前回串本に来た時、今は無き(亡きではありません、凹んでしまったのです)串本のCさんから“あなたの町にも戦跡が 串本町”というわかやま市民生協発行の小冊子(だと思う)『Septette No.98』のコピーを頂きました。串本町の戦争遺跡を探してこの春潮騒の森を探索しましたが、防空壕一つを見つけただけだったので、B29の墜落場所は何処にあるんだろうと思っていました。貰ったコピーには結構な量の戦跡が載っており、一つ一つに小冊子(だと思う)にしては詳しい説明が付いているので大助かり、今回28日の金曜は2時ごろまで用事があったので釣りには出かけず、以降時間的に釣りなどしておれないので、潮岬へ戦跡を探しに行ってみることにしました。
観光タワーの前、10万平方Kmもある望楼の芝の東端から歩き始めました。見えているのは浪の浦方面。雲一つない快晴です。とても台風が近づいてきているようには思えません。
明治時代には海軍の望楼(物見やぐら)があったとか、その名を受け継いでいる広場なのですね。
木と木の間に聳える観光タワー、左の木は松でしょうが、右の木は何か判りません。
本州最南端の碑、こんなものを撮りに来たのではありませんが、ついでです。
旭の森へと入ります。この辺りで釣りのできる地磯は無いかと探したことのあるところ、この風景を観るのも久しぶりです。
戦跡ではありませんが、海軍大将有馬云々が書いたとされる“紀の国の志保のみさきにたちよりて 沖をたなひく雲をみるかな”の碑、昭和天皇の作なのか句の前に御製と彫られています。
ここに来てやっと『戦跡 海軍特設見張所跡』という案内柱が立っていました。以前ここに来た時は無かったと思います。望楼の芝一帯には海軍のレーダー基地や機銃陣地が置かれていたそうです。
昔、母親が古座に住んでいた頃、アメリカ軍の機銃掃射があったと聞いたけど、こんな田舎でも攻撃対象になるのかと思っていたのは間違いで、今見れば平和で美しい広場に日本軍の基地があったのですね。
ところが海軍望楼跡という建物跡があるそうなのですが、見つけられません。肝心なものが見当たらないのです。特設見張り所跡の柱より陸側にあるようなのですが・・・案外見ているのに見えてないのかも知れません。
私が見ているのは浜へと降りる道ばかりか、この休憩所からも降りれるような道があり、ロープが張ってありましたが、履いているのがサンダルなのでこの日は降りては行きませんでした。
旭の森入口と書かれた案内柱、ここから入ると向こうには出口があると思うでしょ?でも反対側も入口なのです。どちらも入口なので出口は無い・・・なんかオドロオドロしい怪奇小説の世界のようです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます