毎年のことなので、異常とも思えるこの暑さとも言えませんが、何とも暑いこの夏です。皆さんの消夏法はどのようなものでしょうか。
8月6日
夜中の1時過ぎに地震。後で調べたら京都南部で震度4、草津での震度は分かりませんが、納戸の棚が傾いていました。スティールの組立棚なので30年もするとネジが緩むのかもしれませんが、後どうしましょう。わが家初めての震災。
8月7日~8日
先月亡くなったのに斎場やお坊さんの都合などで遅れていたカミさんの叔母のお通夜とお葬式に出席。
7日、比較的空いている新幹線で東京へ。中央線は混んでいて、見えるのは前の人だけ。立川から青梅までは乗客もまばら。青梅市民斎場は駅からタクシーで10分ほどですが、市外の森の中。着いたのは6時から始まるお通夜の1時間前でしたが、お客さんは多く、昔からの顔なじみと話す暇もなく式は開始。列席者が多いのは人の面倒をよく見た叔母さんの人徳によるものでしょう。叔母さんの写真を見ていると、京都、山陰、金沢、紀州、伊勢、小豆島などに連れて行ってもらった時の思い出が次々と浮かんできて胸が熱くなります。夜は喪主のHさん(ご亭主は肺炎で入院中)と3人で斎場に宿泊。
8日は10時からお葬式。前日と同様、たくさんの参列者。最後のお別れは近親者だけでなく大勢でお見送り。何時ものことながら辛く、悲しい瞬間で長い付き合いだったので瞼が熱くなります。初七日の儀式の後、斎場の前にある火葬場へ。人はいつか白い骨になって帰ってくるのだということを再確認。悲しい事実ですが致し方ないことです。この日は大田区に住んでいる息子も参列しましたが、喪服姿で焼香しているのをみると息子もおっちゃんになったものだと思ったものです。
斎場に戻り、7日の座敷というのか全員で会食。中には叔母さんの住んでいた近所の人もいたようです。
思っていたよりも早く終わり、車で来ていた息子に駅まで送ってもらう途中、東京駅まで行ってくれるということになり、八王子、府中、高井戸などを通り、都内に入り、神宮外苑、永田町などを経て、お堀端。この辺は60年ほど前に歩いたことがあるので懐かしさでいっぱいになります。そして東京駅。丸の内口で降ろしてもらいましたが、まだ八重洲口のなかった数十年前(今の人には信じられないでしょうが)を懐かしく思いましたが、修復なった東京駅の壮大な、そして美しさには感嘆しました。北口から入り、見上げるとホール天井の装飾はたとえようがない美しさ。外国にでも行ったような錯覚の中、しばらく見とれていました。新幹線はかなり混んでいましたが、並んで座れる席(B、C)で帰途に。着いた草津は雨でした。ご苦労様でした。
8月12日~15日
よく寝ていて知りませんでしたが、東京の一行は12日未明、4時半ころ着いたようです。わが家はこの日から7人家族。遅い朝食後、私は歯科医院と買い物など。子どもたちはスマホやゲームなのでかつてのように遊んでやることもなく、いつものように絵を描いたりして過ごします。中学生はゲームのため、顔を見せるのは食事とおやつの時間だけ。ママと孫娘は買い物と昼食に行ってなかなか帰ってきませんが、母娘には大事な時間なのかもしれません。ABCマートで靴、スーパーではいろいろ買ってきたそうです。遊び相手に困っている4年生にPCを貸したところ、you tube
で長い間遊んでいましたが、これも時代か。午後遅くには中学生と4年生は自転車でしばらくサイクリング。夜は例年のリクエストにより手巻き寿司パーティー。
13日は好天。みんなは近江八幡国民休暇村、宮の浜へ。でかい浮き輪を積んで出かけました。滋賀に来たかいがあるというものです。こちらはカミさんとショッピング。夜は焼き肉パーティー。近江牛の肉も。6年生の孫娘と4年生は動物の子どものように終始じゃれあって遊び、まことに賑やかですが、わが家の息子は一人っ子だったのでこれがなく、可哀そうだったなあとしきりに思います。
14日は雨模様の日、どこへ行きたいかの家族会議?ですがなかなか決まりそうにありません。民主主義というのは時間のかかるものです。孫娘の希望で帰帆島へ向かったのですが、急な雨で第二候補のボウリング、その後雨が止んだので帰帆島公園に行ったとのこと。あまり賛成のなかったボウリングはそれぞれ好成績だったらしく。それぞれが自慢話に花を咲かせていました。
