ぼんすけ日記~イイカゲンな日々~

毎日のなにげないことをぼちぼち綴ります

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父の四十九日法要と納骨

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今月、3日に無事父の四十九日の法要を済ませました。

父の母(祖母)の法要もやっていただいた近くのお寺で、妹が法要のことなどをちょっと聞こうと思って電話をしたところ、住職さんから、どうして亡くなってすぐに知らせてこなかったんだ、と叱られてしまったそうです。

でも、そこのお寺のことを思い出したのは、父のお別れ会が清んでしばらくしてからだったんですよね。


たぶん、一周忌などはまたお世話になると思います。

ボンズもきちんと参列できました。

そして納骨ですが、普通ならお墓に入れるのでしょうけど、祖母や祖父の遺骨は大阪にある一心寺に納骨をしたので、父の遺骨もそこに納骨しようともう亡くなる少し前から妹とは話し合っていました。

一心寺は、納骨されたお骨を砕いて、それで10年に一体、仏様を建立して開眼、供養してくれるのです。

父にとって子供は私と妹、娘二人だし、自分の親の墓もありません。

今後、私たちが父の墓を建てても、私たちが亡くなれば、誰も供養してくれない。

一心寺なら、仏様になった形で、今後永遠に供養してもらえるし、私たちもお寺にお参りして、仏様を拝むことで、父の墓参りになる。

こういう供養のしかたは抵抗がある方もいると思いますが、私たちはそうすることに決めました。


一心寺には、私と妹、お嬢の三人で行きました。

土曜日の朝に出発して、その日の午後に叔父夫婦とお寺で待ち合わせて、供養、納骨を済ませました。


今回は、納骨のほかにも、大阪で美味しいものを食べて、どこかちょっと見てまわりたい・・・と事前に妹と話していたので、夕方に宿に着いて、少し休んでからは、夕食は、焼肉を食べようと、鶴橋の焼肉屋街に出かけました。。


妹が知っているお店に入って、三人で思う存分焼肉を堪能しましたよ!

普段小食のお嬢もよく食べて、びっくりしたのが、初体験のユッケがものすごく気に入った様子で、一人前を一人でペロッと平らげたことです。

三人、お腹一杯で満足でした焼肉もすごく美味しかったです。


お店は、鶴橋駅近くにある『吉田』
肉がジューシーで美味しかった!!父も一緒に食べてたかな~?



そして、二日目は奈良方面に出かけ、手前にある門真駅というところにある三井アウトレットモールを見て歩きました。

まあ、ウインドウショッピングのつもりだったんですが、お嬢を連れていたので、妹と二人で、こういうの着てみればとか前日にポシェットが壊れたので、それも買って・・・とついついお嬢に色々と買ってしまって、散財しました・・・・・。


お昼ごはんは、焼きそば、たこ焼き、モダン焼きを三人で分けて食べました。

一泊だったけど、満喫した~~~~!!

じいちゃんこういう機会をくれてどうもありがとう!!!



しかし、この旅行のために福祉センターに一泊で預けていたボンズが、なんと最後の最後で脱走して、近くguに入り込み、非常ボタンを押してしまったのでした。

店長さんがとても理解のある方で、なんとボンズを福祉センターまで送ってきてくれたのです(私の携帯に店長さんから電話が入りました。ボンズには電話番号などを書いたバッジをつけています) 
あとでボンズと謝りに行くと、本当にやさしく対応してくださって、ボンズが勝手に履いてしまった売り物の室内履きのお金だけ払ってあとはお咎めはなしでした。
それどころか、今後もなにかあれば対応しますから、とまでおっしゃってくれて、もう泣きそうでした。


つくづくボンズは地域の人たちに支えられて生活しているんだな・・・と感謝しました。




そんなこともありましたが、父の知人たちに死亡の通知も郵送したし、四十九日、納骨も済ませ、父のことはひと段落しました。


父もホッとしてるかな。

ボンズが逃げたときは、どこかから見ていてハラハラしていたかもしれません。








・・・・・ほんとにもう父はいないんだなあ・・・・・どこにも。
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父が亡くなってから

 | Weblog
16日が経ちました。

リアルタイムでは記事はどうしても書けなくて、前の記事にコメントを下さっていたぽんさんへのお返事で父が亡くなったことを報告させていただきましたが、コメントを読まない方もいらっしゃるでしょうから、あらためてご報告させていただきます。

8月11日、午前2時31分、ボンの父は永眠いたしました。

正確には、たぶん亡くなったのは2時頃です。
頃ですというのは、父が入院していたホスピスでは、とくに心拍計などをつけたりすることもなく、亡くなってからもお別れの時間を少し過ごしたあとに、医師がやってきて死亡を確認する形だったので、タイムラグがありました。





亡くなる日の前々日、父は入院していた国立病院から寝台車に乗って転院しました。
当日、主治医は夏休みのために留守で、それがボンの妹的には、よかったみたいです。妹はそうとう主治医の態度に腹を立てていて、投書箱にもクレームを書いて入れてたくらいでしたから、最期にお礼の挨拶なんてしたくなかったみたいです。

