はるかな日、きのう今日

毎月書いているエッセイ、身辺雑記を掲載

今月の便り(2013年5月)

2013-05-30 08:19:47 | エッセイ・身辺雑記
 言い古した言葉ですが、薫風香る五月晴れの日がやってきました。今年は五月というのに寒い日がありましたが、突然暑くなりました。
5月2日
 瀬田唐橋のそばのギャラリーで開催されたカミさんの知り合いの絵描きさんの個展を見に行きました。70年近く昔の夏、瀬田唐橋のそばにあった関西電力の営業所でアルバイトをしたことがあるので、この付近を見渡しましたが、あたりの様子はすっかり変わっていました。営業所のあった場所には古い家が何軒か並んでいましたが、どの家がそうだったかはもちろん分かりません。
 画家の個展は教室の人やカミさんの友人などで大賑わい。この人の勢いのある美しい水彩画にはいつもながら感心するばかりです。瀬田川ではレガッタがあったらしく、ギャラリーの隣の会館の駐車場には各地からのバスがずらりと並んでいました。
5月5日
タウン誌などを見ると、連休中は各地でお祭、われわれの近くにもたくさんあってどれを見に行こうかと思うようですが、野州市(旧中主町)の兵主大社の例祭を見に行ってきました。近辺の神社から当日の解説パンフによると36基という大人と子供、女性だけのお神輿、大人と女性群の太鼓が境内に入る際に蛇行したり一行の一人を神輿や太鼓に上げてそれを皆で持ち上げたりと気勢を上げるのですが、その掛け声の威勢の良いこと、動きの激しいことは凄まじいほどで、舞い上がる土埃、見物人の拍手と圧倒的な雰囲気に飲み込まれそうでした。辺鄙なところですが、行ってこられたのはネットでバスの行き先、時刻などを調べられたからです。夜、ビールを飲みながら、遠くに旅行しなくても、近くにこんなに素晴らしいお祭があるのだから一つずつ見ていこうねとカミさんと話していました。
5月8日
 公民館のサークル5月例会の日です。Aさんの自分史はいよいよイランに出発。昭和50年代の外国への渡航はずいぶん不便だったようです。Iさんは曾孫誕生とおめでたい話。短いながらの好エッセイ。今回は珍しくもMさんが書きましたし、Tさんもしっかり書いていました。Hさんは息子さんの闘病記でしたが明るい結末でほっとしました。その他いろいろ良いエッセイでした。
5月9日
 今年は3月まで寒く、4月に少しは草取りをしましたが、芝生の草は伸び放題ですので刈らなくてはと思っていましたが、寒い日が続いたので5月のこの日に芝刈りです。まずまずはきれいになり、今年は剪定をしなかったケヤキの緑と初夏の日を迎えます。そして、この日は私の髪もカミさんが刈ってくれて男前のおじいさん誕生。
5月14日
 私が長年ボランティアをしていた障害者余暇活動支援センターがそれまで所属していたNPOから諸般の事情により独立しましたが、それまで出ていた経費もなくなり、活動ができなくなりますので、1階をクリーニングの取次店として活動資金を捻出、2階の会議室を従来の障害者余暇活動支援センターとして活用するということになりました。この14日には開店のお祝いに行きましたが、店の前には大きな花輪、店内もお祝いの花で埋まっていました。
 障害者余暇活動支援センターとして行事開始までには時間がかかるということで私のボランティア業は休暇中、手持ち無沙汰の日々です。
5月24日
 町内の老人会のバス旅行の日。この日、快晴、最高気温は26℃、空気は乾燥して爽やかな五月晴れの見本のような日。行き先は大津市のびわ湖大津館。ここは天皇陛下やヘレン・ケラーなど著名な人が泊まった旧びわ湖ホテルだけに重厚な佇まい。お目当てのイングリッシュガーデンは赤、ピンク、白いバラはいうに及ばず、スイートピー、ジギタリス、シャクヤクなどが真っ盛り、池には赤と白のスイレンと花、花、花の1時間(何てハッピーな気分)。お昼はホテルのびわ湖に面したレストラン。浜大津港を囲む水面を一望できる場所。この会はいつも時間をたっぷりとっているので、私もバラの花のスケッチができて大喜び。帰り道は琵琶湖大橋のたもとにある道の駅でのショッピングタイム。広いびわ湖が一望できるロケーションが嬉しい。少し買い物をして3時過ぎに帰着。花を愛で、びわ湖を見渡すという素敵なツアーでした。
5月28日
 草津市コミュニティー事業団から私たち編集ボランティアが長年に亘って編集に携わってきた季刊情報紙「コミュニティーくさつ」をリニューアルするということで会議が開かれましたが、すべてを決めてから、説明の会を行うなど納得できないといちばんの古参Dさんは途中で席を立ってしまいました。私も役所の頭ごなしは我慢できないので、たくさんの仲間と別れるのは残念ですが、10年近く参加してきたボランティアを辞そうと思っています。

