はるかな日、きのう今日

毎月書いているエッセイ、身辺雑記を掲載

20210年3月の本

2010-03-30 09:09:31 | エッセイ・身辺雑記
福岡伸一「プリオン説はほんとうか? タンパク質病原体説をめぐるミステリー」
ブルーバックスB-1504、講談社2005年
牛の狂牛病、ヒトのクロイツフェルト・ヤコブ病の病原体は何か?多くの研究者が懸命な探索を繰り返したが、全く分からなかった。そんな時、この病気にかかった動物の脳に蓄積する特殊なタンパクが発見された。このタンパク質が病原体であるのを発見したノーベル賞を受賞したスタンリー・プルシナーである。プルシナーはタンパク質をプリオンと呼び、その名が一般的になっている。
著者が「まえがき」で述べているように本書はプリオン説の解説書でも啓蒙書ではなくもう一度プリオン説をさまざまな局面から再検討してみようというだけあって、プリオン説の誕生、その弱点、再検討で分かってきたこと、さらに、この病原体はウイルスではいかと思わせる事実など、専門的な用語も多く、話も複雑ではあるが、ミステリーに迫る展開に興味をそそられる本になっている。

野口恵子『バカ丁寧化する日本語 敬語コミュニケーションの行方』光文社新書、光文社2009年
私は昔の人間だからか、今の日本語が気にかかって仕方がありません。テレビでも「では歌って頂こうと思います」と言ってすぐ歌になりますが、なぜ「では歌って頂きます」ではなくていちいち「思う」が入るのか分かりません。政治家でも行政の人も「・・・・と考えているところでございます」と言うのを聞くと、その考えが変わったら、と思ったり、その考えはすぐ変わるのではないかと不安になったりします。リクエストを聞いていると「ではメールのほういってみたいと思います」と何で「ほう」なのかも分かりません。
そんな私はこの本の帯に出ている実例その1「皆様にワタクシの政策をお訴えさせていただきたく」(選挙の候補者)、実例その2「[凶器の使い方を]ご自宅でもかなり練習されていたそうです」(若いアナウンサー)を目にしてこれは面白そうとすぐに買ってしまった本です。
まず、「させて」いただく」が取り上げられていますが、「都合により本日休ませていただきます」が不快という人とこのような表現が好ましいという人がいますが、日本語の丁寧化とともに店に低姿勢を求めるようになってきたというのです。「させていただく」を使わないなら「都合により本日臨時休業いたします」という日本語があります。歌手が昨年はCDを2枚出させていただきました」と言うと、別に我々がCDを出させてあげたわけではない、いったいだれに感謝しているのだろうと思ってしますというのも同感です。「おかげさまで、昨年はCDを2枚出すことことができました」という言い方があるではないかという著者の言葉に同感です。
さて、お訴えさせていただきたくですが、訴えには本来の意味からすれば、敬語にする必要のない言葉で、さはいわゆる「さ入れ言葉」。「切らせていただきます」にさ
を入れれば手っ取り早く謙譲語になるから、をも「拝命をしました」の時のように余分なをとなります。「さ入れ」「を入れ」「ら抜き」と読んでいくと、自分でも知らずに使っているような気がします。以上はほんの一例を紹介したに過ぎません。
(この本のどこにあったか)病院でもさんが様になり、看護婦さんが看護師になって何か突き放された感じがあり、買い物に行けばマニュアル通りの丁寧な言葉とは裏腹に顔も見ないレジと人間味が失せたような気がするのは、私が旧式の人間だからかもしれません。・・・・・ときりがありません。ともかく、言葉に関心のある人にはお勧めの一冊です。

今月の便り(2010年3月)

2010-03-29 09:12:18 | エッセイ・身辺雑記
先月末の2月28日、京都の細見美術館と京都会館で開催された「京都の念仏狂言」を見に行きました。念仏狂言を見たのは初めてですが、たいへん面白いものでした。詳しくはこのブログのエッセイ(3月28日アップ)を御覧下さい。
3月11日はエッセイのサークル、自分史を作ろう会の例会でしたが、京都新聞の記者の取材を受けました。最初から終わるまで約2時間の例会に付き合ってくれて、終わってからも会員の人にいろいろ聞いていました。23日に記事が掲載されていましたが、実に的確にまとめてあるのには感心しましたし、見習わなくてはと思いました。
14日は神戸行きです。兵庫県立近代美術館で開催されている山本六三先生の展覧会を見るためです。山本六三先生は三十数年前、銅版画の手法を教えてもらった先生です。先生の教室に行っていたのは5年あまりですから知っている作品もあって懐かしく、褒めてもらったこと、叱られたことなどが一気に思い出されました。けれど、先生の若い時の自画像から遺作になった銅版画までの一部、先生の幅広い創作活動に改めて感心しました。先生が早くに亡くなられたのが悔やまれます。
18日はいつものI先生案内の街道(草津市内)巡りの日。今回は今住んでいるあたりも含まれるコースでしたが、ある観音堂のご本尊は近くの神社から移された仏様を祀っているなど知らなかったことがいっぱい。暖かい日で、けっこう長い距離を歩きましたから、運動不足の身には良い薬。ただ、花の少ない時期でしたので、いっしょだった植物に詳しいYさんに教わるかチャンスが少なかったのが残念です。
6日は障害者支援センターの絵画教室。O先生がたくさん持ってきた雑誌に載っている写真や絵を切り抜いて作るコラージュです。20日は市内の豚カツ専門店での交流会、保護者のおかあさんたちも加わって約30人だったそうです。センターのマネージャー、Tさんの「一般客も来る店でみんなといっしょにきちんと食事できるようにするのも訓練の一環」という意見で選ばれた店です。食事の後、センターで今年度の反省と来年度の希望を述べるなどの会合を開いて解散。
いよいよ春、花見もすぐです。どうか春の一日、一日をお楽しみ下さい。では、また。

