朝鮮戦争停戦から60年 中朝“血の関係”もはや神話か
朝鮮戦争の停戦協定が結ばれたのは1953年のことで、それからちょうど60年が過ぎた。朝鮮戦争に関する研究は、90年代以降、旧ソ連や中国などの外交文書の一部が公開されたことで、大いに進展した。(フジサンケイビジネスアイ)
中国における朝鮮戦争研究の第一人者は、華東師範大学の沈志華教授である。この夏、沈教授の朝鮮戦争に関する著作をまとめて読んでみた。とてもおもしろく、教えられるところが多かった。何よりもその経歴が興味深い。
北京で1950年に生まれた沈教授は、文化大革命中、兵士、そして工場労働者となったが、文化大革命後に歴史を学び始めた。ところが、不注意もあって、 「国家機密」を洩らしたとして2年間の監獄暮らしを余儀なくされた。そのため、研究生活を続けることができず、80年代の一時期、経済特区の深センでビジ ネスに従事した。幸いなことに成功し、かなりの金を稼ぐことができた。
そして40歳を過ぎて研究生活に戻った。蓄えた金を使って、90年代になって公開され出した旧ソ連の機密文書などを入手した。それが研究の基礎となったのだが、入手した史料は私物化せず、身銭を切って公刊した。
経歴はそのくらいにして、沈教授の著作をもとに、朝鮮戦争時の中国と北朝鮮の関係が矛盾と対立に満ちたものであったことを紹介しておこう。
中国は50年10月、敗走を続ける北朝鮮軍を支援するため「志願軍」を派遣する。この中国軍の指揮をめぐって、中朝が鋭く対立した。金日成は自己 の指揮下に置くことを主張したが、中国軍の司令官である彭徳懐は断固拒否した。スターリンが中国側を支持したため、金日成は引き下がらざるを得なかった。
中朝はたとえば、中国軍と北朝鮮軍がソウルを再び占領した後の作戦をめぐっても対立した。兵力や補給などを考慮して南進をいったん停止すべきとする彭徳懐 と、休むことなく南進すべきと主張する金日成が激しく言い争い、これまたスターリンが中国側を支持して、対立に決着がついた。
停戦をめ ぐっても中朝は対立した。スターリンがここでも中国側を支持して、譲歩せざるを得なかった金日成には大きな不満が残った。中朝関係はかつて、「鮮血で固め られた友誼」などと表現された。だが、沈教授に言わせれば、そんなものは「神話」でしかないのである。(前滋賀県立大学教授・荒井利明)
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