 先ごろ出た3ヶ月予報によると、西日本では少し暑い夏になるとか。寒さに弱い私ですが、かと言って暑いのに強いわけでもありません。かないまへんなあ。これから先、梅雨の季節ですが、どうかお元気で、では、また。

2013年5月の本

2013-05-29 08:32:37 | エッセイ・身辺雑記
有島武郎『一房の葡萄』名著復刻 日本児童文学館⑭、ホルプ出版、昭和46年(原本:叢文閣版、大正11年)
 驚いたことにこの本の装丁と挿絵は著者の有島武郎。モノクロームですが抽象画風の絵はなかなか洒落ていて、恐れ入りました。明治時代のおとぎ話風の作品は、大正になると一人の少年の心理に深く入り込んだ描写になっていて、児童文学の域を超えているというのが私の印象。若い時には白樺派の作家、武者小路実篤や有島武郎などの著作をよく読んだのを思い出しました。何か懐かしいような気分です。

尾崎紅葉『鬼桃太郎』日本児童文学館①、ホルプ出版、昭和46年(原本:博文館版、明治24年)
 表紙には幼年文學 第壱號とあります。和綴風の薄い本ですが、全ページ挿絵入り。総ルビですが、万葉仮名なのでいささか難渋しましたが読了。物語は桃太郎との合戦の敗因となった夫婦のところで苦桃から生まれた苦桃太郎が桃太郎の復讐をするという話ですがあえなく失敗するという話。ただ、文語調で書かれた文章はすべてにおいて大げさ。例えば家来になるバケモノ登場の場面。「御従軍御許しあらば身の面目之に過ぎじとありければ、苦桃太郎喜悦浅からず、腰から髑髏一個取らせて主従の契約(ちぎり)をむすびぬ」とまさに紙芝居調。読むよりも語ったほうが迫真力があって面白いんじゃなかろうか。本文を読み終わって奥付に並んでいる住所を見ると日本橋區や下谷區というのがありますが今のどこなのでしょう。定價は金八銭とありますが、今の何円に相当するのでしょしょうか。予告=広告のページには「猿蟹後日譚」、「舌切雀後日譚」、「西洋妖怪奇談」、「実地応用物理奇観」、尾崎紅葉の「二人むく助」、幸田露伴の「二宮尊徳翁」など読みたくなる本がずらりと並んでいます。

千葉省三『トテ馬車』日本児童文学館○23、ホルプ出版、昭和46年(原本:古今書院版、昭和4年)
 本書の最初の作品「虎ちゃんの日記」の前書きに<この日記を書いた虎ちゃんは実は小さい時の私かもしれない。また私の知っている幼友達のことかも知れない。とにかく真っ赤な、まるまっちい顔と丈夫さうな目に日に焼けた手足を持った尋常六年生ぐらいの田舎の子供と思って下さいとありますが、終章の「私の生い立ち」という文によると、著者は宇都宮の真北、篠井という村の生まれで、父はその村の小学校に奉職していたとあります。
 本書に登場するどの作品もこのような生い立ちを反映したと思われるストーリになっていて、その情景の描写もじつに詳細、かつ鮮やかです。例えば「高原の春」から引用してみるとこうです。「・・・・そこに、誰かが造ったやうな、きれいな泉があった。柔らかい水苔だの、青笹が、縁かざりのやうに丸くそのまわりをまいてゐる(中略)。日の光が、底の砂を金色に光らしている。モッコン、モッコン、湧き上がる水が、その金色の砂を絶えずゆり動かしている。そして、あふれて、音を立てゝ、水草の中へ流れて行く。水はかんろのやうに甘くて冷たかった。私たち、泉に口をつけて、お腹いっぱいに飲んだ。それから、少し離れた猫柳の陰へ行って、草の上にのびのびと寝転んだ。」
 この作品は昭和2年に書かれていますが、この時代にはこのような夢のような世界が広がっていたのです。ただ、このような世界の話をしても今の子どもたちに想像できるとは思いませんが。
 
