新世界旅客鉄道本部

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親父殿

2016年04月16日 22時22分04秒 | 昔の話
33歳にもなって父親の話をするのも気恥ずかしいのだけれども。
尊敬している人間の一人である。
会うのは年に2回くらい。電話やメールはお互いにまずしない。
会っても、そんなに会話をしない。僕自身、盆や正月に帰省したところで滞在時間は2時間程度。

まあ、こんな具合。
子どもの頃、父親と言えば怖い存在だったしね。
お母さんはやさしいのに、なんでこの人は人にやさしくできないものかねと憤ったことも数知れず。
しかし、怖いと言っても理不尽に怒り散らす無茶苦茶なデタラメ人間というわけではなく(そういう面もないとは言わないが)、むしろ真面目人間であり、良くも悪くも人からは、石橋を叩いても渡らないとまで言われるほど慎重派、冷静な男である。真面目過ぎて僕のようなタイプの人間には腹が立つことが多かったらしい。高校時代の成績は上位だったと自分では言うが、正直そこまで頭脳明晰な印象はない。総合すると、真面目で寡黙、ストイックで細マッチョ。そんな父である。
で、難点は大酒飲みで、ヘビースモーカー、パチンコを少々嗜み、ゴルフと釣りが趣味で、しかも形から入る。要は金遣いがちょいとね。
そんな父の職業は消防士。
消防士生活の半分以上はオレンジを着ていた。
昔、阪神大震災の時に派遣されて、現地で救助活動をやったりもした。
早朝3時くらいだったかな。オレンジを着た父が「行ってくる」と行って玄関を出て行く姿を見て、頼もしくて、かっこいいと思った。
少なくともその時は、そんな男になりたいと思ったものだ。
父もある程度の年齢になって、隊長なんかになる頃、僕は中学、高校くらい。
友達から、「おまえの親父、何してる人?」って聞かれて、「オレンジの隊長らしいぜ。」って言うのがちょっとだけ誇らしかった。
そう言えば、小さい頃、父が買ってくる車のおもちゃと言えば、決まって救急車か救助工作車。そうじゃなければはしご車だった。
僕が高校を出て、実家を出た時にさえ、父が「餞別だ。」と僕にくれたのはやっぱり救急車と救助工作車のトミカ。
よほど同じ仕事に就いてほしかったんだろうと今では思う。
大変な仕事だと思うし、自分につとまる自信がないから、目指すことさえしなかったけどね。

消防の仕事は全然分からない。詳しく聞いたこともないし。
でも、50歳くらいになるとレスキューはちょっと厳しくなるんだろう。
父が制服やスーツを着るようになって久しい。
今年60歳を迎える父は一応今年度で定年だ(再任用と言って平職員扱いで来年度も残るらしいけど)。
2年前から分署の署長になり、この4月から自宅から最寄りの分署に異動した。初めて勤務したのも同じ分署らしい。
自分の消防士人生の始まりの場所で、署長として最後の一年を迎えられるのは幸せなことだろう。
高校を出てすぐ、18で消防士になってから40年余。その苦労には頭が下がる。
来年の3月には、「お疲れ様」と言って温泉旅行でもプレゼントしてやろうかとこっそり貯金をしているのは親父には内緒だ。
ふん、たまにはいい話しちまった。

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