旅の裏の手&ポエポエの日々

幸せになった元野犬「紋二郎」日記と本業旅情報

特別な事ではない在宅ホスピス

2017-06-26 00:20:10 | 介護・看護・闘病生活

先日小林麻央さんが亡くなられました。あまり有名人の方のブログは見ることはなかったのですが、私も父を癌で亡くしたので気になりブログ内容に一喜一憂した読者の一人でした。


最後はご自宅。。。在宅ホスピスを選択された麻央さん。私の父も在宅ホスピスで自宅から旅立ちました。3ヶ月という余命宣告をされた瞬間、私をしっかり見て『自宅で逝きたい!』という父の願いをきいて

 

 

当時在宅ホスピスは【特別】というイメージが強かったようですが、実際やってみると特別な感じはなく電話1本で24時間駆けつけてくれるお医者さん・専門の看護婦さん。看護に必要なベッドなど用具も安く借りる事ができました。父は後期高齢医療保険/介護保険が使えたので、費用面も入院費より安かったと記憶しています。


在宅にて、冷蔵庫の音・早朝新聞配達のバイクの音・電話の音・家族のくだらない話し声などがとても心を落ち着かせてくれると父は言っていました。又庭に来る野鳥を愛で、玄関先で日なたぼっこをしていると、ご近所のお友達の方達がわらわら集まってきてくだらない話をするのがとても楽しい様でした。


運良く痛みのコントロールが上手くいっていたので、逝く前日まで一緒にソファに座り話をして、最後は眠る様に逝った父。今も在宅ホスピスにして良かったと心から思えます。約8年前の出来事。あの頃に比べ今の在宅医療に関するサポート体制や対応病院などなど充実具合には目を見張るものがあります。もし・・・そんな選択をしないといけない立場になった時『在宅は無理!できない!』と決めてしまう前に、病院の専用スタッフに相談してみるのもありかと


確かに在宅は大変ではありますが、それ以上のものが残された者の心に残ります。小林麻央さんは、ブログを通して病との向き合い方・笑うことの大切さ・思いやり・在宅医療とは・・・と、多くの事を残され旅立たれました。本当、美しい人だったと思います。ご冥福をお祈りいたします。


「福岡市動物管理センター」里親募集ワンコ&ニャンコ紹介コーナー(^-^)/

              

https://www.wannyan.city.fukuoka.lg.jp/yokanet/animal/animal_posts/detail/8638

紋二郎の後輩にゃんこ(*^^*)2ヶ月の男の子♪ミルクボランティアさんの元で、愛情たくさんで育てられました気になる方は、福岡市動物愛護管理センター092-691-0131まで!日曜日の譲渡受付やってます(要予約)。番号はC1611番です。

 

※譲渡は、事前飼育環境調査などがありますので原則福岡市内在住成人の方になります。又お問い合わせ時点で、他の方への譲渡が進んでいる場合もあります旨ご了承下さい。又過去記事としてご覧の方で、上記リンク先が削除されている場合はすべて『無事本当の家族の元へ譲渡』されているのでご安心下さい♪


【救援物資のお願い】※愛護団体さんへ不定期に届けています。

ご不要になった毛布・タオル・犬/猫用品(リード・首輪・ケージ・おもちゃ・介護食etc)など又フリーマーケットにて資金調達もされていますので、出品用品などございましたらお手数ですが、当店までお持ち下さい(^∧^)責任を持って、届けさせて頂きます。


※元野犬の紋二郎は2011年2月、成犬で福岡市動物管理センターより譲渡してもらいました。保健所からの譲渡を皆様に知ってもらうためブログランキングに参加しています(*^_^*)よろしければ、ポチッと押して下さい(o_ _)o

 

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老人性うつ病 介護

2011-01-18 23:07:17 | 介護・看護・闘病生活

患者:母73才 老人性うつ病+拡張型気管支炎+直腸脱+頻繁心不全etc


昨年の初夏より、もともと人見知りが激しく・内向的で、依存心がつよく又執着・欲も激しく、マイナス思考全開のこまったうちの母の癇癪が激しくなりました。自分の欲が満たされないとヒステリーを起こし・・会社に行く私に「行かないで~」と朝からヒステリーを起こし・・毎日ちょつとした事でヒステリーの嵐


こりゃやばい心療内科に連れて行くか?