2月28日、京都

2010-03-28 08:49:56 | エッセイ・身辺雑記
          細見美術館
2月末の28日の午後、「京都の念仏狂言」が開催される京都会館へ行く道を調べていたところ、この会館のすぐそばに細見美術館があり、「雅(みやび)の意匠│かぐやの婚礼調度と雛道具│」という春の特別展を開催していることを知りました。
婚礼調度の大半を占めているのは蒔絵のものですが、どれも江戸時代やさらに古くからのものなのに、美しい光沢があり、よくこれだけ保存されていたものだと感嘆。嫁入り道具とあって、化粧をする時に使う小物から鏡、硯箱からお櫃、衣服を整理する時に使う大型の道具まで、よく揃っているのに感心します。また、貝合わせの貝や百人一首の札の細かく描き込んだ文字や絵を見ていると、これだけの仕事をしていたのはどんな職人だったろうと想像は膨らみます。
 雛道具は婚礼調度よりもずっと小さく、箪笥をはじめ、様々な道具も蒔絵のものが多いのですが、どれも精巧そのもの、引き出しなども開け閉めできるのだろうと思います。それに爪のさきほどの小さいお皿の1枚1枚にも絵が施され、ガラスの小さいお皿にも美しい模様。このようなミニチュアのお道具は雛段に飾るだけだったのでしょうか。おままごとにも使ったのでしょうか。
 最後の部屋には、大阪の実業家、細見家三代の1000点にも及ぶ琳派や若冲など日本美術を中心としたコレクションを展示する美術館として平成10年3月に開館したなどの略歴が示され、大型埴輪などが展示されていました。
        「京都の念仏狂言」
 京都会館第二ホールの収容人員は千人ほどありそうですが、ほぼ満員。この日の演目は「釈迦如来」(嵯峨大念仏狂言)、「棒振」(神泉苑大念仏狂言)、「鬼の念仏」(千本えんま堂大念仏狂言)と「土蜘蛛」(壬生大念仏狂言)です。
 「釈迦如来」は無言劇です。母親が釈迦を拝むと、釈迦は動き、寺侍と坊主が向きを変えるように頼みますが、母親と釈迦は肩を組んで帰ってしまいます。びっくりした坊主は釈迦になります。次に娘が登場し、釈迦を拝むと後ろを向いてしまいます。寺侍が向きを変えるように娘に頼みますが、娘も釈迦と肩を組んで帰ってしまいます。今度は寺侍が釈迦になりますが、だれも来ないので帰ってしまいます。このように何だか不思議な筋書きですが、寺侍や坊主が困り、大げさに天を仰いだり、腕を組んだりする様子、びっくりする所作が笑いを誘います。
「棒振」は舞踊劇です。舞台には羽織袴、手に扇子を持った男50人が並びます。いちばん端の一人は小学校6年生だそうです。舞台中央では、目だけ出した面を被り、踊りながら両端に五色の房がついた、派手な模様の棒を上下左右に振り回します。並んだ男たちはこの棒振りに合わせて扇子を上下に振って「チョウハ、サッサイ」と囃します。目まぐるしく回る棒に見とれていると、時間がたつのを忘れます。
「鬼の念仏」はしゃべくり劇です。鬼が待つ六道に亡者が現れます。鬼は鉄棒を振り回しますが、亡者が打ち鳴らす鉦と念仏に負かされます。鬼は敵わないので、「紫色の雲がたなびいているほうが極楽だ」と教えるのですが、そちらには行かず、地獄で苦しむ罪人を助けようと考え、鬼にも改心させようと念仏の力で鉄棒、虎の模様の着物を捨てさせますが、鬼は鉄棒を背中に、着物は股に挟んで隠すなどの工夫をします。けれど、亡者は目ざとく見つけて捨てさせ、果てには首に鉦をかけさせ、地獄へ罪人を助けに行こうとご詠歌や大津絵節などのお囃子を始めます。亡者と鬼の漫才のようなやり取りに観客は笑います。
「土蜘蛛」はパントマイムです。源頼光には土蜘蛛の精がとりつき、酒宴を開いても気分がすぐれません、ある夜、頼光が床に伏していると土蜘蛛が襲います。頼光は太刀で切りつけますが、土蜘蛛は飛び去ってしまいます。家来の綱と保昌が松明を手に土蜘蛛を立ち回りの末に退治します。その際、土蜘蛛は苦しまぎれにたくさんの糸を吐いて倒れ、首を取られます。演者の動きも派手で、舞台に糸(細いテープ)が飛び交う場面は幻想的。糸が舞台の外にも飛ぶと、駆け寄り、争うように取る人がいましたが、壬生寺で演じられる時にも、その糸は縁起が良いというので、見物人は争うように取るのだそうです。
このような念仏狂言は、古くからあったようですが、その後途絶えたり、復活したりしながら現在につながっているのだそうです。また、各保存会や講・講社には30に及ぶ演目があるといいます。保存会の人たちはたぶん本業を持った人が多いのでしょうから、その人たちのご苦労も一方ならぬものがあるのでしょう。各寺院で行われる念仏狂言をその日に、その場所に行くのは難しいことですから、この日のようにまとめて見聞きできたのは幸いでした。
2月28日。コートなしでは少し寒いような京都でしたが、美術館と狂言の会を存分に楽しんだ1日になりました。
2010年3月