それでも、お世話になった看護士さんたちもいたし、エレベーターの前まで送ってくれて、頭を下げてくれていました。看護士さんたちにはきちんとお礼を言いました。



転院先のホスピスは、国立病院からは一時間ほどの場所にあるのですが、その間、父が急変したりしないかと、妹も私も少なからず緊張していました。

でも、父は思ったよりも呼吸も落ち着いていて、病院にいたときよりも楽そうな呼吸だったので、少し安心したり。


転院先は東京のK市にあるS病院の緩和ケア病棟でした。

緩和ケアの看護士さんや、ドクターにとても優しく迎えていただきました。

部屋は個室で、窓側に障子の戸があったり、ベッドも木目調の暖かい雰囲気で、小さなソファや冷蔵庫、ものをしまえるスペースも多く、リラックスできる雰囲気でした。

部屋に父が移されてから、主治医から呼ばれてお話がありました。

父の状態は、もう本当に最期のときに来ているということ、できるなら今晩からでも泊まってあげたほうがいいことなど。

こういう患者さんを沢山診てきた先生の言葉だけに、とても重みがありました。

そして、その日から妹が父の部屋に泊まることになりました(ボンはボンズを置いていけないので、すぐには泊まれませんでした)

部屋に戻ってから、妹の娘がやってきて、父を囲んで4人で記念写真を撮ってもらいました。
ここの病院は、入院するときに、そうやって写真をとるのだそうです。
後で写真を見せてもらうと、父は、殆ど意識がなかったはずなのに、ちゃんとカメラ目線で写っていて、ずっと苦しそうに開けていた口も写真では閉じて、すました顔をしていました(笑)



妹は、転院にも付き添って、そのまま病院にも泊り込み、夜は殆ど眠れなかったようで、翌日も私が病院に行く2時過ぎまで付き添っていました。私もその日以降は仕事を休むことにしていたので、翌日からは自分もボンズをなんとかして泊り込むつもりでした。妹は相当疲れていたようです。

父は、その日はお風呂に入れてもらったようで、ひげもあたってもらって、さっぱりしていました。
4月28日の入院から一度もお風呂に入れてあげられなかったので、きっと気持ちよかったと思います。

ただ、呼吸はどんどん苦しそうになっていました。

妹が、一旦家にもどって休んでいる間、私が父に付き添い、様子を見ていましたが、段々と呼吸が速くなっていくのがわかります。

時々、こちらのこえかけがわかるのか、手で合図をしてくれることもありましたが、だいたいは目をあけていても朦朧としているかんじで、痰がとても絡むので、とって欲しいと看護士さんに頼んで何回かとってもらうのですが、またすぐにゼロゼロしてしまいます。

痰の吸引をすると、本人は相当に苦しいので、最期が近い患者さんだと、急に呼吸の様子が変って、止まってしまうこともあるとかで、看護士さんも、とても慎重です。

そして、転院してきてから始めたモルヒネも、痰と咳を治める薬も、効いてはいるのでしょうけど、おいつかないというかんじで、モルヒネは急に量を増やすと、状態が変化することもあるらしいので、これも慎重に・・・なので、相変わらず、父はとても苦しそうでした。


夜、11時近くになって妹が旦那さんと一緒にやってきました。

父の様子を見ると、妹もやはり、もう今晩が危ないと思ったのか、私にも、このままここに残るか?ときいてきました。

私は家がとても近いので、(自転車で20分くらい)一度帰って、お嬢や旦那にもどうするかきいてくることにして、家に戻りました。

妹の旦那が車なので、お嬢を迎えに行ってくれるというので、私は、かえりがけに、お腹にいれるものを買って、急いで帰り、食べながらお嬢に、叔父さんがむかえにくるから一緒に病院にくるように伝え、旦那にももしものときは電話するから用意していてほしいと伝えて、病院に戻りました。


12時過ぎくらいだったと思います。お嬢も、二人の娘の子たちも病院について、みんなで父を見守っていました。

それからも、また呼吸が変り、殆ど息が吸えていないような、とても浅い呼吸になりました。

鼻の先や、足の先の血行が悪くなっているのか、白っぽくなっていて、触るとつめたくなってきています。


もうボンの旦那も、ボンズも呼んだほうがいいだろうということで、妹の旦那がまた車で迎えに行ってくれました。

妹が、『もうすぐ、ボンズも、〇〇さん(旦那)もくるから、じいちゃんもうちょっと頑張って!』と励ましていましたが、父は、ある瞬間から呼吸をしなくなってしまいました。

私たちがよびかけると、一回だけ、浅く息をしました。

そして、口を閉じると泡が出てきて、それきり完全に呼吸をしなくなりました。


こういうときに、なにを思ったらいいのか、どう考えたらいいのか、ほんとうにわからないものですね。

私は、荒涼とした場所にぽつんと置いていかれたような、ものすごい寂寥感で、体がしびれるくらいいたたまれなかったです。
父がまだそこにいるのに、ものすごく遠く感じました。
自分が見捨てられるような感覚になりました。

なぜなんでしょう?