と思ってたら精神的に不安定→呼吸が不安定→体内の酸素濃度が急激に低下で、本人の強い希望もあり入院。一応「肺機能の安定+呼吸方法のリハビリ」で1週間の予定入院。


しかし・・その病院には呼吸器の専門医が常勤しておらず(主治医の先生は大学病院から週一来られておりました)入院と同時に主治医の先生が心臓系のお医者さんに変更。。一抹の不安がありましたが、素人が口を挟むわけにもいかず入院生活スタート


不安的中1週間で歩けなくなり10日でせん妄が始まり14日で表情筋が動かなくなり、目はうつろとなりベットに起きあがれなくなるくらい急激に衰弱。退院をさせようとしても、「心臓に負担のかからない薬に変えたので様子みでもう少し・・」「心不全を起こしているので危険」etc許可がおりず、途方に暮くれる私


このままではヤバイ不平・不満・愚痴ばかりで生きることの楽しみ・喜びを失ったまま逝かせるのは、あまりにも悲惨。。。で、先生に一言


私:   「母の場合、心と体が連動していて精神面が大きく肺機能に影響していると思うのですが・・」

主治医:「心と体は連動しません。年をとり肺機能・心臓が弱っているだけです。」

私:   「無理矢理退院させたらどうなりますか?」

主治医:「こんな状況で退院させても責任は持てません。退院後救急車で当院に連れてこられても対処できませんからそのつもりで」


えっと・・救急車で運ばれても対処できないということは、入院中に容態が急変しても対処できないという事と同じ?呼吸器の専門医がいないから?


で、結局呼吸器の先生が常勤して心療内科のある病院に変わるということで「無理矢理退院するので今後一切の責任は持ちません」と病院側の書類にサインをして、無理矢理退院。


で、主治医の先生怒る々 準備していた訪問看護の指示書を、責任が取れないので書けないと言われ訪問看護スタート出来ず。では、介護は?と入院してすぐに申請した要介護申請の進行状況を市役所に問い合わせしてみると「主治医の先生から書類が来ないので、そこで止まっています。」とのことその時に訪問調査したときよりも母の症状が悪くなった旨を伝えると、「前回の申請を取り消しして新しく申請された方が早いと思います。」で、待った約3週間がパー


ありゃりゃ介護はもちろんベット・車椅子も借りられず放置?



ふっふっ でも私こんな事では、へこたれませんことよp(o ̄へ ̄)q


ベット・車椅子を即購入して、24時間介護が出来るよう・・・・・

        235

会社に介護室を作っちゃいました(ノ⌒∇)ノ ♪ 天窓から光燦々♪



更に本当は申請1件につき1個しか借りられない酸素療法の機械を、事情を話したところ「大変でしょう」と酸素会社のご厚意により自宅と会社の2箇所に

        234

酸素の機械を設置してもらいました(>人<*)


退院した日の母は、「病院から出してくれるとは思わなかった・・」と泣いて喜んでおりました。こんな風にスタートした母の24時間介護。今までここで公表しなかったのは、数名のお客様はご存じでしたが、会社ですので何も知らないご来店のお客様に、奥で寝ている母の事で気をつかわせては。。と思い公表しませんでした。


そんな母、最後は病院でしたが先日穏やかに天寿を全ういたしました。退院当初ベットに起きあがれなかったのが、階段を一人であがれるようになり。食欲もなく体重が30キロ弱まで落ちていたのがプクプクふっくらして毎日の3時のおやつを楽しみに笑顔を見せるくらい回復致しました。そんな約半年の私の介護の日々


現在介護中の方々、今後介護予定の方々へ こんなやり方もあるよ?というレベルですが、どうしたら歩けるようになったか?どうしたら笑顔が取り戻せたか?どうしたらプクプク太ったか?追々UPしていきます。


母が穏やかに天寿を全うできたのは、私一人の力ではありません。応援・サポートしていただいた友人・知人・叔母・叔父・ご近所・お客様・酸素会社・新しい病院のスタッフ方々のおかげです。すべての繋がりに感謝しています。本当にありがとうございました。

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老人性うつ病 接し方

2010-11-30 22:42:30 | 介護・看護・闘病生活

本当は旅行屋さんなのに・・・・・なぜか?いろいろな介護・看護に詳しくなっていくよ~(´・-・。)クスン。好きでこうなったんじゃないやい(○`ε´○)。。でも折角(?)経験しているので、少しは同じように介護・看護している方々へ、こんな方法もありますよ~とご紹介。「転んでもただでは起きない」精神!今回は老人性うつ病接し方