幸田露伴『寶の藏』日本児童文学館③、ホルプ出版、昭和46年(原本:學齢館版、明治25年)
 著者が面白い話を読んだ時には、食後に妹などに話して聞かせていたところ、出版社の社長の知るところになり、これを纏めて出版したいということになった、という意味のことを書いています。
 「よみはじめ」には、ある山里に一人の翁が住んでいたが、珍しい絵巻を持っているそうだというのを聞いた子どもたちがその巻物にはいろいろ面白い話がのっているそうだから読んで聞かせてというのに対して、いくらでも話して聞かせるが、この話を聞いて考え、悟るということを忘れないようにという約束で始まります。
 本文には15の短い話が収められていますが、第一話は「善牙獅子と善博虎と両舌野干との話」で「過去世(むかし)雪山(せつざん)といふ山のほとりに獅子と虎と棲(す)みしが、獅子は其名(そのな)を善牙といひて、力あくまで強く、牙飽くまで鋭く、特に獣の中の王の系統(ちすぢ)なれば゛・・・・・」と始まります。話は野干(やかん=野生の牛)が獅子と虎のそれぞれに獅子には虎の、虎には獅子の悪口を言って仲違いをさせようとするのですが、最後にはこの両方に引き裂かれてしまうという話。
他の14話もこのようなイソップ風の話で、最後の「よみをはり」では子どもたちから15話から得た教訓を話させています。
 びっくりしたのは明治25年の本なのに、色数はあまり多くはありませんが、きれいなカラー版の口絵が挿入されていることでした。

巌谷小波『当世少年氣質』日本児童文学館②、ホルプ出版、昭和46年(原本:博文館版、明治25年)
 少し当惑した本です。当時の少年にまつわるエピソードが8編掲載されているのですが、それぞれが当時の少年に読ませるために書かれたものか大人のためのものかがよく分からなかったのです。各編ともにいきなり始まり、さしたる結末もなくいきなり終わるというスタイルにも原因があるのかもしれません。登場する少年は華族(当時はこういう階級があったのですね)からわずかなお金にも困る貧乏な家の子ども。そのそれぞれを書き分けているのは感心します。本の表紙には少年文學第九とあり、140ページもあるのに和綴じで表紙、表紙裏、数編の口絵はカラー印刷、値段は12銭です。