15日。ママのお里、静岡へ行く途中で長島スパーランドに寄るというので5時起き、6時出発。集合写真を撮り、賑やかに帰途に。
パパ、ママはじめそれぞれが夏休みを堪能したらしく、ホストのわれわれもほっとしましたが、カミさんは終始立ち働き、気の毒でしたがこれも楽みなのかもしれません。帰った後、靴でいっぱいだった玄関にはつっかけが1,2足、洗面に並んでいた歯ブラシも姿を消し、淋しくなりました。電話によると、心配していた長島スパーランドでは雨にも降られず、ジェットコースターはじめ大いにたのしんだようです。
8月12日
大島造園がきてツゲとサツキの剪定をしてくれて見違えるようにきれいになりました。
8月14日
タイのPさんから娘のFさんの結婚式にきてくれないかというメールが入りましたが、高齢で長旅には自信がないと断りました。19日にはタイから来てもらえないのは残念だが、お祝いの言葉を頂いて嬉しかった。ありがとうという返信がありました。
8月23日
以前行っていた障害者支援センターから声がかかり、地蔵盆(納涼祭)に出す夜店の手伝いを頼まれていたので4時ごろ行くと、若いボランティアたちが焼きそばやフランクフルトソーセージの店を始めていました。私やカミさんはあまり混雑しそうにない草津の名物(伝統のある)、穴村の団子、ラムネやジュースビールの売り場を担当。
この日は日中からにわか雨の降る日でしたが、例年または例年以上の混雑。焼き鳥屋から流れてくるもうもうとした煙。子どもも女性たちや家族連れと満員電車並みの人の列とその熱気。何かと忙しく立ち働きましたが。9時過ぎに終了。
帰り道では虫たちの声を聞きました。賑やかな高校野球もおわります。こうして今年の夏も過ぎて行くのです。
今年は各地で豪雨による水害、ことに広島の惨状は目を覆いたくなります。お住まいのところでは如何だったでしょう。これから先も真夏日や猛暑日の日もあることでしょうが、どうぞお元気で。では、また。
8月6日
夜中の1時過ぎに地震。後で調べたら京都南部で震度4、草津での震度は分かりませんが、納戸の棚が傾いていました。スティールの組立棚なので30年もするとネジが緩むのかもしれませんが、後どうしましょう。わが家初めての震災。
8月7日~8日
先月亡くなったのに斎場やお坊さんの都合などで遅れていたカミさんの叔母のお通夜とお葬式に出席。
7日、比較的空いている新幹線で東京へ。中央線は混んでいて、見えるのは前の人だけ。立川から青梅までは乗客もまばら。青梅市民斎場は駅からタクシーで10分ほどですが、市外の森の中。着いたのは6時から始まるお通夜の1時間前でしたが、お客さんは多く、昔からの顔なじみと話す暇もなく式は開始。列席者が多いのは人の面倒をよく見た叔母さんの人徳によるものでしょう。叔母さんの写真を見ていると、京都、山陰、金沢、紀州、伊勢、小豆島などに連れて行ってもらった時の思い出が次々と浮かんできて胸が熱くなります。夜は喪主のHさん(ご亭主は肺炎で入院中)と3人で斎場に宿泊。
8日は10時からお葬式。前日と同様、たくさんの参列者。最後のお別れは近親者だけでなく大勢でお見送り。何時ものことながら辛く、悲しい瞬間で長い付き合いだったので瞼が熱くなります。初七日の儀式の後、斎場の前にある火葬場へ。人はいつか白い骨になって帰ってくるのだということを再確認。悲しい事実ですが致し方ないことです。この日は大田区に住んでいる息子も参列しましたが、喪服姿で焼香しているのをみると息子もおっちゃんになったものだと思ったものです。
斎場に戻り、7日の座敷というのか全員で会食。中には叔母さんの住んでいた近所の人もいたようです。