:患者(母)データー 73才 女性

拡張型気管支炎・直腸脱・頻繁に心不全etc、自力歩行10mが限界

少し前まで毎日不平・不満・愚痴&執着・妬み・悪口のオンパレード

抗うつ剤は、肺の機能が低下する危険性があるのでお医者さんの指示のもと投薬禁止。睡眠薬も、1度少量投薬したら起きなくなって大騒ぎになったので禁止。


老人性うつ病 症状

感情の起伏が激しく、ヒステリーを起こしやすい。不眠。過食症/拒食症になりやすい。終始「自分なんて。。」のマイナス思考全開。そのまま自殺の危険性もあるので注意。表情筋が動かなくなったら最大限の注意が必要。


大切な事:介護に対して「ごめんなさい」「悪いね」と言わせない。常に「ありがとう」に変換して言わせる。老いて介護が必要になるのは、悪い事をしたわけでもないので謝る必要はなし!誰でも老いるし老いればやれない事が沢山出てくるので、介護される事は悪い事ではないと認識させる。


注意:わたくし大変口が悪いです。


癇癪を起こしたら?最後までお付き合い

私が仕事で不在の時。今すぐ風呂に入りたいと癇癪ヾ(。`Д´。)ノ彡風呂に入れられるのは私だけ、なので困った家族からTEL「今すぐお風呂に入りたいとヒステリーを起こしているけど。。」電話の向こうで母の叫び声私「ほっとけ」。


帰宅後、風呂の準備をしつつお説教。「出来ない状況で、無理を言って欲求が満たされないと癇癪を起こしたらダメでしょ?それじゃ介護する側もクタクタになるよ。介護は長期戦なんだから無理は言わないの」とここで、またもや癇癪爆発ヾ(。`Д´。)ノ彡


「も~いい風呂に入らん~も~一生入らん


と、洋服を投げ・タオルを投げ~バタバタ。んで私は黙って癇癪が治まるのを待ち(体力がないので長くて5分くらい)一言。「たいがいにしなさいよ~」でニッコリ。(顔は笑っているけど目は笑っていない)「癇癪起こして何が楽しい?嬉しい?誰が得する?。。誰も嬉しくないし得もしない、い~やな気持ちにお互いなるだけでしょう?介護する側も思いやりは必要、でも介護される側も思いやりは必要。そのところをよ~く考てごらん」でニッコリ~予定どおり風呂へ


しばらくして部屋を覗くと「ごめんなさい」と母から一言。それに対して心から満面の笑みで頭ナデナデ。


朝起きたら遺書?そんなものいらん!

老人性うつ病の症状のひとつ自殺願望。ある朝母から渡された「遺書」。。私( ̄ー ̄)ニヤリッ で目の前で遺書ビリビリ、ゴミ箱へポイ


母:「なんでやぶると~」

私:「いらん」

母:「だって生きていても迷惑かけるし。。この先、生きていてもいいことがあると思えない(泣)」

私:「生きていて迷惑って誰が言った?妄想入ってますね~」

母:「・・・」

私:「昨日食べたロールキャベツ美味しかった?」

母:「美味しかった(o^∇^o)」

私:「いい事あるじゃん。よ~く周りを見てたら小さな幸せがゴロンゴロン転がっているから」


その日のPM15:00のおやつ。母の大好きなチョコケーキを渡しながら「又今度死にたいって言ったら今後3時のおやつなし!(レベル低)まだ死にたい?」と聞くと、チョコケーキを満面の笑みで見ながら「ごめんなさい~もう言いません~」と、チョコバクリ


「ほら~生きてたらいい事あるじゃん」


不平・不満・愚痴だらけ~そんなんだと小さな幸せ見逃すぞ

毎日不平・不満・愚痴のオンバレードに対して小さな幸せ・嬉しい・きれいで対抗。例えば、秋の金木犀の香り、綺麗なまんまるお月様、秋の鰯雲、美味しい朝ご飯・見知らぬ人の見返りを求めない親切・笑顔で散歩している人etc本人は、下を向いているので無理矢理でもいいから顔を上げさせ、小さな嬉しい・楽しい・きれいに気づかせるp(o ̄へ ̄)q


