(新版)お魚と山と琵琶湖オオナマズの日々

補聴器を通じて聞こえる音は、残念ながら、世界のすべての音ではない。障害があると、残念ながら「世界が狭くなる」のが現実だ。

山岳遭難

2009年07月18日 03時23分00秒 | 山のこといろいろ
北海道大雪山系での大量遭難事故で亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。

ここに書くことはあくまで一般論で、特定の遭難事故に関する意見や論評ではないことを、最初にお断りしておきます。

ぼくが若い頃には、ガイド付きの登山というのはヒマラヤ登山だけでした。
AGSJが設立されるかどうかという時期で、岩登りでのガイド登山が始まるかどうかという頃でした。
したがって、どこの山に登るにしても、自分自身の体力と技術、山岳会自身の組織力とメンバーの力量、それが安全登山の保証になっていたわけです。

若い頃は、いくつか無謀なことをしました。

風雪注意報が出ている中、夏山装備で一泊の近郊冬山縦走登山をし、寒さに震えました。
このときは、夜、ほとんど寝られませんでした。
翌日は良く晴れて、新雪がきらきら輝いて美しく、その新雪を踏みしめて進むことに、雪山の醍醐味を感じました。

スキー場の上部にテントを張り一泊し、翌朝、頂上に向かいました。
頂上が平原上の山だったので、激しい降雪で方向がわからなくなり、リングワンデリングの危険を感じ、頂上直下まで来て撤退しました。
このとき、無理して進んでいたら、たぶんテントに戻れなかったと思います。
あの「撤退の判断」は、たいへん貴重なものだったと、35年ほどたった今でも感じています。

沢登りで、入る沢を間違え、ルートチェックをしつつ登ったのですが、外傾した岩場に片足をのせているときに滑り、数メートル墜落しました。
幸いにして、落ちた形が良かったようで足首のねんざだけですみ、痛さをこらえて巻き道を登高し、頂上まで出て、ロープウェーで下山しました。
あまり人の入らない沢なので、骨折などで動けない状態なら致命的でした。

これらはすべて単独行ですが、パーティ登山でも危険な状態になったことがあります。これは、会の名誉もあるので書きません。

山は、ひとつ間違えば死ぬところです。
季節により、天候により、違った山になります。
それだけでなく、自分という主体の変化によっても、違った山になるのです。
自分という登山をする主体は、20歳代と40歳代では違うし、60歳代ではもひとつ違ってきます。
いま、自分の体力がどういう状態なのかを自分自身で判断して、そのときの山の状態と相談しながら、登山することが必要です。

ガイド付きの集団登山というのは、そうした判断ができない、する必要がなくなってしまった登山では無いかと思います。
そして、そこがいちばん危険なところのように、私には思えるのですよ。
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