杉並区の中学校が夜間授業を実施するというニュースには耳を疑った。公立中学校の教員と塾の講師が教材を作り、塾講師が授業を実施するという。対象は成績のよい子で、保護者がボランティアで手伝いをするという。学校もここまできたか。教育=受験のための学習、になったか。
塾で教えている方々には悪いが、昔は「勉強は学校で十分。ただし、集中してやること。家では家庭の仕事を手伝ったり、本を読んだりしなさい。復習はきちんとやりなさい。」
とまあ、こういうのが教育に携わるものとしてのスタンスであった。
「そうはいっても塾でないと勉強しないから。」と塾に通わせる家庭が増え、おおっぴらに「塾に行く必要はない。」と言える雰囲気もなくなってはきていた。
結局、子どもの生活を支配しているのは親なのである。
「そんな必要ありませんよ。もっと子供が持っている力を見守っていきましょう。受験が人生を決めるわけではありません。豊かな人間性こそが理想です。」という言葉も虚しくひびくようになった。
みんなが塾に行くようになって、日本の子どもは昔の子どもより、どんどん頭が良くなっているか、というとそうは思えない。塾に行って勉強していると人類がどんどん進化して知恵がつく、なんてばかな話はないでしょう。今のこども、昔の子どもが知らなかったこともできるが(パソコンなど)、ものすごく基本的な日本語の意味がわからなかったりする。
少しでも学力テストに強い力をつけようと、親や教員がやっきになっているかと思えば、一方でこんな話もある。
知りあいに若い教員がいて、彼女は3年間臨時採用教員として働き、今年は無事に採用試験に合格した。現在は臨時採用といっても一番条件の悪い時間給教員で2校をかけもちしているが、一方の学校は大変荒れている。来年度の新入生は本当は130名ぐらいいるはずなのに、希望者20名に満たないと言う。なぜここまで荒れが進んだのか聞いてみると、学校職員がばらばらであることが一番の原因のようだ。何か事が起きても職員が積極的に協力して関わろうとしていない。「こんな学校は早く移動したい。」と誰もが思っているようなのだ。東京都は3年で移動するため、3年間だけじっと辛抱して、あまり面倒な事には関わらないようにしている教員が多いらしい。これでは生徒が荒れるのも無理はない。荒れている学校にわざわざ自分の子供を入学させようと考える親はいない。
結局、学校選択制や全国学力テストを導入して学校同士を競わせよう、という文科省の思惑通りになったわけだ。「だめな学校」は親も教員も見放し、両者ともいい学校に行くこと(教員は移動)を考える。当の子供の気持ちは置き去りにされている。日本の学校には「受験勉強」だけが存在し、「教育」はなくなるのだろう。
「教育」は本来、学習の中に『人生においてどうあるべきか』と問う姿勢が内在しているものだった。それが文科省の学校間競争政策が浸透し、急速に「教育」の高邁な精神は堕落してしまった。日本の学校の良くない面、だめな所、と言われ続けてきた中でも最悪の状況に、今なったのだな、と感じる。
教育は国の土台を築くもの。10年、20年後の社会はどうなっていることか。
2008-01-11 19:36 nice!(0) コメント(3) トラックバック(0)
競争激化の学校では教師も競争のなかに追い込まれます。それは「成果主義」。荒れる学校では生徒の問題行動を教師が見ようとしません。何事もなかったようにしたいのです。なぜなら、自分の指導力がないと思われるのがいやだからです。
問題があることは自分の給料に響く事にもなるのです。
教師への競争制度は学校の荒れを増幅させていきます。
今の教育を早く変えなければなりません。まだ間に合うちに。
それは政治の変革です。今なら間に合うでしょう。
by さなえ (2008-01-12 10:12)
居直りの時代ですね。
おおっぴらには言えなかったことも堂々と、言ったり、やったりできる世の中になりました。このまま行くとも思いませんが、いつまで続くやら・・。