笑うと元気が出てくる。元気になるともっと笑える(≧∇≦)ノ彡 


「残された日々眉間にシワを寄せて過ごすな!目を開いて耳を澄まし笑って1分1秒を過ごせ!同じ時を刻むなら笑っとけ!」


何度も言いますが・・私口が悪いです( ̄ー ̄)


「生きてるだけでめっけもん」精神を毎日挿入。随分精神的に安定してきました~( ̄ー ̄)そんな介護の日々~の中、ここでは書けない大事件勃発(早朝AM04:00予期せぬ訪問者)があったりと、とんでもない人生をばく進中ヾ(≧∪≦*)ノ〃ある友達は電話口で泣き・ある友達は絶句。。ある友達は「また~」と爆笑。。オイ(○`ε´○)。そんな友人達がほぼ全員口にする「いつかいい事あるって!」の言葉。いつ?そう言われ続けてはや何年。。いや何十年いつかな~o(●´ω`●)oわくわく♪


こんなとんでもない人生~l(≧∇≦)l前世は無害な「カピパラ」だと思っていたけど、ひょつとして悪代官?そのツケを現世で払っているのでしょうか~。。゛(ノ><)ノ ヒィ 

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只今 要介護2の母を介護中

2010-09-14 21:36:47 | 介護・看護・闘病生活

なかなか更新できずスミマセン

いやはや猛暑の中の介護はほんとに大変でしたハァ━(-д-;)━ァ...当初は起きあがることも出来ず。。もちろん立つことも歩くことも出来ず汗だくの化粧ドロドロになりながら頭にタオルを漁師さん巻きにして抱っこして移動させたり、おむつを交換したり毎日ドタバタへ( ̄_ ̄へ)(ノ ̄_ ̄)ノ

老人性鬱病も発症して時々ムキャー!! ヾ(`Д´*)ノと癇癪起こして大騒ぎ~

そんな母の介護を初めて約1ヶ月半。。。只今自力で少し歩けるようになり、時々失敗するけどオムツも自分で交換して、毎日足踏み・スクワット(これってリハビリじゃなく筋トレ?)で前向きに頑張って、食事を出すと「ありがとう」とニッコリ(o^∇^o)

私(*^ー゜)b グッジョブ!!

詳細はもう少し落ち着いてからいや~介護って精神の鍛錬に最適&人として学ぶことも多くて貴重な経験させてもらっておりますO(≧∇≦)O イエイ!!

お客様からは、「お母さんに。。」ともモモやブドウ、チョコレート、リンゴetcをもらったり、オムツに必要なレジ袋・新聞紙を大量に持ってきてくれたり。。人の親切が身にしみて・・本当に心から感謝

住宅環境・周囲の人々に恵まれているな~と痛感している毎日です。

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只今本格介護にてますますスキルアップ中~

2010-08-16 21:43:54 | 介護・看護・闘病生活

しばらくお休みしていてスミマセン


只今本格介護中で毎日バタバタへ( ̄_ ̄へ)(ノ ̄_ ̄)ノ


自宅酸素療法・車椅子・オムツ交換・お風呂介護・リハビリetc24時間介護&仕事&家事で大騒ぎ~只今スキルを身につけている最中なので、落ち着いたら今後皆様のお役に立てるようUP致します。あっ心配しないで、猫の介護で土台が出来ているので楽しんでやっておりますp(o ̄へ ̄)q


〃 ̄∇)ゞ少し痩せたよーーーーーーーーーーーーーーー♪

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またまた介護開始かいな?Σ( ̄ロ ̄lll)