思っていたよりも早く終わり、車で来ていた息子に駅まで送ってもらう途中、東京駅まで行ってくれるということになり、八王子、府中、高井戸などを通り、都内に入り、神宮外苑、永田町などを経て、お堀端。この辺は60年ほど前に歩いたことがあるので懐かしさでいっぱいになります。そして東京駅。丸の内口で降ろしてもらいましたが、まだ八重洲口のなかった数十年前(今の人には信じられないでしょうが)を懐かしく思いましたが、修復なった東京駅の壮大な、そして美しさには感嘆しました。北口から入り、見上げるとホール天井の装飾はたとえようがない美しさ。外国にでも行ったような錯覚の中、しばらく見とれていました。新幹線はかなり混んでいましたが、並んで座れる席(B、C)で帰途に。着いた草津は雨でした。ご苦労様でした。
8月12日~15日
よく寝ていて知りませんでしたが、東京の一行は12日未明、4時半ころ着いたようです。わが家はこの日から7人家族。遅い朝食後、私は歯科医院と買い物など。子どもたちはスマホやゲームなのでかつてのように遊んでやることもなく、いつものように絵を描いたりして過ごします。中学生はゲームのため、顔を見せるのは食事とおやつの時間だけ。ママと孫娘は買い物と昼食に行ってなかなか帰ってきませんが、母娘には大事な時間なのかもしれません。ABCマートで靴、スーパーではいろいろ買ってきたそうです。遊び相手に困っている4年生にPCを貸したところ、you tube
で長い間遊んでいましたが、これも時代か。午後遅くには中学生と4年生は自転車でしばらくサイクリング。夜は例年のリクエストにより手巻き寿司パーティー。
13日は好天。みんなは近江八幡国民休暇村、宮の浜へ。でかい浮き輪を積んで出かけました。滋賀に来たかいがあるというものです。こちらはカミさんとショッピング。夜は焼き肉パーティー。近江牛の肉も。6年生の孫娘と4年生は動物の子どものように終始じゃれあって遊び、まことに賑やかですが、わが家の息子は一人っ子だったのでこれがなく、可哀そうだったなあとしきりに思います。
14日は雨模様の日、どこへ行きたいかの家族会議?ですがなかなか決まりそうにありません。民主主義というのは時間のかかるものです。孫娘の希望で帰帆島へ向かったのですが、急な雨で第二候補のボウリング、その後雨が止んだので帰帆島公園に行ったとのこと。あまり賛成のなかったボウリングはそれぞれ好成績だったらしく。それぞれが自慢話に花を咲かせていました。
15日。ママのお里、静岡へ行く途中で長島スパーランドに寄るというので5時起き、6時出発。集合写真を撮り、賑やかに帰途に。
パパ、ママはじめそれぞれが夏休みを堪能したらしく、ホストのわれわれもほっとしましたが、カミさんは終始立ち働き、気の毒でしたがこれも楽みなのかもしれません。帰った後、靴でいっぱいだった玄関にはつっかけが1,2足、洗面に並んでいた歯ブラシも姿を消し、淋しくなりました。電話によると、心配していた長島スパーランドでは雨にも降られず、ジェットコースターはじめ大いにたのしんだようです。
8月12日
大島造園がきてツゲとサツキの剪定をしてくれて見違えるようにきれいになりました。
8月14日
タイのPさんから娘のFさんの結婚式にきてくれないかというメールが入りましたが、高齢で長旅には自信がないと断りました。19日にはタイから来てもらえないのは残念だが、お祝いの言葉を頂いて嬉しかった。ありがとうという返信がありました。
8月23日
以前行っていた障害者支援センターから声がかかり、地蔵盆(納涼祭)に出す夜店の手伝いを頼まれていたので4時ごろ行くと、若いボランティアたちが焼きそばやフランクフルトソーセージの店を始めていました。私やカミさんはあまり混雑しそうにない草津の名物(伝統のある)、穴村の団子、ラムネやジュースビールの売り場を担当。
この日は日中からにわか雨の降る日でしたが、例年または例年以上の混雑。焼き鳥屋から流れてくるもうもうとした煙。子どもも女性たちや家族連れと満員電車並みの人の列とその熱気。何かと忙しく立ち働きましたが。9時過ぎに終了。
帰り道では虫たちの声を聞きました。賑やかな高校野球もおわります。こうして今年の夏も過ぎて行くのです。
今年は各地で豪雨による水害、ことに広島の惨状は目を覆いたくなります。お住まいのところでは如何だったでしょう。これから先も真夏日や猛暑日の日もあることでしょうが、どうぞお元気で。では、また。