by tamara (2008-01-12 20:45)
本当に受験制度が教育を潰しています。希望者全員入学を実現し、全員卒業できる少人数制学級を実現する必要があります。テストは行うが点数は付けない。テストは点数で序列化するものではなく、発達診断をするものだからです。
現状、受験と学校間格差はありますが、学校に塾を呼び込んだり、学校間格差を能力別学級編成へ拡大したり、テストの点数による序列を全国学力テストへ拡大したりすることには絶対に反対する必要があります。どこまで受験競争を拡大、強化するのか?受験制度を廃止し、希望者全員入学を実現すれば学校間格差は確実に縮小します。学力向上は少人数制学級によって達成できるのであり、受験競争で達成できるのは弱肉強食だけです。教育改革は、受験制度を廃止し、希望者全員入学、少人数制学級を実現し、教科書改革へ進むべきでしょう。
もちろん、教育費は大学卒業まで無償化です。教職員の労働条件についても住民、国民と話し合いながら合意を得て、向上させていく必要があります。成果主義賃金ならば年功賃金のほうが妥当です。団結が破壊されません。最高の賃金制度が存在しない以上、成果主義か年功賃金か、よりましな方を選択すべきです。もちろん、教職員と子供らにとってよりましな制度というわけで、政府、財界にとってよりましな制度ではありません。教職員が積極的に保護者と話し合う運動で住民合意、国民合意を図るしかないです。教育にとって成果主義賃金より年功賃金がよりましであるという合意を結集して、保護者と教職員が団結して行政と政党へ要求するしかないです。
by 東西南北 (2008-01-13 13:57)
東西「受験についての認識を正しくもっておく必要がありますよ。子供を虐待しないで、励ますためです」
匿名「は?」
東西「子供に職業は何に就きたいか聞いてみると、金が儲かるやつなら何でもいい、と言いますね。で、両親は受験をさせるのはなんでですか?」
匿名「そんなこといっても受験はありますしねー。」
東西「そうでしょ?受験は教育というよりは学歴と出世、要は、金でしょ?」
匿名「そんな風には思いたくないんですよねー」
東西「そんな風に思いたくなくてもそんなもんでしょ?受験は?」
匿名「でも、子供にはそんな風には教えたくないですね」
東西「それが問題なんですよ。子供に受験は金儲けのため、出世のためにある制度。って現状を教える。そして、その現状の問題点を両親と子供の共通認識にするんです。これが受験制度、競争に立ち向かう両親と子供の絆なんです。ですから、もちろん、受験勉強は学校の先生、保護者、子供で協力してがんばって取り組んだらよいです。しかし、それでも「落ちこぼれる子供」「受験勉強が苦手な子供」がほとんどなんです。その時に、子供を虐待する先生、両親がいるわけです。サボる子供を見下し、自己肯定感を奪う。子供がうつむいて「おれ、アホやから」って言う。落ちこぼれって何ですか?酷いじゃないですか?悪いのは受験制度で「落ちこぼれ」を作る政権政党ですよ。子供を虐待するのはおかしいですよ。」
匿名「そんなこといっても、どおしようもないですからね」
東西「だから、民主主義があるんですよ。署名運動もあるじゃないですか?それに選挙もありますし、野党は機関紙誌を出したり、インターネットでHPで政策を出したりしていますよ。それを子供と一緒に調べて、希望を語り合うんですよ。家庭で。受験制度は人間が作ったもの。人間が廃止にできるって。子供に言うんですよ。それで小学校、中学校みたいに希望者全員入学にして、学校間格差をなくすんです。みんなが希望した学校へ入学できるんです。学校間に格差はありません。子供らは春になると入学式でわくわくして学校へ通学してきます。入学試験なんてものはなくせます。受験は教育ではないですよ」
匿名「そうなればいいですね」
by 東西南北 (2008-01-26 23:18)
(出所:http://blog.so-net.ne.jp/tamara06/)
