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(新版)お魚と山と琵琶湖オオナマズの日々

補聴器を通じて聞こえる音は、残念ながら、世界のすべての音ではない。障害があると、残念ながら「世界が狭くなる」のが現実だ。

日本の戸籍

2010年08月30日 03時45分43秒 | 毎日の日記いろいろ
古い時代にも、それなりの戸籍制度はあったようです。
大和朝廷時代に、朝廷の直轄領の一部で、戸籍の制度が作られていたようです。

西暦670年に作られたという 「庚午年籍(こうごねんじゃく)」は、日本最古の全国的な戸籍制度と考えられています。
大化の改新(645年)によって朝廷の支配体制が強化されたことが、この制度の確立を促しました。

安土桃山時代には、豊臣秀吉による太閤検地が行なわれ、全国の土地を統一した基準の下に管理しようとしました。
ほぼ同時期に人掃令というのも行われて、人民の管理を強めました。

江戸時代には、幕府や寺社の作成した人別帳や宗門改帳や過去帳が人民の登録簿でした。
これらは現代でも家系図作成などの際に参考にされることが多いようです。
これらの古文書で、当時の(先祖の)「身分」がわかったりして、人権上での問題が起こったりすることもあるようです。

1825年(文政8年)に長州藩で戸籍法が施行されています。これは、近代戸籍法の原点とも言われています。

1872年(明治5年)に壬申戸籍と呼ばれる本格的な戸籍制度が開始されました。
この戸籍は「」や「元えた」などの旧身分や、病歴、犯罪歴などの記載があることから人権上問題があり、現在は封印されています。(公式には「廃棄」されたことになっています。)

1948年(昭和23年)に戸籍法が全面改正され、家単位の戸籍から夫婦を基本とする家族単位の戸籍になりました。

1967年(昭和42年)に住民登録法を改正した住民基本台帳法の施行により、戸籍とリンクした住民登録制度が開始されたのです。

しかし、実態としては、戸籍と住民登録はリンクされておらず、実際の行政は、住民登録で行われているため、戸籍との不整合が起こることになったと言えます。
戸籍には、「本籍」がありますが、「本籍」も簡単に変えることができるため、なんのためにあるのかが曖昧になっているように思います。

江戸時代生まれ、200歳…戸籍上で生存、なぜ続く?

 高齢者の所在不明問題に関連して、江戸時代生まれの人たちが戸籍上で「生存」している事態が各地で次々と明るみに出ている。27日には、日本最高齢記録をはるかに超す「200歳」の男性まで判明した。なぜ、こんな珍事が続くのか。
 27日午前、玄界灘に浮かぶ壱岐島。ここにある長崎県壱岐市役所の市民福祉課に、驚きが広がった。
 各地で戸籍上「生存」する高齢者が相次いでいるのを受け、同市内の戸籍を調べたところ、100歳以上で現住所の記録がない人の生年月日の中に、見慣れない元号があった。
 「文化7年」。月日の記載はない。西暦に換算してみると1810年だった。生存していれば、今年で200歳になる男性だった。
 山口県防府市出身では「186歳」の男性が見つかった。文政7(1824)年7月10日生まれ。生きていれば186歳だ。江戸幕府13代将軍の徳川家定と同い年にあたる。
 なぜ、こんなことが起きるのか。
 戸籍法では、戸籍が抹消されるのは、自治体に死亡届が提出されてからと定められている。だが各地の自治体の担当者に聞くと、家族そろって移民に出たり、戦争や災害で一族全員が亡くなったりして、親族が死亡届を出せないケースもある。そうした場合に、「生存」のまま戸籍が残る場合が少なくないようだ。
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