言幸 燕 日記

日々感じたことなどを絵やマンガで表現しています。
マンガでくすっと笑って頂けたら幸いです。

山頭火についても気になるこの頃

2010年09月17日 | 読んだ本
「蜘蛛は網張る 私は私を肯定する」
という不思議な句に出会って以来、山頭火について興味があり、
彼が書いた「行乞記」(ぎょうこつき)という日記の中に、
こんな文章があるのを知りました。

「歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、
作らない日はさみしい、ひとりでいることはさみしいけれど、
ひとりで歩き、ひとりで飲み、ひとりで作っていることはさみしくない」


わあああああ・・・と思いました。こんな簡単な言葉で
長年私が心の中でモヤモヤしていたものを言い切るとは。
スパーッと言語化されたような清々しさを感じました。

ひとりでいることはさみしい。
また、さみしそうに見えるかもしれない。
けれど、ひとりで作っていることは淋しくない。
むしろ、ひとりで歩いたり、ひとりで考えたりするときに
何かが生まれる気がする。

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偶然ですが、先日読んだ中島義道さんの「私の嫌いな10の人々」という
本の中で、ルナールというフランスの小説家・劇作家の日記について
触れている記述がありました。なんと、ルナールも日記の中で、

「私は私の説に賛成する」

と書いていました。山頭火の「私は私を肯定する」に少し似ていますね。
このような決意表明は、やはり自分に言い聞かせている部分もあるのでしょう。
中島義道さんが、この日記が面白いのは次のような点だと述べています。

若い頃より有名になりたいと渇望した結果、「にんじん」によって、
あっという間に有名になり、華やかな作家兼演劇人の人生が
始まるのですが、俗物根性を隠すことなくさらけ出していること、
しかも、そこに自嘲の音をしっかり響かせていること、
人生は全て虚しいということを腹の底まで自覚していること


と書いていました。もしそうなら、ルナールは確信犯ですね。
俗物根性を「自覚」しながら出すのって、結構ハイレベルかも。
あと、カフカやジッドの日記も面白いそうです。
機会があったら読みたいと思いました。

「私の嫌いな10の人びと」という本を読んで

2010年09月15日 | 読んだ本

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今回は読書感想文です。
画像をクリックすると、他の読者の感想が読めます。


中島義道さんの「私の嫌いな10の人びと」という本を読みました。
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【中島義道さんのプロフィール】
1946年生まれ。哲学博士。
東京大学 大学院 人文科学研究科 修士課程修了。
ウィーン大学哲学博士。
元電気通信大学教授。専攻はドイツ哲学、時間論、自我論。
風貌はこんな方です。
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この著者に関しては好き嫌いがハッキリ分かれると思いますが、
私はそれほど嫌いではありません。でも、全面的に肯定できる訳でもないので、
自分なりに様子を見ながら、興味を持っている人の1人です。
 

           

・・・で、どんな人が嫌いかと言うと
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●笑顔の絶えない人
●常に感謝の気持ちを忘れない人
●みんなの喜ぶ顔が見たい人
●いつも前向きに生きてる人
●自分の仕事に「誇り」を持っている人
●「けじめ」を大切にする人
●喧嘩が起こるとすぐに止めようとする人
●物事をはっきり言わない人
●「おれ、バカだから」と言う人
●「わが人生に悔いはない」と思っている人
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だそうです・・・。


一見、『え、なんで?』と思うのですが、詳しく読んでみると
『なるほど、一理ある』と思わされる点も事実でした。
つまり、思考を停止したまま、世間の慣習に盲目的に従って生きてる人や、
それに対して暴力的なまでに無感覚な人が嫌いだということみたいです。

この人の嫌いな言葉が
「タテマエ」 「妥協」 「まやかし」 「欺瞞」 「無感覚」 「如才ない」
「根回し」 「無難」 「お互い様」 「なぁなぁ」 「会社」 「世間」 「家族」
「平穏無事」 「和気あいあい」 「穏便」 「しかたない」 「恩」 「がんばる」

ということからも分るように、普段からも一切の儀礼を断固拒否。

例えば、勤める大学の入学式や卒業式に出席しない。
自分の父や母の死を、知人・周辺の近しい人に報告しない。
姪の結婚式に呼ばれても出席しない。
パーティー・飲み会にも出ない。
年賀状も出さない・送らない。

当然、周囲と摩擦・軋轢が生じますが、むしろ望むところで、
孤独を覚悟で徹底的に実践されています。
ある意味清々しいですが、普通の人はきっと真似できないでしょう。
<人生半分降りる>というスタンスだからこそ出来るのかもしれません。


最後に、私が印象に残ったところを抜粋しておきます。
(私もその通りだと思った点です)

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私は、ある人が右翼でも、左翼でも、テロリストでも、独我論者でも、
「みんななかよし論者」でも、ちっともかまわない。
そのことによって、その人を嫌いになることはまずないと思います。

どんな思想を持っていてもいいのですが、
当人がその思想をどれだけ自分の固有の感受性に基づいて考え抜き、
鍛え抜いているかが決め手となる。つまり、その労力に手を抜いている人は
嫌いなのです。