しばらくの間、そこにいたみんなが泣いていました。

少し遅れて、ボンズや旦那たちがやってきて、買ってきてもらった日本酒で父の末期の水をとりました。




しばらくして、当直のドクターがやってきて、死亡確認していきました。
それが、2時31分でした。

それから看護士さんに介助をしてもらって、父の湯灌と、化粧を施しました。

アロマオイルの入ったお湯でタオルをぬらして、みんなで順番に体を拭いていきました。

(このときには、ボンズは旦那に家に連れて帰ってもらいました。まだ ボンズには、こういうときに長い間待っているということができないので)

とてもいい香りで、気持ちが癒されるように感じました。

お化粧も、もう一度ひげをきちんと剃って、クレンジングから乳液、下地もつけてあげて、ファンデーション、おしろいをつけると、亡くなってからどんどん悪くなっていた顔色がすっかり血色がよくなったように見えるのです。

口紅も、生前の唇の色に近いものを看護士さんが選んでつけてくれました。

仕上がった父の姿は、お世辞でなく男前でした。

亡くなると、筋肉の緊張がなくなるからなのか、顔に殆どシワがなくなってしまって、10歳くらいも若返った感じに見えました。

湯灌や、メイクのときは、みんな悲しいんだけど、なんだかヘンなテンションになっていて、やたら冗談を言って、父に話しかけたり、笑ったりしていました。







父の場合、通夜と告別式という形ではなく、亡くなった日の翌日の昼頃から、お別れ会をしました。

そして、そのまま斎場に運んで荼毘に附しました。

お別れ会も、ほんとうに家族だけで行いました。

父が、生前妹に少しそういう意向を話していたことがあるらしいのです。

なので、父は亡くなってから一日半であっというまに遺骨になりました。


妹も私も(特に妹)色々とやることがあって、じっくり悲しむ暇がなかったんですが、わたしはぼちぼち、一人のときに別れを惜しんでいます。

最期にお世話になったホスピスは、二日間だけでしたが、そこに父が入れてほんとうによかったと思っています。

父自身がどうだったかは、聞くことができる状態ではなかったけど、家族にとっては、ホスピスの対応がとても温かくて、満足のいくものでした。

特殊な施設だからか、ネットで見ても口コミなどもみかけないし、探している人にとってはなにを目安にすればいいのか、よくわからないと思います。

ホスピスがもっと一般的になれば、家族の心の負担も大分減るのかな、と思いました。






10月に、父の遺骨を、父の父母の遺骨があるお寺に納骨に行きます。
それまでにやらなくちゃならないことがあるので、これからぼちぼちやっていきます。

こうやって、父が亡くなった日のことを書くこともそのひとつでした。
自分にとってはやらなくちゃならないことだったので。


お嬢のHPにも、父のことでいろいろ記事があるので、そちらも合わせて読んでみてください。

http://lyze.jp/suzuran0918/diary/1/entry/67/?c=&d=

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父の病状

 | Weblog
大変ご無沙汰してしまいました。

その間にもいろいろなことがありましたが、前々回に父の入院のことを書いたので、その後のことを書きたいと思います。

ごく軽い脳梗塞で、病院に入院していた父ですが、その後さらに二回の脳梗塞を起こして、片目は全く見えなくなり、もう片方もぼんやりとしかみえない状態になり、さらに、三回目の脳梗塞で、ほぼ寝たきりの状態になりました。

食物を口から摂取することもできなくなりました。

そして、以前から懸念されていた、膀胱の検査を7月のはじめにやっと受けることができたのですが、その結果が、末期の膀胱がん、そこから浸潤した前立腺の癌と言う最悪の結果になりました。

妹を相談して、緩和ケア病棟を申し込むのと同時に、セカンドオピニオンに相談したり、民間療法のクリニックを訪ねてみたりしたのですが、父の全身状態があまりにもよくないということで、どの治療も効果が期待できないという結果になり、あとは緩和ケアの治療をしていくだけということになりました。

三箇所ほどあたっていたうちの一箇所の入院許可が下りたので、明日父は転院します。

ボンの家からそう遠くないところにある閑静な緩和ケア病棟です。

そこで残りあまり多くは無い余生を父はすごすことになります。

これからは、痛みや苦しみをできるだけ軽減して、ゆったり過ごすことが目的です。

でも、父は、どこがどのくらい痛いのか、これからどういうことをしたいのかということも、自分から言うことができません。

言い残したいことも伝えられません。

それがとても気の毒です。

でも、今までの国立病院ではしてもらえなかった手厚い看護をきっとうけることができると思うので、ボンも父のもとにできるだけ行くようにして、最期のときをゆったりと過ごしてもらいたいと思います。


父が会いたいと思っている人に会えるように、ボンや妹で思いつく人については父にたずねて、お見舞いに来てくれるように頼みました。

昨日は私たちの母(父からすると離婚した元妻)がお見舞いに行ってくれました。

今日は、父の弟が滋賀県から二回目のお見舞いに来てくれました。

父は、アニメプロダクション時代の同僚に最期に会いたいという気持ちはないようです。
これも確認しました。

そのころのことというのは、父にとってある意味特別のことなんだと思います。

特別だからこそ、今の状況では合いたくないんじゃないかとボンは思います。


そのうち、父のアニメプロダクション時代のこともすこしづつ書いていこうと思います。







最近、やはり、ボンの小さい頃の父とのことをよく思い出します。
11歳くらまでしか一緒にくらしていなかったのですが、そこまででもいろんな思い出があります。

先日も妹と二人で父の枕元で、昔のことを話ました。

思春期には父とは暮らしていなかったのですが、ボンは今、軍曹に対して思春期の反抗期みたいな気持ちがあります。


父はさびしい人生ではありませんでした。

ボランティアで障害を持つ方と関わり、いろいろなお手伝いをさせてもらい、地域の方たちともそれなりにかかわって、普段は部屋にいることが多かったものの、ひきこもるようなこともなく、それだから、今最期を迎えようとするこのときも沢山の人から気にかけてもらって、見守ってもらっています。

