「蜘蛛は網張る 私は私を肯定する」
という不思議な句に出会って以来、山頭火について興味があり、
彼が書いた「行乞記」(ぎょうこつき)という日記の中に、
こんな文章があるのを知りました。
「歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、
作らない日はさみしい、ひとりでいることはさみしいけれど、
ひとりで歩き、ひとりで飲み、ひとりで作っていることはさみしくない」
わあああああ・・・と思いました。こんな簡単な言葉で
長年私が心の中でモヤモヤしていたものを言い切るとは。
スパーッと言語化されたような清々しさを感じました。
ひとりでいることはさみしい。
また、さみしそうに見えるかもしれない。
けれど、ひとりで作っていることは淋しくない。
むしろ、ひとりで歩いたり、ひとりで考えたりするときに
何かが生まれる気がする。
****************************************************************
偶然ですが、先日読んだ中島義道さんの「私の嫌いな10の人々」という
本の中で、ルナールというフランスの小説家・劇作家の日記について
触れている記述がありました。なんと、ルナールも日記の中で、
「私は私の説に賛成する」
と書いていました。山頭火の「私は私を肯定する」に少し似ていますね。
このような決意表明は、やはり自分に言い聞かせている部分もあるのでしょう。
中島義道さんが、この日記が面白いのは次のような点だと述べています。
若い頃より有名になりたいと渇望した結果、「にんじん」によって、
あっという間に有名になり、華やかな作家兼演劇人の人生が
始まるのですが、俗物根性を隠すことなくさらけ出していること、
しかも、そこに自嘲の音をしっかり響かせていること、
人生は全て虚しいということを腹の底まで自覚していること
と書いていました。もしそうなら、ルナールは確信犯ですね。
俗物根性を「自覚」しながら出すのって、結構ハイレベルかも。
あと、カフカやジッドの日記も面白いそうです。
機会があったら読みたいと思いました。
という不思議な句に出会って以来、山頭火について興味があり、
彼が書いた「行乞記」(ぎょうこつき)という日記の中に、
こんな文章があるのを知りました。
「歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、
作らない日はさみしい、ひとりでいることはさみしいけれど、
ひとりで歩き、ひとりで飲み、ひとりで作っていることはさみしくない」
わあああああ・・・と思いました。こんな簡単な言葉で
長年私が心の中でモヤモヤしていたものを言い切るとは。
スパーッと言語化されたような清々しさを感じました。
ひとりでいることはさみしい。
また、さみしそうに見えるかもしれない。
けれど、ひとりで作っていることは淋しくない。
むしろ、ひとりで歩いたり、ひとりで考えたりするときに
何かが生まれる気がする。
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偶然ですが、先日読んだ中島義道さんの「私の嫌いな10の人々」という
本の中で、ルナールというフランスの小説家・劇作家の日記について
触れている記述がありました。なんと、ルナールも日記の中で、
「私は私の説に賛成する」
と書いていました。山頭火の「私は私を肯定する」に少し似ていますね。
このような決意表明は、やはり自分に言い聞かせている部分もあるのでしょう。
中島義道さんが、この日記が面白いのは次のような点だと述べています。
若い頃より有名になりたいと渇望した結果、「にんじん」によって、
あっという間に有名になり、華やかな作家兼演劇人の人生が
始まるのですが、俗物根性を隠すことなくさらけ出していること、
しかも、そこに自嘲の音をしっかり響かせていること、
人生は全て虚しいということを腹の底まで自覚していること
と書いていました。もしそうなら、ルナールは確信犯ですね。
俗物根性を「自覚」しながら出すのって、結構ハイレベルかも。
あと、カフカやジッドの日記も面白いそうです。
機会があったら読みたいと思いました。