかれています。
所信表明演説の中身は、首相が外交問題で「日米同盟の強化」を繰り返したこととあわせ、これまでの政治を転換する意思がないことを浮き彫りにしています。
大企業本位・アメリカいいなりの政治の中身を根本から切り替えるため、国会論戦で争点を浮き彫りにし、解散・総選挙で国民の審判を突きつけることが不可欠です。
(出所:日本共産党HP 2008年9月30日(火)「しんぶん赤旗」)
暮らし破壊 責任棚上げ
異例、野党への質問連発
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麻生太郎首相は二十九日、衆参本会議で、自身の基本政策を示す所信表明演説をおこないました。首相は、「日本は強く、明るくなければならない」と精神論を前面に押し出しながら、深刻な日本経済や国民の暮らしに対する打開策はすべて抽象論に終始。随所で民主党をはじめ野党への質問・批判を繰り返す異例の演説となりました。
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首相は、自ら「全治三年」と位置づける深刻な日本経済の行き詰まりについて、「三段階を踏んで臨む」と強調。当面は景気対策に取り組むとしながら、「経済成長なくして財政再建はない」「改革による成長を追い求める」と述べ、貧困と格差を広げた「構造改革」路線を無反省に引き継ぐ決意を表明しました。一方、消費税問題では、選挙を意識して持論の増税政策にはふれませんでした。
暮らしの問題では、社会保障や雇用問題などに言及。後期高齢者医療制度については、「制度をなくしても解決しない」と継続を断言しました。雇用対策では、労働者派遣制度の見直しにふれましたが、具体的な中身は何も示しませんでした。
外交面では、「日米同盟の強化。これが常に第一だ」と述べ、異常なアメリカ追随ぶりを表明。新テロ特措法にもとづく自衛隊によるアフガニスタン戦争支援の延長についても、「活動から手を引く選択はありえない」と述べ、継続への執念をみせました。
首相は、演説に先立って、突然の政権交代で「迷惑をおかけした」と述べるとともに、中山成彬前国交相の発言について「閣僚としてまことに不適切」と「おわび」を表明しました。
「重症」に陥らせた 反省も打開策もなし
志位委員長が感想
日本共産党の志位和夫委員長は二十九日、麻生太郎首相の所信表明演説に対する感想を記者団に問われ、「『日本経済は全治三年』というが、いったい誰が暮らしと経済をそんな『重症』に陥らせたのか、どうすれば打開できるのか、という言葉が何もなかった」と述べました。
志位氏は、後期高齢者医療制度、「働く貧困層」、「食の安全」と農業など、国民が解決を求める課題が山積みであることを指摘。「(麻生首相は)国民に『この言葉よ、届け』といったが、生活に苦しむ国民に響く言葉は何もなかった」と厳しく批判しました。
また、麻生首相が所信表明演説の中で、野党に対する質問を繰り返したことについて、「所信表明では、総理大臣としての所信を内政、外交についてきちんと述べるべきであって、特定の野党に質問する場ではない」と指摘。「野党側が答弁の場も与えられていないところで質問を一方的にやれば、国会の基本的なルールが壊れる」と述べました。
麻生首相所信表明をきいて
真の楽観主義とはなにか
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「日本は、明るく、強くあれ」「子どもたちの未来に夢を」「私は悲観しない」「責任と実行力ある政治を行うことを、国民の皆様に誓う」…
二十九日の所信表明演説で臆面(おくめん)もなく「楽観論」をふりまく麻生太郎首相の姿を見ていて、ある既視感に襲われました。
「美名」の末路は
一昨年の九月。就任早々の安倍晋三元首相も同じ壇上から「美しい国、日本」「活力に満ちた国」と叫び、貧困にあえぐ国民にたいし、バラ色の未来を描きました。
しかし、「美名」のスローガンの末路は哀れでした。安倍氏は、戦後民主主義の否定と改憲への道を突き進んだ結果、就任からわずか一年で政権を投げ出したのです。
今回、麻生首相は、「暮らしの不安」に言及しました。いわく、「国民の暮らしから不安を取り除き、強く、明るい日本を」と。しかし、そこには、なぜ国民が未曽有の不安を抱くにいたったかの認識はまったく示されませんでした。まるで不安が自然現象で生まれたかのようです。そこから出された対策に、まったく具体性がないのは当然でした。
多くの働く若者がモノのように使い捨てにされ、未来を奪われる日本。戦争と復興の時代を必死に生き抜いたお年寄りが、七十五歳の年齢を重ねただけで、社会から「隔離」されたかのような屈辱を強いられる日本。米国にいわれるまま、憲法をふみにじり自衛隊を海外派兵し、戦争に加担する日本。この深刻な現実に正面から向き合う姿勢があれば、安易な楽観主義など生まれようがありません。
自公政治がつくりだした「構造改革」路線による貧困にあえぐ国民が、その責任にまるで人ごとのような演説を聞いて何を感じるでしょう。麻生首相は、そのことに対する最低限の想像力さえ持ち合わせていないのではないか。そう思わざるを得ません。
首相が首相なら、それを取り巻く与党も与党でした。麻生首相の演説に対し、与党席からは随所で盛んな拍手と歓声が起こりました。