父は幸せなんだと思います。

これからの日々、父が平和でおだやかであることを望みます。

私も、できるだけ心を乱さないで、穏やかに父と過ごして生きたいと思います。



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バースデーカラオケだった

 | Weblog
今日、実は私の誕生日でした。
何歳になったかって?いや~~~もういい年ですよ!だって16歳と14歳の子の母ですよ?
推して知るべしってことですよ!
15歳で長女を産んでいれば今まだ31歳ですけどね。そんなドラマティックな人生ではなかったし、どっちかというと結婚したの遅かった?今の時代はそうでもないけど、当時は遅いほうだったな。

というわけで、今日はたっての自分の希望通り、家族でカラオケに行ってきました。

うちの場合、カラオケに行くなら、ジョイサウンドのとこじゃないと駄目なんですよね。
いろんな機種があるなかで、ジョイサウンド。
なぜかというと、他の機種だと、ボーカロイド系の曲が歌えないのです。
お嬢も私も、全体のほぼ9割がボカロ曲なので、ジョイは必須です。

今日の私のセットリストですが、もうあんまり覚えてない。
終わってしまうと忘れるほうなので・・・・。

覚えてるだけアップしてみます。


※マジックナンバー(アニメ、こばと。の主題歌)
※プラチナ(アニメ、カードキャプターさくらの主題歌)
※魔理沙は大変なものを盗んでいきました(東方の二次創作曲らしい)
※炉心融解(ボカロ、鏡音リンの曲)
※ピアノ×フォルテ×スキャンダル(ボカロ、MEIKOの曲、OSTER・Project)
※恋色病棟(ボカロ、初音ミクの曲、OSTER・Project)
※ダンシング・サムライ(ボカロ、がくっぽいどの曲)
※サンドリヨン(ボカロ、初音ミク、KAITOの曲、お嬢とデュエット)
※ググレカス(ボカロ、がくっぽいど、巡音ルカの曲、お嬢とデュエット)
※オワタ(ボカロ、初音ミクの曲)
※ロミオとシンデレラ(ボカロ、初音ミクの曲)
※亡国覚醒カタルシス(アリプロの曲)
※メリッサ(ポルノグラフィティ、鋼の錬金術師の主題歌)
※ガッチャマンの主題歌
※修羅礼賛(ボカロ、初音ミクの曲)
※ハト(ボカロ、初音ミクの曲)


ほんとはヒャダインさんの曲、スーパーマリオでウエスタンショーとかゴルベーザ四天王とか歌いたいんだけど、ゲームのアレンジ曲って著作権の問題もあるし、たぶんカラオケにはならないよね・・・・。


やっとこれだけ思い出した・・・・今回はいつもの今井美樹とかユーミンとか歌わなかったなあ・・・それも歌おうと思ったら、三時間じゃ足りない。
四人で三時間ってどんだけ短いんだよ~~~~。

次回はボカロ曲ばかりじゃなくて、懐かしアニソンとか、昔の歌謡曲とか歌おうかな。
五番街のマリーとかジョニーへの伝言とか勝手にしやがれとかいいよね~~。

うわ~~~年齢が!!!ばれる!!!

でも、30代のいさじさんも懐かし歌謡をよく歌ってるし、年齢じゃなもんね。

いさじさんといえば、カラオケで歌うのをニコ生で配信してくれていたのですが、なんか通信量がバカにならないとかで、休止するそうです。
せっかくニコニコ動画のプレミアム会員になったのに、残念・・・・。



なんか今回はとくに超マニアックな内容でスミマセン。
いつもコメントくださっている方たちもさすがに今回の記事にはコメントしずらいことでしょう。

もうスルーしちゃってください。



そうそう、ボンズも5曲くらい歌いましたよ。

彼は、YouTubeでなぜかボカロ曲をよく聴いてまして・・・・私やお嬢の影響なのかはわからないです。本人に確かめようがないからね。

でも、『ミクの曲』とか言いながら検索してるしなあ・・・・(笑)

どっから見つけてくるのか、初音ミクやリン、レンが歌っている、『翼をください』とか『旅立ちの歌』とかよく観てて、『オワタ』もボンズが観てたやつなんですよね。

家族でボカロ厨ってとこですね。

軍曹は興味なさそうで、今回も超懐メロばっか歌ってましたけど。

次回はお嬢と二人で行って、5時間は歌いたいです。



誕生日プレゼントですが、お嬢がメガネくれました。
本を読む用の老眼鏡・・・・・そうだよ・・・・私はもともと遠視だったんで、早いうちから老眼なんだよ~~~~~~ばかやろ~~~~~!!・・・・・はっ・・・・取り乱して申し訳ありませんでした。


ボンズがカラオケでハッピーバースデーの歌を歌ってくれました!
でも、はっぴばーすでーでぃあぼんず~って自分の名前言ってたけどね(笑)


帰りにいつもの琴海でラーメン食べてきました。
楽しい誕生日になりました。

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久しぶりの更新&父の入院

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一ヶ月以上放置していましたが、ボンは元気です!

