三輪神社の社務所を左に見て、山道を登っていきます。三輪という地域の丁目のない70戸余りの所への仕事です。
登りだしてすぐの所にタイトルの窯跡があります。道の右側に車を停めてあるところです。
ここには3つの窯跡があり、江戸中期から末期まで利用されていたのがこの窯跡です。係りの人がすぐに出てきて説明してくれました。
手前の低い所で火を焚き、上部に風を送って中段に陶器が並べてある段があるので、それに熱を加えて完成させるのです。
焼かれたものは三田焼と呼んでいたそうです。
もちろん、実際に焼くには絵のように蓋はしてありますし、屋根もあります。
これと同じような登り窯を名古屋赴任中に見ています。
ここは六大古窯の一つ、常滑焼の登り窯跡です。
もちろん最古のものが保存されているわけではありませんが、完全な形で残されていました。
これは三田焼の明治時代から昭和初期にかけて使われていた登り窯、江戸時代のものより幅が広く一度に沢山焼けるようになっています。
段の垂直面が光っているのは、粘土にかけられた釉薬が落ちたものだそうです。
手前に大きな木の切り株が二つあり、不自然だと指摘したら、4~50年でこれ位に成長する木だから、使われなくなってから生えたものと答えてくれました。
ここは江戸末期から明治にかけて使われた窯で、地下に保存されているそうです。
最後にここから出れば、直接三輪神社に出られますと教えてくれました。そうです、私は登っていく前に窯跡に寄ったように書いていますが、降りてきてからここに寄ったのです。
鬱蒼とした山道を5分も歩くと三輪神社に出ることが出来ました。
登りだしてすぐの所にタイトルの窯跡があります。道の右側に車を停めてあるところです。
ここには3つの窯跡があり、江戸中期から末期まで利用されていたのがこの窯跡です。係りの人がすぐに出てきて説明してくれました。
手前の低い所で火を焚き、上部に風を送って中段に陶器が並べてある段があるので、それに熱を加えて完成させるのです。
焼かれたものは三田焼と呼んでいたそうです。
もちろん、実際に焼くには絵のように蓋はしてありますし、屋根もあります。
これと同じような登り窯を名古屋赴任中に見ています。
ここは六大古窯の一つ、常滑焼の登り窯跡です。
もちろん最古のものが保存されているわけではありませんが、完全な形で残されていました。
これは三田焼の明治時代から昭和初期にかけて使われていた登り窯、江戸時代のものより幅が広く一度に沢山焼けるようになっています。
段の垂直面が光っているのは、粘土にかけられた釉薬が落ちたものだそうです。
手前に大きな木の切り株が二つあり、不自然だと指摘したら、4~50年でこれ位に成長する木だから、使われなくなってから生えたものと答えてくれました。
ここは江戸末期から明治にかけて使われた窯で、地下に保存されているそうです。
最後にここから出れば、直接三輪神社に出られますと教えてくれました。そうです、私は登っていく前に窯跡に寄ったように書いていますが、降りてきてからここに寄ったのです。
鬱蒼とした山道を5分も歩くと三輪神社に出ることが出来ました。
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