塾で教えている方々には悪いが、昔は「勉強は学校で十分。ただし、集中してやること。家では家庭の仕事を手伝ったり、本を読んだりしなさい。復習はきちんとやりなさい。」
とまあ、こういうのが教育に携わるものとしてのスタンスであった。
「そうはいっても塾でないと勉強しないから。」と塾に通わせる家庭が増え、おおっぴらに「塾に行く必要はない。」と言える雰囲気もなくなってはきていた。
結局、子どもの生活を支配しているのは親なのである。
「そんな必要ありませんよ。もっと子供が持っている力を見守っていきましょう。受験が人生を決めるわけではありません。豊かな人間性こそが理想です。」という言葉も虚しくひびくようになった。
みんなが塾に行くようになって、日本の子どもは昔の子どもより、どんどん頭が良くなっているか、というとそうは思えない。塾に行って勉強していると人類がどんどん進化して知恵がつく、なんてばかな話はないでしょう。今のこども、昔の子どもが知らなかったこともできるが(パソコンなど)、ものすごく基本的な日本語の意味がわからなかったりする。
少しでも学力テストに強い力をつけようと、親や教員がやっきになっているかと思えば、一方でこんな話もある。
知りあいに若い教員がいて、彼女は3年間臨時採用教員として働き、今年は無事に採用試験に合格した。現在は臨時採用といっても一番条件の悪い時間給教員で2校をかけもちしているが、一方の学校は大変荒れている。来年度の新入生は本当は130名ぐらいいるはずなのに、希望者20名に満たないと言う。なぜここまで荒れが進んだのか聞いてみると、学校職員がばらばらであることが一番の原因のようだ。何か事が起きても職員が積極的に協力して関わろうとしていない。「こんな学校は早く移動したい。」と誰もが思っているようなのだ。東京都は3年で移動するため、3年間だけじっと辛抱して、あまり面倒な事には関わらないようにしている教員が多いらしい。これでは生徒が荒れるのも無理はない。荒れている学校にわざわざ自分の子供を入学させようと考える親はいない。
結局、学校選択制や全国学力テストを導入して学校同士を競わせよう、という文科省の思惑通りになったわけだ。「だめな学校」は親も教員も見放し、両者ともいい学校に行くこと(教員は移動)を考える。当の子供の気持ちは置き去りにされている。日本の学校には「受験勉強」だけが存在し、「教育」はなくなるのだろう。
「教育」は本来、学習の中に『人生においてどうあるべきか』と問う姿勢が内在しているものだった。それが文科省の学校間競争政策が浸透し、急速に「教育」の高邁な精神は堕落してしまった。日本の学校の良くない面、だめな所、と言われ続けてきた中でも最悪の状況に、今なったのだな、と感じる。
教育は国の土台を築くもの。10年、20年後の社会はどうなっていることか。
2008-01-11 19:36 nice!(0) コメント(3) トラックバック(0)
競争激化の学校では教師も競争のなかに追い込まれます。それは「成果主義」。荒れる学校では生徒の問題行動を教師が見ようとしません。何事もなかったようにしたいのです。なぜなら、自分の指導力がないと思われるのがいやだからです。
問題があることは自分の給料に響く事にもなるのです。
教師への競争制度は学校の荒れを増幅させていきます。
今の教育を早く変えなければなりません。まだ間に合うちに。
それは政治の変革です。今なら間に合うでしょう。
by さなえ (2008-01-12 10:12)
居直りの時代ですね。
おおっぴらには言えなかったことも堂々と、言ったり、やったりできる世の中になりました。このまま行くとも思いませんが、いつまで続くやら・・。
by tamara (2008-01-12 20:45)
本当に受験制度が教育を潰しています。希望者全員入学を実現し、全員卒業できる少人数制学級を実現する必要があります。テストは行うが点数は付けない。テストは点数で序列化するものではなく、発達診断をするものだからです。