ただ、先月末から父が入院しています。

軽い脳梗塞になってしまって、右半身が不自由になりました。

最近リハビリが始まって、かなり手足も動くようになったのですが、つい三日ほど前に左の目の奥の血管が詰まってしまって、その後遺症により、左目がほとんど見えなくなりました。

これは、今後回復が難しいそうです。

手術などの治療法もあるようですが、それほどの効果は望めないそうだし、感染などのリスクもあるそうなので、あまり勧められないというようなことでした。

 

結局、目のマッサージと、血行を促す薬品の点滴だけをすることになりました。

まだ片目だけの状態になれない父。

見えなくなったこともショックだし、見えない状態にも不自由を感じていて、落ち込んでいました。

あさってまた病院に行きますが、ちょっと慣れているといいな。

 

 

父の知人関係のごく一部にメールで入院のことを知らせたら、何人かお見舞いに来てくれました。

父は、以前肢体不自由の方の介助のボランティアをしていたり、精神障害の方の作業所に出入りしていたことがあったので、そういった関係の方がお見舞いに来てくださいました。

あとは、中学の同級生で地方に住んでいらっしゃる方が、父と連絡がとれないことを心配して、電報を打ってくれたり、都内の同級生に頼んで父の家まで様子を見にきてくれたりと、ほんとうにありがたいことでした。

 

今回ちょっと悩んでいるのは、父の昔の仕事仲間に知らせたほうがいいのかどうか、ということです。

というのも、わりと最近父は、昔の仕事仲間と同窓会的に会ったりする機会が何回かあって、そういう知人とも連絡をとっていたからです。

 

個人を特定されるとまずいので、詳しくはかけませんが、父は数十年前あるアニメプロダクションの代表をしていました。

名前を聞けば、ある年代までの方ならば絶対に知っているプロダクションです。

そこで仕事をしていたときの仲間はいわば父にしてみれば戦友なんじゃないかと思うのです。

一時はその頃の 仲間と会うことをためらっていた父ですが、数年前くらいに同窓会的なものがあり、誘われたこともあって父は当時の仲間と再会しました。

その後も数回父の住居の最寄駅近くまで仲間が来てくれたりして、旧交を深めたようです。

そのときの会社は父が代表のときに倒産してしまったこともあって(それがきっかけで父と母は離婚しました)いろんな確執もあったようです。

私には計り知れない複雑なことがあるので、今回のことを簡単に昔の仲間に知らせていいものかどうか、悩むところです。

本人に聞くのが一番いいのかもしれないけど・・・・。

 

 

 

 

 

話しは変わりますが、前回のブログで紹介したニコニコ動画で活躍しているヒャダインさんが、先日、自分はプロの音楽家であることをカミングアウトしました。

アニメ、『ワンピース』の曲を作曲したりしている、かなりメジャーな方でした。

正直、びっくりしたし、数日はニコニコのヒャダインさんの動画のコメントはかなり荒れていました。

カミングアウトの必要があったのか?など賛否両論あるようですが、私はこれからもヒャダインさんを応援したいと思います。

そして、今日、カミングアウトしてから初のヒャダインさんの新曲がアップされました。

今回はゲーム曲のアレンジではなくて、オリジナルです。

POPで可愛いアイドル曲になっていますが、歌っているのはもちろんヒャダインさんご本人!というのがすごい!

ワシャシャシャ SMILEx3

ニコニコ動画なので、アカウントがない人は見れませんが、見れる人は是非!

 

ちなみに、ヒャダインさん、カミングアウトしてからは、中身の人のHPも公表していました。

本人画像も出ていましたが、かなりのイケメン!

それにすごいお洒落さんでした。

 

 

そんなこんなでボンはあいかわらず元気です(朝以外はね)

お嬢もボンズも元気です。


 

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春が行ったり来たり

 | ニコニコ動画

なんか、ものすごく暖かい日があったかと思うと、今日みたいに冬に戻ったような日もあったりして、健康的にはよくないと思う今日この頃・・・春は行ったり来たりしながら近づいてくるんですねえ。

今日のボンズのお迎えのときに、公園の横を通ったら、桜はこんなに咲いていました。

 

 

これはソメイヨシノじゃなかったみたいです。

葉もいっしょに出てきてました。

ソメイヨシノよりも色もちょっと薄かった。

でもこっちのほうがたくさん咲いていました。

 

この公園のすぐわきには、川が流れていて、川岸には菜の花の一種だと思うんだけど、黄色い菜花は咲いています。

もうちょっとすると、まるで黄色いじゅうたんみたいにまっ黄色になります。

桜もいいけど、そっちもステキだよ。

川沿いに遊歩道があって、桜を見たり、菜花を見たり、川にいる鳥たちを見たりできます。

 

ボンが勤めているスーパーも同じ川沿いにありまして、いつも自転車で通っているけど、道すがらにも桜の並木があって満開が待ち遠しいです。

 

 

 