いちばん手抜きがしやすい方法は、しかも安全な方法は何か?
大多数と同じ言葉を使い、同じ感受性に留まっていることです。
それからずれるものを自分の中に見つけるや、用心深く隠し通すことです。
あとは知らぬ存ぜぬで、見ないよう、聞かないよう、気がつかないように
していればいい。人生は平穏無事に過ぎていくことでしょう。

ヘーゲルの思想ですが、
あることが真の言葉が否かは、その言葉の表面的な正しさによってではなく、
その言葉を発するに至るその人が、いかに血の滲むような「経験」をしてきたか
によって決まる。


私の言葉で言いかえると、その人がいかに勤勉に「からだで考える」
ことを実践し続けてきたかで決まる。
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この言葉を読んで、私自身はどうだろうか?と思いました。
ちゃんと自分の考えで、深く物事を考え「抜いて」いるか?
自分の信念を正確に表現する労力を惜しんでないか?
というか、そもそも私に信念はあるのか?
絵を描く者として、自分の感受性を信じているか?
また、それを鍛える努力を怠ってないか?

そういう反省を込めて読んだのでした。

中島さんの本にしては、とっつきやすい仕様になってるため
論理が浅い、肩すかしのような感じも否めなくないようですが、
上の箇所だけは心に残りました。





虫の本を読みたい

2010年08月17日 | 読んだ本


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今日、この本を買いました。
とっても面白いです。

虫好きな女性が書いているだけあって、写真もふんだんに使われており、
とっても分りやすく、とっつきやすい本になっています。
そして、こちらがその著者の日記帳・・・


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こりゃ、筋金入りですね。
まぁ~虫だらけで楽しいスクラップです。



この本の中で引用されていた言葉なのですが、

「サナギの時期には、幼虫の体をいっぺんドロドロに溶かし、
成虫の体を新しく作り上げるという、激しい変化が起こっている。
(中略)
サナギの体をナイフで切ってみると、中はちょうど「溶き卵汁」のような
状態になっている」

そうなのです!! 
ひょえええ・・・朝から苦手な方、スミマセンm(_ _)m

これは細胞学的に「アポトーシス」と呼ばれるもので、
個体が生き続けていくために、個々の細胞が自ら死を選ぶという生命現象だそうです。
【自殺する細胞】 
【プログラム化された死】
【積極的・能動的な細胞死】

などとも言われます。

この反対が「ネクローシス」と呼ばれるもので、受動的な細胞の死。
代表的な例が壊死を指すようです。

幼虫の蠕動(ぜんどう)運動を支えてきた筋肉は、アポト-シスによって
細胞死を起こし、サナギに必要とされる器官を作る細胞たちに吸収されて
栄養素とされるそうです。

また、人間の赤ちゃんの手も、このアポトーシスによって
5本指になっていくそうなのです。
生命科学者の柳沢桂子氏の言葉から引用すると、

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人間の胎児に手が出来ていくところがあるんです。
まず最初に手の原基の小さい膨らみが出来てきます。
それがだんだんだんだん伸びてきて、ご飯をよそうしゃもじのような形になります。
そして指が生えてくるのではなくて、全体が大きくなって、
その中の指の間に相当するところの細胞が死ぬんです。
アポトーシス、自爆してしまうんです。

そういうことによって、5本指の手が出来るわけです。
しゃもじの形から指が伸びて手ができるんではなく、
しゃもじの形を作っておいて、アポトーシスで細胞を殺して指の間のくびれを作る。

それからウイルスに感染した細胞を自爆させたり、
とにかく異常が察知されると自爆遺伝子、自殺遺伝子が働き出します。
つまり個体を維持していくためには、このように統制をとりながら
能動的に悪い細胞を殺していくということがとても重要なのです。

もしこの統制が崩れると、例えばがん細胞を自爆させることに失敗すると、
そのがん細胞はどんどん増えていって、ついには個体を殺すことになります。
このように考えてみますと、生きるとは少しずつ死んでいくことなんですね。
それで私たちは毎日時々刻々死んでいるわけです。

そして死というのは生の終着点のように私たちは考えていますけれども、
決してそういうものではなくて、死は生を支え、生を産み出しているものなのです」

【NHK人間講座:平成14年3月11日放送
生命(いのち)の未来図 第6回 私たちはなぜ死ぬのか】

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さすが柳沢桂子さん・・・。

生きるとは少しずつ死んでいくこと。
けれど、死は生を支え、生を産み出しているもの。

なるほど・・・。

そして、今日思ったこと。
虫のことに興味が湧いて、いろんなことが分ってくると
『どうしてもっと子供の時分に、たくさんの虫と触れ合ってこなかったんだろう。
こんな感動が子供時代に味わえたら、もっとたくさん発見があったかもしれない』

・・・そう思ってたんですけど、そんなこと思う必要ないなって。
虫のこと、何も知らない今だから感動できたのかもしれない。

お風呂の中でそう思いました。

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