現状、受験と学校間格差はありますが、学校に塾を呼び込んだり、学校間格差を能力別学級編成へ拡大したり、テストの点数による序列を全国学力テストへ拡大したりすることには絶対に反対する必要があります。どこまで受験競争を拡大、強化するのか?受験制度を廃止し、希望者全員入学を実現すれば学校間格差は確実に縮小します。学力向上は少人数制学級によって達成できるのであり、受験競争で達成できるのは弱肉強食だけです。教育改革は、受験制度を廃止し、希望者全員入学、少人数制学級を実現し、教科書改革へ進むべきでしょう。
もちろん、教育費は大学卒業まで無償化です。教職員の労働条件についても住民、国民と話し合いながら合意を得て、向上させていく必要があります。成果主義賃金ならば年功賃金のほうが妥当です。団結が破壊されません。最高の賃金制度が存在しない以上、成果主義か年功賃金か、よりましな方を選択すべきです。もちろん、教職員と子供らにとってよりましな制度というわけで、政府、財界にとってよりましな制度ではありません。教職員が積極的に保護者と話し合う運動で住民合意、国民合意を図るしかないです。教育にとって成果主義賃金より年功賃金がよりましであるという合意を結集して、保護者と教職員が団結して行政と政党へ要求するしかないです。
by 東西南北 (2008-01-13 13:57)
東西「受験についての認識を正しくもっておく必要がありますよ。子供を虐待しないで、励ますためです」
匿名「は?」
東西「子供に職業は何に就きたいか聞いてみると、金が儲かるやつなら何でもいい、と言いますね。で、両親は受験をさせるのはなんでですか?」
匿名「そんなこといっても受験はありますしねー。」
東西「そうでしょ?受験は教育というよりは学歴と出世、要は、金でしょ?」
匿名「そんな風には思いたくないんですよねー」
東西「そんな風に思いたくなくてもそんなもんでしょ?受験は?」
匿名「でも、子供にはそんな風には教えたくないですね」
東西「それが問題なんですよ。子供に受験は金儲けのため、出世のためにある制度。って現状を教える。そして、その現状の問題点を両親と子供の共通認識にするんです。これが受験制度、競争に立ち向かう両親と子供の絆なんです。ですから、もちろん、受験勉強は学校の先生、保護者、子供で協力してがんばって取り組んだらよいです。しかし、それでも「落ちこぼれる子供」「受験勉強が苦手な子供」がほとんどなんです。その時に、子供を虐待する先生、両親がいるわけです。サボる子供を見下し、自己肯定感を奪う。子供がうつむいて「おれ、アホやから」って言う。落ちこぼれって何ですか?酷いじゃないですか?悪いのは受験制度で「落ちこぼれ」を作る政権政党ですよ。子供を虐待するのはおかしいですよ。」
匿名「そんなこといっても、どおしようもないですからね」
東西「だから、民主主義があるんですよ。署名運動もあるじゃないですか?それに選挙もありますし、野党は機関紙誌を出したり、インターネットでHPで政策を出したりしていますよ。それを子供と一緒に調べて、希望を語り合うんですよ。家庭で。受験制度は人間が作ったもの。人間が廃止にできるって。子供に言うんですよ。それで小学校、中学校みたいに希望者全員入学にして、学校間格差をなくすんです。みんなが希望した学校へ入学できるんです。学校間に格差はありません。子供らは春になると入学式でわくわくして学校へ通学してきます。入学試験なんてものはなくせます。受験は教育ではないですよ」
匿名「そうなればいいですね」
by 東西南北 (2008-01-26 23:18)
(出所:http://blog.so-net.ne.jp/tamara06/)
ただ,私にとって塾通いで一番勉強になったのは,塾の前のガード下で音楽を奏でながら反戦を訴える,傷痍軍人のおじさんたちの話でした.西区の吏員は乞食なんかせず,生活保護を与えるから区立のホームに入れと言うけど,俺たちは反戦を訴えながら乞食をしてる方が身に合ってると言われたのには感動して,Hと手持ちのバス代を持って菓子パンなどを買ってきました.
