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terryの蟲 1994

くまおの物語 第四章

2018-02-16 18:26:04 | くろちゃん

 心理的な距離と物理的な距離

 

すりすり来るし、撫で撫でできるし。でもそれがくまおの安心の印ではないことはわかっています。

要求のためになついてくることはニャンコの常套手段ですからね。そこがまたかわいいのですけどね。

ただ、くまおにとって危ない場所と人ではないことは理解されています。

危険な人と嫌いな人、嫌なことをする人、好ましい人、好ましいことをする人、どうでもいいけど危なくない人、だいたいこのような区別ではないかと思います。

この区別にはいらない人が現れると警戒ということになるようです。

具体的には

①    危険な人      危害を加えるひと

②    嫌いな人      過去にいやなことをされた人

③    嫌なことをする人  今現在嫌なことをする可能性のある人

④    好ましい人     好ましいことをしてくれた記憶のある人

⑤    好ましいことする人 今現在好ましいことをしてくれる人

⑥    どうでもいいけど危なくない人 存在だけ認識してる人

 

どうもこのようです。

 

猫ってツンデレって言われます。猫にしてみればそんなの知ったこっちゃないのですが、養っているほうとしてはそうはいかないのが人情。

あそこのニャンコがどうだとか、こったのにゃんこはこんなにべたべただとか・・・羨ましい。抱っこもできない、撫で撫ではできるけど、膝にのってくることもない、ベッドにやってくることも、おやつは喜んでたべるけど、

なーなーと呼んではくれるけど・・・

なついてほしいのが人情。

目標決めて物事を進める。マイルストーンを決めて物事を進める。当たり前のことですが、それが通じないのが猫。目標にははるかに届かないでうろうろ。後に走ることさえある。マイルストーンなんか一気に飛び越えたり、蹴散らしたりw

 

くまおには①と➁ではないことは理解してもらえてるようでしたが、③であることはあるようで、ときどき⑤でもある。。。

④にはまだかな・・・・

そういう感じで師走に突入でした。

 

ロフトベッドによくいたくろちゃん。居心地がよかったのだと思うけど。

くまおをロフトベッドへ誘う。

とーちゃん手造りの階段に乗せてみる、逃げた・・・・・

抱えてあげてみるとこ2回・・・飛び降りて逃げた・・・・

でも、PCデスクはロフトベッドの下にあるので、そこにはやってきている。

よく見上げているし、でも未知の世界なんだね

数日後にやってきました。

人があがる梯子は無理だと思っていたのですが・・・あがってきてた。

梯子を器用に上ってくる。とーちゃんの階段はつかわないで。でもとーちゃんがあがっていくと逃げる。ベッドから飛び降りて、もっと簡単に上り降りできるように猫塔を導入。これは別の効果がありました。

猫塔に繊維がまきつけてあって爪とぎができる。実はくまお唯一の問題が一部の壁紙で爪とぎをする。

見つけると首の後ろ噛んで「めーー」ってやるとじはらくはやらないのですが、見てないいなとまた・・・これが猫塔来てから減りました。減ったというのはまだたまにやるのでw

これはくまおにとってはルートが増えたことになってロフトベッドへ頻繁にくるようになりました。

とーちゃんがいないときはロフトベッドで寝ることも多くなり、ほとんどヒーターマットに寝なくなりました。

それでも夜はヒーターマットかリビングのベッドへ・・・

それがあるときからロフトベッドにやつてきて寝るようになったのです。

きっかけは撫で撫で、リビングはある程度の広さがあるのでとーちゃんとくまおの距離がある程度ある。すりすりきたりするけど、撫で撫で要求するゴロンはなぜか1メートルから50センチはなれたところ。

それがロフトベッドは狭いので、すぐ近くにゴロン・・・手がすぐに伸ばせるのでより撫で撫でがしやすい。

また、ふまりやらせなかったお腹のゴニョゴニョも積極的にやってほしいと。

ごろごろよく言うようになったのもこのころでした。

物理的距離が接近するには心理的に距離も縮まらないとと思っていましたが、そうでもないようです。

くまお、撫で撫でしくれっていうときは必ずしも撫で撫でしやすいところにくめわけではないんです。背中側とかお尻のところにピタッときたり、理由はわかりません。ただ、眼をつぶってじっと撫でてほしいときやお腹をゴニョゴニョしてほしときは必ず撫でやすい距離と方向の場所を選びます。

これがくまおのデレなのかとも思います。

 

3年ぐらい野良にゃんやっていたくまお。ごはんもらうのにすりすりとかしていたのかもしれません。しかし、厳しい緊張した毎日だったことは間違えないです。

それが、ある程度安心して緊張もしないでいられる空間になったところで、トラウマになっているとこや、緊張がはしる記憶があると思います。

それは、今でもとーちゃんにはわからないわけで、なんかの拍子にそれが現れると戸惑います。

でも、今提供できることもたくさんあります。

ちょー甘えん坊のくまおですが、それは甘えポジションにはいっているときで、違うポジションもあるわけです。

怒りや戸惑い、悲しみ、うれしい、たのしい・・・喜怒哀楽はわかりませんが、それに近いものは必ずあると思います。

それに気がつくというのではなく、自分は6つの区分のどれかになることがあっても

くまおにとっては必要な人として在りたいと思います。

ニーズが必ずある人、それに加えて、生きるためだけでなく「楽しく生きるため」に必要な人でありたいと思っています。

 

猫のことはまだまだよくわかりません。

くまおのことだってまだまだわかりません。

まだまだ途上です。

近いと思っている距離は物理的にももっと近づくことができるでしょうし、心理的にはまだかなり遠いと感じています。

人間同士にはない不思議な感情なんですね。

なんなんでしょうね。猫にた対する愛情って独占みたいなものはないでのではと思います。なんていうのかな、とても表現が難しい。

自分だけを見ていてほしいと思うことが恋の始まりと聞きました。

猫にそんなこと求めるのは愚の骨頂ですよね。

 

ひと時のお互いに心理的に近い状態としいうのはよくあるとは思います。

物理的に近い状態というのはもよくあると思います。

猫が自分を求めているというのはとてもわかりやすいですが、自分が猫を求めているということを理解してもらうことはとても難しい・・・また、それって必要なのかな?

基本的にくまおになにか求めるという直接の行為はないですね。

当たり前か・・・その環境や自分の気持ちの中での要求なんでしょうね。

これに気がつくのってとても大切なんですよね。

くまおにとってはとーちゃんの要求なんかどうでもいいわけで、なんかしてあげると喜ぶからなんてことは考えていないわけで、自分が気持ち良くなることは要求してくるわけで・・それが猫でありくまおなんですよね。

言っていることがわかるというのは、かってな解釈で、実はこちらの気持ちが通じていて同調しているんでしょうね。

あとは経験上で知ったことになんでしょうね。

かわいいと言っているときは機嫌がいいんだということは察しているでしょうね。

いつもと違う時間におやつをくれるのはなにかあるなとか、

キャリーケースが見えていると・・・すべて経験なんです。

それを普通のことにしていくのは心理的な距離が近くなっていかないといけなと思っています。

くまおはくまおの歩んできた道があって、いやなことも苦しいことも楽しいこともすべてくまおが歩んできた道で、それがあるから今とーちゃんと出会ってくれたわけなんです。

距離が近くなれたのもすべてくまおの歩んできた道があったからなんです。

それが可哀そうだからとか、こうしてあげたいとか考えるのはとーちゃんのエゴなんですよね。

くまおがそれを望んでいるということがわかる距離になるのが先だということがわかった師走の日でした。

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