さて、ところで前々回に趣味のことを書いたんですが、ボーカロイドの曲でこれもとても気に入っているのがあります。

『Megurine Luka - Caoin - VOCALOID』

これはもう聴いてると天に召されてしまうんじゃないか!と思ってしまうくらい清清しい曲で、何回も聴いては感動してます。

曲を作られたのは、seikoPさんという方です。

イラストも彼女が描かれています。すごい才能ですよね。

 

疲れているときに寝る前に聴くとすごくいいと思います。

是非聴いてみてください。

 

 

そして、前に紹介したいさじさんの歌っているもので、アニメ曲ではなくボーカロイドオリジナル曲を紹介したいと思います。

ちょっとネタ入ってるけど・・・・

【手描きPV】ワールドイズマイン【いさじsolo】

 

いさじさんって、ガチホ○アニキみたいなキャラのイメージで歌ってる曲が多くて、比較的そういう色の薄いものを紹介してるんだけど、これもよく聴くとそういう替え歌なんだよねww

でもそれも含めてボンは好きなのでよく聴いてます。

そういえば、前回紹介したときに、いさじさんのツイッターに紹介させてもらった旨を報告したのですが、きちんとお返事をくださいました。

1000人以上の人からフォローされている方なのに、律儀なんだなあ・・・と感動!

 

 

さて、また歌ってみたの違ったジャンルのものをもうひとつ紹介します。

スーパーマリオでウエスタンショーに絵を付けてみた

この曲はもともとはスーパーマリオブラザースのゲーム音楽で、聴いたことがある人が多いと思います。

ヒャダインさんという方がこの曲を編曲して、オケを作り、それを自分で歌ったものなんですが、全部一人で歌ってるんですよ~。

女性の声は、ボイスチェンジャーを使っているらしいですが、すごいですよね。

それに、他にもいろいろなゲーム音楽を編曲しなおして、それを歌っていますが、どれもすごい!

ゲームそのものをしらなくても、十分楽しめました。

お嬢は、ドラクエなどを熱心にプレイしていたほうなので、ヒャダインさんのドラクエ曲がそうとう気に入ってたみたいです。

実は、お嬢が聴いてたのを横で聴いていて知ったんですけどねww

 

どの曲も、ユーチューブの動画にリンクしています。

そこから、同じアーティストのほかの曲も聴けますので、是非おススメです。

 

ただし、再生回数の多いものを選ばないと、他の人が歌っているものだったり、まったく他のものの場合もあるので、ご注意ください。

 

いろんな動画をめぐって、お気に入りを見つけるのも楽しいです。

ユーチューブなら、会員登録しなくても見ることができるし、海外の動画もあるから軍曹やお嬢なんかはこっちのほうが好きみたいです。

ボンはニコニコ動画派なんですけどね。

 

あ!そうそう、明日うちに新しいテレビがやってきます。

テレビ新しくなるの何年ぶりだろ?

今のテレビ、もうチャンネル手動で変えるところがめちゃくちゃに壊れてて、指をつっこんで下向きに押さないと、チャンネル変わりませんww

しかも21インチのアナログのみ対応の古いやつ。

今度くるやつは、40インチのハイビジョン。

お嬢がいうには、いまどきのハイビジョンは画面がすごくて、今までのテレビでゲームをやったときには、暗闇にしか見えなかったダンジョンで、まわりの景色がはっきり見えるほど違うということでした。

だからお嬢は、新しいテレビがきたら、今までやったゲームをもう一度やり直したいらしいよww

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お嬢のHPのリンクをつけました

 | 子供のこと
つい最近、お嬢がHPを立ち上げました。
携帯でも見ることができるので、もしよかったら見てやってください。

このブログのブックマークにも貼り付けましたが、ここにも貼っておきます。

タイトルは『ひだまりの詩』です。

詩や、短歌なども書いているようです。

よろしくお願いしますね!
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卒業式のシーズンです

 | ニコニコ動画
まだ桜の蕾は小さいけど、確実に春が近くまで来ています。
ボンズの通う特別支援学校の高等部も、今日卒業式でした。
また先輩たちが学校を巣立っていった・・・・ボンズもあと4年です・・・早いですよねえ。



ボンのツイッターでのお知り合い(?)慧梓さんが、懐かしい卒業の歌をボーカロイドでカバーした曲をアップされていたので、ちょこっと貼りたいと思います。

ボーカロイドとは、声優さんなどの声をサンプリングしたものを使い、歌を歌わせることができるソフトのことです。
有名はのは、初音ミク、鏡音リン、レン、KAITO、などです。
それぞれ、違う人の声をサンプリングしてあるそうです。

文字をクリックすると動画のあるサイトにいけます!