マーケット

2013-05-28 06:42:45 | エッセイ・身辺雑記
 世界の旅をテーマにしたテレビ番組でいちばん好きなシーンはマーケットです。ごみごみとした狭い路地に並ぶ様々や野菜や魚。きらびやかな民族衣装のほか何に使うのか見当もつかない道具類。人の良さそうなおじさん、世界のどこに行ってもニコニコ笑っているおばさん、時には別嬪さん。お客に見せる笑顔。ずっと見ていたいのに、先をいそぐのかあまり時間を割いてくれないのが残念です。
 町の公設市場しか知らなかった私がびっくり仰天したのが、家族で北海道旅行をした時に寄った函館の朝市です。大きい体育館のような広い市場に並んだでっかい魚たち、それもあまり見たこともない顔の魚たち、カニやエビ、山積みされた海産物。むせ返るような干物の匂いに飛び交う呼び声。買い物をしているカミさんを遠くに見ながら小学校六年生だった息子とあちこちを見て回っていると迷子になりそうです。朝市のそばの食堂で食べたホッケやイカ、続いて行った大沼公園のサイクリングロードで食べた朝市の毛ガニのうまかったこと。
 もう一つ書いておきたいのが金沢の近江町市場です。息子が学生時代を金沢で過ごしたのでよく行きましたが、年末に行った時、今晩は何を食べようかと言っていたら、車で連れて行ってくれました。ここは言ってみれば商店街ですが、いく筋にも分かれたあまり広くはない道の両側にびっしりと並ぶ魚屋の海産物は北陸の海から来たものが多く、野菜には加賀野菜というこの地域特有のものもあるのだそうです。年末とあって買い物客は押すな押すなの大混雑。店の人の声も絶叫調。いろいろ買いましたが、電子レンジで一分間チーンした岩がきがいちばんでした。
 私が初めて行った外国はタイ、Pさんにバンコクのあちこちを案内してもらいましたが、広いマーケットに並んでいるのは魚が多く、通路には鋏を紐で縛ったカニ、揚げた魚が山のように積み上げられているのも珍しく思えます。日本の市場と違うのは店の売り手が声をあげないので、人が多くて混雑しているのに静かなことです。野菜のようなものはあまりなかったように思いますが、いろいろな南の国の果物が並んでいます。その中の一つ、椰子の実の一つを指差し、お金を払うと、鉈のようなもので頭の部分を切って渡してくれたので一気に飲み干すと冷やしてもないのに少し冷たくて甘い汁。
 お昼はマーケットの一部に長い机と椅子をずらりと並べた食堂です。Pさんに教わったのは米の麺です。その麺には太いのや細いのがあるそうですが、私は細いのを頼みました。汁の味も注文の時に指定するのだそうですが私は薄味にしてもらったからか、まさに日本の味。現地の人は唐辛子と砂糖をいっぱい入れるのだそうです。
 食後のデザートは独特の匂いで有名なドリアンです。Pさんは通路にたくさん転がしている店を選び、店の人にいちばん美味しそうなのを選び出させると同時に値段の交渉。果物の王様、ドリアンの猛烈な匂いは車に残ると言いますし、ドリアンを持っていればホテルには絶対入れてくれないというので、その場で食べましたが、匂いは噂ほどでなく、ねっとりした甘味もなかなか。
 次にタイに行った時に連れて行ってもらったのはチャトチャックマーケットです。並んでいる店は千軒というだけあって、人一人がやっと通れるような通路を辿るのです。それでなくても暑いタイです。なにしろたくさんの店、風など全く通らず、まさに蒸し風呂。Pさんについて行くと、衣料品、雑貨、仏具、花となんでもありです。女性陣が店の前で長い間立ち止まっているのはアクセサリーの店先です。
このマーケットはウィークエンドマーケットの名前があるように公園の一角に土曜、日曜だけ店を並べるのだそうですが、中央の部分には何かの記念塔が立ち、その周囲には小さい広場ができていて食べる物を売る小さい店がたくさんあり、風船を売るおじいさんが歩き回っていたりします。バンコクは道で油で揚げた虫の蛹のようなものを売っている土地ですから、売っているものが何か分かりませんが、七輪のようなものの前に座り、食パンを焼き、砂糖か何かを塗ったのを売っているおばちゃんには親しみを感じます。このマーケットで50バーツ(日本円で約150円)出して買った夏用の帽子はここ十年間愛用しています。帰り道の車でPさんの中学生の息子がこのマーケットで買った青いヘビを見せると言いますがそれは断りました。
 もう一つ行った海外のマーケットはカンボジアです。やや小さいマーケットで、魚も野菜も果物もすべて地面に置いているためかゴミゴミした感じ。食べ物の店も並んでいますが、どこも立ち食い方式、麺のようですが、タイで見たのと似たようなものでした。タイでは見なかったのはミシンがたくさん並んでいて女性が忙しそうに何かを縫っている風景です。ここで待っていれば着るものが出来上がるのだそうです。もっともカンボジアでは長いスカートのようなものを着ている人を見かけましたから、短時間で縫えるのかもしれません。店の中でも大きいのが魚の売り場です。そのほとんどはナマズの仲間のようですが、大きいのから小さいのまで様々、そして、その奇妙な顔。思わずスケッチを始めていましたが、そこはツアーの悲しさ。すぐに時間になってしまいます。ローカル色の濃いマーケットだけに後ろ髪を引かれる思い。
 今年、十七年ぶりに金沢に行った時に寄ったのは近江町市場です。今回は時間をかけて回ったためか昔より広く感じましたが、あの時の感じは同じです。そして、シマエビとボタンエビをトロ箱に入れてもらい、「これで近江町の買い物客らしくなったね」と笑い、帰路につきました。何か心安らぐ思いを感じるマーケットです。
 どこに行っても賑やかなマーケット。パリのマルシェはちょっと遠いので、今日は、駅の近くに残っている昔ながらの市場に行ってみようかな。
2013年5月