自らの政治悪に対する自覚も反省もなく開き直る。その姿勢が与党全体を覆っていることに、自民党政治の退廃の極みを見た思いがしました。
解決方向の展望
真の楽観主義とは、目の前にある困難に真摯(しんし)に向き合い、問題の根源に迫り、徹底して分析し、そのうえで解決の方向を展望することによってのみ、生まれてくるのではないか。大企業中心、アメリカいいなりという「二つの政治悪」に正面から立ち向かう日本共産党の改革論の展望こそ、真の楽観主義を生み出すのではないか―。その思いを強くしました。(小泉大介)
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「御名御璽」と「臣茂」
「国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽(ぎょめいぎょじ)をいただき、第九十二代内閣総理大臣に就任いたしました」。麻生太郎首相の初の所信表明演説は、この時代錯誤の一言ではじまりました。
「かしこくも」とは「恐れ多くも」というへりくだった言い方、「御名御璽」とは公文書に記される天皇の署名と公印のことです。主権在民の憲法のもとでは、形式的な意味しかもちません。
麻生首相は、国権の最高機関による指名と「御名御璽」を同列において、あたかも天皇による任命であるかのようにいったのです。天皇が首相の任免権までもった明治憲法下のような感覚です。
続けて「百十八年になんなんとする、憲政の大河」「新総理の任命を、憲法上の手続きにのっとって続けてきた統治の伝統」などと演説した首相。天皇絶対の時代と現代の区別がまったくつかないようです。
首相の祖父・吉田茂首相は一九五二年、現天皇の立太子礼(皇太子就任の式)の際、「臣茂」と書いて激しい批判をあびました。主権在民をわきまえないで、いつまで天皇の臣下でいるのかと。麻生首相は、その祖父の感覚のままなのか。
そういえば、国連憲章にもとづく平和の秩序が求められている時代に、「日米同盟の強化」を「常に第一」とし、国連との「優先劣後」を明確にした国際感覚も、軍事同盟全盛だった祖父の時代そのままかと思わせます。(藤)
主張
麻生首相演説
党略ばかりで国民目線がない
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麻生太郎首相の、就任後初の所信表明演説を聞きました。
前任者の福田康夫首相が政権を投げ出したことへのまともな反省も、行き詰まった政治をどう立て直すかの打開策もありません。所信表明演説といいながら、総選挙を意識し、民主党への質問を繰り返す異常なものです。“強く、明るく”などというだけで、国民の切実な声にまじめに取り組む姿勢も、国民が求める対策もありません。文字通り、党略ばかりで、国民の目線がありません。
反省も、具体策もなく
首相は冒頭、「演説に先立ち」として、福田首相の政権投げ出しによる「政治空白」や、「ごね得」発言などで中山成彬前国交相が辞任に追い込まれたことについて一言だけふれました。しかしそれは、事前に配布された原稿にはなく、あわてて付け加えたものです。首相がほんとうに反省しているのか、誠意を疑わせるものです。
首相の演説でとりわけ重大なのは、国民の「安心実現」や「暮らしの安心」の言葉はあっても、加速する不況や燃油価格の高騰、「食の安全」など、国民の切実な声に向き合い、こたえていく真剣さが感じられなかったことです。
政府の調査でも、六割近い国民が「生活が苦しい」とこたえています。政権発足にあたって各マスメディアの世論調査で麻生内閣の支持率は歴代内閣に比べて低い水準にとどまっていますが、その調査でも新内閣に取り組んでほしい政策は、「景気対策」「年金対策」「食品安全対策」「高齢者医療」などが上位を占めます。
首相は「実に忌むべきものは、不安であります」などといいますが、大切なのは、国民に不安をもたらしている原因は何か、どうしたら取り除けるのかを考えることです。原因にメスを入れず対策も示さないで、不安を持つなというだけでは、まるで不安を持つほうが悪いといわんばかりです。
多少ふれている対策も国民の求めるものとは程遠いものばかりです。首相は「改革を通じて経済成長を実現する」といいます。しかし、国民が批判しているのは、小泉純一郎政権以来の「構造改革」路線が生活を悪化させ、貧困と格差を拡大し、景気を悪化させていることです。
首相は七十五歳以上の老人を差別する「後期高齢者医療制度」についても、「この制度をなくせば解決するものではない」と、存続させる意向を鮮明にしました。汚染米問題でも、首相は企業や行政を批判するだけで、必要のないコメを輸入してきた自民党農政の責任には、一言の言及もありません。
争点明らかにし解散を
首相は、戦前いらい五十九人目の首相であることなどをあげ、「統治の伝統」に連なることを強調しました。首相が初出馬のさい、「下々の皆さん」と演説したエピソードは有名ですが、所信表明にも国民を支配の対象としか見ない目線がつらぬかれています。
所信表明演説の中身は、首相が外交問題で「日米同盟の強化」を繰り返したこととあわせ、これまでの政治を転換する意思がないことを浮き彫りにしています。
大企業本位・アメリカいいなりの政治の中身を根本から切り替えるため、国会論戦で争点を浮き彫りにし、解散・総選挙で国民の審判を突きつけることが不可欠です。
(出所:日本共産党HP 2008年9月30日(火)「しんぶん赤旗」)