『ありがとうさよなら』


ボーカロイドつながりで、ボンの最近の趣味のことを書こうと思っていますが、ちょっとヲタ入ってるので、引かないでくださいね。


ボンは二年くらい前にニコニコ動画に会員登録をしました。

そのきっかけは、2ちゃんねるで紹介されていた『護法少女ソワカちゃん』というオリジナル曲と動画のシリーズを知ったことからです。

kihirohitoさんという方が、初音ミクのキャラクターをアレンジした動画を作り、それに曲をつけていたのですが、キャラ設定や、ストーリー設定、歌詞、曲、どれも面白く、ボンははまってしまいました。

今でも時々このシリーズは見ています。

興味のある方は、YOU TUBEでもアップされていますので、是非見てください。

そこから始まった、ボーカロイドの旅・・・・。

お嬢もソワカちゃんシリーズは楽しみに見ていたのですが、最近はいろいろなボーカロイド曲を自分で検索して聴くようになって、ボンの知らない曲もずいぶん知っています。

そして、ボーカロイドを使って歌わせるオリジナル曲を、生身の人間が歌うという動画があることを知り、今度はそちらのほうにはまっていくボン。

ボンが一番好きな歌い手さんは、いさじさんという方なのですが、特に低音がすばらしく、声に大変色気のある方です。

ちょっとささきいさおさんにも似ているので、宇宙戦艦ヤマトを歌っている動画を紹介しておきますね。

『宇宙戦艦ヤマト~いさじ』

いさじさんは、普通の一般の方です。他にもたくさんステキな歌を歌う歌い手さんがいます。

いさじさんは、ボーカロイドの曲、アニメの歌どちらも歌う歌い手さんです。




こんなかんじで、ボンは最近はパソコンの前に座って、ヘッドホンをつけて、ひたすら曲を聴いております。


ああ~~~~みんな引いていかないで~~~~・・・・ほんとはもっとコアは趣味もできたんですけど、そっちはブログには書きません。

あ~楽しいですホント。

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とてもしばらくぶりの更新です

 | ダイエット
一ヶ月半ちかくも更新さぼっていました。
なんかあっというまでしたよ。あしたやろうあしたやろう・・・って思いつつ、この体たらくですよ。

お嬢のアラスカお土産話をいろいろ書こうと思っていて、少しづつ聴いたり、書いたものを読んだりしてましたが、なんかまとまらない・・・そんな理由もありましたが。

とにかく、まとまっていなくてもとにかく書いちゃおうと思います。



成田から出発したお嬢たちは、まずシアトルのタコマ空港に向かいました。
日本からアラスカ行きの直行便というのはありません。
まずタコマに飛んでから、そこで乗り換え、アンカレッジまでいくことになります。

出国手続きは、思ったよりも早く済んだそうです。

そして、搭乗。
お嬢は行きの飛行機内では、他のメンバーとは離れていて、隣は見知らぬ外国人の男性だったとかで、トイレに行くために席を立つこともびくびくだったとか。

座席には、映画を観るための設備があったそうですが、その使い方がわからず、緊張していたこともあって、彼女は何もせずに8時間、じっとしていたらしいです(疲れただろう)
そんな中で、8時間で3回も機内食が出たらしいですよ。

じっとしたままだし、そんなに食欲がわかないのに、次から次へと出てくる、結構ボリュームのある食事。
いつもわりと小食のお嬢ですが、残してはいけないのでは・・・と頑張って全部食べたようです。

デザートにデニッシュが出たらしいですが、さすがにそれは残したと。

そして、タコマ空港に着いたら、まず入国審査です。
これが大変だったようです。
成田での出国手続きがやけにスムーズに済んだのに対して、入国は大変。
英語がろくにわからないのに、いろいろ聴かれ、書類もすべて英語で記入。
お嬢は緊張で手に汗をかきまくり、指紋の認証ができず、手間取ったそうです。


タコマ空港からアンカレッジまでは3時間で、到着したのが19日の午後1時、
そうです。時差があるから出発が19日の午後3時台だったのに、同じ日のしかも数時間さかのぼったときに着いたわけです。
それで、お嬢は、それだけで相当テンション上がったみたいですよ(笑)

寒さですが、お嬢いわく日本の寒さは体にしみこんでくるような寒さ。
アラスカは服の上をかすめていくような寒さだそうです。

気温は低いけど、底冷えはしないっていうかんじなんですかね。

到着当日は、みんなもう疲れまくっていて、買い物など必要なことをして、サブウェイで晩御飯を食べて、休んだそうです。

アンカレッジの宿舎のすぐ近くにマクドナルドがあって、何回かそこで食事したらしいです。
写真を見ましたが、Mサイズだというドリンクのカップが、日本のよりもすごくデカイ!
さすがアメリカ合衆国のマックですね。

カウンターで注文するときに、店員さんたちは、ジャパニーズチルドレンに対して、とても失礼だったそうです。

注文をちゃんと聞いてくれなくて、呼んでもなかなか来てくれない。
いざ注文しても、適当に、一人が注文したものと同じものを他の人にも持って来るなど、日本のマックの接客とは全く違ったそうです。
アラスカの店員さんたちがみんなそういう様子だとは思わないけど、接客業のサービスは日本はものすごくいい方らしいですよ。

20日はアンカレッジの歴史芸術博物館に行ったそうです。
お嬢の感想は『美術館の絵が綺麗』他には言ってなかった。なにをしてたんだよお。

21日、現地のフリースクールにあたる、ステラセカンダリースクールを訪問したそうです。
300人の生徒たちの前でお嬢たち一行が紹介されたそうですが、生徒たちは床に半円形に直に座っていて、お嬢たちのフリースクールのミーティングの様子ととてもよく似ていたということでした。