2010-07-30 19:49:14 | 介護・看護・闘病生活

前回書いた母の家事全般完全ギブアップ宣言+持病の気管支拡張症悪化+少々鬱気味で新たに介護開始∑ヾ( ̄0 ̄; )ノ オットッ


早速市役所に介護保険の申請にε=ε=ε=┌(; ・_・)┘


訪問調査・主治医に連絡ε=ε=ε=┌(; ・_・)┘


在宅酸素療法の適用検査ε=ε=ε=┌(; ・_・)┘


適用数値だったので在宅酸素機械導入ε=ε=ε=┌(; ・_・)┘


ケアプラン作成の為打ち合わせε=ε=ε=┌(; ・_・)┘


緊急の場合の受け入れ先病院探しε=ε=ε=ε=ε=┌(; ・_・)┘


(。´-д-)疲れた。。


朝は、朝ご飯のピザトーストを作りながら横では自分のお弁当のおかず作り更に横では母の昼・夜食様に肉じゃが・きんぴらを作っていたり。。まさに戦場ヾ(≧∪≦*)ノ〃


夜は深夜帰宅後、早朝4時出発のトラックドライバーが家族にいるのでお弁当作り&掃除&翌日の下ごしらえヾ(≧∪≦*)ノ〃寝るのはいつもAM02:00前後


〃 ̄∇)ゞ大変だよーーーーーーーーーーーーーーー



〃 ̄∇)ゞでもなんで痩せないんだよーーーーーーーーーーーーーーー

 

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末期がん 在宅看護

2010-05-25 22:03:43 | 介護・看護・闘病生活

下記随分前に投稿していた記事ですが、間違箇所がありましたので訂正しました。保健所→市役所です。申し訳ございません

多くの方が見ていただいているということは、それだけの数「末期がん 在宅看護」をおこなっているか、考えているか・・だと思います。不安・迷い・恐怖いろいろあるとは思いますが、大変な状況だからこそ地に足をつけしっかりと頑張って下さい。簡単なことではないのは、経験上十分に承知しています。でも動揺ばかりしていたら「今出来ること」が、不安・迷い・恐怖に埋もれ出来なくなってしまう事もあります。深呼吸をして、現実を受け止め・・そして「今出来る事」を頑張って下さい。心より応援しています。  

************************************

父が亡くなってあっという間に1年が過ぎました。ずっと書こうと思っていた「末期がん 在宅看護」。在宅ホスピスともいわれています。病院ではなく、自宅で末期癌患者の緩和医療をおこない自宅で旅立たせる。。父亡き後ある看護師の方とお話をしたときの事、「在宅看護を勧めても、説明の途中で“無理・出来ません”と言われるんですよね。。家族に負担がいくことは十分にわかっているので無理は言えないんですが、末期癌患者を自宅で看取ることが特別な事という感じになっていて。。」と、言われていました。なので、わかりやす在宅ポスピスの流れを説明いたします。癌の種類・症状・患者本人の性格etc無理な場合もありますが。。ご参考下さい。


胆管癌により肺・腎臓etc全身転移 余命3ヶ月告知後


訪問看護可能病院選び

ケース1:癌を治療している病院のソーシャルワーカーさんに相談。手続き・連絡などお手伝いしてくれます。


ケ-ス2:自力で探す。。。私はこちらでした。余命宣告されたその日、父から「自宅で逝きたい」とお願いされ、速効ネットで病院探し。症状によりどうしても自宅が無理な場合も想定できたので、ホスピスがあり訪問看護ができる癌に詳しい病院を探しました。ホスピスがある病院はだいたい訪問看護も実施しているようです。ここだと思った1件にTEL、ホスピスの環境が希望と少し違ったので2件目にTEL、希望に近い感じだったので下見と受診を予約。抗ガン剤治療中でしたが、抗ガン剤中止と同時に訪問看護をスタートするには治療中の病院と訪問看護予定病院と2件平行して受診をするのがいいと判断して、その旨治療中の病院に連絡。血液検査の結果・レントゲンの結果etc双方の病院で共有してもらうようお願いいたしました。


市役所に行って介護保険も同時進行


在宅看護になった場合、電動ベットが必要です。その他症状になり歩行器やおまるetc器具とお風呂etc介護も必要になるので、治療中でも介護保険を早めに申請。通常1ヶ月かかります。市役所窓口で“末期癌”の旨お話すると、段取り・流れをわかりやすく説明してくれます。


訪問看護開始 


訪問看護病院のソーシャルワーカーさんと連携して速効電動ベットを搬入依頼・翌日搬入OK。介護保険が要支援1だったのでこの時点では実費。でも1ヶ月約2500円と安いです。自宅へ訪問看護専門のお医者さん・看護師さんが来られてご挨拶。ソーシャルワーカーさん・看護師さんと電話で密に連絡を取り、訪問看護開始。


自宅に一緒にいる家族は体力必要?


