ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

有田神社

2010-05-17 05:00:00 | 田舎
串本西小学校だか有田小学校だか有田中学校だかよく分らない学校の前の道は、有田川という小川沿いに伸びていて、川は蛇行を繰り返しながら基本的には道に沿って流れています。というか、そういう風に道を造ったという方が正確なのでしょう。山道ではありませんが、川に沿っているので、少しづつでも登り道になっているようです。

普段仕事で歩いている道は、基本的に住宅地なので何の感動も無いのですが、良い天気の日にこういう長閑な道を歩いていると、幸せな気分になります。

             

歩いていてこういう神社を見つけると、「おぉ、ネタになる」とばかりにカメラを取り出します。何の信仰もしていないのに神社があると近寄りたく思う人間は、世間広しと言えども私ぐらいとは申しませんが、そう多くはいないのかも知れません。

             

鳥居の神額には『有田神社』と書いてありました。神社って○×八幡神社とか×○天神とかいうネーミングが多いように思うのですが、こういう固有名詞的な神社はきっと土地の人達に大事にされているんだろうと思います。

             

拝殿かと思ったら、ただの門みたいなもので、この奥に拝殿だか本殿だか判らない小さな社があしました。

             

一番手前の燈篭が倒れたままになっています。狛犬はありません。そして賽銭箱も無いのです。

                  

この境内の奥に巨大なクスノキが現存していました。

             

1100年も前にこのクスノキの芽が出て、平安時代の初期から現在までを見つめてきた大樹ですよ。このクスノキが芽を出した頃って、この辺りに人は住んでいたのでしょうか。

             

門のところに掲げてあった絵馬、誰が描いたのでしょうね。柄はトラですが、表情はネコかイヌ、いやネコもイヌも笑いません。草原を走っているような雰囲気ですが、トラってそんなところに住んではいませんよね。

             

願い事が書かれた絵馬も奉納されていますが、これらの絵馬は何処で買ったのかな?この神社には社務所も無いから、ここで買ったものではないですよね。他所で買った絵馬に願い事を書いて、違う神社に願い事を叶えてもらうというのは、何となく筋違いのような気がしないでもないのですが・・・


             

というような、どうでもいいことなどを考えながら、有田神社を後にしたのでした。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
見たことない (ちのと)
2010-05-17 06:05:02
数回この道を通ったことがあったけど、神社に寄ったことはなく「へぇ~」と。

地方紙では記事で見たことがあるんだけど、古いクスノキがあるんだ。昔にここに里人がいたんでしょう、案内板に書かれてるんだもん。でも串本町も立派な故事来歴の案内板を設置したんですね。いやぁ町内のお宮さんどこでも、こんな詳しく書いたものを設置してるのかなぁと思ったもので。

これが絵馬のトラですね、地方紙で毎年一人の方が(女性だった)来年の干支を描いて奉納するとありました。たしかに、トラと言われても柄はトラですが、耳とかとんがりすぎのような体も短いし、背景の草原も体が黄色だとミドリでしょ。私に描けと言われても、こんなに描けないので「今年の干支だな」とだけ思う事にしないと、阪神の今年が・・・。

願い事の絵馬もあるんだ!!なかなかすごいことですね。普段、無人のお宮さんでしょう?祭事や年末年始に神主さんがやってきて販売するのかな?それを知ってないと願い事は一生書けないような気がする、不思議なシステムの神社です。

賽銭箱は賽銭泥が多いからでしょ、他の地区でも盗られています。
吐生の滝の駐車場 (ぼんくら)
2010-05-17 08:59:05
にあった案内板、ちのとさんが古くて読めないって書いてあったのも、きれいになっていましたよ。今度の水曜日に載せますが、歩いている途中にも風吹山の案内板があり、その案内板を見て、風吹山にも行ってみたいと思い、これまたエライ目に遭いました(その記事はまだ書いてない)。

赤瀬小学校のこと、よく解りました。調べてくれてありがとう。地図で見ると田子の駅も和深地区にあるのですね。国道から入っていく道もあまりないし、住んでる人は少ないんでしょうね。

こんな田舎でも賽銭泥がいるものでしょうか。信じられないです。昔、姫で財布を落としたのに戻ってきたことがありました。

やはり串本のことはよくご存知で、絵馬を書いた人のことなど、全く知らずに見ていました。書いたのは女の人だったのですね。だから優しいトラになっているのかも知れません。

私が昔と綴ったのは、祠の記録がある江戸時代の前期ではなく、この大樹の芽が出たころ、1100年前といえば紀元800年から900年ごろ、平安時代の前期ですね。空海さんも花山天皇さんも訪れているようなので、この有田も村があったのかも知れません。

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