ところが,電車で帰ったら,バス代がないことに気付き(笑),とぼとぼと長い坂を登っていったら,焼きいも屋さんが坂を登れなくて苦労してたので,後ろから押して行きました.横浜の郊外は丘が非常に多いのです.そして登り詰めて,私たちが住む団地に着いた時,おじさんは焼きいもを半分ずつくれました.そして,自分にも君たちくらいの子供がいて,今ごろは正月の飾り物を作ったり,リンゴの収穫をしてるんだよと言いました.これらの社会経験は,通塾経験がなければ得られなかったものです.
私から見る限り,最近の子供の異常現象は「言葉を論理的に使いこなせない」こと,一つに尽きます.逆に言うと,国語専門塾さえ,世間には結構あったりするのです.東西南北さんも塾には偏見を持たず,あくまで学校を補佐する教育機関であって,問題なのは金儲けに走り,落ちこぼれた生徒~普通の生徒を対象にする一部の塾や予備校(例えば三鷹の東進とか岡山の進研)だけだと見た方が良いかと思いますよ.トップエリートを目指す塾や予備校には,やはり実力のあるそれなりの生徒しか行けませんから.
逆に言うと,母校の SAPIX が一般の中学生を指導しようという試みは,SAPIX の入塾試験に落ちる生徒が余りにも多く,生徒が埋まらない=小人数授業となるという恐怖感から来ているものかと思います.要するに右よりの石原都政をうまく利用して,一般の中学生を用いてアンケート調査をするようなものと理解されると良いんじゃないかな? その結果,子供がついて行けなくて劣等感を持つか持たないかは別として.
# 大体,30~40代の母親に,どこそこの進学塾の入塾テストに受かっただなんて,バカな優越感を持つやつが多すぎるせいなんだよな.むしろ,そっちの方がビョーキだと私は思いますね.
東京でもトップ校というと駿台予備校と理数専門塾の SEG があります.駿台予備校は大学や附属高校などを作って多角経営に乗り出し,危機を乗り越えようとしています.SEG も生徒の質の劣化が激しいため,今度河合塾と提携した定員40人の教室を開くんだそうな.「ゆとり教育」とセンター試験のおかげで,大学生たちの学力が異常に落ちている,そのことで高卒や中卒の子供たちまでも学力やしつけや勤労意欲が落ちていると私は見ているのですけど,いかがでしょうか.
うちの長男はデキが悪く少し荒れてまして,暴力事件を起こしたことも…….元妻は大反対したのですけど,この子は普通科には向いてない.工業高校に行かせて,職人にさせろと言ったのです.
面白いことに工業高校に入った長男はすっかり不良をやめて,旋盤に向かう毎日.夏には早くも就職を内定して,私も完全に親バカモードです.
要するに労働者として働くことの楽しさを教えていないのが現在の「受験競争」の最も悪いところです.要するに,今の普通科高校を3分の2または半分以下に減らして,大学へ行ける学力のない生徒は最初から入れなければ良い.そして,職業科・総合科高校をより広く作るべきです.そうすれば,東西南北さんの言う「受験競争」は自然となくなるんじゃないでしょうか.
私も基本的にマルクス経済学の立場から書いてるんですが.(^^;)
シベリア科学アカデミーで研究生活を送っていた亡き伯父の話では,放課後になると子供たちが学校の隣のピオネールへ移動して,遊ぶ子はサッカーやホッケーをしたり,体育館で運動をしたり,楽器を奏でたりバレエの練習をしたり,勉強する子は特別補習授業をしたりして,その中で選び抜かれた子が奨学金を得て西ロシアの都市部へと出世していった,とのことです.