24時間電話に出られる状態でしたが、私は朝から夜中まで仕事。家にいるのは、心臓に持病のある体重40キロの母親だけ、もちろん痩せたといえ父を支える体力はありません。出来ることは電話をすることだけ。なので母又は子機を使い父ソーシャルワーカーさん・看護師さんの携帯の連絡網を作り、必要に応じて自宅へ(30分以内に行ってくれます)行っていただくようにお願い。必要迫られた場合、救急車(消防署・訪問看護病院は徒歩圏内でした)を利用して訪問看護病院への入院も考えていました。


仕事のためほぼ毎日深夜帰宅でしたが、帰宅後父と話をするのも大切。必ず起きていて。。今日こんな野鳥が来たぞ、今日は体調がよかったから○○さんとこの畑に行ったら○○さんが「王様が来た~」と言って椅子を持ってきてくれて山々を見ながら喋っていると○○さんもやってきて1時間以上喋っていた(近所の方々はみんな父の余命を知っていました。。本人が「お先に失礼いたします」と挨拶にまわったので。。こんな最後の最後まで明るくおおらかな父親でした)etcその日どの様に過ごしたのか聞き、痛みの具合 痛いところはないか?痛みがある場合、どこがどの様にいたいか?を聞き、翌日看護師さんの携帯へその事を報告。お医者さんと相談の上、モルヒネの種類を変えたりして対処していました。


在宅看護に必要なもの


経験したから言えること。。それは覚悟!日に日に痩せていく姿、失っていく体力。。昨日できたことが今日は出来なくなっている現実。。。を受け入れ患者本人が楽しく快適に1日でも1時間でも長く今を生きられるように全力でサポートするには覚悟が必要ようです。


父はお医者さんから質問される度に「娘に聞いて下さい」と、言っていました。「こらこら丸投げかい!」と言うと「任せた」と一言。ない覚悟もしなくちゃいけなかった訪問看護でした。


父が喜んでいたこと


自宅にいて一番心を落ち着かせていたのは、日常の音。。。そう父は言っていました。冷蔵庫の音・お湯が沸く音・インターホンの音・新聞配達のバイクの音・母と私の口喧嘩etc「あ~家にいるんだ」と安心した気持ちになると言っていました。


自宅が大好きだった父。ある日帰宅すると「お医者さんから入院しないとダメだって言われた。。」と子供の様にしょげて意気消沈していました。翌日ソーシャルワーカーさんにTELして入院しないと絶対ダメなのか、危険度が五分五分なら自宅でお願いします!覚悟は出来ています。。。と連絡。結果自宅でOKをもらった直後父からTEL、「自宅でいいって~」子供のようにはしゃぐ父の声。明るい父の声を聞きながら、本当にいろいろな意味で覚悟しないといけないな。。と思ったことを憶えています。


時々TVなので壮絶 末期がん 自宅看護 と放送されていますが、うちの家族の性格なのか?患者である父がのんき者だったせいか?確かに不安・恐怖はありましたが、壮絶とは違い楽しい・嬉しいが沢山あった自宅看護でした。腸閉塞も発症して嘔吐を繰り返していた時、バケツに吐いている父の横で「ゲロ・ゲ~ロ ゲロ・ゲ~ロ」と蛙の鳴き声をマネしていると父がむせてブッハ~ 「キャー」と大騒ぎ。。で大笑い。保健所・病院・看護と奔走している私を父はご近所に「うちの鬼姑口うるさくて~」と。。。近所のチクリで聞いた私が「こら~なん近所に鬼姑とか言うとか~いい娘で。。と褒めるとこだろうが!」というと「そんなところが鬼姑やろうが~」と不自由な体で逃げ惑い、聞いていた看護師さん大笑い。沢山の変な親子喧嘩を看護師さんに見られてしまいました。


最後の日の深夜、一緒に父の大好きなソファに座り「よく頑張ったね~」と父の頭をナデナデ。完了形を口にして自分でもビックリした事を憶えています。翌日、「私が帰ってくるまで逝くなよ~」と言うと「おぅ~」と返事。しかし昼頃嫌な予感がしたので兄に電話をして会社を早退してもらい自宅に帰ってもらった2時間後、兄・母に看取られながら本当に静かに旅立ちました。2日前迄玄関先で日向ぼっこをして逝く寸前迄普通に会話をしていた父。末期がん患者として恵まれた逝き方だったと思います。