お嬢たちは、英語で自己紹介をして、その後、スクール内を案内してもらったそうです。
ステラは時間割がなく、生徒が自分の学びたい教科を選び、組み合わせて、その教科の教室に自分で行って、勉強するシステムなんだそうです。
なんだか大学みたいですよね。
教科数がものすごく多くて、いろいろな教室を見てまわったそうですが、内容がみんなとてもユニークで豊かだったそうです。
お嬢たちもちょっと授業に参加させてもらったということでした。

昼食は、ステラの校長先生がピザのデリバリーをとってご馳走してくれたそうです。

ステラのことを箇条書きで書いておきます。


☆ 1975年に創立した
☆ はじめは生徒50人だったが今は300人
☆ 各地から生徒が来ているのでスクールバスはなく、保護者が送迎している。
☆ ホームルームはない。
☆ 教科のほかにそれぞれクラスがある。だいたい1クラス21人くらい。クラスにはアドバ
  イザーがいて、その人が生徒の出欠や単位を確認する。
☆ 保護者の参画度が高い

お嬢はステラを訪問してみて、日本はありとあらゆる面で遅れていると感じたそうです。



ステラ関係ないけど、スモークサーモンが超美味かったとか、マッシュポテトにはチーズが入っていて、ものすごく胸焼けがしたとか、ぶつぶつ言ってました(笑)

なんか長くなってきたので、続きはまた次回。
また一ヶ月とか先になるかもだけど、その辺は気長にお待ちください。

今回の合宿メインの犬ぞりや、オーロラのことももちょっと詳しく聞いておきます。

なんとお嬢、いまだに旅行中の写真を現像してない!

使いきりカメラ2台持っていったんだけど、ずっと机の上に置きっぱなしです。

ほんとはそれを載せたいんだけどね。
(載せるっていっても、うちにはスキャナーなんてないので、写真をさらにデジカメで撮って、パソコンにとりこむ)

なんでデジカメじゃなくて使い切りカメラを持っていったのかというと、アラスカは気温が日本よりも低いため、デジカメだとあっというまにバッテリーがなくなっちゃうんだそうですよ。

それで電気使わないカメラにしたんだけど、オーロラ写ってるのかねえ・・・。

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お嬢、無事に帰国しました!

 | 子供のこと

1月28日の木曜日、無事に帰国しました。

コメントをくださった皆様、ロムしていてくださったみなさま、ご心配をおかけしましたが、お嬢は元気です。

帰国当日、家に着いたのは、午後9時15分頃でした。

あらかじめ、メールで食べたいものを聞いたら、『とろろ蕎麦が食べたい』というので、山芋を買ってきて、蕎麦を茹で、とろろ蕎麦を用意したんだけど、お嬢は半分も食べないうちに、力尽きて、その場にごろんと横になり、そのまま寝てしまいました。

途中で声をかけても、動こうとしないので、しかたなく布団をもってきて、その日は、居間で寝かせてしまいました。

よほど疲れていたんだね。

翌日は、洗濯物などがあったからか、なんとか午前中には起きて、洗濯したようです。

それが終わったら、また自室でオヤスミ。

時差ぼけというよりも、ただ疲れが溜まっていて、休みたいというかんじだったようです。

 

帰国当日は、ほとんどなにも話はしませんでした。

翌日くらいから、すこしづつ話してくれて、アラスカでの暮らしを聞くことができました。

 

寒さは、こちらで思っていたほどではなかったようです。

現地で外に初めて出たときも、『あれ?』というほど寒さは感じなかったそうです。

乾燥しているから、底冷えがするということがあまりないのと、風があまりなかったからなのでしょうか。

衣類も、持って行ったもので足りて、手袋も二重にする必要はなかったとか。

 

アンカレッジで泊まったホテル(コンドミニアム)炊事の施設はちゃちかったとのことでしたが、今までの、フリースクールの合宿の中では、かなりいい環境にはいるそうで、現地でスーパーで買い物したときの、お店の様子なども、少し教えてくれました。

日本のスーパーは、ゴミひとつ落ちていませんが、あちらでは、床に野菜くずなどがちらばっていて、それをお客がふんずけて歩いているので、床が相当汚いそうです。

牛乳は、ポリタンクみたいなものに入って売っているとか、シリアルはものすごく種類が多いとか。

昔日本でも売っていたけど、フルーツポンっていうの、知ってますか?

箱にトロピカルな鳥のイラストが描いてあって、シリアルは、かなりどぎついカラフルな色の・・・。

それ、今はもう日本では無いですよね。

アラスカにはあったそうです。

 

雪は、パウダースノーでさらさら。

にぎって、固めるのには、そうとう力がいるそうです。

 

そして、メインのオーロラ、観れたそうですよ。

宿舎のロッジで待っている間に、ロッジのオーナーさんたちのお話を聞くのも楽しかったそうです。

初めて、肉眼でオーロラを観て、お嬢もすごく感動したそうです。

ゆらゆら動いているようすが、綺麗だったって。

 

一番楽しかったのは、犬ぞりだったそうです。

 

またフリースクールのブログに記事がアップされるかもしれません。

 

アラスカに行きたいという企画を聞いたときは、そんなの夢物語じゃないの?ってあまり現実的に思えなかったけど、本当にアラスカに行ってしまいました。

 

お嬢に話しを聞けたら、これからも少しづつアラスカのことを書いてみたいと思います。

 

今日は、このへんで!

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