![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/e3/317c7727209f0e33711ba485e0ecdfac.jpg)
滝の拝に関連していくつかBlogを綴ってきましたが、肝心の滝の拝をテーマにして書いてこなかったので・・・
右の階段状の所を鮎が遡上していきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/40/1977092ff552889641768deeccef24fe.jpg)
滝の拝にかかる橋。橋の南側から撮っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/5d/a0a86b871ca3709a022fc5a3b51088f6.jpg)
滝の拝は古座川の支流・小川(こがわ)の上流にあり、初めて訪れた人はこの奇岩に驚きます。
こちらは橋の上・北側の小さな滝の壷にあたる所。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/7d/f932f70922892537f7948796a0e506e2.jpg)
こちらが南側の様子です。
鮎釣りをしている人がいるのですが、判りますか?
友釣りではなくて、引っ掛け釣りです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/06/5f89c19e07bea705e5cc3c40235e7869.jpg)
北側を遠くまで見た様子、こちらも鮎釣りをしている人がいますが、コチラの人は友釣りをしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/de/b6fb2e11c9e42e8503b3d78370d6170b.jpg)
ツルツルの岩に丸い穴、ツルツルの岩は川の流れでこうなったと説明がつくのですが、どのようにして丸い穴がここそこに出来たのか不思議です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/aa/9f999fcf3522dfe788de32f5c21827fb.jpg)
橋を渡ったところに小さな祠がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/b6/f6f0145eb4f45229b201ea69213f7222.jpg)
せっかくですが、何て書いてあるか判りかねます。
金(こん)ぴらさんの由来
水・農・薬など命の神さまとして信仰されています。
1828年讃岐の国から御神体をお迎えして、ここから見える金ぴらの森にお堂がありました。(文章としてつながってない)
明治の頃、堂守りの根木賢助が夢のお告げを受けて占を受けた末、ここへ御遷宮したといわれています。
紀伊の国東牟婁郡(旧)小川村
金(こん)ぴらさん
皇紀二千六百五拾二年六月九日吉日
皇紀2652年は今から15年前ですから、15年でこんなに読めなくなるようなものを作ったことになります。
後半は・・・ 伝記 滝の拝太郎
大昔 沛太郎が大小のくぼみを岩に九百九十九掘りました。千壷目に深い壷を掘りに這入ったきり出てこなかったそうです。滝の沛の人達は遺言通りの五輪の塔を建てました。塔のひな型をほりつけた面を下側にした岩が川底に沈んでいます。
由来と伝説の里はなしを根木直温氏の語りの通りに之を書き一句添
地蔵さんもじっときき入る里はなし
万福天水蓮
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/d8/f492193e2f889d3131dfeace57b134f2.jpg)
伝記ですからこの丸い穴がどのようにして出来たのかの科学的な説明ではありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/a7/dde88a9eaa299049c787630babc6eb79.jpg)
駐車場の上に変わった案内板がありました。
沢山の滝があるものです。ついでに地図も書いておいてくれたら良かったのに。
右の階段状の所を鮎が遡上していきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/40/1977092ff552889641768deeccef24fe.jpg)
滝の拝にかかる橋。橋の南側から撮っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/5d/a0a86b871ca3709a022fc5a3b51088f6.jpg)
滝の拝は古座川の支流・小川(こがわ)の上流にあり、初めて訪れた人はこの奇岩に驚きます。
こちらは橋の上・北側の小さな滝の壷にあたる所。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/7d/f932f70922892537f7948796a0e506e2.jpg)
こちらが南側の様子です。
鮎釣りをしている人がいるのですが、判りますか?
友釣りではなくて、引っ掛け釣りです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/06/5f89c19e07bea705e5cc3c40235e7869.jpg)
北側を遠くまで見た様子、こちらも鮎釣りをしている人がいますが、コチラの人は友釣りをしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/de/b6fb2e11c9e42e8503b3d78370d6170b.jpg)
ツルツルの岩に丸い穴、ツルツルの岩は川の流れでこうなったと説明がつくのですが、どのようにして丸い穴がここそこに出来たのか不思議です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/aa/9f999fcf3522dfe788de32f5c21827fb.jpg)
橋を渡ったところに小さな祠がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/b6/f6f0145eb4f45229b201ea69213f7222.jpg)
せっかくですが、何て書いてあるか判りかねます。
金(こん)ぴらさんの由来
水・農・薬など命の神さまとして信仰されています。
1828年讃岐の国から御神体をお迎えして、ここから見える金ぴらの森にお堂がありました。(文章としてつながってない)
明治の頃、堂守りの根木賢助が夢のお告げを受けて占を受けた末、ここへ御遷宮したといわれています。
紀伊の国東牟婁郡(旧)小川村
金(こん)ぴらさん
皇紀二千六百五拾二年六月九日吉日
皇紀2652年は今から15年前ですから、15年でこんなに読めなくなるようなものを作ったことになります。
後半は・・・ 伝記 滝の拝太郎
大昔 沛太郎が大小のくぼみを岩に九百九十九掘りました。千壷目に深い壷を掘りに這入ったきり出てこなかったそうです。滝の沛の人達は遺言通りの五輪の塔を建てました。塔のひな型をほりつけた面を下側にした岩が川底に沈んでいます。
由来と伝説の里はなしを根木直温氏の語りの通りに之を書き一句添
地蔵さんもじっときき入る里はなし
万福天水蓮
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/d8/f492193e2f889d3131dfeace57b134f2.jpg)
伝記ですからこの丸い穴がどのようにして出来たのかの科学的な説明ではありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/a7/dde88a9eaa299049c787630babc6eb79.jpg)
駐車場の上に変わった案内板がありました。
沢山の滝があるものです。ついでに地図も書いておいてくれたら良かったのに。
全く奇岩ですよね。
あの石に空いた穴・・理論的にはわかっていても、あんなに大きなのは、ここでしか見たことがありません。
私たちが行ったときはちょうど途中の道が工事中で、迂回。。。ものすごく細い道で戻ることも出来ず、どうなることかと思いました。なつかしや_
もう五年以上前のことになるような・・・
串本や古座を訪れる方は一枚岩の方へは行かれるようですが、こちら滝の拝にはあまり足を向けられないようです。
でも、今年のGWはあの小さな駐車場が満杯になっていて、どこに車を停めようかと困ったくらい多くの方々が来られていました。
今は道路の工事も終わり、この2月には滝の拝近くにトンネルも開通しています。
でも未だ一部対向車が来たらどうしようと思う所も残っています。
5年前なら、あの案内板は読めたのでしょうか?
食満でのアンケート活動も終わり、農業公園には行けずじまいでしたが、今度は武庫之荘周辺に出かけます。私ぼんくらが参りましたら、ご協力をお願いします。
と言っても、summyさんも私もお互いを知りませんし、武庫之荘と一口に言っても広いですもんね。
yamanbaさんは食満2丁目でアンケートに協力していただいた方ですね。その節はありがとうございました。
食満へ行くのも、武庫之荘へ行くのもだいたい同じくらいの距離だと思うのですが、食満への道は近松公園や門左衛門の墓などがあり、退屈しなかったのですが、武庫之荘への道はこれといったものが無いので、遠く感じます。
猪名川~藻川を一周・・・イメージできますが、会社からの行き帰りを含むと20kmぐらいになるので、ためらってしまいます。
あまり面白くもないBlogですが、また訪れてください。コメントもお願いします。