私は、無宗教です。父が死に対して恐怖を極力感じないよう私なり何度も口にしていた言葉があります。「知らない場所に旅立つと思うから死は恐い。でも、生まれる前にいた場所に帰ると思ったら恐くないでしょ?」と。。そして何度も「恐くない?」と聞いていました。もし「恐い」と返事が来たら嘘やハッタリでもなんでもいいから口にして恐怖を和らげるつもりでした。しかし最後まで少し考え「恐くない」との返事。後に看護師さんから聞いた話、看護師さんも死を前にして飄々としている父に「恐くないんですか?」と聞いたことがあったそうです。そしたら「恐くないんですよね。娘のおかげかな・・」と言ったそうです。私の言葉も少しは効力があったのかと、少しホッとしました。でも死を受け入れるのに一番に力になってくれたのは、自宅・周辺の環境だったとおもいます。父は自宅看護中でも、よく外に出ていました。先に述べた○○さんの畑に行き、父の為にそこが定位置となった椅子に座り一人で大好きな山々を見て静かな時を過ごし父なりに死と向き合い受け入れ笑顔となり闘病していたのだと思います。


在宅看護がベストだというわけではないと思います。本人の性格・環境etcで病院・ホスピスと選択はいろいろあります。しかし覚悟さえあれば在宅看護は特別なことではなく、やってやれないことはない!と、もし読んでくれて感じてくれたら嬉しいです。多分父も喜んでくれると思います。

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願いが叶って

2009-04-04 20:47:19 | 介護・看護・闘病生活

3月某日 頑張って闘病していた父が旅立ちました。余命告知時点から切望していた「最後は自宅」の願いを叶えてあげることが出来又末期癌のわりにはあまり苦しまず兄に看取られながら静かに旅立ちました。


「最後まで頑張る」と言っていた父。最後まで強い薬を利用することなく意識も鮮明で、最後の最後まで普通に会話が出来、逝く日の朝「苦しいなら少し強めの薬を打つけど・・どうする?もしかしたら昏睡状態になるかもしれないけど・・」の問いかけに、「いいや打たんでいい。このまま自然に・・」と父の返事。最後の最後まで、見事なくらい父らしく旅立ちました。一度も弱音を吐かず、笑顔を絶やさず本当に頑張ってくれました。


余命告知時点から「無理かもしれないけど、最後は自宅で逝きたい」と何度も口にしていた父。お医者さんから、何度も入院を勧められました。その度に、「仕方ないかな・・」とションボリする父を見て、「いえ!自宅で逝かせます。」と、下見していたホスピス結局3回断りました。


正直内心はドキドキ。。いくら24時間体勢の訪問看護でも、突然の大量出血・痙攣・意識の混濁etc末期癌なのでどんな症状がでるのか予測不可能・・急いで看護師さんを呼んでも間に合わない状態になったらどうしょう・・夜中母の悲鳴で起こされたら・・突然苦しみだして暴れたらどうしたらいいんだろう・・etcでも、お医者さんも「わかりました。最善の努力をします。」と言っていただき笑顔の在宅ホスピスが実現しました。


逝く2日前まで玄関先で、日向ぼっこをして近所の人と世間話をしていた父。毎日庭に来る野鳥の事を、笑顔で話していた父。母と楽しそうに子供のような喧嘩をしていた父。大好きな山々が、今日はどんな風に見えていたか楽しそうに語る父。在宅で看取る事が出来たからこそ持てた父にとって幸せだった時間。又残された者にとっても大切な時間でした。


余命を本人に告知するか?否か?/入院か?在宅か?/治療方針は?etcいろいろな場面で選択を迫られました。すべてとても難し選択です・・結果としては、すべての選択が良い方向に向いたと思いますが、一歩間違えれば今現在後悔の念に苦しんでいた可能性も確かにありました。そんな恐怖・心配・迷い・疲れで、今看護中の方々は大変な思いをしていると思います。でも大変な看護は、結局残される者の為でもあると今回学びました。母が意外に元気で「寂しくない?」と聞くと「ん・・・不思議と寂しくないんだよね~沢山話したし、なんか今も傍にいるようで」と返事。笑顔のまま父の遺影に向かって喧嘩をふっかけてる母を見て、在宅にして看護中は本当に大変だったけど、父の為・母の為にも良かった。。そう心から思います。