そう考えると,私立であれ国立であれ「進学塾」は必要悪なのではないかというのが伯父と私の一致した意見です.それを平等主義で壊したのが,かつての日本の「ゆとり教育」なのです.今の30歳以下の若者たちの日本語力,東西南北さんは具体的に知っていますか? 私は昨日,小学校の先生をセクハラで辞めた女性からの手紙を受け取って,これが「先生」かと,がくぜんとしましたよ.
kaetzchenさんが懸念しているのは賃金労働力の能力低下じゃないですか?その点でいえば、諸企業のおける労働条件を改善していくことだと思います。公的なものとして職業訓練所を整備していくことも必要でしょう。
受験教育の問題は、学校教育に賃金格差基準となるような学歴、学校暦基準を持ち込むことです。ですから、学校には能力別学級編成、学校間格差は不要だし、テストに点数をつけてランク付けする必要もないです。賃金労働においては職業能力をランク付けして賃金を配分する必要がありますが、学校は賃金労働の現場ではなく、主権者を育成し、勤労能力一般を形成する場所です。ですから、テストは発達診断に役立てばよいのであり、点数で序列化する必要はありません。
現実社会はいろいろな能力の人が一緒になって生活し、勤労していくわけですから、学校時代からいろいろな人と集団生活していくことが教育です。
だから,東西南北さんの言われるような「理想論」が現実にできるのだろうか,というと,教壇に立った経験のある私から見ると,難しいしそれこそ教員のストレスを増やす原因になるんでないかと思うのです.
私の悪友が超進学校から商業高校へ転勤になって7年,半分近くはうつ病で寝たきりです.現実に企業へ送付するための成績表がうまく書けなくて悩んでいるのです.彼は学生時代から融通が利かない男なので,そういう人間的な悩みがもろに出てしまうんですよ.実際の所,採用されている教員のかなりの部分は彼のように精神科のお世話になっています.理想論と現実との間に挟まれて悩んでいるのは彼らなんですよ.
むしろ、理想を実現していく運動をしている時がストレス解消になるんじゃないでしょうか?ストレスの原因は妨害勢力でしょう。
現状、児童、生徒の成績を序列化して進学先へ提出したり、就職先へ提出したりするのは「心苦しい」ことです。しかし、その原因を作っているのは権力でしょう?自民党と公明党が決定した教育行政が原因で、児童、生徒を序列化させられていることがストレスなんですよ。だから、教職員は児童、生徒を序列化する教育行政を廃止し、希望者全員入学を実現しようと教育運動することがストレス解消となるわけです。
現代の真の妨害勢力は「社会風潮」であり (それが大阪の若者たちを自民票へ走らせた!),それに流されている生徒たちであり,生徒たちにゲームや携帯を売りつける資本家なんですよ!
教職員が授業の始めにすることは,まず全員の携帯の電源が切れているかをチェックすること,それが現実の仕事なんです.高校や大学の現場で教えてる人に尋ねれば,そんな愚痴がすぐ出てくるはずです.
成績を序列化することがどうしていけないことなのでしょうか.序列化しなければ,反対にその生徒個人個人の個性を評価できないではないでしょうか.その結果,東欧諸国はスポーツや学術の面で優秀な人々が排出してるではないですか.点数の輪切りはどうでも良いことで,授業態度や点数のばらつきや部活動の成績がその生徒の個性で,将来の就職などに役立つことだと私は考えています.
私はむしろ東西南北さんの意固地な考え方にイデオロギーに縛り付けられたような不思議さを感じます.東西南北さんは一度でも教職に就かれたことがありますか? 先日のセンター試験を一科目でも解いてみられたでしょうか? 例えば現代社会のように自民党のイデオロギーそのままのような科目もあります.あなたの考え方には,その辺ちょっと非科学的な妄想を感じ取ります.もっと科学的社会主義の立場で自由闊達と話し合いませんか?