ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

補陀洛渡海記

2012-02-02 05:00:00 | 読書

昨日ああいう記事を書いたので、夜中に釣りに行ってる夢を見ました。樫野の地磯ですが、自分は釣れそうもない裏側で釣っているのです。他の人は表側で大漁、スカリにいっぱい魚が入っているのに、私は何も釣れない・・・竿は海に落とすは、魚がおらんのかと潜ったらおらんことはないというような、ひどい夢でした。

紀伊姫の家に帰っている間、南方熊楠について書かれた本を読んでいました。読み終わるのを予想していたので、次に読む本まで買ってあったのですが、補陀洛山寺を訪ねて、補陀洛信仰というものを知るようになってから、海を渡った僧のことが書いてある本があるのではないかと思うようになって、ネットでジュンク堂を調べたらやはりそういう本がありました。それが井上靖の『補陀洛渡海記』、定価1300円なので分厚い本やなと思っていたら、案外薄い。それも補陀洛渡海記はこの本の152ページから184ページまでの僅か33ページの短編です。この補陀洛渡海記を読むための1300円は少し高かったかな。

ネットのジュンク堂では、最短当日出荷と書いてあり、在庫有りの本は当日11時までの注文で当日発送、翌日か翌々日には配達と書いてありましたが、私は夜の8時ごろに注文したのに翌日の夕方には届いてました。東京からの発送、こんなクソ田舎の紀伊姫までだったのにエライ速いんですね。送料無料なので店に出向くより手間もお金もかからないし、本の代金だけで済む分、安く手に入ります。串本に住むようになればこの方法で本を買いましょう、でもやはり本屋でいろんな本を物色するのが楽しいんですけどね。串本の本屋ではチャラチャラした本ばかりで、私の読みたいと思うような本は置いてないのです。

             

現世の生を棄て、観音浄土に生まれ変わろうとする補陀洛渡海が始まったのはいつ頃なのか、この本の主人公である金光坊が読んだとするお寺の古い記録によると、貞観11年11月3日に慶竜上人という僧侶が最初に行なっています。西暦では869年、貞観大地震に伴う大津波があったとされる年です。次に延喜19年の祐真上人、慶竜上人から50年ほど経っています。次は200年ほど経った天承元年の高厳上人、更に300年経った嘉吉3年の祐尊上人、それから50年後の明応7年、盛祐上人の渡海は金光坊が生まれる7年前の出来事でした。金光坊の時代である永禄までの700年間にお寺の人でなく渡海を行なった人を含めても10人有るか無しです。

それが金光坊が生国の田辺からこの補陀洛寺に移ってからというもの、享禄4年の祐信上人、天文10年の正慶上人、4年後に日誉上人、梵鶏上人、前住職の清信上人と立て続けに渡海が行われ、このお寺の住職になれば必然と渡海を行わなければならないような風潮になってしまっていたのです。でもそのような掟があるわけでもありません。

金光坊は61歳になる永禄8年(1565年)の彼岸の中日に渡海を行うと発表しますが、それは信仰上当然のようでもあり、自身ではあまり深く考えずに発表したのでした。小説では渡海を発表後の金光坊の心の動き、毎日の所作などが描かれ、渡海が近づくにつれて、金光坊自身が見送った祐信上人以下のそれぞれの覚悟する過程、去りゆく様子なども金光坊の言葉を借りて映し出されます。永禄年間当初には桶狭間の戦いがあり、8年には松永弾正久秀が将軍・足利義輝を殺害した戦国時代幕開け期、殺伐とした時代でした。

面白いのは渡海上人の霊はヨロリという魚になると言われていたこと、ヨロリっていう魚知ってます?ヨロリはミキノ岬(何処のことか知らない)から潮岬の間でしか漁れないと言われている魚で、土地の人は漁れても海に返してやり、決して食べなかったということ、今はオークワで売ってるのを見てるし、私は食べたこともありますが、黒くて長くて小骨が多くて見た目にも気色の悪い魚です。
金光坊は痩せ身で長身だったせいもあって、井上靖はヨロリに似ていたと表現していますが、まぁ背格好よりも眼が似てると言っているのですが、井上氏はヨロリを見たり、食したことがあったのでしょうか。

渡海する日が近づくにつれて金光坊は、弟子の清源に「渡海する日は今日でなかったか」と毎日のように尋ねるようになり、ついに「今日、申ノ刻にお寺をお出ましになります」と言われる日がやってきます。一応の儀式はこなすのですが、自分が乗る船を見て小さいと感じたり、自分が乗ってから箱を被せられるようなやり方に、屋形船というのは先に屋形が出来ているものに人が入るのではないのか、などと文句を言ったりします。

やがて屋形は釘で打ち据えられ、船が浜を滑る音が聞こえるようになり、船頭が櫓を漕ぐ音も聞こえ出し、波に揺られる感覚が伝わってきます。曳航船の綱を切る綱切島に到着し、船頭の「おさらばです」という声に金光坊は、「この島で一夜明かすのではなかったのか!」と叫びますが、「海が荒れてきたので今帰らなければ、私どもも帰れなくなります」と言われ沖に流されてしまい、やがて疲れた金光坊は眠ってしまいます。どれだけ寝たのか、波風の中、海を漂う渡海船は木の葉が舞うように翻弄され、その異様さに金光坊は目を覚まします。

驚いた金光坊は屋形の木の壁に体当たりし、突き破った瞬間に波を被り、船は転覆してしまうのですが、敷板に掴まっていた金光坊は流されて翌朝元の綱切島に漂着していました。夕方になって漂着した金光坊を見つけたのは曳航船に乗っていた僧、波が高くなって浜の宮に帰れなかったのでした。一行は金光坊をどうしたものかと話し合いますが、やがて一艘の船が綱切島に到着します。その船に乗せられようとする際、金光坊は「救けてくれ」と小声で懇願するのですが、その声は誰の耳にも届かないのでした。

この金光坊の一件があって後、生きたまま補陀洛渡海をする者はいなくなり、住職などが死んだ後に船に乗せて渡海させる儀式が出来たと言います。しかし、金光坊のあと一件だけ生身で補陀洛渡海を果たした僧がいました。それは金光坊に仕え、師を見送った清源だったのです。

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