いろいろな人に助けてもらいました。すべての人・出来事に感謝しています。ありがとうございました。


今看護中の方へ

私は、短い期間でしたが5年10年と長年看護している方の苦労がどれほどのものか・・・痛感しました。笑顔の看護を続けようと努力していても長い年月の中、時には負けそうになることもあると思います。甘えられることは甘え・相談して・助けを求め そして時々自分にご褒美を与え一休みして乗り越えてください。なによりも頑張りすぎないこと、自分にあまり厳しくしないこと・・・だと思いました。

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毎日ドタバタ

2009-02-28 21:15:32 | 介護・看護・闘病生活

12月末より抗癌剤治療しておりました父が、肺炎併発により抗癌剤治療中止となりました。。今からは緩和医療に変更です。進行性なのですでに歩行もヨロヨロ。。食欲もなく食べられる物を少しずつ頑張って食べてくれています。


介護保険は、前回歩けて・元気だったので“要支援1”。。なので速攻 区役所に行き区分変更の依頼を致しました。


次に「最後は自宅」が、本人の希望なので速攻 電動ベットの手配これが大変。。介護保険が適用するのは“要介護2”から。。。なので「借りれない?」って思ったけど担当のソーシャルワーカーさんの協力で、依頼して3日目に無事設置完了実費だけど月約2500円くらい


次に訪問看護の手配。癌ってわかったその日にすぐに訪問看護・ホスピスに関して連絡しており又すでに予約していたので速効 訪問看護のお医者さんと看護師さんが挨拶に来てくれ翌日より看護スタート24時間対応なので安心です。ここで知ったのは、訪問看護は医療保険・訪問介護は介護保険を使うというものだということ。


今日も、昨晩痛みを訴えたので早朝連絡をして薬を変更。すぐにお医者さんが処方箋を書いてくれて・それを取りに行き薬をもらい・訪問看護の看護師さんに渡して出社。。毎日ドタバタ


で父本人は。。お寺に自分で電話をして「間もなく入りますから宜しくお願い致します」とお墓の予約?母と仲良く口喧嘩(聞いているとめちゃくちゃくだらない内容で子供の喧嘩そのもの)遺影の写真を自分で選び、毎朝ベットから庭に来る野鳥を観察し、よく笑っております。


笑うとお腹が痛くなるようで「痛い痛い」と言いながら笑っております。それを見て益々私が笑わせるものだから「勘弁してくれ~」てな毎日。本人が病気と闘える土台を造り、墓場までの道を造り 笑って送り出せたらいいなと思っています。体も十分苦しいのに、その上心まで苦しくならないよう頑張ります


今の家に引っ越したのが前3年前。。訪問看護を依頼している病院は、今の家より徒歩圏内で近く母がもともと通院している病院なのですべての話がスムーズに進みました。又家をバリアフリーにしており風呂・トイレも問題なく、要所には手すりもありヨロヨロの父でも安全に生活できる環境です。担当のソーシャルワーカーさん・お医者さん・看護師さんもみんないい人で恵まれているな~と日々感謝しております。本当に今の家に引っ越しておいて良かった

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ホスピス下見行ってきました

2009-01-26 20:29:21 | 介護・看護・闘病生活

頑張って闘病している父と共にホスピスの下見行ってきました。広々とした廊下・個室・屋上庭園、お風呂も入りやすく寝たっきりになっても安心して入浴できる設備が整っていて父本人も「いいね~いいね~」を連呼。早速訪問看護とホスピスの予約をして来ました。


実際自分がこの様な状況になる前のホスピスのイメージは高級でした。しかし広いバルコニー付きの無料個室もあり、ソーシャルワーカーの人と話をしても後期高齢の保険で1割負担なのでビックリするくらい安かったです。但しやはり大変混んでいて2~3ヶ月待ち・・早々に予約して、もし順番が来たときにまだ必要でなかったときは2番目の人が繰り上がり必要になるまで常に1番目になるそうです。


現在抗ガン剤治療が効いて食欲もあり近所を散歩出来るくらい元気にしています。「78年生きてきて今が一番幸せ」と言っています。普段当たり前だと思っている自然の美しさ、笑うことの大切さ、人の優しさが身にしみて生きるという事を満喫しているようです。いろいろ忙しく心に余裕のない看護にならないよう、ほどほどに力を抜いて笑顔の看護頑張っております

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